親友達との日常
潮の香りがする風が年がら年中吹く町、美波町。漁業が盛んなことと、人当たりの良い人が多く住んでいるということ、それと、古い伝説が眠っているということ以外に特筆することのない、至って平凡な町である。
しかし、夏になると避暑地としてある程度の人気があり、綺麗な浜辺もあることから結構な賑わいになるのであった。
そんな美波町にある少女がやってきた。その少女は手に持った紙とにらめっこをしながらうろうろとさまよっていた。
その少女の様子を見た住人は、目を丸くした。
そんな住人の気持ちを察することなく、少女は道行く人に紙を見せながら尋ねた。
「すいません。この場所に行くにはどうすればいいんでしょうか?」
どうやら少女は迷子のようだった。見せられた紙には、とあるアパートの名前と道順が書かれていた。
「あ、あぁ。そこならここを──」
少し戸惑いながらも道順を教えてくれた住人に、少女は深くお礼をしてから、教えられた道を歩き始めた。
「な、なんだったんだろ。あの子。可愛かったけど、アレって……」
そんな住人の声は、少女の耳には届かなかった。
その後も色んな人に道を尋ねながら、ようやく目的地の近くまで来ていた。何故だか尋ねた人のほとんどが不思議そうな顔をして自分を見ていたが、それがなんなのか少女にはわからなかった。
それになんだか、さっきからやけにシャッター音が聞こえてきたり、ひそひそ話が聞こえてきたりもしたが、少女は全く気にならなかった。今、少女の頭の中には一つの事柄で一杯だったからだ。
やがて目的地である「えのき荘」に辿り着いた。ちょうどその時、二階の部屋から一人の少年が階段を下りてきた。少女は少年を見ると咄嗟に物陰に隠れてしまった。少年はそんなことには一切気付かず、そのまま何処かへ歩いていった。
ほっ、と胸を撫で下ろしてから、別に隠れる必要はなかったことに気付く。それどころか、ちゃんと挨拶をしなければならなかったのではないかと思い、声をかけようとしたが少年の姿は既になく、ガクッと肩を落とした。
でも、また後で挨拶すればいいと考え直し、えのき荘の隣に建つ、えのき荘の管理人さんの家のインターホンを押した。
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「ああ………憂鬱だ………」
また今年も嫌な季節がやって来た。そんなことを思いながら、海斗はいつもより重い鞄を持ちながら通学路を死んだ魚のような目で歩いていた。
今海斗が向かっている学校の名前は大洋高校。生徒数、校風、その他諸々、全て平均的な学校だ。海斗は今年の春からその大洋高校に通っている。
ちなみに学費の方は、両親の残してくれたお金があるので心配はない。今は親戚の叔母が管理をしてくれている。
「……ん? あれ? なんか忘れてるような気がする」
ふと急に、海斗の頭に疑問符が浮かぶ。しかし、何を忘れているのかわからない。何かが足りないような感覚に襲われていると、海斗の後頭部に衝撃が走った。
「なんで一人でさっさと先に行ってるんだこんにゃろがあああ!!」
「いった!」
思いきり頭を叩かれた海斗は、すぐさま振り返る。そこには仁王立ちしている幼馴染みの少女の姿があった。
「なんだ。瑞希か。なにしやがる」
「なにしやがる、じゃない! 何で今日は一人で勝手に学校行ってんの! いつもならまだ寝てるくせに!」
「あぁ、そうか。そうだった。忘れてたわ」
「毎日一緒に行ってるのに普通忘れるっ!?」
「悪い悪い。俺、忘れっぽいからさ」
「それにしたって酷すぎでしょこれは!」
忘れられていたことにショックを受けている様子の少女は砂城瑞希といい、海斗とは小学校の頃から一緒で、いわば腐れ縁のような関係だ。
海斗の両親が亡くなってから、何かと気にかけてくれている大切な友人の一人である。照れくさいので絶対に本人には言わないが、本当に感謝している。……ついさっきまで忘れていたが。
「いや。ほんと悪かったって。御詫びに何でもするからさ、な?」
「ふ~ん。じゃあ今度買い物付き合ってよ。荷物持ち」
「嫌だ暑い」
「この……何でもやるんじゃなかったの!?」
「人には出来ることと出来ないことがあるんだ」
「荷物持ちすら出来ないってどういうことよ……」
瑞希は呆れてモノも言えなかった。
「まあでも、無理矢理連れていくからいいけどね」
「最悪だっ! この悪魔っ!」
「何でこの程度で悪魔扱い!?」
このあともくだらない言い争いを繰り返しながら、通学路の坂道を二人で歩いていった。
「やっと着いた~。あぁ~涼し……くないだとっ!?」
「そりゃそうでしょ。こんな時間じゃまだ先生来てないし、そもそもまだ六月じゃん。冷房なんか早すぎだよ」
本日、六月下旬。確かにわずかに暑くはなってきていたが、世間一般的に言えば、まだ夏本番とは言えない時期である。ただ、暑がりな海斗が一人で耐えられないだけだった。
学校に涼みに来たつもりでいた海斗は、大いにショックを受けた。海斗はそのまま自分の机に倒れ込んだ。そんな海斗の様子を見ていた一人の少年が海斗の机に近付いて来た。
「相変わらず暑さには弱いみたいだな海斗」
「……誰だお前?」
「ほぅ……。土日会わなかっただけでダチの顔忘れられるのはお前くらいだろうな。よし。一発殴れば思い出すか?」
「やあおはよう山笠大樹君。今日もいい天気だね」
大樹の怒気を感じ取り、即座に起立して爽やかな笑みを浮かべながら挨拶をした。
彼は山笠大樹。彼も瑞希と同じく小学校からの仲であり、大切な親友だ。面倒見の良い兄貴肌を持つ少年であり、めんどくさがりな海斗をよく瑞希と共に引っ張り回して遊んでいた。
「おう。思い出したようで何よりだ。俺もつまらねえものを殴りたくはなかったんだわ」
「頭の中が詰まってないからね」
「誰の頭ん中が空っぽだって!? お前と俺とじゃほとんど学力差ないだろ!」
「私は他の部分が優秀だからいいんだも~ん」
「特に胸がな」
「ちょっ、ダイちゃん! それセクハラだからね! 罰金払え~」
「飴玉でいいか?」
「やった、飴だ~」
「それでいいのかよ……。 安い女だなお前」
海斗、瑞希、大樹。この三人は普段はほとんど一緒にいて、こういった賑やかで騒がしい日常が繰り返されている。それに三人ともなにかと目立つ存在なので、この光景が一年二組全員にとっての日常ともなっていた。
しばらくするとチャイムが鳴り、教室の扉から教師が入ってきた。学校指定の青いジャージを着た中学生くらいの背丈の女性、宮永棗は既に眠る体勢に入っている海斗を見つけ、眉間に皺を寄せた。
「ほお~。学校に来て早々寝ようとしているとは良い根性しているじゃないか潮凪ぃ……」
棗は出席簿の角を海斗の後頭部目掛けて振り降ろした。
「いっだぁあぁ!! あれ? なんかデジャヴが? って、あっ……な、棗ちゃん……。お、おはようございます」
「潮凪……。教師にちゃん付けとはどういうことだ? もう一発食らっとくか? あぁん?」
お断りします。と言おうとしたところでもう一発頭を叩かれた。まだなにも言ってないのに!
何故だか今日はよく頭部に痛みが走る日だな。いつもより早く家を出たのでニュースの終わりにやる占いを見ていないが、おそらく最下位だったのではないかと思った。そしてたぶん頭上注意、とか言われてたのではないだろうか。
朝のホームルームはそのまま海斗お説教会となり、棗からは叱られ、他の生徒達からはクスクスと笑われるという苦痛の数分間を過ごした。
「それにしても朝は笑ったね~」
「あぁ全くだ。いつもならホームルームは起きて、そのあとの授業で寝るのにな」
「仕方ないだろ。今日はいつもより早く起きたせいで眠いんだよ……ふわあぁ~あ」
午前の授業が終わり、三人は机を寄せあって昼食を食べていた。よく見ると三人とも同じ形の弁当箱を持ち、さらに同じ具材が入っていた。
「それで、今日の味はどうよ?」
瑞希がそわそわした様子で聞いていた。海斗はう~ん。と言いながら素直な感想を述べる。それに大樹も続いて述べた。
「いつも通り、可もなく不可もない、お前らしい味付けだな」
「至って普通でノーマルだ。俺はもう少し冒険していいんじゃねえかと思うぞ」
何故二人に感想を求めているのかというと、瑞希の実家は喫茶店を経営しており、瑞希もそれなりに料理が出来るのであった。しかしまだまだ修行が必要だ。ということで、自分用の弁当を作るがてら二人に味見役をやってもらうためによく持ってきているのである。海斗に至っては今ではほとんど毎日瑞希の弁当を食べていた。
「ん~冒険かぁ……。じゃカエルでも入れてみる?」
「なんでそんな斜め上な発想が出てくるんだよ!?」
「カエルって鶏肉の味がするって言うじゃん。だから大丈夫かなって」
「じゃあ自分一人で食えよ。俺達を巻き込むんじゃねえよ」
「うわっカイ冷たいっ! いつもわたしのお弁当食べてるくせに」
「それはいつもほんとありがとうございます。でもそれとこれとは話が別だろ」
「でも実はもうやったことあるんだ。ていうか、いまカイが持ってるそれが正にそうだよ」
「えっ嘘まじで!?」
「うん嘘だよ」
「…………。てっめえ!この! マジでビビっただろうがっ」
「あははごめんごめん」
そんな二人の言い争いを大樹含むクラスメイト全員が半目で睨む。
もう付き合っちまえよ。クラスのほとんどの人間がそう思っていた。中にはリア充許すまじと考えている者もいた。むしろ大樹君とくっついてよ、と考えている者もいる。
なんにしても、早く食事を終わらせなければ。なんせ次の授業は──
「海斗、瑞希。仲良くちちくりあうのは結構だが、さっさと飯を食え。次は体育だぞ」
「うっ!」
体育、というワードに過敏に反応を示す海斗。ちちくりあう、という部分にツッコミを入れることすら出来なかった。
瑞希と大樹は一瞬、ほんの一瞬だけ哀れみのような表情を浮かべたが、海斗は気付かず、そのまますぐにいつもの陽気な笑顔に戻った。
「そっか。確か今日から体育は水泳だったね。そりゃたしかに早く食べちゃわないとだよ」
「そうだな。特に海斗は」
「……一気に食欲なくなったわ。今まで忘れようとしてたってのに」
はぁ、と今日何度目かの溜め息を吐く海斗。実は海斗は昔から水泳が大の苦手で、十メートルはおろか、五メートルすらまともに泳ぎきったことがない。
名前は海斗なのに泳げないなんて。とはよく言われた悪口だ。たしかに名前負けもいいところだ。
そんな昔の悪口を思い出して憂鬱な気分になりながらも、瑞希の弁当だけはしっかり平らげた海斗は、今朝鞄に詰め込んだ水着やバスタオル等を入れた袋を持って教室を後にした。