プロローグ
まず、私の研究を説明しよう。
この世界に存在するあらゆるダンジョンが私の研究対象だ。
師の研究室に入ると土や様々な薬品の匂いであふれかえっていた。土といっても硫黄や腐った汚泥など土の状態は様々で、一種の悪臭のようであり、最初は戸惑っていたが数年も通い慣れたら今はことさら鼻をつまむことでもない。墓場の土を採取するために、神殿の許可を得ているとはいえ墓場泥棒のような真似をすることさえある。
それらの土は硝子壜に詰められて、壁一杯の棚に整然と並ぶ様は、元が墓場の土であろうと、汚泥であろうと微かなダンジョン光によって幻想的に美しい。特に火山のマグマを閉じ込めた壜は四六時中炎が絶えることなく、薄暗い研究室を明るく照らす光源でもある。魔法によって断熱されているそれを実験台の上に置いて、蝋燭代わりに師は私に最後の講義を行うようだ。
「シーカー君、この世で最もロマンあるものとは何だね?」
魔法大学を最年少で教授となり、たった一人で高難易度ダンジョンを踏破した最高位の冒険者。そんな輝かしい栄光も三十年も経てば鈍くなるのか、老年の師は魔導研究者らしからぬ文学的な微笑みで私に尋ねた。
「ダンジョン・・・でしょうか?」
私は既に用意された答えをあえて疑問形で返す。
疑問で返す利点などはないが、私自身はダンジョンをロマンだとは捉えていない。ダンジョンとはいわば鉱脈みたいなものだ。そこから採取される多種多様な素材や鉱石、魔力を帯びた剣や鎧といった利益価値が高いために人はダンジョンに情熱を傾ける。私は、師の言うところのロマンより黄金の金物臭いロマンの方を生活の糧にしようという俗な人間だ。少年ぽいロマンで飯が食えるのは一部の特権階級か、師のような若くして富も名声も力もある者に限られている。
僅かばかりの子供じみた抵抗が気づかれもせず師は嬉しそうに頷いた。
「さよう。ダンジョンとは繊細な生き物と同じ。実に、不思議で興味深い。今日は、私の弟子として最後の講義。これまで教えたことを簡単におさらいしよう」
そう言って師は真新しい1ガスン魔法保存硝子壜を取り出した。1ガスンとはおよそ一日で成人男性十人が消費する穀物の量だ。この分量は実験的にダンジョンが発芽する必要最小容量だといわれている。また、この容量の魔法保存硝子壜は研究用として市販されている最大容量の物で、マグマの熱を完全密封と完全断熱をする最高品質が保証され、金額も一般家庭の一年分の生活費になる代物でもある。
私は師の下で研究を行ってきた。最初は硝子壜を扱うのも怖々だったが、今では家に転がっている酒瓶と同じような感覚で、師が用意していた土をそれにザクザクと入れていくのを手伝った。
そこでいつもとは違う土に気がついた。
多種多様な土を扱っているが、今日師が用意したのは真っ白な土だ。匂いもない小麦粉のような白い粉末と言えるだろう。見ただけでは判別つかない。白くて研究でよく使うのは石灰を真っ先に思いつく。石灰ならば初めての試みだ。土の状態を変えるために石灰を用いることはあるが、単体となれば経験がない。
「今日はどんなダンジョンを作るつもりですか?」
不思議に思った私が尋ねると、師は私が土を入れるのを手で止めた。
「君の最後にふさわしい楽園を作るつもりだ。さて、必要な容量の硝子壜に土を入れ、次は何をするのかね?」
「ダンジョンの種。魔核とダンジョンの設計を与えます」
はぐらかされているとわかりつつ、私は答えた。ダンジョン発生学を研究する私にとっては簡単すぎる質問だった。ここを初めて訪れた数年前の私ですら知っている答えだ。おおよそ、ダンジョンのことを描いた書物の序文ぐらいに書いてある内容。
師が第一人者として名をはせるダンジョン発生学では、ダンジョンの成長を植物に見立てている。
自然発生するダンジョンの場合は、調和の乱れた魔力場生じ、そこに精霊が紛れ込むとダンジョンの種となる。ちょうど、おしべの花粉がめしべに受精するのと同じ現象がおきることだ。このとき、植物のように受精率が高いと世界はダンジョンに飲み込まれてしまうが、この受精は非常に珍しいため、ダンジョンの発生率は高くない。
そして、師が今行おうとしているのは人工的なダンジョンの発生。
人工的なダンジョンは高位の魔道師でも難解なもので、自然界のダンジョンとは異なった特性を現す。それは建築物的で人工的な特性だ。自然界のダンジョンの多くは擬似的な生態系を構築し、その存在をより高度なものに進化するが、人工ダンジョンは術者に決められた設計をただ守る迷宮の役割でしかない。歴史的に見れば、城を防衛する砦的な役割からダンジョンが研究されてきたため、経済を潤す自然界のダンジョンを後から安全快適に作れと言われても無理難題である。師ですら、自然界を模倣したダンジョンを発芽させることしか成功していない。
その成果物は壁一面の壜の中にあり、各が定め、閉じた世界を模倣している。
できそこないの箱庭。
大学の魔道師達は師の研究をそう陰で呼んでいる。ダンジョンが生み出すはずの疑似生命すら発生せずに、ただ与えられた動植物に寄生し、箱庭の生態系を維持するだけの無価値なものと揶揄を込めて。
そもそも、精霊という高次元の魔導体の役割を人間にこなせというのが無理なのだ。壜の中とはいえ複雑系を制御する魔導式は難解を極め、自然淘汰による進化を術式で再現するなど人間にできるはずがない。
それでも師は嬉しそうに微笑んでいた。
「その通り。今回はこの魔核を使う」
師は懐から大事そうに蒼い宝石を取り出して、私に見せてくれる。
師の掌にある蒼い宝石が魔核だ。
魔核とは魔力を帯びた鉱物を指し、品質によって蓄積できる魔力の容量が決まる。金剛石や紅玉、黄玉など一般的に希少価値の高さと外観の美しさと魔力の蓄積量が比例すると言われているが、実際は魔力を入れてみないことにはわからない。常に最高級の物を使うため、ひと壜の人工ダンジョンを優に百年間維持できるだけのものだろう。
その魔核の中には美しい文字と複雑な図形が心臓の鼓動のようにゆっくり明滅している。
ダンジョンの設計魔導術式。
私の研究分野はダンジョン発生学における魔導式の制御系だ。師が見せてくれる魔核に刻まれた術式は、私には遠い憧れのようなもの。魔力量が高ければ高いほど魔力抵抗値が高くなり、魔核に術式を刻み込むのは熟練の職人のような難しさがある。無駄のない制御魔術陣はため息がでるほど美しく、気が遠くなるほど微細な書き込みがされている。
だが、その術式は奇妙だった。
なぜなら時間ごとに術式が変化するのだ。まるで師の掌で孵化する卵のように動いている。
いままで大学で学んでいた術式では見たことがない。
これはまさか・・・。
「気づいたかね?」
私が黙り込んで魔核を見つめていたら、師が目を細めて茶目っ気たっぷりに尋ねてきた。
「はい・・・もしかして、この術式は非線形系では?」
「その通り。ようやく完成したのだよ。この術式は周囲の環境情報を周期ごとに取り込み、最適な魔力効率で内部の状況を改善していく術式が組み込まれてある」
私は師の話を聞いて、驚いて言葉もでなかった。
それは師が理想としていた術式の完成であり、同時に私たちの研究が目標へ飛躍的に進んだことになる。
目標は安全なダンジョン。
ダンジョン発生学では師が言ったように環境を取り込んで自己内部の状況を改善していくことがダンジョンの本質とされ、人を惹き付ける機能としてダンジョンは内部に魔力の帯びた剣や鉱石を生産するのは自己進化の副産物である推測している。人間の魂を取り込み、魔力に変換して自己を保存するためだ。
そして私たちは、この人間を餌にする自然界のダンジョンから人間以外の周囲の動植物や無機物を魔力に変換して、魔核を製造する工場としての人工ダンジョンの研究を行っている。
今や人類にとって魔核は最重要資源。産業の多くは、魔力を動力源にして飛行船や自動四輪駆動車の研究が盛んになり、高まる魔核の需要がダンジョンの冒険者たちへ過度な労働を要求している。
私も野外研究の一環として、冒険者たちに同行したことがあるが、あれは非常に危険な労働環境に間違いはない。ダンジョンは進化によって巧妙に冒険者たちを喜ばし、奥へ奥へと引きずり込み、ダンジョンが造り出した疑似生命体が彼らを殺して、魂を餌にして成長し続ける。甘い蜜で虫を誘い込む食虫植物さながらの生態。
我々の社会は、ダンジョンに食い殺された冒険者たちの命を啜って成長しているのとかわらない。一部の有閑階級はその事実を知りもしないで、豪邸で日夜冒険者たちの魔核を集めて暮らしているのだ。
私はすさまじい成果に目が眩みそうになる。
師はこの一部の者達だけが富と命を吸い上げる社会を打ち砕き、完全な永久資源を手にいれる叡智へ手をかけているのだ。これが成功すれば、大賢者といわれた歴代の大魔道師以上の偉業をなすだろう。
私はその事実に震えながらも冷静に尋ねる。
ここで重要な点は自然界のダンジョンの模倣ではなく、あくまで人間の都合のいいダンジョンを生み出すことだ。
「これは魔力を取り込む対象に人間を除外した設計術式なのですか?」
うわづいた私の問いに師は一瞬目を伏せて首を振った。
「いや、これには人間は除外されてはおらん」
「なら、術式に除外項目を書き加えましょう」
私の提案に師は黙り込んだ。
難題を解き明かす哲学者めいた顔で私を見た。
「それはできん。いや、その記述を除外するわけにはいかんのだ」
師の答えに私はまた言葉を失った。
なぜ除外する項目をいれることができないのか。
もしかして、師は自分の箱庭をより完全なものへとするためだけに術式をくんだのか。庭いじりを楽しむ老人の趣味のように。
一瞬私の脳裏にそんな嫌な予感が過ぎ去った。
しかし、師は理想主義ではあるが、人類の発展に人生を捧げた魔道師。そこまで愚かな人ではない。それは長年一緒に研究を続けてきた私が一番よく知っている。初段階の発芽しか成功せずに悩む師の後ろ姿も見てきた。
師が無理だといったのならそれには理由があるはずだ。
今までの研究では、人間が構築したダンジョンの設計術式による発芽が周囲の環境を取り込んで成長しないと言った問題点がある。与えられた魔核の魔力によって環境を維持するだけなのだ。
環境の維持とは、壜の中に餌として与えた昆虫類や植物類の支配だ。ダンジョンは不思議なことに、最も初期の発芽で動植物を支配する。死骸でも生きたままでもダンジョンは昆虫や植物を使役して、多くの場合で採取した土に応じた擬似的な生態系を構築しようとする。これが箱庭の由来で、ほほえましい閉じた壜の箱庭は、死んでいるはずの昆虫たちが生存していたときと変わらない状態で植物の間を動き回るのだ。
この驚くべき事実を発見したのは師であり、大学の名誉教授の称号を得た。長年、魔道師たちの謎だった自然界のダンジョンがどのようにできるのかを世に知らしめたことになる。この発見から世界にはまだ発見されていない未熟なダンジョンは、人間の予想以上に多く、より魔核社会が発展する可能性を示唆したが、いまだ期待された魔核の生産には至っていない。
私は魔核の生産に支配から次の段階へと進む必要があると睨んでいる。いうなれば支配はダンジョンの形成段階で、次にダンジョンが独自に疑似生命体を生み出す創造段階がくるはずだ。
私も線形系の設計術式の限界を感じており、どうも人間がつくる人工ダンジョンが建築物的になるのは、与えられた役目をこなすだけの操り人形だからだろう。誰もがその構築を目指し挫折してきた自らで最適化する師の構築した非線形系の術式は広大な可能性を秘めている。
それができたというならば、後は改良し書き加えるだけだ。
人間のみを除外する判別術式の記述は、冒険者の魔道師が仲間を巻き込まないように対象を判別し、自動発動させる地雷結界式の攻撃魔法は存在している。存在しているといっても人間の意識領域内で展開する術式を魔核に書き込むのは容易ではない。
それでも決して無理ではない。師ができなくとも、私が後を引き継ぎ完成させればいい。それがもし無理だったなら私の次の誰かが引き継ぐ。なにも傲慢に私が完成させられるなどとは思わない。私はどこまでも凡庸な人間だ。
「君は・・・ダンジョンが思考すると思うかね?」
「思考ですか」
問いの意味が分からずに私は聞き返していた。
師は考え込んでいた私の思考をどこに誘導したいのだろうか。
私は思考を引っ張られているような気がしながらも散らかっていた知識を頭の中から探した。この問題は大学内でも分野によって意見が対立している。
「精霊学では・・・精霊を生命体として定義していますが、魔導工学では生物の本能が魔力に投射されたゆらぎ。私も魔導工学の意見が有力だと考えています。思考するかどうかは・・・」
私は言葉尻を濁した。
精霊はどこまでも曖昧な存在だ。
悪しき精霊といわれている悪魔でも、墓場にいるものと戦場跡地にいるものとでは大きく異なる。神殿から弔われている墓場の悪魔は人の形をした靄のような物がただ浮遊し、戦場跡地では鎧を着て人を害する。精霊が生命体であるならば、生前の人間の行動を模倣するだけではなく某かの生存行動を取る必要がある。
そう考えると、ダンジョンもまた自己を保存する生存行動をとっている生命体に該当する可能性もなくはない。
だが、思考をするかは疑問だ。
動物と人間の違いは思考にある。一見、動植物は思考しているようにみえるが、あくまでそれは本能に従った選択性ゆえ。交尾を終えた雌蜘蛛が雄蜘蛛を捕食するのを私たちは残虐で野蛮な思考だと捉えるが、雌蜘蛛は近くにいる餌を捕食しているにすぎない。そこに罪の意識や残虐さといった思考が存在しないがための選択的な行動だ。
もし、仮にダンジョンが思考するというなら。
私たちの研究は人類以外の知的生命体を家畜のように扱うことになると師は言っているのだろうか。
私はその考えに悪寒が走った。
食卓に上る料理が私と同じように思考する知的生命体。
いや、言うまい。私が生きているのは他の生命を殺して、その血肉を糧にしているからだ。たとえそうであろうと、私は肉を食べる。
ああ、なるほど。
実に興味深い。これもまた一つの選択的行動だ。哀れむという高度な思考が介在していても私が肉を食べる行動は変わらず、私は本能的な選択性をとっている。
私は深いため息をついた。
そう気がついたとして何の意味がある。ここは哲学的な話をしているのではない。私が最後の講義を受けているのだ。
「すみません。私には話が見えません」
素直に私は降参した。
諦めた私に師は残念そうな顔をする。
「そうか。これは私だけのロマンになってしまったか」
苦笑する年老いた師を見ていると、私は何故だか不安になってくる。その顔は奇妙に胸騒ぎがするのだ。
講義の最初にロマンといった師。楽園を作ると非線形系の魔導式を編み出した師。
この二つが私の中で化学反応を起こして、よくないものを生み出そうとしているようだった。
世界を飲み込むような怪物の視線を感じているように。
「続きをしましょう」
私がそんな雰囲気を飛ばすように軽く言うと、師も頷いた。
私はこのときの講義を今でも忘れることができない。
なぜなら、これが師との最後の記憶だからだ。
あの講義の後、師は謎の失踪を遂げた。
残されたのは膨大な研究資料とひと壜のダンジョンの苗だけだった。