四畳半の二人
海斗はもう一度セーラの台詞を思い出し、噛み砕く。そしてようやく理解する。
「いや待て。待て待て待て。なんでそうなるんだ? 社長にはならないって言ってるだろ。だからわざわざ世話をする必要なんかないだろ?」
「いえ。そういうわけにもまいりません。これは既に潮凪家の決定事項なのです。潮凪家に相応しい人になっていただくために私がお世話や教育をしていく、ということになっているのです。そしてこれは私の仕事ということになっているので、断られたら私、明日から無職になってしまいます」
「ええぇ~」
そんなことを言われてしまえばお人好しの海斗に断ることは出来なかった。
「まあ、別に今すぐどうこうなるってわけでもないんだったらいいけど……」
「ありがとうございます。お優しいご主人様で良かったです」
「そんなんじゃないって。それとさ。そのご主人様ってのもやめてほしいんだが。俺のことは普通に名前で呼んでくれ」
「そうですか、わかりました。海斗様」
正直、様も付けなくていいし、敬語も使わなくていいのだが、たぶんここだけは譲らないんだろうなと思い、今はこれで妥協することにした。
それにしても、なんだかすごいことになったもんだと海斗は思った。まさか自分が、というよりは自分の祖父が金持ちの社長で、その後取り候補になってしまうなんて、まさしく「それ、なんてギャルゲ?」状態だ。今でもドッキリなんじゃないかと半分疑っていたりもするのだが、おじさんも、冗談を吐くのが好きだが、親父の名前を出してまでふざけたりはしないはずだ。
そう思って海斗は聡を見る。聡はその視線に気付き、優しげな表情で、再び爆弾を投下する。
「それじゃ、海斗君に再び選択肢です。一、えのき荘でセーラさんと一緒に今まで通り暮らす。二、潮凪の家が用意した屋敷に暮らす代わりに転校する。さあ、どっち?」
さっきと同じように軽い感じで選択を迫ってきた。でもさっきよりかなり重みが違う。だがさっきと同じく迷う余地もない。
「……はぁ? んなの一に決まって──」
「うん。そう言うと思ってたからもう既に準備は終わっているよ」
「えっ?準備って……?」
海斗はまだ、自分が置かれている立場に本当の意味で気付いていなかった。
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「な、なんだこれ……?」
海斗は榎本家をあとにして、自分の家である、えのき荘二〇一号室に戻って来た……はずだ。
と言うのも、海斗の記憶にある自分の部屋の様子と今の部屋の様子がまるで違っているので、もしかしてまた部屋を間違えたのかと錯覚してしまっていたのである。
あれほどまでゴミで散らかっていたはずの部屋は、見違えるほど綺麗に清掃されており、この部屋に住み始めたころを思い出させた。キッチンに放置してあった皿やコップ、積みあがっていた洗濯物のみならず、天井にあった雨漏りの染みまで綺麗になっていた。
「海斗様が学校へ行っている間に部屋の掃除をさせていただきました」
「す、すげえ……。セーラ、さん。すごすぎだよこれは」
「まあ、メイドですので。これくらいは朝飯前です」
そうは言うが、素直に褒められてセーラも少し顔を赤らめていた。
すごい。メイドすごい。海斗の中でメイドという職業の株が急上昇した瞬間だった。
感激を受けまくっていた海斗だったが、部屋の隅に置かれていた荷物を見て一気に現実に引き戻される。見たこともないバッグだった。しかもかなり大きい。あれほど大きなバッグを忘れるなんてことはないだろう。あれは自分の物ではないことはすぐに知れた。
「あれ、なに?」
海斗は嫌な予感がしながらも他に誰もいないのでセーラに尋ねる。セーラは笑顔のまま言った。
「私の荷物全般が入ったバッグです」
「……なぁ。もしかして、世話って、一緒の部屋に暮らす、って、意味だったのか?」
「えっ?最初からそのつもりだったのですが。聡様には既に了承を得ていますし。それにそうしないとお世話出来ないではないですか」
えのき荘二〇一号室。四畳半しかないこの部屋で、女の子と同居……。ここでようやく、海斗は気付く。
「マジでかぁぁぁぁああああ!?」
思春期真っ盛りの男の子がこんな環境に耐えられるのか、海斗はこれからの生活を夢想し、頭から湯気が出そうな勢いで顔を赤くする。そんな海斗を不思議そうに見つめるセーラ。
そうして海斗の多難はこれから始まることになるのだが、それはまだ、誰も知らない。
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「セーラさん。お話があります」
「は、はい。なんでしょうか?」
急に改まった口調で、しかも正座をして話しかけてくる海斗に少し戸惑いながらセーラも海斗の正面に正座をする。そして海斗がおもむろに話し始める。
「セーラさん。貴女は女の子です」
「はい。そうですね」
「俺は男です」
「存じております」
「……しかもセーラさんは俺と同い年くらいですよね。そんな二人がこんな狭い部屋に一緒に暮らすだなんて、問題だと思いませんか?」
「いえ、全く」
海斗は顔から畳に倒れ伏した。
「んなわけないでしょうがっ!! 問題だよ!大問題! なにか間違いがあったらどうすんの!? もっと自分を大切にして!」
がばっと顔を上げながらセーラを諭す。そもそも海斗はいわゆるそういう行為に及ぶほどの蛮勇を持ち合わせていないのだが、いかんせん男と女だ。何があるかは誰にもわからない。
そんな心配を抱いている海斗とは裏腹に、セーラはなにを言われているのかもよく理解していなかった。
「よくわかりませんが、私は海斗様を信じておりますから何も問題は無いように思います」
「なっ──」
ついさっき会ったばかりの相手を信じている等と、普通なら信じられないことだが、何故か海斗はセーラの曇りのない純粋な目を見て、本当に自分のことを信じているのだということが伝わった、ような気がした。そこまで言われると逆にどう反論していいかわからなくなる。
「いや、でもなぁ~」
だが、だからと言って、はいそうですか。と素直に同居を認められるほど短絡的でもない海斗は頭を悩ませる。
そんな海斗を見て、セーラはハッと何かに気付いたように言った。
「なるほど。四畳半は二人が眠るには少し狭いですよね。それで海斗様に不自由を与えてしまうということは確かに問題です」
違うような違わないような、複雑な解釈をしたセーラにどう反応したらいいのか迷っていると。
「では私はこの押し入れの中で眠らせていただくことに致します。これで問題は──」
「いやいや。違う問題が発生するからそれは却下で」
押し入れで寝るなんてどこの青いロボットだ。それに女の子を押し入れなんかに押し込めるような真似をしたくない。つまり、最初から選択肢なんてなかった。
「わかった。セーラがいいんならここで一緒にでいい。どうせ断ったらクビになっちまうんだろ?」
「はい。ありがとうございます。海斗様」
満面の笑顔で礼をするセーラを見て、海斗は気恥ずかしくなりそっぽを向いた。そんな海斗を見てまたセーラが笑う。
本当に妙なことになってしまったものだ。と深くため息を吐く海斗であった。
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海斗はそのまま明日の準備を済ませ、早々に寝てしまおうと思い布団を敷いた。セーラがそれは自分がやると言ってきたが、丁重にお断りした。ものぐさな性格をしているとはいえ、女の子に雑用ばかりさせたくなかったからだ。
まあ、自分の部屋すらまともに掃除せずに結局セーラに掃除してもらった身分で偉そうなことは言えないのだが。
海斗は寝巻きに着替えて布団に潜る。
「それではお休みなさいませ海斗様」
「あ、あぁ。おやすみ……」
海斗はそう言って瞳を閉じる。セーラはまだしばらく仕事をしなければならないとかで、キッチンの方へ向かい引き戸を閉めた。
正直、同じタイミングに隣で寝られると意識して眠れなくなるかもしれなかったので、セーラの気遣いに感謝する。セーラ自身は気を遣ったつもりはなく、ただ単純に明日の準備があっただけなのだが、別にそれを知る必要はなかった。
海斗は今日一日を思い返し、なんだか妙に長く感じるかなり密度の濃い一日だったな、と思いながら眠りについた。
ふと、何かを忘れているような気がしたが、一度襲いかかってきた眠気には勝つことが出来なかった。