革命前夜
グランミュール王国は、巨壁山脈の西、西方世界一の人口と面積を誇る超大国である。保有する魔導従士の数も、他の西方四大国家を1桁上回っている。平坦な地形で、農業が盛んだ。
西方歴3006年。ここグランミュールで、革命が起きる。始めは小さな暴動、それが王国全土、西方世界全体に飛び火し、最終的には巨壁山脈を越え、オストニア王国にまでその影響が及ぶ。
第5話 革命前夜
1
西方歴3005年。グランミュール王国の王都シテ。王国の近衛騎士団が、軍議を開いていた。
「魔導師の意識を同調させ、その魔力を集めて1人では難しい上級以上の魔法を使う。儀式魔法か。人間を兵器にするなど、いかにも帝国らしい。」
「しかし、その魔導師の敷いた陣を破壊してしまえば、儀式魔法も止まる。敵本陣を魔導従士で破壊すればいい。最後は力押しだが、対策は可能だ。」
「イルリック国の動きは相変わらずか?」
「は。負ける戦場ではさっさと引き、勝てる戦場に戦力を集中させる。十中八九、帝国の戦略が漏れているのでしょう。帝国は戦術的には勝利を重ねていますが、国境付近からほとんど進めていない。」
「イルリック国は、商人の国だからな。商売は情報が命だ。間諜にも長けているのだろう。」
「帝国が、緒戦以来、儀式魔法を使っていない理由は?」
「イルリック国の奸計で、帝国の魔導師が全滅しましたからな。代わりの魔導師を養成するのに時間が掛かった様です。ただ、すでに新たな魔導師部隊を編成し終え、帝国ももう1度切り札を手にした様ですが。」
「それを温存している理由は、気になるな。」
「いずれにせよ、陛下のご意向がロターリア戦役の調停である以上、双方の兵力引き離しは必須だ。戦力が要る。」
「西部の貴族の中には、参戦に前向きな者もいなくはないのですが、他国同士の戦争ですからな。あまり貴族たちの戦力をあてにはできません。」
「すると、我々近衛騎士団中心で動かざるを得んか。そうすると、兵力増強は不可避だな。」
「軍資金も必要です。」
「陛下には、増税をお願いするしかあるまい。」
「増税か。」
クリストフ・ド・ラファイエは、近衛騎士団の将軍である。王都シテの警備の責任者を任されていた。この日もド・ラファイエは、警備のためにシテの街を歩いていた。将軍自らが現場に出るのは異例であるが、ド・ラファイエは、こうして市井に繰り出すことが多かった。実際現場に出てみた方が、色々と情報が入るものである。
「聞いたか、また増税になるらしい。戦争の準備でも始めるのかね。」
「偉い人の考えていることは分からんよ。それより今でも充分生活が苦しいのに、増税なんてことになったら、干からびて死んじまわ。」
こうした耳の痛い噂話も、現場に出るからこそ聞こえてくるのだ。
ド・ラファイエは、貴族でありながら、同時に近衛騎士でもある、風変わりな経歴の持ち主だった。グランミュールでは、普通、貴族というのは、領国の経営に専念して、中央の役職を持たないものだ。ド・ラファイエは、領国は弟に任せ、王都で近衛騎士をやっているわけだから、型に嵌まらない人物なのは間違いない。
ド・ラファイエの型破りな一面は、非番の時でも顔を出す。シテには、知識人階級があつまる喫茶店、言わばサロンのような場所がいくつかあるのだが、ド・ラファイエは、そのうちの1つ、フィヤンという喫茶店によく出入りしていた。この喫茶店は「平民とは何か」の著書で知られる、チャゲアス・セイ=イエスも出入りしていることで、知識人の間では有名だ。
ある非番の日。ド・ラファイエは、例の如く、フィヤンに足を運んだ。すると先客がいて、噂のセイ=イエスだった。
「おや、これは、ド・ラファイエ将軍。噂には聞いておりましたが、珍しいところに現れる。」
「今は非番なので、敬称は結構ですよ。それにしても、かの高名なセイ=イエス氏に会えるとは。今日はついている。」
ド・ラファイエは、紅茶を1杯頼むと、セイ=イエスの近くの席に陣取った。
「ちょうどいい。私の友人を紹介させてくれ。」
セイ=イエスが、対面の席に座っていた、大柄な男を指して言った。
「ダールトン氏だ。よく、私とこのフィヤンで議論を戦わせている間柄だ。」
「ダールトンだ。よろしく。」
「ド・ラファイエです。こちらこそよろしく。」
ド・ラファイエが頼んだ紅茶が運ばれてきた。
「話は変わるが、街では増税の噂で持ちきりだ。このようなことを聞くのは失礼かも知れないが、将軍は何かご存じかな?」
セイ=イエスは、相当お喋り好きの様だ。初対面のド・ラファイエに遠慮なく話しかけてきた。
「私の立場では、その質問には答えにくい。」
「いや、失礼。興味があることは聞かずにおれない性分でね。確かに将軍の立場では、答えにくいでしょう。」
「将軍が答えにくいということは、ロターリア戦役に介入するという噂の信憑性が増すな。」
それまで自己紹介の他は黙っていたダールトンが、徐に口を開いた。
「ふむ。ダールトン氏の名推理の方はともかく、将軍がこの店に通っている理由にも興味があるね。どうしてだろう。」
質問魔。まだあって間もないが、ド・ラファイエのセイ=イエスに対する評価だ。
「この店は知識人が集まりますからね。こうして議論を戦わせ、新たな知識に出会おうというのは、それほどおかしなことではないでしょう。」
「全くだ。私も、知的好奇心も満たすためにこの店に通っている様なものだからね。しかし、安心したよ。将軍は、この店の内定調査でもしているのではと、噂されていたからね。」
「内定などと。そんなことができるほど器用ではありませんよ。」
「確かに。」
ダールトンは寡黙だが、無口という程ではないらしい。少し言葉が辛辣だが。
「新たな知識と言えば、将軍はアンリの『人類不平等起源論』は、読まれたかな。大変勉強になる本だよ。」
アンリというのは、シテの知識人の間で有名な、啓蒙思想家だ。そしてこのフィヤンの特徴は、集まる知識人が、みな啓蒙思想に傾倒していることにある。
「その本なら、何年か前に読みましたね。原始共産制などと、絵空事と思ったが、結論部分では賛成できるところもありました。」
「ほう、例えば?」
「法は一般意思の声を語るべし、と言う部分などでしょうか。」
「一般意思か。さすが将軍、目の付け所が鋭い。して、今の国王陛下は、一般意思を体現する賢君と言えますかな?」
「それは…。」
宮仕えの身であるド・ラファイエには、非常に答えにくい質問だった。ド・ラファイエが言い淀んでいると、
「セイ=イエス氏。あまり将軍を困らせるな。」
ダールトンが口を挟んだ。
「確かに。ダールトン氏の言う通りだ。私も新しい友人が出来て、舞い上がっていたようだ。」
どうやらセイ=イエスは質問を撤回した様だが、非礼を詫びることはしなかった。その後もセイ=イエスは、店中の客を巻き込んで、議論を繰り広げたのだった。帰り際に、セイ=イエスが、
「お近づきの印に、そのお茶を奢らせてくれたまえ、将軍。」
と言ったので、ド・ラファイエは、
「はは。では、お言葉に甘えましょう。」
と、セイ=イエスの好意を受けることにした。
「また機会があれば、色々と語り合おう。」
セイ=イエスが去った後も、フィヤンの店では、客たちが様々な議論をしていた。ド・ラファイエには、現国王の政策に対する厳しい評価が多いことが、気になった。実は、ド・ラファイエも、心中では国王に批判的な人物の1人である。
その後も毎日のように、フィヤンでは、知識人たちの議論が交わされた。彼らは、ボルテージュやモンペスキーなど、著名な思想家の著作をタネに、延々と議論をしていた。ド・ラファイエがセイ=イエスと会う頻度も、時期を経るほどに上がって行った。
2
グランミュールに限らず、西方諸国ではオストニア王国にあるような義務教育制度を採用している国はない。住民の大半は農奴で、識字率は低い。啓蒙思想が流行していると言っても、実際に本を読めるのは、一部の知識人階級に限られる。グランミュールでは、そんな状況を変えようと、行動する若者たちのグループがあった。「人民の中へ」と呼ばれるそのグループは、各地の農村を回り、農奴たちに文字を教えるとともに、現在の農奴がいかに非人間的な扱いを受けているのかを説いていた。
そんな「人民の中へ」が集まる「ジャコバ=アン」という喫茶店が、王都シテにあった。「人民の中へ」のリーダー格の1人、ロベ・ラピエールが、別の若者に問いかけていた。
「ローラン・クリストフ。君は農奴たちが置かれた状況をどう考える。」
問われた若者、クリストフが答える。
「今の農奴は、非人間的な扱いを受けています。居住移転の自由もなく、自ら農地を所有することもできない。」
「経済面だけかね。」
「勿論、それだけではありません。彼ら自身が、自分たちの状況を、酷いものと認識できていない。彼らは字が読めないからです。農奴の状況を訴えても、彼らには伝わりません。耳を塞がれているのと同じだ。」
クリストフの答えを聞いて、ラピエールは満足げに頷いた。
「その通りだ。ここに集った我々は、幸運にも裕福な環境で育ち、文字も読める。ボルテージュやモンペスキーの著作にも触れられる。しかし、こうした文字が特権階級に独占されている状況がいけないのだよ。農奴たちも、自分たちがいかに劣悪な状況に置かれているかを知れば、目を覚ますだろう。農奴が声を発すれば、必然、一般意思による政治が実現される。」
ラピエールは、一拍おいて、続けた。
「ローラン・クリストフ。君を同志として迎えよう。」
「ありがとうございます。ラピエール同志。」
こうしてクリストフは「人民の中へ」に迎え入れられた。
「話題は変わるが、各地の農村を回る活動も、1つの区切りを迎えた。次に問題となるのは、巷間噂になっている、増税、そしてその後に待つロターリア戦役への介入だ。」
ラピエールが、ジャコバ=アンに集まる若者たちに向けて話し始めた。
「すでに人民は重税に喘いでいる。その上に更に増税だ。その上、その理由が、他国同士の戦争への介入だ。」
喋るラピエールのボルテージは、どんどん上がっていく。
「このような政治が、一般意思に従ったものか?断じて否。人民は、戦争など求めていない。求めているのは今日のパンだ。国王直轄領で増税がされれば、諸貴族もそれに従うだろう。これは、グランミュール王国全土に関わる問題なのだ。」
「そうだ。」
聞いていた若者たちから、口々に賛同の声が上がる。
「この様な腐りきった政治は、断固粉砕しなければならない。そして、人民が参加する政権を作り上げなければ、一般意思は実現できない。これからは、権力者を打倒することを考える時期だ。」
「その通りだ。」
「では、同志諸君の益々の奮闘に期待する。」
ラピエールが言葉を締めくくると、「人民の中へ」の若者たちは、いくつかの小グループに分かれて、計画を練り始めた。彼らの計画は、農村を回り、政変の必要性を訴えることが主目的になっている。暗黙裏に、武器を取る、という表現は避けられた。当局が「人民の中へ」を危険視することを避けるためだ。
「同志クリストフ。君も、東部を回るグループに入ってくれたまえ。」
「分かりました、同志ラピエール。」
各地の農村を起点とした全国規模の暴動。「人民の中へ」の性格は、教育からアジテーションに変わりつつあった。
他の若者たちが店を出た後も、ラピエールはひとりジャコバ=アンに残っていた。
「おい、ラピエールはいるか?」
そこに、別の若者が入って来た。フランク・マーラーと言い「人民の中へ」のリーダー格の1人だ。普段は新聞記者をしている。
「マーラー同志。ブン屋の君が、そんなに慌てて、どうしたと言うのかね。」
「裏がとれたんだよ。王国の懐事情を探っていたが、噂通りだった。」
ラピエールもその噂には心当たりがあった。
「なるほど、ノルラント出身のあばずれのことか。」
「そうだ。」
「それは記事になるのかね?」
マーラーは首を横に振る。
「無理だろう。そんなことを記事にすれば、新聞自体が発禁処分になりかねん。」
「自己検閲か。恐ろしいことだね。」
マーラーには忸怩たる思いがあるのだろう。悔しそうな表情で、
「だからこそ、言論の自由は保障されなければならないんだが。」
と、言ったのだった。
3
グランミュール王国の現国王、オウギュスト・ヴァロワ・グランミュールは、覇気のない人物であった。16歳の時に、1歳年下のノルラント王国の王女マリーヌと結婚、20歳の時に、祖母だった前国王の逝去に伴い王位を継いで10年になる。ただ、政務は臣下に任せきり、うちでは王妃の尻に敷かれていた。
西方諸国、特にグランミュール王国では顕著なのだが、王権がとても弱い。各貴族領には国法に優先して領法が適用され、徴税権も各貴族にある。国王の支配が直接及ぶのは、国王直轄地だけである。オストニアではとうの昔に廃れた不輸不入の権が未だに生きているのだ。当然、騎士団も貴族領毎に設置されるから、国王の意向で動かせる騎士は、国王直属の近衛騎士団に限定される。
国王が、唯一諸貴族と異なるのは、外交の場である。この時代にも国交を結べば、大使を交換することは行われていた。その大使を選任したり、外国の大使を接受するのが、国王の役割である。ただし、ここで言う大使は、外交官ではなく、人質としての色彩が強い。そのため、国王と血縁の深いものが選ばれるのが通常である。国王と血縁のない大使を送るとは、貴国とは戦争も辞さない、というメッセージとして受け取られる。
ある日、オウギュスト国王は、宰相のド・モリガンに言われた。
「陛下、本日は、今後の外交方針について、会議があります。ご臨席を賜りたく。」
ところが、国王の態度は明らかに嫌そうだった。
「それは君たちだけで片付けてくれ。どうせ僕はお飾りだ。いてもいなくてもいいだろう。むしろいつもいない僕がいたら、会議に余計な時間が掛かる。」
「陛下。」
「僕は、その間、狩りにでも行ってるよ。じゃあ、頼んだから。」
国王は身支度を調えて、私室を出た。向かった先は、会議室ではなく、厩舎である。王都シテ郊外には、王家専用の狩り場がある。国王は、数人の護衛の騎士を伴って、本当に狩りに出掛けてしまった。残された宰相は、
「全く陛下と来たら。今はロターリア戦役に介入するか否かを決める重要な時期だというのに。仕方あるまい。任された以上、話を進めねばならん。」
と、馬に乗って去って行く国王の背中につぶやいたのだった。
国王は、狩り場に着くと、馬を下り、平原を走る兎を、弓で射ていた。とても上手とは言いがたく、狩り場の地面には外れ矢が、何本も刺さっていた。
「今日もうまくいかない。走る標的を射るなんて、どうしてできるのだろう。まあ、あの兎も、誰かが捕まえてきて、この狩り場に放ったものなんだろうけど。みんなお膳立てしてもらって、結局これ。これが、僕の限界だよ。」
国王の独り言を、護衛や狩り場の管理人は聞こえぬふりをしていた。
国王は、会議が終わるだろうタイミングを見計らって、玉座についた。すぐに宰相が報告に来る。
「陛下、報告いたします。今日の会議では、準備が整い次第、ロターリア戦役に介入することが決まりました。後は、陛下のご署名を頂くだけです。ただ、各地の貴族に、出兵に際して、兵を出すよう催促しておりますが、西部の一部貴族を除いて、芳しい成果が得られていません。近衛を動かすには、戦費の方が問題です。そこで、戦費の調達と、近衛騎士団の体制増強のために、増税しかありません。そちらのご決済も頂きたく。」
宰相は事細かに会議の結果を報告したが、国王は、ボーッと聞き流していた。
「分かった。君たちが決めた通りやってくれ。」
「御意。」
分かっているのかいないのか、国王は、宰相に言われるがままに、増税の方針を決めてしまった。
宰相が去った後、玉座の間に王妃マリーヌが入って来た。王妃は大層美しく、世界にこの人ありとまで言われる美人なのだが、1つ重大な欠点があった。
「陛下、明日は、ド・ローヌ伯爵夫人を招いてのお茶会を催しますの。それで、みっともなくないように、ドレスを新調しましたのよ。明日、陛下にもご覧に入れますから、楽しみにしていて下さい。」
王妃の欠点とは、無駄遣いが過ぎることであった。この時代、王家の私産と国庫の区別はされていない。そして、王妃の無駄遣いは、グランミュール王国の財政逼迫の原因になる程の規模だった。
王妃は、花を愛でるのが趣味である。王妃の出身地のノルラント王国は、寒冷な気候で、草花も貴重だったから、温暖で色とりどりの花が咲くグランミュールに来て以来、花を色々と育てた。現在では、王都の郊外に、王妃が部屋に飾るための生花を育てる花園もある。それから、王宮に隣接する庭園も、王妃の趣味に合わせて、美しく整えられた。
庭園を飾れば、それを誰かに自慢したくなるのは、人の性であろう。王妃は、庭園をよく眺められる場所にテラスを作らせ、そこに毎日のように賓客を招いて、茶会をするのだ。茶会での話題は、勿論、王妃の庭園自慢である。
招かれた客の旅費も、当然、王家が持っていた。ただ、グランミュールでは、オストニアの様に、貴族を王都に集住させる政策をとっていない。賓客は、国元から馬車で何日も掛けて王都を訪れる。その旅費は、王都での滞在費も含んでいる。当然、高額なものになった。お土産も用意される。
翌日、王宮の庭園のテラスで、王妃と招待客の貴婦人が談笑していた。
「ご覧になって。この綺麗なシンメトリーの緑。」
「これをご手入れされるのは、なかなか大変でしょう。」
「それは、専門の庭師を何人も雇っていますもの。いつでも完璧なお庭に仕上げていますわ。」
「まあ。」
「それから、今は薔薇の季節ですから、薔薇を飾らせておりますわ。」
「赤に、ピンクに、紫。薔薇と一口に言っても、本当にたくさんの種類がございますのね。」
「ええ。おかげで、お庭も華やかになりますわ。」
談笑しながら、王妃と貴婦人は、紅茶をすする。
「この紅茶は、南部から取り寄せた最高級品ですの。お口に合うかしら?」
「美味しゅうございますわ。」
その後も、王妃と貴婦人は、愚にも付かないお喋りで時間を潰していた。
貴婦人の帰りしなに、お土産が渡された。
「まあ、綺麗なお皿ですこと。」
「そちらは、東方産の磁器ですわ。ペルシモネモヌスというそうですわ。」
「不勉強ながら、初めて聞く名前ですわ。」
「そうでしょう。まだあまり流通していない品でしてよ。」
「貴重なお品を頂き、誠に感謝いたします。」
「こちらこそ、わざわざ遠くから来て頂いて、お礼申し上げますわ。」
「それでは、ご機嫌よう。」
「ご機嫌よう。」
こうした王妃の見栄が、王家の財政を逼迫させていたのだ。
ある日、ド・モリガン宰相と、ド・ローヌ財務長官が話し合っていた。
「それにしても、王妃様の無駄遣いは目に余る。どうにか出費を減らして頂かないと、戦争どころではありません。」
「それはそうだが、陛下に王妃様をお諫め頂くようお願いしても、王妃様は止まらなんだ。」
「ただ、ここを何とかしませんと、領民も増税には納得しませんぞ。」
「むう、それはそうなのだが。」
その後も良い案は出ず、話し合いは持ち越しとなった。
4
「人民の中へ」の若者たちが集まる喫茶店、ジャコバ=アンに、意外な客が訪れた。
「ふむ。賑わっているのかと思ったが、案外寂しいね。」
その客は、案内されてもいないのに、店の奥の席にズンズンと入って行ってしまった。
「お客様。奥の席は、常連さんたちがいる席でして、外のテラス席もご案内できますが?」
若い女性の店員が、客に声を掛けた。常連さんとは、言うまでもなく「人民の中へ」の若者たちだ。ジャコバ=アンは、王都シテの中心であるヌーセ川の中州のパリ島から左岸側に橋を渡ってすぐの好立地にあった。テラス席からの川の眺めは好評で、常連の若者たち以外の客でも賑わっている。
「その常連たちと話をしに来たのだ。奥の席も空いているだろう。」
客は、常連の1人であるラピエールの隣の席が空いているのをめざとく見つけ、座ってしまった。ちなみに、シテの喫茶店では、席毎に担当のホールスタッフが決まっていて、手が空いているからと言って、他人の担当の席の客を接客するのは、御法度である。チップの文化があるからだ。といっても、チップは必須ではなく、チップを払わなかったとしてもぞんざいに扱われることはない。若い女性の店員は、この年になって採用された、新人だった。新人が、常連の多い奥の席を担当するのは「人民の中へ」の若者たちは、紅茶1杯で長居する上に、チップを払わないからだ。
ラピエールの隣に座った客は、紅茶を注文すると、自己紹介を始めた。
「『人民の中へ』の諸君、お初お目に掛かる。私は、セイ=イエスという者だ。」
セイ=イエスの自己紹介に、代表してラピエールが答えた。
「セイ=イエス氏と言えば、彼の『平民とは何か』の著者ですか。どのような用向きでこちらへ?」
「君が『人民の中へ』の指導者かね?」
「いえ。我々に、指導者はいません。水平的な組織です。まあ、我々全員が領導者と言えばそうですが。」
ラピエールは否定したが「人民の中へ」はラピエールやマーラーなど、少数のリーダー格の構成員が大まかな方向性を決めていて、完全に水平的な組織ではあり得ない。
「領導者か。言い得て妙だね。君たちのやっている、農村での教育活動は素晴らしい。そこで、それをやっている君たちの人となりを知りたくなったのだよ。人となりを知るには、会って話をするのが1番だからね。この店に来れば会えると思ったのさ。」
セイ=イエスの目的は「人民の中へ」の構成員と話をすることだった。ただ「人民の中へ」は、この時、大半の構成員が、地方の農村へと出掛けていて、王都に残っているのは、リーダー格の数名だけだった。農村へ行っている構成員たちは、来るべき「その時」に備えるよう、煽動して回っている。
「話、と言われても、こちらから振れる話題はありませんが?」
ラピエールが、セイ=イエスに言うと、
「気にすることはない。私は話したいことが山のようにある。先ほど私の著作のことを言っていたが、あれを読んでくれたのかな?」
お喋り好きなセイ=イエスが、勝手に話題を決めて話し始めた。ラピエールも、無視するのは失礼なので、会話に応じることにした。
「『平民とは何か』ですか。読みましたよ。」
「感想を聞かせてくれたまえ。」
「結論には反対、ただ、その前提とする、人類は皆平等という点には同意します。」
「平民とは何か」は、人類平等から出発して、平民を含めた全ての人の普遍的意思、一般意思を反映した王道政治の必要性を説く。
「ふむ。何がお気に召さなかったのかな?」
「一般意思を反映するには、いえ、壁に耳ありです。これ以上は…。」
「そうか。君はなかなか過激なことを考えているようだ。だからかな、君たちが農村を回っているのは?」
セイ=イエスは、言葉を濁したラピエールに対し、1歩踏み込んできた。
「ノーコメント。」
「左様か。まあ、目指す先は違っても、君たちがしている教育活動は、素晴らしい。人は皆平等なはずなのに、文字の読み書きさえできない人が大勢いるのは、嘆かわしいことだからね。」
「お褒め頂き、光栄です。」
ラピエールは、皮肉を込めて答えた。
「君たちは、若いのに結構な見識の持ち主の様だ。アンリの『人類不平等起源論』の影響かな?」
「そうですね。メンバー全員が読んでいる訳ではないでしょうが。」
「先人に学び、自ら考え、行動する。素晴らしいことだ。」
ラピエールは、セイ=イエスがやけに自分たちを褒めるのが気になり始めた。
「ところで話題は変わるが、君、信じている神はいるかな?」
「は?」
突然の話題転換にラピエールは戸惑った。
「神だよ。人類が畏れ敬うべき存在だ。」
「神、と言われましても。確か家には、商売繁盛の神を象った偶像がありますが、信じていると言うほどでは…。」
すると、セイ=イエスが、堰を切った様に話し始めた。
「嘆かわしいことに、この世界の人々は、様々な神を信じているようだが、本来神と呼ばれるべき存在は、全知全能の唯一神だけなのだよ。他の者は、神の名を騙る邪神で、人々の心を惑わす存在なのだ。悪魔と同義と言ってもいい。世の中が乱れ、戦乱が続くのも、この状況に神がお嘆きだからだ。人々が、唯一神に帰依すれば、自然と争いは収まり、太平の世が実現するはずだ。何と言っても唯一神は全知全能だから、そのお力さえあれば、世界から悲しみを消し去ることさえできるはずだ。そして、全知全能の神の前では、人類はみな平等だ。君、家にあるという邪神の偶像はすぐに処分しなさい。そして唯一神に帰依するのだ。」
何かに取り憑かれた様なセイ=イエスの熱弁を聞いて、ラピエールも一瞬勢いにのまれかけたが、すぐに冷静さを取り戻し、セイ=イエスの言葉を吟味した。全知全能の唯一神に帰依するというのは問題外として、どうやらセイ=イエスは、最近徐々に信者が増えていると噂される国際奇特教の信者の様だ。
「セイ=イエス氏、ここは政治を語るサロンだ。宗教の勧誘はご勘弁願いたい。」
ラピエールがセイ=イエスを止めると、セイ=イエスは、
「政治と宗教は、切っても切れない関係にあるのだが、まあ郷に入っては郷に従えというし、ここでは君たちの流儀に合わせよう。」
と、独自の宗教論を止めた。
「ふむ。一通り話したいことは話せたかな。そうだ。君の名を聞いていなかった。」
「ロベ・ラピエールと言います。」
「ラピエールか。覚えておこう。それでは、そろそろ失礼するよ。もし神が望むなら。」
セイ=イエスは、謎のあいさつを残して、ジャコバ=アンを去って行った。
その日の夕方、仕事終わりのマーラーがジャコバ=アンにやって来た。
「マーラー、今日『平民とは何か』のセイ=イエスがこの店に来た。」
「何!セイ=イエス氏と話したのか?」
マーラーは興味津々の様子だったが、ラピエールは、
「あれには気をつけろ。奇特教徒だ。」
と、冷めた感想を漏らした。
「奇特教か。それで…。」
マーラーも奇特教の名を聞いて、何か合点がいったのか、腕を組んで考え込んでしまった。
「それはともかく、こちらの準備は、さすがに一筋縄ではいかないようだ。」
ラピエールは「人民の中へ」で進めている計画の準備状況に話題を変えた。
「それも織り込み済みで、準備期間は長めに取ってある。問題ない。」
それから、ラピエールとマーラーは、ひそひそと計画の詳細について話し合ったのだった。
5
その日の夜、ジャコバ=アンの閉店後。奥の常連の席を担当している若い女性の店員が、店の片付けを終えて、帰宅した。店のすぐ近く、ヌーセ川沿いの通りに面するアパルトモンの1室だ。女性は、帰宅すると、すぐに素顔を隠す覆面で顔を覆い、同居人のところに行った。
「報告します。本日、ジャコバ=アンに、チャゲアス・セイ=イエスが現れました。ただ、セイ=イエスは『人民の中へ』の計画に感づいた訳ではなさそうです。それと、噂通り、セイ=イエスは、国際奇特教の司祭でした。」
同居人は2人、ともに女性と同様に覆面をしている。
「ご苦労、イエロー3。セイ=イエスのことはそれでいいが、『人民の中へ』の計画は、どうなっている?」
こちらは男の声だ。
「馬で農村を回って、農奴たちを煽っている最中です。」
「馬か。グランミュールの広い国土を、馬で回るとはご苦労なことだ。」
「はい。魔導車がこの国にない以上、相応の時間が掛かるかと。」
「それで、問題は、農奴たちを煽った後だ。誰が火を点ける?」
「まだ確証はありませんが『人民の中へ』は、自然発火するのを待つ積もりの様です、イエロー1。」
イエロー1と呼ばれた覆面男は、腕組みしながら考え込んでいたが、徐に口を開いた。
「参謀本部の命令に反して、情報調査室独自で連中をマークした甲斐があったな。まあ、イエローを1人貼り付けたのだ。結果が出ないでは、本国の室員の分析力を疑わねばならん。グランミュールで次に大きな動きがあるとしたら、連中の仕込みも生きてくるのだろう。報告は以上か?」
「はい。」
「では、本国への報告は私がする。後は、先んじて得られた情報を、上が生かしてくれるかどうかだな。」
そう言って、イエロー1は魔力通信機を手に取った。このアパルトモンの1室は、現在、グランミュールに忍び込んでいるオストニア王国の情報調査室チーム・イエローの拠点になっていた。
オストニア王国、巨壁山脈東麓地方中部にある王城ウラジオ城。その中にある小さな執務室で、男が書類仕事をしていた。そこに影が現れる。
「報告します、室長。」
「来たか。」
室長と呼ばれた男は、待ちわびたとばかりに、影に振り返った。
「グランミュールで、暴動の兆しがあると言うのは、事実のようです。ただ、いつ起こるかまでは、確定できませんでした。」
「いや、それで成果は充分だ。暴動が起こるとしたら、それは増税が発表されたタイミングだろう。よくやってくれた。仕事に戻れ、イエロー0。」
言うと、影は音もなく消えた。
「ここから先は、私が本部長を納得させられるかどうかだな。」
室長は、独り言を言うと、別の室員を呼び出し、
「近いうちに、参謀本部長に少々長めのレクをできるよう、日程を調整しろ。」
と指示した。