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君の声  作者: ひなた
3.狙われる姫
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誘惑の姫

 呆然とする吉宗から抜けると、舞姫は人混みを縫って、涙を散らしたまま走り去った。

 どうしたら良いかわからないでいたようだが、吉宗も慌ててその後ろ姿を追いかけた。

「ごめんなさいね、吉宗様、怒ってしまいましたか?」

 ビルとビルの間の、隠れる際によく使われるような場所。前に進んでも後ろに退いても、人の流れが激しい道なのに、そこだけがめちゃくちゃ暗くて静かな場所。

 追われている人がいると、絶対に存在しているような所謂そういう場所に、二人はいる。

 想像ができなかった人は、人気のない暗く狭い道程度に思ってくれれば大丈夫だと思う。

「怒っちゃいないけど、どうしたんだ? そんなに俺が嫌か? 死んだ方がましだと思えるほどに、俺のことが嫌いだというのなら、俺は……っ」

 さすがに傷ついたのか、俯きがちに吉宗は尋ねる。

 が、彼の言葉は途中で遮られることになった。

 ”ちゅっ”

 そんな可愛らしい音を立てて、舞姫が吉宗の唇を吸ったのだ。

「ううん、吉宗様は、何も悪いことなどしていないのです。怒らせてしまうかもしれないと、覚悟はしておりました。けれどまさか、そんな悲しげな表情をさせてしまうとは、思っておりませんでした……。ごめんなさい、吉宗様、ごめんなさい」

 唇を離しても距離は遠ざけないままに、舞姫は吉宗の胸に体を預け、そういった。

 これまで吉宗と時間を過ごしてきて、殺されはしないだろうと確信を持ち、舞姫は吉宗に演技を仕掛けた。

 怒らせてしまっても当然。そうしたら、甘んじて罪を受け入れ、彼のされるがままになってみるのも良いかもしれない。

 そんなふうに思っていた舞姫なので、吉宗の態度や表情には、驚くことしかできなかった。

 そして自分が吉宗のことを騙すだけでなく、裏切ってしまっていたことに気がつく。

 そう思うと、演技なんかじゃなく、涙が止まらなくなった。

 だからそれを隠したくてか、サービス心と娼婦のような心からか、吉宗の温もりを求めてしまってか、確かなものは本人にもわからない。

 わからないけれど、本能に従って、舞姫は吉宗の腕の中で泣くことしかできなかった。

「どうして私に冷たかったのか、わかってしまったのです。急にそうなったというのは不自然ですから、きっかけを作った人はいるでしょうが、男の私では……ひっく」

「大丈夫だから、もう泣くんじゃない。お前を泣かせる原因を作ったそいつのこと、絶対に見つけて罰を与えてやる。お前を泣かせて良いやつなんかいないんだよ。俺だって例外じゃない、お前のこと、泣かせるやつは許さない。だからもう泣かないで、俺を苦しめないでくれ」

 震える舞姫のことを、力強く抱き締めて、対照的に甘い声で吉宗は囁いた。

 苦しめないでくれ。そういう彼の声は本当に苦しそうだったから、舞姫はなんとか泣き声を抑えた。

 けれどもう少し甘えたいのか、吉宗自身が反応を示していることに気づきながらも、抵抗せずに腕の中で大人しくしていた。

「でもこれで、子を産めないのはお前のせいじゃないって、思ってもらえたよな。お前は子どもを欲しているのだけれど、俺のせいで子を産ませてもらえないのだ、ということになっただろう?」

 舞姫の説明を聞いて理解した吉宗は、ドヤ顔で聞いたままのことを繰り返す。

 繰り返されることは少し罪の意識を膨らさせたが、黙って舞姫はこくりと頷いた。吉宗に悪気がなさすぎたので、その言葉に凹むのは馬鹿らしいと思えたからだ。

 すっかり涙も止まっているが、舞姫はまだ腕の中にいる。それでポジティブがうつったのかもしれない。

「私のことを想って、子を産ませる危険を冒させたくないのだと、そういうことになさってはいかがです? そうしたらまた、私と吉宗様とが一緒に歩いていても、おかしくはならないでしょう」

 仲直りにはあまりに早い。人々に見つかったら、怪しまれてしまう。

 そう考え城に帰るまでの道は距離を取っていたけれど、部屋に帰ってからのいちゃつき方は半端でなかった。

 話の収集までを決めてあるので、民衆からの無茶ぶりが来ても大丈夫。

「養子を求めるきっかけにもなるな」

「私が男だとばれることもありませんし、恨みがなくなるとは思えませんが、今までどおりにはいられるでしょう」

「はったりの性癖を暴露されたが、俺だってお前を想っている、優しい男に戻れるしな」

 そこまでいうと、完全に二人はその話を終わりにした。

 かなり大事な話だと思うのだけれど、生憎なことに常人の考えを持っていない人にとっては、もっと大事なことが存在してしまっていたからだ。

 主に、吉宗の方なんかは気になって仕方がないという様子。

「あ、あの、キス、してくれたよな? それに、抱き締めても、なんの抵抗もしなかった。許可が下りたのだと、考えても良いんだろ?」

 暴れん坊将軍とまで呼ばれた彼が、キスごときでひどく動揺しているようだ。

 それがおかしかったのか、舞姫はクスッと笑みを漏らす。

「今日だけ、ですよ? 吉宗様のお好きなようになさって下さい」

「そんじゃあ、とびきり痛くて恥ずかしいこと、させてやろうかな」

 四肢を放りだし恥じらいで目を逸らす、誘い体勢の舞姫に、不敵な笑みを浮かべた吉宗はいう。

「お前を嘘つきにさせないためには、お前の言葉を真実にするしかないだろ」というのが、吉宗の主張であった。

 好きにしろという先の言葉もあるのだし、そういわれてしまうと否定しづらく思い舞姫は困り顔。

「……ええ。お好きなように、私を可愛がって下さいませ」

 迷った挙句にそう告げた。

 その日、二人は初めて夜を共にする。それは二人にとって、関係もそれぞれのことも覚悟も、全てを変えることになり得るものであった。

 どんなふうに変わったかというのは、またこれからのお話で。

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