第23章
・・・昭和時代。
茂雄の所属していた、『矢板市立川崎小学校』は、明治時代に建てられた、古い木造校舎であった。
1986年・・・茂雄が高校一年のときに解体されてしまったが・・・茂雄たち卒業生は、みんな、この校舎の「ぬくもり」「あたたかみ」「木のにおい」「肌触り」といった魅力を覚えていて、茂雄などは、卒業して40年以上たったいまでも、その「間取り」をはっきりと想い起こすことができる。
「四年生になると、西昇降口から校舎に入るんだった。美絵子ちゃんたち一年生は、東昇降口から。
一階の間取りも、覚えてるぞ。シューズに履き替えて、廊下に出ると、左の(西の)突き当りが、理科室。次に、保健室と放送室。隣が職員室で、奥が校長室だった。保健室から廊下をはさんで、給食室があったよ。
東に廊下を行くと、右手が正面玄関になってて、向こうに、3年生・2年生・1年生の教室が続いてた。
・・・美絵子ちゃんたち一年生は、突き当りの、一番東の教室。
二階へ上がると、理科室の真上に音楽室があったよな。そこから東へ廊下を行くと、4年生・5年生・6年生の順に教室があった。
真ん中に「講堂」があって・・・ここで俺は、美絵子グループと『花いちもんめ』をやったっけ・・・。その向こうが図書室だったよ。俺にとっては・・・二階における、一番想い出がある場所だ。ここで美絵子ちゃんと俺は・・・。
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五十歳を過ぎた茂雄は、その窓から、広い校庭を見下ろしてみた。
鉄棒が見える。
そして、あのブランコも。
『川崎城跡』の方には、古いコンクリートのプールも見える。
鉄棒の少し先・・・校庭の東寄りに、「あの場所」も。
ここで「アレ」が起こらなければ・・・あの日、ふたりがここで会わなかったのなら・・・




