第4話 魔人の国
揺らめく火を見つめたまま、少年は動かない。素早い風が体温を奪い、小さな綿ぼこりは狂ったように舞う。その風に目を細め、少年は小さく咳をした。
「お前の目的が見えてきたよ」
傭兵である私たちを警戒させてまで、投げ掛けてきたあの問いかけ。思いきりがよいというには、躊躇が無さすぎる攻撃。無謀で、英雄的思考が、彼の中にはある。
少年は、煽るような目つきで「そうか?」とこちらを見る。
「復讐…両親の仇か」
少年は、特に表情を動かすこともなく、視線を遊ばせてから、顔を背けた。
特定の魔人か、それとも魔人という種の殲滅を考えているのかはわからない。どちらにせよ、普通の人間はその考えに至らない。しかし、あれだけの実力を持っているならば、針の穴ほどの可能性を手繰り寄せようとするかもしれない。
「できると思うか?」
お得意の軽口ではなく、言葉の裏に冷たいものが通っていた。
「無理だ」
にべもなく切り捨てたが、少年に気分を害した様子はない。薄く笑みを浮かべ、薪をくべた。
「貴重な意見だな。なにせ、あんたは東側に潜入しているんだ」
体が小さく震えた。寒さのせいではない。少年が口走った情報は、極秘中の極秘のものだったからだ。
人々が「大陸の東側」もしくは単に「東側」と呼び、その名前を口にすることすら憚る、魔人の国。300年前は、ロシア東部、及び中国と呼ばれていた場所の一部だそうだ。
250年ほど前、英雄ユウナという抑止力を失った人間たちは、戦々恐々としていた。英雄がいなくなった世界は、想像以上に混迷を極めた。英雄の弟子が2人とも存命だったとはいえ、彼女らとて万能ではない。何か起きると、魔人の影に怯え、疑心暗鬼の中で平静を保たねばならなかった。実際、はぐれ魔人が起こしたであろう事件もあったらしく、強ち彼らの中の鬼は間違いではなかった。
そんな中、世界を震撼させたのが魔人の国の建国宣言だった。「エルム」と高らかに宣言された国が提示した領土は、人間の領土を大いに侵犯しており、世界各国が国家間のルールに則り、正式に抗議した。しかし、魔人側は抗議の一切を跳ね除け、あろうことか、全世界に宣戦布告した。
ラナスを中心とした世界連合は徹底抗戦を決め、現在国境となっているラインを絶対防衛線として、激しく抵抗した。結果的に、絶対防衛線を死守はしたものの、建国宣言当時の領土は大幅に拡大される形となった。さらに、人間側に夥しい死傷者を出したが、人間側の執念とも言える抵抗に一歩引いた魔人たちは、領土拡大を一時的に中止した。人間はそれを機に停戦を申し出たものの、魔人側は応じることなく、未だに沈黙を守っている。
私が東側に潜入したのは、3年前だ。国境付近がきな臭いことになっている、とお上から直接命令を受けた。当時、一時的に軍に在籍していた私は断りきれず、東側に潜入した。結果から言えば、潜入は成功した。私たちは、貴重な東側の情報を持ち帰り、国に強いパイプを持つことになった。
「あんたたちの報告は、こうだ。魔人たちは人間と同じような暮らしぶりで、戦争の準備は見られない。国境付近の魔人たちが逸っているだけで、脅威の度合いで言えば、はぐれ魔人と同程度。警戒レベルをあげるだけで構わない。間違いないな?」
つらつらと語る少年に、さらに疑念を強める。魔人に関する情報は、多くが秘匿されている。東側の情報は、特に機密度が高く、詳細まで知る人間はほんの一握りだ。
「実際、その後、国境の燻りもすぐに収まり、報告を疑うものはいなかった、と」
「どこでその情報を手に入れた? 最重要機密のはずだ」
「そんなことはどうでもいい」
少年は立ち上がり、ゆっくりと近づいてくると、膝を落として私の胸ぐらを掴む。そのまま、また信じられない力でグイッと持ち上げてしまった。私の頭は、少年の頭二つ分上まで軽々と持ち上げられ、宙ぶらりんの状態で固定される。
「あの報告は真実なのか?」
拳が喉に食い込み、呼吸を阻害する。
「し、真実だ」
絞り出した言葉のどこに疑いを持つ余地があったのかわからないが、少年の腕の角度が地面と垂直に近づき、もはや喉に拳が突き刺さっているようだった。
「ここであんたを殺したくはない。話せ」
この少年の戦力は貴重だ。戦争に一石を投じる可能性すらある。しかし、彼が戦いに加わるだけで、戦火が大きく広がることは、想像に難くない。
「どうして、そこまで、魔人を、憎む」
「大切な人を奪われた。それ以外に理由が必要か?」
13歳の少年が抱えるには大きすぎる憎しみに触れ、違和感を覚えずに居られるだろうか。積年の恨みと言わんばかりの激烈さは、大凡人間らしさを感じない。
そもそも、この少年には、不自然な点が多すぎる。その全てに繋がっているのが年不相応な実力だ。魔法というものは、魔力を感じ取ること、魔力にイメージを伝えること、この二つを持って初めて使うことができる。そして、何度も反復し、精度の高い魔法を行使する事ができる。無論、センスや才能といったものは存在するが、基本的には魔法を使用した回数がものをいうようになる。
この少年が魔人であるというのなら、時間的な不自然を考慮する必要はない。魔人は不老長寿であり、年齢も外見通りではない可能性が高い。しかし、そこで彼が魔人であると決めつけられない要素が、魔人への憎しみだ。魔人と人間の争いは、この300年の間に腐るほどあるが、魔人同士の争いは、たったの一度も報告されていない。人間側が掴んでいないだけなのか、それとも魔人側の協調性が確固たるものであるのかは定かではないが、少なくとも、対外的に一枚岩を通している魔人側の異端が、こんなところで動き回っているだろうか。
「もう、ひとつ」
「なんだ?」
「本当に、人間、なのか?」
下を見ようとしても、彼の拳が邪魔して、彼の表情をうかがい知る事すらできなかったが、エメラルドグリーンの炎が再び激しく燃え上がったのは、感じ取れた。
「俺は、人間だ」
もはやその感情は憎しみから、魔人と間違われた怒りに変わっており、それを偽物だというのなら、私はもう他人を信じられない。判断が間違っていたというのなら、もうお手上げだ。
「わかった」
なんとかそう言うと、少年はぱっと手を離し、私は不恰好に地面に倒れこんだ。綿埃が慌てたように舞う。すぐに咳き込み、酸素を求める。
少年は、組み立て式の椅子に戻り、小さく息をついた。そして、握っていた拳を何度か開閉し、ぷらぷらと揺らした。私の様子に対して、愉悦を感じているようではないことが、幸いだった。
「先に教えておくよ。俺は、あんたを探してここに来たんだ」
私の呼吸も定まってきた頃合いで、思い出したように少年はつぶやく。
「そんな気は、していたさ」
あの時、私が攻撃行動を取ろうとしていても、ラコスを殺したのだろう。
「もう一つ、教えてやる。あんたと一緒に東側に入った3人は、みんな死んだよ。ニュースにはなってないがな」
淡々と語られた話題に、一瞬、頭がついていかなかった。はっとして、また虚ろに火を見つめていた少年を見上げるも、少年が慰めの言葉をかけてくれる事はなかった。
ルエナ・オラリオ。トゥールス・ダン。ドレンダス・オルフ。3人ともA級の傭兵で、一流とされるA級の中でも、特に経験豊富な精鋭だった。行方が分からないなど、良くない噂を耳にはしていたが、彼らに限って、と目を背けていた。
「そう、か。何かの間違いだと、信じていたんだが」
「A級の殺し方なんていくらでもある」
さらりと恐ろしい事を口にするが、私の思考はすでに彼らの死の要因を探っていた。
魔人の暗躍にしろ、人間側の口封じにしろ、東側に潜入したことが、彼らの命を奪うほどの大きな力を動かした、ということはまず間違いないはずだ。その3人を結びつけるとしたら、それしかない。ただ、気がかりなのは、私たちは、大した情報は持ち帰っていない。あの報告に、私たちの知らない盲点があったというのだろうか。
「あの3人はあんたと違って、ギルドに所属したままだった。身元はすぐに割れる。しかも、3年前から、急に軍の人間と懇意にし始めた。何かあったと勘づく奴は勘づくだろうな。最後に殺されたオラリオに関しては、その軍の力を使って雲隠れの直前だったようだが」
ルエナ。
女性一人では、色々と面倒が起こる可能性がある、として設けられた女性枠に、自ら志願してくれた姉御肌の女性だった。4歳年上で、面倒見が良く、心地よい距離感を保ってくれる女傑だった。潜入以来、情報を取り合わないほうがいい、と接触を避けてきたが、ここに来て仇になってしまった。彼女には、感謝と、謝罪をしなければならなかったというのに。
「どちらにせよ、あんたがた4人は知らなくてもいいことを知った。それがなんなのか、確かめに俺はここに来た」
まだ生きててくれて良かったよ、と皮肉交じりに少年は笑う。
「今更渋るわけじゃないんだが、過度な期待はしないでくれ。私たちは東側を隅々まで調べたわけではないし、思い返しても、これといって心当たりがないんだ。これだけは信じて欲しい」
「あんたら4人にはそう見えても、そうじゃない奴らがいた。だから、他の3人は殺され、あんたは狙われている」
「狙われている? 私が?」
「やっぱり、気づいてなかったか。あんた、尾行されてるぜ。少なくとも、俺があんたを見つけた昨日から、何回か感じてる」
ヨコハまではもちろん、トウキョウまでの道のりはラコスとともに、慎重に進んできた。それは、魔物の襲撃を警戒してのことではあるが、尾行に気を配らなかったわけではない。ルエナたちのこともあり、気を張っていたつもりだし、その事は伏せたが、ラコスにも尾行に関する注意もお願いした。そして、尾行されているなど露ほど知らなかった。
ごくり、と喉が鳴り、突然、周囲に広がる暗闇が恐ろしくなった。私の知らないところから、誰かが見ている。私の命を狙っている。そう考えると、見えない相手への不安が急激に膨らんだ。
「安心しろ。俺と一緒にいる間は、絶対に死なせない」
彼の絶対的な自信に、少なからず安堵しかけるも、現在の異常な状況に思い至り、血の気が引いた。
「き、貴様、私を餌にしたのか!」
少年は、片方の口角を上げ、悪魔的な笑みを浮かべる。幼さを残す少年の顔には、あまりにも似つかわしくない笑みだった。
「釣れたら、ボコボコにしてやろうと思ったんだがな。慎重なのか、怖気づいたのか」
顔が引きつり、強い寒気に襲われた。この少年と共にいる事が苦痛でしかなくなる未来は目に見えているのに、見えない敵から私を守ってくれるのは、この少年しかいない。少なくとも、尾行がどの勢力の誰なのかを突き止めるまでは、この少年から離れるのは、得策ではない。
「まあ、そうビビんなよ。とにかく、今は東側の情報だ。あんたが死ぬ前に教えてもらわないと困るんだよ」
呑気にトウキョウ観光などしている場合ではなかった。安いプライドで鼻水を堪えていた自分を殴ってやりたい。ゆっくりと長く呼吸をして、現在の状況把握に努める。しかし、どういった選択肢を選んでも、この少年に協力する以外に道はなかった。
意を決して、少年に声をかけようとした時、少年は懐からナイフを取り出し、足を屈めた。ぎょっとして、逃げ出そうとするが、少年は素早くナイフを振るい、私の手を縛っていた縄を切った。そのまま、足の縄も手際よく切り離した。
「此の期に及んで暴れたりしないだろ?」
そう言って笑うと、少年は荷物の中から湯沸かし器とパックのコーヒーを二つ取り出した。
「椅子は一つしかないから、ケツが濡れないように座りな」
私が膝を抱えて座ると、少年は毛布を投げてくれた。ラコスの持ち物だ。なんとも言えない気持ちになったが、意地で寒さは耐えきれない。ひんやりとした毛布を膝にかけると、内部の温度が少し上がるのを感じた。
「コーヒーはお湯が沸くまで待ってくれ」
コーヒーは、トゥールスの好物だった。精神安定剤だ、と笑っていた初日から、彼は毎日欠かす事なく、体を内側から温めていた。その笑顔は、次第に疲弊していき、慎重なドレンダスに窘められて、険悪な雰囲気になることが増えていった。私は、我関せずを通していたが、あまりにもバカバカしいやりとりに、つい口を挟んでしまった。それをきっかけに、空中分解しかけたが、それを止めたのがルエナだった。
ーーあんたら、コーヒー1つでキャリアに傷つけんのか。
仲が良かった、などと口が裂けても言えない。しかし、成し遂げたことの大きさを理解出来る人間は、確かにその4人だけで、その達成感を4人だけで独占する優越感は、格別だった。作戦中に良いことなど、何一つなかった。しかし、3人を思い出すと、込み上げるものは、確かにある。それを忘れないためにも、私は重たい口を開いた。
「私たち4人は、国境を抜ける時点で、すでに心身ともに削られていたんだ」