宝永大噴火から
「お米が食べたいなぁ」
倹約令があるので、贅沢をすることも許されず、姫のものとは思えない食事の前で、舞姫はそう呟いてしまった。
将軍である吉宗が食しているものと、同じものを食べているのだ。
文句など許されるはずもないし、いうつもりもなかったのだが、零れてしまったとでもいうのが正しいのだろうか。
そして吉宗も吉宗で、それを聞き逃しはしなかった。
「明日からは、もっと豪華な料理を用意させようか?」
食後、お膳を片付けさせ二人きりになると、吉宗は舞姫に問う。
「えっいいえ、民が苦しんでいるのです。まして、自ら質素倹約を掲げているお方が、贅沢などなさっては、評判も悪くなってしまうでしょう? せっかく子どものことは誤魔化せたのですから、また新たな不信を抱かせるようなことは避けましょう」
吉宗に迷惑をかけたくはないと、慌てて舞姫は返す。
しかし彼が物足りなさを感じていることに、吉宗はとっくに気がついていた。
”超”がつくほどではないが、生活に困りはしないくらいに、裕福な家の生まれである舞姫。
幼い頃から、十分な食事を食べて生きてきたのだ。
将軍家に嫁いでいるのだから、本来ならば生活はより良くなるものであろう。
そうならなかったのは、舞姫のもう少し若い頃に起こった富士山の大噴火も影響している。
今でこそ、吉宗が復興に励んでいるために、状況は改善されつつあるが、当時は作物なんて採れたものではなかった。
蓄えもなくなり始めて、今になって、その影響を大きく受けているのだ。
「しかし最初から、お前の欲するものをなんでも用意してやることが、妻にする条件だった。お前が米を食べたいというのなら、それを用意しなければ、約束を破ったことになってしまう」
告げたのではなく呟きにしても、珍しく舞姫が物欲を見せてくれたのだ。
我慢をさせてしまっている。そう気にしていたところだったので、吉宗は用意してやりたくて仕方がなかった。
「妻としての役目を果たせてなどいませんし、そのような約束、成り立ちませんよ」
我が儘で吉宗を苦しめるわけにはいかない。
そう考える舞姫は、必死に吉宗を宥めようとするが、彼は完全にその気である。
「名ばかりのもので良いといったのに、お前は俺の愛を受け止めてくれた。頼んだとおり、舞の練習もしてくれている。それで十分だと思う。そして俺は、お前に何も返せていない……」
「そんなことはっ、……ありませんよ。だって私、吉宗様と一緒にいられるだけで、幸せですもの」
吉宗が凹むものだから、舞姫は素直になる。
らしくないことをされてしまったので、らしくないことで返すしかなかったのだ。
そして恥ずかしそうにするものだから、どうしても吉宗は発情してしまう。今は凹んでいる感じにしたかったようだが、生理現象を抑えることなどできやしない。
それに気がついては、舞姫だっていつもの舞姫に戻らざるを得ない。
「そうだ。自分だけが贅沢をできないというのなら、民を含めて、だれもが贅沢できるようになれば良いんじゃないのか?」
舞姫のデレモードが終わってしまったので、吉宗もいつものポジティブ無茶提案をする。
「何を仰っているのです?」
「だから、だれもが贅沢をできるようにすれば良いんだろ。新田開発とか、新しい農具も使い始めたりとか? 収穫量自体を増やせれば、増税しちゃったとはいえ、だれも生活に余裕ができるだろうよ」
キョトンとする舞姫に、当然のように吉宗は答える。
あまりに当然のように吉宗が答えるものだから、舞姫もそれが当然のことのように思えてしまう。
たとえ難しいことだとしても、吉宗なら、できてしまうような気がしたんだろう。
それにできなかったとしても、吉宗となら、努力をするのも楽しいのかなと、そう思ったのだろう。
「わかりました。では、それに成功しましたら、私にたくさん贅沢をさせて下さい。好きなものを好きなだけ食べさせて、いろいろな遊びを経験して、知らないことをたくさん教えて下さい」
今の吉宗を抑えるには、この方法が最善だと考えたのだろう。
それに成功したら、舞姫がそういうのは、吉宗を悪くいわせないためであった。
状況が悪いままにそんなことをしたら、吉宗の評判は最悪も最悪である。
自分が贅沢をしているのだとしても十分に評判は悪いだろう。
しかしそれまでが良かっただけに、舞姫を嫁に娶ってから急に悪くなったとなれば、女のせいで滅んだといわれてしまう。
そして舞姫も、将軍を誑かした女として、伝えられてしまうことになる。
どうしてもそれは避けたかったのだろう。
「あぁ教えてやろう。お前の知らないことを、たくさん教えてやるよ」
「そうやっていわれると、恥ずかしいです。なんだかえっちなお願いをしているようではありませんか」
吉宗がわざと囁くようないい方をするものだから、舞姫も恥じらうように返す。
それは完全に吉宗の作戦どおりなのだが、想像以上だったため、反対に吉宗の方がたじろいでしまう。
素直な舞姫のことだから、恥じらう仕草を見せてくれて、天使かよひゃっほーっという予定だったのだ。吉宗はそうするつもりだったのだが、恥じらいを舞姫が口に出すとは思わなかった。
ましてや、えっちなお願い、だなんて。
「どうなさったのですか? 吉宗様のことですから、そのつもりはなかったとか、そういうわけではないのでしょう? 私が勝手に勘違いしたと仰るのですか?」
吉宗は舞姫の可愛さに悶え赤面し、それを両手で覆うことにより隠していた。
しかし舞姫からしてみれば、吉宗がそこまで何を恥じらっているのかと不思議なわけで、事実とは異なる結論へ行きついたのだ。
そうして吉宗に対し、とどめを刺したのであった。
「またおかしな妄想をしたのか、それとも、……お疲れだったのか。吉宗様、お眠りになるのは構いませんが、ここではなくお部屋に戻ってからになさいませ」
お眠りになるのも、残念ながら構わなくない。
昼間から寝惚けていないで、仕事をしろという話である。
厳しそうに見せかけて甘い舞姫と、甘やかしたがりの吉宗だから、お互いにすぐ甘やかそうとして困る。というのが周りの意見だ。
二人とも自分には厳しいものだから、だれも注意さえできないようだし。
「普段から頑張っているんだし、今日くらいは休ませてやれよ」なんて。
「いつも一生懸命な方ですから、無理に働かせずに、休めるときに休ませて差し上げましょう」なんて。
二人はよく似たもので、居眠りを怒ろうとするものに対して、そんな風にいう。
頑張っているのは確かなのだから、休ませてあげた方が良いのかな、なんて思わせちゃうんだろう。
散々話が逸れたわけだけれど、つまりはそういうことなのである。
舞姫にもう少し贅沢をさせてやるために、吉宗は国に豊作を齎すことを誓った。
富士の噴火とか、天候不順とか、そんなもののせいで悪くいわれてなるものかと、吉宗は夢の中、神に宣戦布告をしたのだ。




