第1章
夏目漱石先生の名作「こころ」の冒頭部に、次のような一節がある。
『私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執っても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。』
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ぼくは、過去に、あるひとりの少女に、燃えるような恋をした。
名前を、『美絵子』という。
ぼくは・・・
彼女の記憶を呼び起こすごとに、すぐ「美絵子ちゃん」といいたくなる。
・・・ここまでは、前述の「こころ」の冒頭部と、まったく同様である。
しかしながら、実はぼくは、彼女に直接、「美絵子ちゃん」と呼びかけたことは、ただの一度もない。
ぼくが彼女に対し、その呼び名で語りかけるようになったのは・・・実は、彼女と別れてから・・・のことなのだ。
ぼくのオリジナル処女作『たからもの』の世界では、美絵子ちゃんは、主人公の『高田良作くん』に、最後の力をふりしぼって、ありったけの思いを書き綴り・・・
そして、天国へと旅立っていった。
リアルな現実世界では・・・
ヒロインの『峯岸美絵子ちゃん』のモデルとさせていただいた美絵子ちゃんは、いまも元気で生きている。
・・・がんばって、立派なお仕事に毎日励んでおられる。
ぼくとは切り離された、まったく別の世界で、生き生きとして、この混沌とした不安定な社会を良くしようと、懸命に、いそがしい日々を送っておられる。
ぼくは・・・
もう、彼女にコンタクトを取ることは、一切ないし、できない。
・・・その「資格」すらない。
でも、彼女への「想い」「愛」は、ずっとずっと変わることなく、ぼくの中に生きている。
どっかりと心の中に彼女が腰をおろし、根付き・・・息づいている。
紛れもない事実だ。
そして、ぼくもまた、生きている。
まだ、なんとか目も見えるし、ちゃんと仕事にも行っている。
・・・こうして、皆様のために、美絵子ちゃんのために、そしてなにより、ぼく自身のために、いま、リアルタイムで筆を執っている。
次章からは・・・
そんなぼくが、拙い文章で、「走り書き」「覚え書き」して書き溜めてきた、美絵子ちゃんへの熱い想い、日々、急速に衰えてゆく数々の貴重な想い出というものを、とりとめもない形にはなってしまうけれども・・・
またゆっくりと時間をかけて、したためてゆきたいと思う。
令和5年7月23日(日) 午前11時14分 自宅の書斎にて サファイアの涙こと、栗原茂雄
m(_ _)m