オブザーバーの影を追って⑤
情報屋は私の話に矛盾点がないか探すように黙ったが、私には確信があった。この男は、腕は悪くはないのだろうが、情報屋としての矜持はない。情報を小出しにしていると見せかけているだけで、実際は本人もその先を知らない。さも何でも知っていると見せかけてはちらつかせ、食いついた相手に出させた情報の上澄みをかすめ取っているのだろう。しかし、それを繰り返してきたからこそ、情報屋としてやっているだけの情報を持っている。私の推理に足りない物を埋めてくれるだけのものは持っているかもしれない。
「ここで何も語らないのは情報屋としては名折れってもんか」
「殊勝だな。もっと図々しいかと思っていた」
「信頼第一でやっているからな」
皮肉も御構い無しに、視線を上から下へと何度も動かすことが、信頼というものに関係ないと思っているのだからおめでたい。
「半年前、ルナ・ボーゲンバーグの情報を得てから、食い扶持にもならない情報を売ってなんとか生きてきたが、つい先日、ギルドの受付が口を滑らせやがったんだ」
「ギルドの受付が、ルナ・ボーゲンバーグの情報を持っていたのか?」
口を挟まれるのを嫌ったのか、少しムッとしたような視線をくれる。肩をすくめて見せると、情報屋はまた口を開いた。
「ギルドの全支部に、ルナ・ボーゲンバーグとオブザーバーの捜索命令が下っている。箝口令のおまけつきでな」
「ほう、ギルドが?」
「ラナスの圧力かもな。まあ、どれだけ戦力増強を目指しても足りないことはない」
ラナスの情報網に引っかかっていないことを考えると、ルナ・ボーゲンバーグは相当に気合を入れて姿をくらましているようだ。思った以上に彼女を取り巻く状況は良くないのかもしれない。また、ラナスがギルドにまで圧力をかけて探すとなると、そちらも切迫していると見える。
「形振り構ってられないといったところか」
「あとは、ルナ・ボーゲンバーグとオブザーバーに親交があるってのを頼みにしてるのかもしれない」
「ルナとオブザーバーが?」
「オブザーバーが一方的に師事しているって噂だがな」
わからない話ではないが、意外なつながりだった。
ルナ・ボーゲンバーグの噂は、常に魔人関連、特にはぐれ魔人に関するものだった。彼女の嶄然とした実力を考えると当然のことではあるが、それは、彼女が魔人との対立を暗に示すものでもあった。
彼女の師、英雄ユウナの教えに魔人との融和も含まれていたが、ルナ・ボーゲンバーグは、それを推し進めるようなことはしていなかった。そのため、オブザーバーとの関係も安易に信じきることはできない。
「じゃあ、お前はオブザーバーがこの辺りにきているという情報を聞きつけて、ルナ・ボーゲンバーグもいる可能性が高いと踏んだのか?」
「情報屋は推測だけじゃ動かないんだよ」
「目撃情報でもあったのか?」
「ドンツではぐれ魔人騒ぎがあったんだ」
数名のはぐれ魔人とドンツの戦闘部隊とで大規模な戦闘に発展し、死傷者が多数出たらしい。
魔法を崇拝しているというのは伊達ではなく、ドンツの人間は例外なく魔法の扱いに長けている。その精密さ、規模、応用力、全てにおいて独自に改良されており、戦闘において発揮されるその威力は、魔人を除けば他の追随を許さない。そのドンツですら手を焼いたらしい事態に駆けつけたのが、ルナ・ボーゲンバーグだった。
「あっという間に鎮圧して、ニホンに用があるって言い残して転移魔法で姿を消したんだとよ」
ニホンに渡る際、ドンツがドタバタしているらしい、と最寄りのギルドから聞いてはいた。しかし、その閉鎖的な特徴から、ドンツの情報は、正確なものをつかむことすら難しいので、あまり興味を抱くこともなく、忘却の彼方に捨て去ってしまっていた。冒険家が聞いて呆れる。
歯噛みしそうになるのを堪え、情報屋に続きを促す。
「なるほどな。しかし、よくそんな情報を手に入れられたな?」
「信頼が第一とはいえ、あんたと俺じゃあ、まだまだだ。そうだろ?」
男は、底意地の悪そうな笑みを浮かべる。
「まあ、いい。貴重な情報だったよ。どこかでまた会えたなら」
「おや、もうお別れか。こちらこそ、高名なシルヴィア・レッセンドッグにお会いできて光栄だったよ」
顔は覚えた。また顔をあわせることになれば利用することになるだろう。
私が背を向け、大通りの方に向かおうとすると、態とらしく背後から男が声をかけてきた。
「ああ、そうそう!」
少し警戒しながら振り向くと、そこには脳に刻み込んだ不愉快な顔はなかった。
切れ長の涼しげな目元に特徴的な泣きぼくろ。男をあっという間に魅了しそうな薄いながらに潤いのある唇。パールグレイの長い髪は背中に垂らし、ゆったりとした民族衣装にも見える服にその女性的な体を包み込んでいる。神秘的とも言える雰囲気を醸し出したその女性は、ほんの数瞬前まで情報屋が立っていた場所に佇んでいた。
「余計なことに首をつっこむのはやめなさい。このレミリア・ミールストームの忠告が聞けるなら、ね」
そう言い残すと、私と同じくらい長身の女性は、呼び止める間も無く暗がりに吸い込まれていく。呆然として立ち尽くす私の目に、その妖艶な笑みが焼きついて離れなかった。
「おい、シルヴィア。聞いているのか?」
伝説の片割れに出会った興奮と、それに付随される予測に恐怖しながら、宿に戻った私は、暴れまわる心臓を宥めながら、化粧台の前の丸椅子に座った。先に戻っていたロイスは、ナイフを研ぎながら窺っているだけだったが、しびれを切らして声をかけてきた。
「考え事をしているんだ。放っておいてくれ」
邪険にあしらうと、ロイスは怪訝な顔を寄せてくる。
「何か情報を仕入れたな?」
「だったらなんだ。放っておけと言ってるだろう」
ロイスは少し黙り、部屋を出て行く。もう一度思考の海に飛び込み、漂う情報のピースたちを正しく繋げられるようにゆらめく。
期待以上の情報を手に入れられたことは僥倖ではあった。しかし、想像以上に事態が大きく動いている予感が、胸をざわつかせる。
戦争の機運が高まっているこの時に、ドンツで起こったはぐれ魔人騒ぎ、英雄の故郷に集った、ニューヨークの亡霊、オブザーバー、英雄の弟子ルナ・ボーゲンバーグ、そして、死亡したとされていたもう一人の英雄の弟子、レミリア・ミールストーム。
繋がっていないように見える彼らが、同じ地に集まっているのは偶然なのだろうか。戦争の影で、その戦争すら小さく思えるほどのことが起ころうとしているのではないか。後戻りできないほどのものを見落としているような気がする。点と点を結ぶ線が、喉から手が出るほど求めていた。
鏡の自分の眉間にしわがより始めた時、ドアが開く音がした。目をやると、目の前に缶が現れ、すんでのところで手で掴む。掴んだは良かったが、缶が思ったよりも熱く、思わず取り落としそうになる。二度お手玉をしてから指を離し離し持ったその缶には、「温かいおしるこ」と書かれていた。
「考え事には甘いものだ」
「チョイスが悪い。というか、センスが悪い。最悪だ」
「美味いぞ。俺は嫌いじゃない」
ロイスが持つペットボトルの指の間から覗く文字は「お茶」と書かれている。自分のおしること見比べてから睨むと、素知らぬ顔で「なんだ?」と嘯く。
「まあいい。お前も、何かしら情報を手に入れたんだろう」
プルタブの音に遅れて、甘い香りが漂う。匂いだけで甘ったるさに胸焼けして、頭がふらつきそうだ。
「共有しておくか?」
協力的な姿勢が不自然に感じられ、疑いの目を向けるが、ロイスは気にした様子もなくベッドに腰掛ける。
「何から聞きたい?」
「オブザーバーだな」
オブザーバーとの面識はないが、私の名もそれなりに知れているし、賢明な彼女たちが聞く耳を持たない、ということはないはずだ。傭兵たちの衝突を避けるはもちろんのこと、戦争に関して、彼女たちの立ち位置を確認しておきたい。
「奴らはまだ潜んでいるよ。この辺りに、間違いなく」
ロイスの口角が歪んでいる。愉快なのか、それとも、愉快なのか。なんとも言えない、微妙な表情だ。
「確証でもあるのか?」
「ある」
ロイスは大男とも情報共有をしたはずだ。ギルドに所属しているオブザーバーのことに関しては、情報を集めやすいだろう。こうまで言い切れる情報を仕入れたらしい。
「それは聞かせてもらえないのか?」
「あんたに情報を掴ませると、余計な手出しをしてきそうだからな。出番までは大人しくしていてもらうぜ」
「その出番というのは?」
ロイスは、肩をすくめるだけで答えなかった。
「他に情報は?」
少し思案するそぶりを見せ、口を開く。
「あんた、ブラックフォレストって知ってるか?」
聞きなれない言葉に、首を横に振る。ロイスは、「そうか」と呟き、話すべきか再度吟味している。その様子を横目に見ながら、恐る恐る甘ったるい液体を口の中に入れ込む。少量でも熱く、大変に甘ったるく、顔をしかめた。
「あんたに関わってくるかはわからないが、念のために教えておくよ」
ブラックフォレスト、というのは、昔の言葉で「黒い森」という意味らしい。近頃、その通り名の国際的なテロ組織が、活発に活動しているらしい。
「こんなご時世だというのに、暇な奴らだな」
「いや、どうやら、かなり前から存在はしていたらしい。表舞台に姿を現したのが最近ってだけだ」
「どうでもいいが、そいつらがなんだというんだ?」
「かなり過激な組織でな。大勢、人を殺してる。様々な凶悪事件で暗躍し、大規模なテロも犯行に含まれるが、法外な値段で暗殺も請け負っているらしい。要人はもちろん、A級の傭兵とか、な」
含みのある言い方に、お望み通り反応する。ロイスは、お得意の得意げな顔を作らなかった。
「この街で、そいつらの影がちらついている」
「目的は?」
ロイスは頭を振り、少しいらだたしげな様子を見せる。
「組織としての目的もそうだが、この街にいる目的も、わかっていない」
「オブザーバーとの関連は?」
「おそらくない。それに関連した依頼もない」
もしかすると、レミリア・ミールストームがこの街に滞在している理由かもしれない。
「そもそも、ブラックフォレストってのは、ラナスやギルドが意図的にその存在を隠しているんだよ」
ロイスは、吐き捨てるように言うと、お茶を一気に飲み干した。
「戦争に邪魔だからか?」
「それもある。あとは、そいつらにやりたい放題されてるってのが大きい。信用に関わるから、秘密裏に処分したいんだろうよ」
「まさか、お前が、ここに来たのはそれもあるのか?」
ロイスは人差し指を立てると、「俺も忙しいのさ」と面倒臭そうに言った。
ギルドと太いパイプを持っているとされ、破格の実力を持つロイスなら、単独の秘密行動をギルドから依頼されることもあるだろう。しかし、魔人のこととなると目の色を変えるこの少年が、それすら些事と切り捨てるような気もする。
未だに、この小さな少年の真意をつかみかねていた。