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世界の記憶

作者: デイロー

 繋がりを作ること、それは消費を触発するだけでなく、自分と関わった人たちを動かす。

 世界は記憶の塊。

 自らが繋がれたいと思う記憶が増えたら、増えた分だけ自分を動かす力もより色を増す。

 総じて何かを意識する。

 記憶はものに意味をもたらす、解決すべき課題となる。

 過去から自らを繋げ、己の形を定める。それにより動けるようになって、動く範囲を決められて。

 どこからどこまで動けるのかを試行錯誤の末に知らなくても、記憶は最初から何をどこまですべきかを教える。

 記憶が紡ぎだすアイデンティティは幻のごとく。確実ではなくとも狂うこともない。

 意味は記憶なしでは成立しない。

 ゆえに記憶を作り出す感覚とは繰り返して行動を定義するものに他ならない。

 最終的には鳴りやまない現実への渇望となって、欲望と言う名の存在の境界線を形作る。

 だからきっと忘れているのであろう。

 何かを手にする感覚を求めないことは、世界を拒むということ。

 世界を拒むと言うのは、己の記憶があり方を定められないと言うこと。

 それはなぜかと、理由を探していたのではないかと。

 それとも理由は遠い昔に置いてきたのかと。

 自分がやるべきことなんてほんの少しの義務。

 記憶を共有するからと突き動かされているだけに過ぎない。

 大きな塊を詰め込まれ、それによって突き動かされ。

 だけど最初から自分が関わるべき記憶の塊が何かなんて、直感でわかるものだと思う。なぜ誰かにそれを決められなければならないのか。それを決められることには不自由を強いる権威への執着があるのではないのか。

 思い通りに動かされないことには拒絶反応を起こしてしまうでしょう。それは不安が作り出した檻に閉じ込められているから。

 誰が作ったんだろう、その獣を取り囲む冷たくも硬い檻。

 外へ出たら何かに意識を引っ張られ、自分が自分ではなくなってしまうと。

 単に厳しいだけかもしれない。社会全体が生産している富が自分にはほんの少ししか回ってこないだけかもしれない。

 その仕組みは理不尽そのものでしょう、間違っていると思っても繋がった記憶なしでは主張することすらままならない。

 強さは体によるものでも精神によるものでもない。つながった記憶の重さにこそある。大した重みもない記憶に、大した大義名分も持ってない記憶に強さを求めてもそれは張りぼてのものでしかないでしょう。

 集団の記憶は特に重いものでしょう、守ってきた物の価値が集団の価値を決めるからして。

 繋がった記憶の重さによって、多くのものを求めてやまなくなりえる。

 自分は自分である以前に記憶を成就させる媒介。

 叶われなかった夢をたくさん抱えている社会ではその分だけの記憶の重さを持つでしょう。集団と集団の間に勝敗が決まるような出来事が起きたとして、勝利するのはきっとより多くの記憶の重さを持つもの。

 規律でも訓練でも優れた技術でもない。

 もしそれを無視してまで己よ貫き通そうというものなら、それは悪と断じることが出来ましょう。

 個人なんてやはり媒介でしかない。

 叶わなかった夢に目を向け、それを受け継ぐこと。人はそうやって過去と現在と未来を繋げている。

 何かを忘れているようなものなら、その時点で意識の在り方は歪み始める。

 自分は間違ってないと、それとも他人が間違っていると。

 正しいか間違っているかは二の次でしかない。

 記憶の重さに押しつぶされないようにして、自ら積極的に記憶と繋がろうとして、それによって意識の在り方も決まるというもの。

 それを諦めたら、誰からも救われることもないでしょう。人は物語。記憶が紡ぎだす物語。記憶から自らを形作ることを忘れ、現実から離れ遠くへ行きたいのであれば、それはただその時だけ映し出される夢幻。

 記憶を背負うと決めた時は物語が始まるでしょう。

 記憶が作り出した意識の形が、自分と違う記憶を背負った人たちと向かい合った時、ぶつかり合い、協力し合い、出会いを引き寄せ、別れに導かれる。

 失敗は成功の基と言うけど。

 失敗した記憶の重さの分だけ、それを背負うことによって自らを鍛え上げることが出来るから。

 それでも押しつぶされてしまうものなら、それはまた別の人が受け継ぐものとなるでしょう。

 個人が終わりを迎え、集団が解体され、国が滅びに向かったとして、それは記憶を受け継ぐことを忘れてしまったから。

 世界は、物質として見られたとしても。

 物質が形を作っているとしても。

 それに意味をもたらし、形を作り出すのは物質そのものではなく、それに宿った記憶。

 形が定まっていないなら、記憶を探し求めるしかない。叶わなかった夢を見つけ出し、引っ張り出し、それを自らのものにするしかない。

 それによって人は過去を背負い、未来と向き合うことが出来る。

 そうでない夢は幻でしかないでしょう。

 それでも俗世は幻を追い求めるものであったかと。

 それとも、記憶の本質は幻でしかないと。

 それを繰り返して己に言い聞かせるようなものかと。

 


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