デジャヴ
「あの。本当に大丈夫なんですか? お風呂から上がってから何だかお加減が優れないように感じますが」
「大丈夫。大丈夫だから今は触れずにそっとしておいてください。猛省中なんです。ごめんなさい」
えのき荘の自分の部屋へと戻ってからも、海斗は先程の自分の浅ましさと愚かさを嘆いていた。
今はまともにセーラの顔を見ることすら出来ない海斗は、壁に体を預けながら体育座りをし、真っ暗なテレビを見つめ続けていた。
無心になろうとすればするほど先程の恥ずかしい桃色と肌色多めな妄想を思い出してしまい、その度死にたくなってくる海斗は妄想を振り払うために今日はもう寝ることにした。
──のだが。
「…………あの、セーラさん?」
「はい。何でしょうか海斗様」
「あ、あんまりずっと見られると、寝れないんだけど」
「ですが海斗様の体調が優れないようなので目を離すわけにはいかないです」
「いや。別に風邪とか引いてるわけじゃ……」
「いいえ。海斗様、顔が赤いではないですか。確かに暑くなってきてはいますが、油断は大敵ですよ」
頑として譲らないセーラに参る海斗だったが、まさか本音を言うわけにもいかずにどうするか迷っていると、セーラが妙案を思い付いたかのように手を打つ。
「なら子守唄を唄いますね」
「え、えぇっと?」
まるで子供をあやすかのような提案に海斗は苦笑する。流石に海斗も子守唄で眠れるようになるほど純粋ではない。
「ではいきますね」
しかし、そんなことはお構い無しといった様子でセーラは唄い始めた。
海斗は、その唄をどこかで聞いたような何だか懐かしい感覚がした。
だが、次の瞬間には強烈な眠気に襲われ、ゆっくりと眠りに落ちていった。
静かに寝息を立て始めた海斗の寝顔を確認し、セーラは一度だけ海斗の頬を優しく撫でながら微笑んだ。
「お休みなさいませ。海斗様」
そう言うとセーラはゆっくりと立ち上がり、まだ残っている家事に取りかかることにした。
~~~
──唄が聞こえた気がした。その唄はとても懐かしく、涙が出そうになるくらいだった。
でも、どこで聞いたことがあるのかがどうにも思い出せなかった。
やがてその唄が小さくなっていき、とうとう聞こえなくなった。
その代わりにけたたましいベルの音が耳元で鳴り響いた。
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「うぅ~ん……」
海斗は無意識に目覚まし時計を止める。そしてそのまま二度寝しようと寝返りを打つ。
夢と現の狭間にいる海斗の耳に、二人の少女の声が曖昧に聞こえてきた。
「──さん。私…………です。よろし……」
「はい。よろ…………します。砂し……」
「……あれ? セーラさん……と、どこか……」
「いえ。おそらく…………かと」
一人は瑞希。一人はセーラ。二人の声はどこか和やかで、海斗は安心しながら二度寝を──
「目覚まし止めて二度寝しようとするなっ」
「げふっ!?」
──しようと思ってところを瑞希に容赦なく踏みつけられた。
「……それで、何で今日はまたこんなに早いわけ? てか起こし方雑過ぎない?」
「今日はたまたま早く起きたの。あと二度寝しようとする不届き者には情けなんかいらないよね?」
横腹を踏まれ、しかもかかとで抉られた海斗は少々不機嫌なまま朝食を食べる。
その隣ではセーラがいつも通りメイド服で同じ朝食を食べている。
海斗の前方にはさっきのことを全く悪びれもせずにテーブルに肘を置きながら海斗の朝食を横取りしていた。
「にしても、本当セーラさんのご飯美味しいですね。今度料理教わってもいいですか?」
「はい。私なんかでよければ」
「やった。約束ですよ」
「はい」
何故かいつの間にか女子二人が仲良くなっていた。おそらく海斗が眠っている間に何かあったのだろうが、別に深く詮索するつもりもないので、海斗は瑞希にこれ以上横取りされないために素早く朝食を食べ終えた。
そして海斗と瑞希はセーラと榎本家の皆に挨拶してから学校へと向かった。
「あ、あれ? なんか暑いね、今日」
「夏はいつでも暑いわ」
「そうかなぁ。さっき家からここまで来た時はそれほどだと思ったんだけど」
どこかで似たやり取りをしたような気がした海斗と瑞希だったが、深くは考えなかった。
「あとさ。な~んかセーラさんって不思議な感じだよね」
「まあ、メイドだしな」
「確かにそれもあるけど、なんだろ。うまく言えないけど、なんか謎な感じ」
必死に言葉を探す瑞希だったが、結局上手い表現が出来ず、海斗には全く伝わらなかった。
「それに、セーラさんのことを何故か懐かしいって感じたんだよね。何でだろ?」
「人違いなんじゃねえか? お前は喫茶店で働いてるから似た客でも見たんだろ。懐かしいってのは、たぶん気の間違いだ」
「ん~。そうかも。だって私記憶力良いし。カイと違って」
「一言余計だ」
海斗はツッコミを入れながら話を続けた。
そもそも瑞希とセーラが出会ったのは昨日の応接室がはじめてのはずだ。
なんせ、瑞希は産まれも育ちもこの町であり、そしてセーラは潮凪家のメイドであり、その潮凪家から最近見付かった海斗の世話役を任され、一昨日はじめてこの町に来たのだから。
それに聞いた話では散々迷子になったとも言っていた。
そんな二人が遭遇するようなことはまずない。もし仮にすれ違っていたりしたとしても、それを懐かしいと感じることはないだろう。
海斗と瑞希はそんな話をしながら学校前の坂道を登りきり学校に到着する。
靴箱の前まで来ると、何だかとても見覚えのある光景があった。
「よっ大樹」
「あ、あぁ……お前ら」
「どったのダイちゃん? 変な顔して」
それはまるで昨日の朝と同じような光景だった。大樹が自分の靴箱の前で手紙を手にしている。
よく見るとその手紙も、昨日と同じ色をしていた。
「二日連続でラブレター貰うって何なの? リア充なの?」
「いや、違う。おそらく違う」
嫌味な言い方をして茶化そうとした海斗だったが、大樹は少し顔をしかめながら手紙を取り出した。
「…………おおぅ」
「どうしたんだよ」
「これ、昨日とほとんど同じなんだよ。内容も。差出人もな」
「「……えっ?!」」
大樹の言葉に海斗も瑞希も驚きを隠せなかった。
「って、ことは、ええっと。やばくね? 何がとは言えないけど」
「でもなんか恐いよそれ。ダイちゃん昨日ちゃんと断ったんだよね?」
「あぁ。今は誰とも付き合う気はない、って。確かに言った、はずだ」
だんだんと自信がなくなってしまったのか、最後は曖昧な表現をしていたが、無理もないだろう。
何せ昨日と同じ人物が何事もなかったかのように、まるで昨日のことがリセットされたかの如く、全く同じ手紙を送ってきたのだから。
海斗の脳裏に『ヤンデレ』というワードが浮かんだ。そこで瑞希が「まさか……でも、う~ん」と小声で呟いてから大樹に尋ねる。
「ねぇ。まさか、とは思うけどさ。今その気はない、がつまり昨日で終わったとか、そんなこと思ってないよね。その子」
「んなアホな」
瑞希の言うことはこうだ。
大樹は昨日ラブレターの相手に「『今』は誰とも付き合うつもりがない」と言ったが、その『今』はあくまで『昨日』だけだと思い、次の日に再度アタックしてきたのではないか、と。
「もしそうならヤンデレっていうより、アホじゃねえ?」
「でも私そんな感じの子、一人だけ心当たりある……。しかも一組に」
まさか、と思いながら海斗は大樹を見る。ラブレターを渡してきた人物の名前を聞きたい気持ちはあったが、無理矢理聞き出すつもりはなかった。
しかし、状況が状況だったので、大樹は恐る恐るその名前を口にした。
「あっ、うん……」
その名前を聞いた瑞希の反応を見る限り、今の推測がほぼ正しいことが判明したのであった。