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Conductor  作者: 槇 慎一


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12/21

12 天然の母に刺されるなんて想定外


 演奏会で、学生オーケストラの指揮をしてしまった。


 パパにバレた時は怖かった。

 パパは小さな頃から怖い存在だった。普段は優しいけど、いけないことをした時は叩かれたりもした。痛みよりも、真剣さが怖かった。いつもママが優しかったのは、僕に逃げ道をくれていたからだと判る。僕はママ……かおりに甘えないために、退路を断って品川に引っ越したのだ。


 そんなパパが、

「いいチャンスもらったな。頑張れよ。ここで見てる」

応援してくれた。言いたいことはたくさんあっただろう。判ってくれた。嬉しかった。



 先生の言葉も、頭から離れなかった。


「お前は……優等生の父親を超えられるかな?まだ、女も知らないツラして?」


「女を知らないかどうか、決めつけないでください」



 しばし沈黙があった。




「へぇ、……面白い奴だな。顔は父親似だが、中身は違うみたいだな。この、綺麗な顔した母親似か?」


 かおりの前で何てことを!かおりを侮辱するなんて許せない。僕は、自分が怒りでカッと熱くなった。そいつの口を利けないようにしてやりたかった。殴り倒して、立ち上がれないようにしてやりたいくらいだった。握りしめた手が、何をするかわからなかった。


 ……落ち着け。そんなことをしたら困るのはかおりだ。かおりが謝る羽目になる。かおりが先生に謝る、かおりが皆に謝る、かおりがパパに謝る、いやだ。かおりにそんなことさせられない。


 自分を曲げるのもいやだ。


「母を侮辱しないでください。謝ってください」


 僕は、やっとのことでそう言った。








「悪かった……振ってみるか?」



 そんなことがあったのに、見たくもない先生は、ずっと僕の目を見てコンサートマスターの席で演奏していた。ずっと圧倒的な態度で、視線で、音で僕を助けてくれた。きっと僕は、先生を睨んでいたに違いない。先生は、生意気な僕の手を離すことも、振りほどくことも、突き放すこともできた筈なのに、音楽的な高みに押し上げてくれた。大人なんだな。ホールのお客様には、この先生の凄さはわからないだろう。僕が、僕の指揮がなっていないことも。


 僕が一番よくわかっている。


 大学の……学生の大切な演奏会を台無しにしてしまった。謝らなければいけない。学生に。ママに。先生に。パパに。



 パパの出番になった。

 ママ……かおりは文字通りステージ袖から隠れるようにしてパパを見つめていた。パパを見つめる目は、恋をしている女の子の目だった。こんなに愛らしい女は他に知らない。格好いいパパが羨ましい。僕も、パパみたいになりたい。かおりみたいな女がいい。


 二楽章になった。かおりが僕を一緒に外に出るように促した。何だ?


 本番中だ。僕は静かにかおりの後に付いていった。かおり専用の控え室だった。『女性専用』ではなく、『藤原かおり』の部屋だからいいか。何の用だ?「何か食べる?」とかかな。


「仁、ありがとう」

 意外な言葉だった。

「何が?」

「あの……えっと、よくわからなかったけど、私を守ってくれたんでしょう?」

 僕は目を逸らした。

「何のこと?」

「二回目のリハーサルの時……」

「言うな!」


 しまった。かおりを驚かせた。


「……ごめんなさい。本当は、悔しいことがあったんでしょう?私のために、仁が何かを我慢したんでしょう?」

「やめろ!ママに……思い出してほしくない!意味なんてわからなくていい!ママは、綺麗なままで、汚い言葉とか、覚えないで!ずっとパパに守られていて!」


 僕は控え室を出て、外側からドアを閉めた。鍵をかけられるわけではない。外側から人が入らないように、僕が守ってやる。パパが来るまで。僕は、意地でも涙を出さなかった。


 終演したようだ。拍手が聞こえた。鳴り止まない拍手だった。きっと、何度もお辞儀をして、笑顔を見せて、ステージ袖に戻って、また出てきて、ってしているんだろう。僕には、そんな風になれない。まだまだなれない。パパは、遠すぎる。


 パパにも、そういう人がいるんだろうか?

 聞いてもいいだろうか?


 


 ステージ袖から、かおりの控え室の前を通りすぎて男性控え室になる。パパは平山さんと一緒の控え室だ。ここを通る。パパに会えたら僕は帰ろう。先生に謝罪して、団員に謝罪して、コンマスに謝罪しよう。


 パパが戻ってきた。

「パパ、今回のことはごめんなさい。これから皆にも謝ってくる。先生にも。かおりは中にいる。多分泣いてる。頼む」 

「え?仁、何だって?」


 僕は走った。まず先生だ。先生はステージ袖で捕まえた。

「先生、今回のことはすみませんでした」

 コンマスの学生も一緒だった。

「本当に、勝手をしてすみませんでした」 

 学生にも、頭を下げた。

 先生が僕の顎を下から押し上げた。……くっ、何だ?

「よくやったな。俺から一瞬も目を離さなかった。上出来だ。また勉強してこい」


 コンマスの学生も言った。

「仁君、君の男らしさに感動したよ。ヴァイオリンなんだって?まだお酒飲めないんだろう?また会おう」

 握手をしてくれた。


 わからない。大人って、どうして……。音楽家って、どうして……。

 僕はたいした荷物もない。ステージ袖の椅子に置いてあった、着替えの入ったリュックを掴んで外に出た。風が冷たくて、気持ちよかった。


 今日は、パパとママの家には帰れないな。


 僕は品川の家に向かった。













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