三つ指ついたメイドさん
水泳の補習を終えて急いで帰宅する海斗。だが自分の家に帰る前に、いつも大家である榎本家を訪れるのは日課となっている。呼び鈴も鳴らさず玄関の戸を開ける。
「ただいま帰りました~」
「あっ、おかえり~」
「おう、ちびっこ。今日も元気だな」
「ちびっこじゃないもん。もうおねいさんだもん」
「ははっ、こんなちんちくりんなおねいさんはいないって。あっ、でも棗ちゃんが……ってぇ! 何か寒気がっ!?」
「どうしたのおにいちゃん?」
何か妙な寒気がして、海斗はこの話題は早々に止めることにした。
そんな海斗を不思議そうに見上げているのはこの家の次女、榎本ひまわりだ。今年で小学二年になり、下級生が入ってきたことにより、最近お姉さんぶるようになってきた。だが海斗から見たら精一杯背伸びしているようにしか見えず、微笑ましいだけだ。
「そうだ。今日の朝、瑞希おねえちゃんが来たよ?」
「ん? あぁ、そっか。家に居なかったからこっちに居ると思ったんだろうな」
「あのね。わたしがおにいちゃん来てないって教えてあげたんだよ」
「お~お~珍しいこともあったもんだ。ありがとよ」
ひまわりの頭を撫でながら居間へと向かう。居間にはこの家の長女、蜜柑が机にノートを広げて勉強をしていた。
「ん? あっ、おかえりカイ兄。なんか今日は遅かったね。それに朝も早かったみたいだし」
「夏の暑さに頭がやられてな」
なにそれ、と笑った顔はとても可愛らしいと思う。それからまたノートの方へ目を移す。蜜柑は中学三年生だ。つまり受験生である。志望校はまだ決めていないらしいが、勉強をしておくことに越したことはないといって、こんな早くから勉強を始めている。自分とは大違いだ。
「そういや、おじさんは?」
「買い物行ったよ」
蜜柑はノートの方を向きながら答える。
「そっか。じゃ俺、着替えてくるわ」
「ひま、ついてく~」
「いやいいって。部屋汚いし」
「カイ兄。一応借家なんだから綺麗にしときなよ」
「へいへいわかりやしたよ、っと」
そう言って海斗は榎本家を出て隣にある、えのき荘の二階にある二〇一号室の鍵を開けた。
「……あれ?」
しかし扉は開かなかった。おかしいなと思い、もう一度鍵を回す。するとガチャッという音がした。壊れているわけではないようだ。ということは、鍵を掛け忘れたということだろうか。
今朝は確かに鍵を掛けたはずだったのだが、もしかすると暑さのせいで鍵を掛けた幻覚でも見たのか。
「って、んなわけあるかっての。普通に忘れてたんだろ」
それに家で盗られて困るものなど、仏壇以外には特にない。いや、『宝箱』だけは別だが。そう思い、海斗は今度こそ扉を開けた。
「お帰りなさいませ御主人様」
そこには、三つ指をついたメイド服姿の女の子がいた。
「すみません。部屋間違えました」
海斗は平静を装いつつ、ゆっくりと扉を閉めた。それから一歩後ろに下がり、部屋の番号と表札を確認した。「二〇一号室 潮凪」としっかり書かれていた。
間違っていない。ここは俺の部屋だ。そう確信してからもう一度扉を開く。
「お帰りなさいませ旦那様」
「………………」
しかし、やはりそこにはメイドさんが三つ指ついて待っていた。なんだかさっきと少し台詞が違っているように感じたが、それどころではなかった。海斗はまた扉を閉めた。今度はさっきより強めに。
そのまま海斗は走って階段を駆け下り、榎本家に飛び込んだ。
「なんか俺の部屋にメイドさんがいるっ!! もしかして昔あの部屋で死んだメイドの幽霊っ!?」
「うるさい。妄想するなら部屋でして。そんなの現実にいるわけないでしょ」
蜜柑に一喝され、海斗はとぼとぼと榎本家の玄関を出る。
ここで海斗は一度冷静になって考えてみることにした。確かに、メイドが部屋にいるわけがないじゃないかと。恐らくこれも夏の暑さが見せた幻覚なのではないかと。
そんなことを考えている時点で冷静さなど微塵も存在していないことがわかるが、いかんせん冷静さを失っているので、海斗は何の疑問を感じることなく、その推測を信じた。
そして三度目、海斗は唾を飲み込み、ゆっくりと扉を開いた。
「お帰りなさいませ我が主様」
「……ええと、まあ、とりあえず…………どちら様ですかあああああ!?」
幻も三回続けば現実だ。何故かはわからないが、海斗の家にメイドがいるということだけは事実のようだった。
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「私はセーラと申します。不束者ですがどうぞよろしくお願い致します」
「うんごめん。すごく丁寧に挨拶してもらってなんなんだけど全然意味わかんない。今、丁寧にするところは挨拶じゃなくて説明だと思う」
海斗は玄関先に佇んだまま、自己紹介をするメイドさん、セーラに説明を求めた。
「説明、ですか? もしかして御主人様、聡様から何もお聞きになっていないのですか?」
「ご、御主人様っ!?」
「あっ、申し訳ありません。やはりこの呼び方はお気に召しませんでしたか? でも旦那様も、主様もお気に召されなかったようですし。では私はなんとお呼びすれば?」
「いやそこは別にどうでもいいんだけど……。で、聡様……?」
聡、とはおじの名前だ。榎本聡。えのき荘の大家にして小説家。そして、海斗の母方の親戚である叔母の結婚相手でもある。
「おじさん、今買い物行ってるみたいだから……ってかおじさんっ! こんな大事なことを説明しないまま買い物行かないでくれええ!」
海斗は聞こえるはずがないのに、聡に向かって大きな声で叫ぶ。その声に少しも怯む様子もないセーラはどうしたものかと頭をひねる。
「では改めまして自己紹介させていただきます。私はセーラと申します。潮凪の家から貴方様を御世話するようにと仰せつかってきました。以後、よろしくお願い致します」
「はあ……よろ、しく?」
海斗は未だ玄関先に佇んだまま、何がどうなっているのか誰か教えてくれと、心の中で願うばかりだった。
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「いやぁごめんごめん。だって今日海斗君、帰りが遅かったから。食材も無くなっていたし、買い物にも行かないといけなかったからさ。それに流石に娘達二人と一緒に家に待たせるのもアレだったし海斗君の家にいてもらったんだよ」
海斗はあのあと、外でずっと聡の帰りを待っていた。その少し後ろにセーラが静かに立つ。でもメイド服なのですごく目立つ。何人か通行人が通ったが、その全員がセーラを二度見した。海斗はその気持ちがよくわかった。当の海斗は三度見したくらいなのだから。
しばらくしてからようやく買い物袋を両手に下げた聡が帰ってきた。そしてこの言い訳だ。確かに遅くなったのは海斗の個人的な事情だ。だからおあいこにしてもいい
だが、海斗の家なら何があっても別に良いみたいに聞こえるので、少しイラッとはした。
そのセーラは聡から買い物袋を自然と受け取っていた。気が利くところがメイドっぽい。すると聡は腹を押さえながら言った。
「とりあえず、先にご飯にしようか。詳しい説明はそのあとってことで」
今すぐにでも聞きたい話は沢山あったが、確かに腹も減ってきたし、ひまわりや蜜柑も恐らくそうだろう。なら、待たせるわけにもいかない。
なので、今夜もゴチになります。と海斗は心の中で手を合わせた。
海斗達三人は榎本家に入り、居間の扉を開ける。蜜柑とひまわりの視線がこちらに向き、蜜柑は固まり、ひまわりは目を輝かせた。
「…………誰っ?!」
「めいどさ~んっ」
「どうもこんばんわ。私はセーラと言います。これからよろしくお願いします」
「えっ? お前ら知らなかったの!?」
二人は同時に頷く。でも確かに、知っていたなら海斗が帰ってきた時に教えてくれていたはずだ。そこで、蜜柑が何かを思い出したかのように言った。
「あっ、でもそういえば、今朝瑞希さんより先に誰か来て、そのままお父さんと客間に入っていった人がいたよ…。それでそのまま私が学校行くまで部屋から出てこなかったし」
「はい。その客というのは私のことですね。聡様とは少しお話をしていましたので」
だから瑞希が来た時、いつも出る聡ではなく、ひまわりが出たのか。と納得する。セーラは買い物袋を持ったままキッチンの方へ向かう。
「では私は料理を作って参ります。皆さんはどうかおくつろぎください」
と、言われましても。と海斗は思う。
帰ってみるといきなりメイドさんが家にいて、しかも自分の世話をするとか言い出して、見慣れぬメイド服の料理している後ろ姿を見ながらくつろげ、と言われても少し無理があると思った。なんとも異様な光景だった。
そんなことを考えていると、こそこそと蜜柑がこちらに近付いて来て小声で話し掛けてきた。
「で、結局なんなのあの人?」
「それは俺が一番知りたい」
「なんのおはなし~?」
いつの間にか、ひまわりも近くに寄ってきており、三人で頭を突き合わせて話をする。
「本物? あれ、本物のメイドさんなの?」
「コスプレの可能性はある。けど、見抜く方法なんかないしな」
「かあいいよね~あのお洋服」
「ごめんひまわり。今それどころじゃないの。その話は後でね」
ひまわりはぶーっ、と頬を膨らませる。そんなひまわりの能天気っぷりが今はとても羨ましい海斗だった。
「やばいよ。気になって勉強集中できないよ……」
「ふむ。じゃ後で聞いてみろよ」
「えっ? なんでわたしがっ? カイ兄が聞きなよ」
「だって聞き辛いじゃないか」
「わたしだってそうだよ。「それってコスプレなんですか?」なんてそう簡単に聞けるわけな──」
「ねえねえ。「こすぷれ」ってなあに?」
「コスチューム・プレイ、という意味の略称ですね。漫画やアニメに出てくるキャラクターの服を着たりしてそのキャラクターの真似をすることですよ」
「へえ~。「プリティア」の服とかもある?」
「ええ。あると思いますよ」
何故か、ひまわりはいつの間にかセーラの足元におり、これまた何故かよりにもよってセーラに「こすぷれってなに」とか聞いていた。幼女恐るべし!って言ってる場合ではない。
「ちょっ! ひまわり! 何でまたよりにもよってセーラさん、に聞くの?!」
「だっておねえちゃんにそれどころじゃない、って言われたもん」
再び頬を膨らますひまわり。あちゃーと言って手で頭を抱える蜜柑。その様子を楽しげに見守る聡。というかあんた早く説明しろよ、と思わず言ってしまいそうになるのをグッと堪える。
しばらくして、テーブルにはとても美味しそうな料理が沢山並んでいた。
「すっげぇ!! なにこれ!? 料亭に出てきそうなのばっかじゃん!」
「これ、いつも行ってるスーパーで買った食材だよねっ?! 違う高級店から買ってきたりしてないよね?!」
「おいしそ~」
「流石だねこれは。僕、立つ瀬ないなぁ~」
四人がそれぞれの感想を述べ、セーラはありがとうございます。とお礼を言った。お礼を言うのはむしろこっちだと思うくらいだ。
早速ご馳走になろうと席に着く。するとふと皿の数が少ないことに気付く。
「なあ、四人分の皿しかないぞ?」
「はい。メイドである私は皆さんの後でいただきますので」
そう言うとセーラは部屋の隅に立つ。いやいやいやいや。
「何言ってんだよ。セーラも一緒に食べろよ」
「いえ。メイドが御主人様と共に食事をとるなど──」
「俺は御主人様じゃないし、それにそんなとこで立たれてると折角の旨そうな料理が不味くなるだろ。だからほら、一緒に食おうって」
「で、ですが──」
尚も渋るセーラに蜜柑とひまわりも説得にかかる。
「カイ兄の言う通りですよセーラさん。一緒に食べましょう」
「みんなで食べた方がおいしいんだよ?」
流石に三人からここまで言われると断れないようで、 わかりました、と折れた。海斗はセーラの分の皿を棚から出し、セーラの前に並べる。
「よし。それじゃあみんな手を合わせて」
「はい」
「はい」
「あいっ」
「えっ?は、はい」
家長、聡の号令に従い手を合わせる五人。
「セーラさんに向かって。はい。いただきます」
「「「いただきま~す!」」」
「あっ、はい! どうぞ、頂いてください」
「うわっ! うまっ! なにこれうまっ!」
「こっちのもすごいおいしい……。もうこれプロじゃん!」
「おいし~!」
「むむむ。これは家事のライバル現る……か?」
「あ、ありがとう、ございます。皆さんに喜んでもらえて、恐悦至極でございます」
すごい勢いで料理が減っていくテーブルを眺めながら、自分で作った料理を食べながらセーラは思う。自分で作った物のはずなのにいつもより美味しく感じると。
突然のことばかりだったからか、セーラは戸惑いまくりだったが、ただ一つハッキリしたのは、みんなで食べる食事はとても美味しいということだった。