38 ユリアの虚勢
アレクシスはユリアを陰から見ることはできても、近付すぎたり、ユリアに見られたりすると、途端に体の中の獅子が騒いで、まともに会話することはできなかった。
溌剌としていたはずのユリアは、今や表情を曇らせ、傷付いているように見えた。
(こんな思いをさせるために入学してきたのではないのに・・・)
このままではユリアがいつ心変わりしてもおかしくないと思った。
しかし、どうにかしなければと焦れば焦るほど、体がいうことをきかない。
そして、夏季休暇まであと1週間というあの日、アレクシスは聞いてしまったのだ。
「ユリア様、顔色が悪いようですけれど、大丈夫ですの?」
ユリアに話しかけたのは、シエル=ミラー伯爵令嬢だ。
ユリアを意識しているのか、以前からライバル視しているかのような言動が目立っていた。
「心配してくれてありがとう、シエル様」
「私のライバルですもの、元気を出してもらわないと困りますわ」
「まあ、下手な励まし方ね」
ユリアはふわりと笑った。
どうやら二人はアレクシスが思っていたよりいい関係のようだった。
「噂が好きな者たちが、あなたとアレクシス殿下のことを好き勝手言っておりますわ。侯爵令嬢として、どう対処されますの?」
「・・・・・もう、アレクシス殿下のことなんて知らないわ・・・・・」
ユリアはギュッと両手を握り締め、窓の外を眺めた。
「ユリア様・・・・・」
「私はもう、十分悩んだと思うの。これからは学園の中でしかできない青春に力を注ぐわ。周りの方たちが何を噂しようと関係ない。前進あるのみよ!!」
ユリアは興奮してきたのか、段々と声を大きくした。
やがて、ユリアたちの声は小さく遠ざかっていった。
誰もいなくなったそこから、アレクシスは動くことができない。
(もう・・・・知らない・・・・・?)
心臓の音が大きくなる。
(そうか、嫌われたのか)
頭がグラグラと揺れるのを感じた。
意識は遠のき、アレクシスは気を失った。
「ーーーー言ったかも・・・」
ユリアは当時を思い出す。
あの頃、アレクシスのユリアへの態度を見た他の貴族たちが、ユリアを侮るような言葉を囁き合う声があった。ユリアは婚約者としては何を言われても仕方がないかもしれないが、ユリア=シュマルフ侯爵令嬢として侮られてなるものかと、闘志を燃やしたのだ。
また、友達や仲間ができたことで、前を向くことができた。
「嫌いになったりなんかしていないわ。ただ、アレクシス様とのことだけで、学園生活を落ち込んだものにしたくなかっただけよ」
むしろ、いっそのことアレクシスを嫌いになれたらどれほど楽だろうかと思っていた。「知らない」などと言ったのは、ユリアの完全な強がりだ。
「本当?」
心配そうなアレクシスに、ユリアはちょっと意地悪な気持ちになった。
アレクシスをこれ以上悲しませたいわけじゃないけれど、当時苦しかった自分の気持ちも蔑ろにはできない。
「うーん、もしまた私を避けるようなことがあれば、嫌いになるかもしれない」
ユリアの言葉にアレクシスが焦り出す。
「もう絶対避けたりなんかしないよ」
「そうであって欲しいものね」
ユリアは少しそっけなく言ってみせた。
アレクシスは分かってほしそうに、「絶対だよ」と繰り返す。
ウィリアムは二人を見ながら思った。
(きっと一生、ユリア様に頭が上がらないんだろうなー)
「で、何が言いたいかというとですね」
ウィリアムは微笑ましい二人の間に、ぐいと身を乗り出して言った。
「アレクシス殿下の変身のきっかけになるのは、ユリア様に対して感じる一喜一憂だということです」
アレクシスの耳がピクリ、と反応する。
ユリアは正直、その反応が可愛くて仕方がなかった。
心配そうな顔に、ピクピクと動く耳、無造作に揺れる尻尾。
みんなに知ってほしいわけじゃないけれど、みんなに向けて叫びたい。
(かーわーいーいーーー!!!)
しかし、そこは侯爵令嬢たるもの、顔には出さないよう努める。
(まずいわ、テディに生えている時も可愛かったけれど、17歳の耳と尻尾、なんて可愛いの)
「お話を聞いているとですね、殿下は嬉しくても悲しくても、獣化の症状が出るのだと思います」
ウィリアムはアレクシスのその耳を指差した。
「完全な人間化、と言っても、精霊から加護を与えられている殿下は、もはや獅子と同化しています。姿をコントロールするには、強い精神力が必要です。心は魔法でどうこうできるものではないのです」
そう、魔方陣はきっかけにすぎなかったのだ。
「ちょっとやってみましょう。殿下、目を閉じてください」
ウィリアムの言葉通りに、アレクシスはスッと目を閉じた。
目を閉じた途端に表情がなくなり、その造形の美しさが際立つ。
ユリアはごくり、と唾を飲んだ。
急にその柔らかそうな形の良い唇に、目が引き寄せられる。
(やだ、何考えているのかしら)
ユリアはとたんに恥ずかしくなり、一人赤面した。
ウィリアムが気が付いていないのが幸いだった。
「想像してください。今は夜です。外は真っ暗で、明るい月が浮かんでいます。どんな形をしていますか?」
「・・・・・丸い形をしている」
言った途端、アレクシスの頭から耳と尻尾が消える。
「はい、いいですよ、目を開けてください」
「ウィリアム、すごいわ」
「耳が、なくなってる・・・・・」
アレクシスは驚いて、両手で頭を探るが、獣耳はない。
「きっと心が穏やかだと、コントロールしやすいのです」
「どうしてこんな方法を思いついたの?」
「いえ、僕が思いついたのではなく、僕が加護の研究に夢中になりすぎて目を血走らせていたら、心配した医局の方が来て、これやられた途端にコテンと寝たのを思い出しまして」
ウィリアムはあはは、と笑うが、その異常な話に、さすが、とユリアは苦笑する。
「静かな場所のイメージが、心を落ち着けてくれるみたいですね。では、逆も試しましょう」
「ユリア様ちょっと」と言って、ウィリアムはアレクシスには聞こえないように、ユリアに耳打ちする。
ユリアはアレクシスの方を向いて、微笑みながら言った。
「アレクシス様、大好き」
その瞬間、ボフッという音と共に、耳と尻尾が出現する。
「あ・・・・・」
ユリアは赤面するアレクシスとその獣耳を見て、笑いそうになる
なんと単純な王子だろう。
「私で遊ばないでおくれ」
アレクシスは尻尾を抱えながら、はあ、とため息をつく。
「これではこれからの生活に支障をきたすのではないか?」
「うーん、一応、部分的に認識阻害の魔法がかかるようにしましょうか。アレクシス様を見ようとする人から、その姿を見えないようにすることは無理ですが、獣耳や尻尾を知らない人たちがその部分を敢えて見ようとしなければ、見えないようにはできるかもしれません。ただ、ユリア様のように、その存在を知っている人には見えてしまうと思いますが」
「そうしてくれるとありがたい」
もうすぐ夏季休暇が終わる。
残りの学園生活は、当初、ユリアが思い描いたように、アレクシスと仲良く過ごすことができるのでは、と思うと、心が躍った。
「では、もったいないけど、もう一度耳と尻尾を引っ込めましょう。想像するものは、月である必要はありません。湖畔や自然の中など、殿下が心を穏やかにできる光景を想像するのがいいと思います」
(あ、ウィリアムさんももったいないと思ってるんだ)
ユリアはやはり、と思い、静かに頷く。
アレクシスは一人、目を閉じた。
耳と尻尾は、スッと消えてなくなる。
それは、何度見ても不思議な光景だった。
「ありがとう、ウィリアム。君がいてくれるおかげで、本当に心強い」
アレクシスの言葉に、ウィリアムは照れくさそうに笑った。




