オブザーバーの影を追って⑦
翌朝、ロイスと共にギルドに顔を出すと、引き合わされたのは、ワンピース姿に小さなポシェットを肩から提げた、可愛らしい少女だった。忙しなく視線が泳いでいるのは、衆目を集める照れ臭さ、というよりは、所在のなさからの不安の表れだろう。
「ぐ、グレイスです。よろしく、お願いします」
傍のマスターに促され、辿々しくも丁寧にお辞儀をした少女は、ロイスよりも更に幼い。どこかで見た顔だと思えば、オブザーバーの目撃情報を提供してくれた少女だ。
潤んだ小さな瞳を見つめていると、少女は、そそくさとマスターの大きな体に隠れてしまう。要人警護とお守りをうまく繋ぎ合わせることができなかったままでいたため、虚をつかれて自己紹介を返すことすらできなかった。
「あ、すまない。シルヴィア・レッセンドッグだ。先日は、オブザーバーのことを教えてくれてありがとう。その、よろしくな」
砕けた口調を心がけたが、それでも子供相手には硬かったかもしれない。少女は顔を半分出すだけで、警戒心が緩んだとは思えなかった。
その様子を横目で見ていたロイスが、眉間を揉んでいる。早朝にも関わらず酒をあおっていた傭兵たちも、堪えきれないように肩を震わせているのが、視界の端に映る。
「子供相手なんだから、腰ぐらい落としなよ」
見てられないと言わんばかりに、一人の女傭兵が笑いながら腰を叩いてきた。
幼少期、私に近づいてきた人間は、会釈程度に体を傾けるだけだった。少なくとも、子供相手だから、と腰を下ろすことはしなかった。それが礼節であり、矜持だった。その「当たり前」が思いのほか根ざしているらしく、釈然としない。しかし、護衛対象に怯えられては、そうも言っていられない。言われた通り、膝を折って腰を下ろすと、目線が同じ高さになる。グレイスはびっくりしたのか、またマスターの陰に引っ込んでしまった。狙い澄ましたかのように、背後から汚い笑い声が上がる。
「そんなに顔を近づけてどうすんだい」
女傭兵も、笑いを堪えようとして、鼻がひくついている。
「すまないな、グレイス。奥の部屋で少し待っていてくれるか?」
マスターが優しく語りかけると、少女はパッとカウンター横の扉に向かって駆け出して行ってしまった。向ける相手を失い、引き攣り始めた笑顔が、傷つけられた自尊心のせいで剥がれない。
「座れよ、シルヴィア」
助け舟のつもりなのか、普段よりも穏やかなロイスの声で、ようやく立ち上がることができた。尚も笑い続ける傭兵たちを一睨みしてから、カウンターに佇むロイスの隣に乱暴に座る。
「マスター、ウォッカだ!」
「要人警護をするのに酒はまずい、シルヴィアお姉さん」
ロイスが傾けたグラスには、いつも通り白濁色の液体が入っていた。
「黙れ! 大体、なんだあの子は! 要人警護というのは、あの子のことを言ってるのか!」
つまらなそうに「そうだよ」とロイスは告げる。
前途が思いやられ、頭を抱えたくなった。子供、特に貴族や王族といった、礼儀作法が定まった階級以外の子供とは、ほとんど接したことがない。さらに、あの年代が一番扱いにくく思い、近寄ることすら避けてきた。ロイスが気味の悪いませ方をしているせいで忘れたままだったが、子供とは総じて面倒なものだ。
「あまりがなり立てるな。子供は意外と見ているぞ」
マスターがやってきて、グラスになみなみ注がれたミルクを恭しく置く。こめかみのあたりに青筋が立つのを感じた。
「おい、マスター。私は、この乳臭くて、腹の中を無遠慮に暴れ回る飲み物が嫌いなんだ。せめて、透明のものにしてくれ」
「カルシウムはイライラを軽減する効果もあるらしい」
歯軋りしそうになるが、グラスを鷲掴みにし、一息にミルクを飲み干す。
「ウォッカだ、マスター」
乱暴にグラスを置いて、マスターを睨みつける。マスターは目を丸くしてから、苦笑して新たなグラスを用意し始めた。それを見て、今度はロイスに恨み節をぶつける。
「おい、クソガキ。あの子が要人である理由を言え。そして、私が割り当てられた理由もな。簡潔に、正確に、なおかつ美しい言葉で、だ」
ロイスは、ゆっくりとグラスを置くと、物憂げに口を開く。
「あの子は、作戦の要だ。そして、俺の次に強いのはあんただ」
後ろから、鼻を鳴らす音が聞こえた。刺青の大男のものだ。
「特殊な能力でもあるのか?」
想像力の差なのか、魔法でもありえないような事象を繰り出すことができる人間が、稀にいる。稀代の英雄たちに多い特徴だ。
「あると言えばあるのかもしれないな」
「オブザーバーを目撃したことと、何か関係が?」
「なきにしもあらず」
言葉を濁すロイスに憤懣は溜まっていく一方だったが、選択の余地はないようにも思えた。オブザーバー抹殺の計画に組み込まれて、無事で済む保証などあるはずもない。傭兵たちはともかく、ロイスは、目的のためなら、少女を犠牲にすることも躊躇わない。見知らぬ少女とはいえ、私が拒否したことで幼い命を散らすのは、寝覚が悪過ぎる。
素知らぬ顔でマスターが用意したモーニングセットを口に運びだすロイスが、憎たらしくて仕方がなかった。
「わかった、わかった! やれば良いんだろう! この街から出なければいいのか?」
「外に連れ出すのか?」
「部屋で二人きりの方が辛い」
ロイスは少し考えてから、「あまり連れ回すなよ」とだけ言った。鼻を鳴らし、席を立つと、マスターの声が追ってきた。
「シルヴィア、ご注文のものだ」
グラスに半分ほど入っていたものを、一気に煽る。注文通り、透明ではあったが、無味無臭だった。
子供の手を引くというのは、思った以上に苦痛だった。普段通りに歩いても、歩幅が違うため、グレイスにとっては窮屈になってしまう。歩調を緩めてみても、2歩ほど後を歩いてくるため、会話はしづらいし、表情も見えにくい。遠慮がちな性格は生来のもののようだが、私への怯えも相まって、なかなかに手強い。どこに行きたいか尋ねてみても主張しないくせに、小さな雑貨屋の前で止まったりする。入るか聞いてみても、首を横に振る。昨夜のベッドで取れたはずの疲労が溜まっていくのを感じた。
結局、所々で休憩を挟みつつ、無闇に連れ回しただけで、グレイスからはなんの収穫もないまま、午前は終わってしまった。グレイスも歩き疲れてしまったようで、ベンチに座って表情を曇らせていた。
「グレイス、昼食、えーっと、お昼ご飯にしようと思うんだ。何か食べたいものはあるか?」
あくまで社交辞令であり、返答を期待したわけではなかった。そのため、グレイスの方を見ておらず、通信機で辺りの飲食店を探していた。
「オムライス」
「え?」
思わずグレイスを見ると、グレイスは慌てて俯いてしまった。もう一度尋ねようとした時、ギルドを出るときに女傭兵に言われた言葉を思い出した。
「自分より大きいものには、恐怖感を覚える。大人だってそうだろう?」
その女傭兵が姉御肌であることは、短いやり取りでも感じられ、ルエナの人柄を彷彿とさせた。ああいった人柄の世話焼きは、素直に受け取るに限る。ルエナと旅をして得た教訓だ。
頭の中で復唱して、グレイスの前に腰を落とし、少し潤む目を覗き込む。グレイスは、視線から逃れるようにさらに深く俯く。
「グレイス、遠慮することはない。何が食べたいか言ってごらん。怒ったりもしないし、否定もしない」
マスターの言葉を思い出し、ついでに「がなり立てもしない」と付け加える。
グレイスは、おっかなびっくり、チラチラと私の顔色を窺っては、目を逸らす。その焦ったい時間にも辛抱強く耐えると、グレイスは、小さな声で願った。
「お、オムライス。オムライスが食べたい、です。マスターが作ってくれていて。その、美味しくて」
「良い提案だ。私も食べたいと思っていたところだ」
笑ってみせると、グレイスも安堵したように表情を緩ませた。オムライスなら、洋食屋の定番の料理だ。行き当たりばったりでも、見つけるのにそう苦労はしないだろう。
私が立ち上がると、グレイスも慌ててベンチから降りる。グレイスの小さな手を握ろうとしたその時、ふと、グレイスの年齢を聞いていないことに気がついた。
「グレイス、君はいくつだ?」
「きゅ、9歳です」
幼少時、両親に手を引かれた記憶はない。母上は若くして病に倒れ、父上は子供の手を引くようなお人ではなかった。ただ、一度だけ、父上が私のわがままを聞いてくれたことがあった。兄上でさえ、驚くほどのことだった。
グレイスは、当時の私よりも小柄で華奢だ。居心地悪そうにしていたが、私の次の行動を律儀に待っている。
「高いところは苦手か?」
「え、い、いえ、そんなことは、ない、です」
「そうか。危ないから動くなよ」
腰をかがめ、小さな体を抱くように腕を絡める。グレイスは混乱しているが、構わず抱き上げた。
「あ、あの、ダメです。その、重いですよ!」
「大丈夫、私は力持ちだ。こっちの方が楽しいさ。ほら、周りを見てみろ」
グレイスは、言われた通りにあたりを見回してみると、いつもと違う景色に小さな目を輝かせた。大通りで、景色は人ばかりかもしれないが、視界が開けると、人以外のものもよく見えるようになる。時折、通り過ぎる通行人が微笑んでいるのもわかる。
「下ばかり見ていたら、楽しいことを見逃してしまうぞ? もしかしたら、オムライス以外の美味しいものも見つかるかもしれないな?」
グレイスは、照れ臭そうに笑いながら、「はい」と頷いた。そのまま、近場の洋食屋に入っても良かったが、予想以上にグレイスの反応が良かったので、少しの間、散策した。すでに歩き回った道ばかりだったが、グレイスの表情は明るかった。
引っ込み思案であることは間違いないが、大人に対する恐怖心があるわけではないようだ。むしろ、素直な性格なので、心を開いてさえくれたら、案外、有用な情報を引き出せるかもしれない。
打算的なことを考えていると、腕が疲れてきたので、目についた洋食屋に入る。テーブル席に案内され、メニューを広げると、通信機に連絡が入った。グレイスに注文を頼んでおくように言い、入り口付近まで移動してから応答する。
「どうだい、子守は?」
軽口ではあったが、いつもの調子良さは鳴りを潜めている。
「随分と心を開いてくれたよ。グレイスの好物が何か知っているか?」
「オムライスだろ、どうせ」
つまらなさそうに言うロイスは、本題へと急いでいるようだった。
「違う、ナポリタンだ。知ってるか? ニホン由来のパスタだ」
「知ってるよ。それより、何か起きてないか? 誰かにつけられてるとか」
外出を許可された以上、囮としての役割が含まれていることは理解していた。狙撃のような、グレイスを即座に殺す手段が取られることはない、ということも。だからこそ、少々大胆な行動にも出たが、変わったことはなかった。人目が多い大通り沿いを歩いてみたのも、不自然な人影を炙り出すためだったが、覚えたての顔が視界に入っただけだった。
「人員を割いてくれるのはありがたいが、私たちの後をついてきている傭兵はチェンジだ。あれでは、見つけてください、と言っているようなものだ」
「人材不足だ」
「それを除けば、異常はなかった。ただのお散歩だな」
「そうか」
短く呟くと、ロイスは黙った。新たな方針を立て直しているのだろうが、空きっ腹に昼時の匂いは酷だ。注文を決め終えたらしいグレイスも、ひょっこり首を伸ばして、私のことを探し始めている。
「心配ならギルドに戻ろうか?」
こちらに気がついたグレイスが、ばつが悪そうに顔を引っ込めた。手を振ってあげようと思ったのだが、それを確認することも叶わない速さだったので、思わず苦笑する。
「気に食わないな」
「思い通りにいってないか?」
「ああ。何かが食い違っているような気がしてならない」
「私に計画を話してしまった方がいいんじゃないか? 建設的な意見を提供できるぞ?」
皮肉混じりに言うと、小さく唸る音が聞こえる。
「兎に角、あんたは、引き続きお守りを頼む。計画の実行は、そこまで引き伸ばさない。詳細をあんたに話すのも、そう先じゃないさ」
ロイスはそう言い残すと、通信を切った。
計画を聞き出すことまではできなかったが、どうやら、ロイスたちは焦っている。オブザーバーが潜伏していることに自信を持っていたようだが、彼女たちを留めておけなくなったのか、それとも、計画に別の支障が出たのか。どちらにせよ、計画の詳細を聞いたところで、阻止に動く時間は限られているかもしれない。動き出す準備はいつでも出来る様にしなければならないだろう。
険しくなっていた表情を緩めてからグレイスの元に戻り、何に決めたのか聞くと、照れ臭そうに「オムライス」と言い、少しだけ愛おしさを感じた。