中立の男と誓いの少女
海斗と九重は交互に練習を繰り返し、手を引っ張られながらなら泳げる(?)ようになってきた。と、自分達は思っていた。
そして、海斗が五十メートルを泳ぎきり、一度休憩を取ることにした。
二人は並んでプールサイドに腰掛ける。別に深い意味はなく、二人とも疲れが出始めていたので、プールサイドにあがってすぐに休憩したかっただけである。
「そういえば、何だか今日呼び出しを受けていたようだけど、何かしたの?」
それを聞いた瞬間、海斗は吹き出しそうになった。一瞬セーラの顔が脳裏に浮かぶ。
海斗はこのかなりめんどくさい事情が絡んでいる話をどう伝えればいいのか全くわからなかった。
もしここで仮に、全て本当のことを言ってみたとしよう。海斗はその時の九重の反応を予想する。
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「実は俺って金持ち社長の孫で、次期社長候補になっちゃって、その俺の世話をするために先日家にやって来たメイドさんがわざわざ手作りの弁当を届けに来てくれたんだよ。それで呼び出されたってわけ」
「……潮凪君。あなたって、そういう人だったのね……可哀想に。もう近寄らないで。気持ち悪い」
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どう考えてもこんな感じの反応をされるに決まっている。
海斗は暗い表情になりながら予想される未来に絶望した。
別に嘘を吐く必要は感じないのだが、信じてもらえるとも思えないのでどうするべきなのか頭を悩ませる。
実際、付き合いの長い瑞希と大樹であったからこそ、あんな馬鹿げた話を信じてくれたのであって、まだ知り合って二日しか経っていない九重に、そのまま話したとして、到底信じてはもらえないだろう。
それに海斗自身、他人からいきなりそう言われても半信半疑になるだろうなと思う。
海斗が返答に窮しているのを横目で見ながら九重がぼそっと呟いた。
「別に、言いづらいことなら言わなくてもいいけど」
「えっ? あ、あぁ。いやそんなんじゃなくって。言いづらいというよりかは、説明しにくい話というか。信じがたい話というか……」
心なしか沈んだような表情をしていた九重を見て慌ててしまったが、その拍子に一つ思い付く。
「ただ、弁当を忘れて家族がそれを届けに来てくれただけなんだ。だから別になんかやらかしたわけじゃないって」
そう。別にメイドや家庭の事情を説明せずとも家族が弁当届けに来た。とだけ言えば事足りる話だったのだ。いきなり不意を突かれて慌てただけで、一度冷静になればなんてことはなかった。
九重も「へぇ」とだけ呟いただけだった。何故か変な汗をかいてしまった海斗は、そのままプールに入り、体を冷やす。
そんな俺を九重はプールサイドに座りながら、角度的に海斗を見下ろす形で聞いてきた。
「でも、それのどこが説明しづらかったの? それに信じがたくもないのだけれど?」
どうやらこの話は終わっていなかったようである。
海斗は、無駄に窮地に追いやられていた。
見下ろしてくる九重の視線から目を反らしつつ、棗に救援を要請しようとそちらを向く。
そこにはいつの間にかサングラスを掛け、青いドリンクを片手に持ち、優雅にくつろぐ棗の姿があった。
何であの一ヶ所だけ南国風スタイルなんだよ。上半身ジャージで見た目子供のくせに。監督はどうしたんだよ体育教師!と心の内でツッコミを入れながら、九重の鋭い視線を浴びる。
これならまだ冷水のシャワーを浴びる方がマシだと思う。
九重からしてみれば、それはただの好奇心。いや、本当にただの疑問に過ぎなかったのだが、九重の心を読めるわけもない海斗にとって、その数秒間が嫌に長く感じた。
その数秒間の沈黙を破ったのは、聞き慣れた声だった。
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「よう。ちゃんと練習してっか?」
「なっ、大樹?! 何してんだ?!」
声の主は海斗のよく知る男、大樹だった。見ればその後ろに瑞希の姿もある。
「って、サボってんのかよ。そんなんで大丈夫なのか? それに、なんすか棗ちゃん。その装備一式は?」
「山笠か。お前に補習を言い渡した覚えはないが? あと棗ちゃんと呼ぶな」
「ま、俺らは海斗を冷やかしに来ただけッス」
冷やかすなよ。と思う海斗だったが、この絶妙なタイミングで入ってきたことだけは感謝してやってもいいと思った。
案の定、九重の興味は海斗の意味深な発言から今プールに入ってきた二人に移ったようだった。
「で、そちらさんが九重さんね。俺は山笠大樹。で、後ろのこいつは砂城瑞希だ。俺らはそこに沈んでる金槌のダチ。よろしくな」
「……ええ。よろしく」
「金槌って呼ぶな! あと沈んでねえし!」
九重は表情を変えず淡々と挨拶を交わし、海斗はツッコミを入れる。
そこでふと海斗は違和感を覚えた。そういえば、さっきから瑞希が一言も発していない。紹介も、何故か大樹がやった。
それにずっと大樹の背後にいるせいで、今どうしているのかもよくわからない。
そんな海斗の気持ちを悟ったのか、大樹はわずかに右にずれたので、ようやく瑞希の表情が確認出来た。
瑞希は何故か、怒った時のような顔と拗ねた時のような顔をごちゃ混ぜにしたような表情をしていた。
そしてその視線は眼下にいる海斗を目で殺そうとしているようなくらいに鋭く研ぎ澄まされていた。
状況が全く飲み込めない。何故今自分は瑞希に目で殺されかけているのだろうか。海斗は堪らず、瑞希の隣に立つ大樹に視線で救援を要請した。
何故か、奴は棗のものと同じ色をしたジュースを飲んでいた。
無性にブッ飛ばしたくなった。
「カイっ!!」
「はいっ!!?」
急に大声で呼ばれたので、思わず声が裏返ってしまった。
「色々と言いたいことはあるけど、今は許してあげる」
「は、はぁ……。ありがとう、ございます……?」
何を許され、何に対して感謝したのか、自分自身よくわかっていなかったが、瑞希の目がいくらか柔らかくなったので、危機は脱したのかと思い、胸を撫で下ろす。
「明日。私に付き合ったらね」
胸を撫で下ろしていた手は金縛りにあったかのように動きを止めた。
「な、何故でしょう?」
「昨日の朝。私をほったらかして。先に。学校に。行こうとしましたよね?」
わざわざ区切って話しかけてくる瑞希の顔は何故か笑顔だった。しかし、むしろこっちの方が怖かった。
「で、でも、断るって言わなかったか? 暑いから嫌って」
無駄と知りつつ抵抗を試みる。
「私も言ったよ? そんなの関係なく引っ張っていくって」
やはり無駄だった。海斗は項垂れるように頷いた。
「ん。決まり」
それだけ言うと瑞希は九重に一礼してからプールを去っていった。
本当に何しに来たのかわからない。冷やかし、って肝を冷やすって意味だったのかと変な勘繰りをしてしまった。
そしてもう一度大樹を見ると、大樹も「さあ?」といったようなジェスチャーを取っていた。
その後、大樹もプールを去り、練習を続けた。が、瑞希のことが気になってしまい、練習に身が入らず二度溺れかけた。死ぬかと思った。
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「どうだった? あの九重を近くで見てみた感想は?」
大樹が早足で前を歩く瑞希に問いかける。
瑞希は足を止め、後ろを振り向くことなく答える。
「超絶美女だった……」
「だな。何でお前ら今まで知らなかったんだ? ってくらいの美人だったな」
瑞希と大樹はそれぞれ似たような感想を述べた。
「九重もヤバイが、あの海斗のメイドになったとかいう、セーラ、だっけ? あの子も結構な美少女だったな」
「……うん」
瑞希の声のトーンは依然として低い。大樹はふぅ、と息を吐く。
「まあ、それはいいとして。ここらでお前に言っとくことがある」
「……なに突然?」
大樹の言葉に疑問を覚え、瑞希は大樹の方へ振り返る。大樹は笑って語り掛ける。
「俺はお前らのダチだ。これからどうなろうとな。だから、お前が行動を起こすなら、色々と手伝ってやる。海斗が俺に何か頼んで来たら助けてやるつもりだ。そして、お前ら両方から同時に、しかも両立不可能な頼み事された時は、俺が思う、より良い結果になる方を助けることにする」
瑞希は大樹が何を言っているのか、何となくわかった。
つまり、大樹は中立の立場に立つと言っているのだろう。
友達である、親友である瑞希達のことを思うからこそ、大樹はあえて明確に中立に立つと宣言したのだ。
「なんか、ごめんねダイちゃん……」
「はっ。ダチなんだから気にすんな。それに俺が何か頼む時はお前もちゃんと手伝えよ」
「ふっ、当然だよ」
少しだけ元気を取り戻した瑞希は笑って答える。それを見て安心した大樹は訂正を促す。
「あと、そういう時はごめんじゃないだろ?」
「うん。そうだね。ありがと」
まだ決心は決まっていない。これからどうするかも、これからどうなるかもわからない。
だけど、例えどんな結果になったとしても、後悔だけはしないようにしようと、瑞希は心と大切な親友に誓った。