靴箱の中にある手紙
「あれぇ~? 今日もあっついな~」
「どこが? 夏はまだまだこれからだよ。それに何で疑問符? 朝からこれくらいの気温だったじゃん」
海斗と瑞希は通学路を並んで歩きながらいつものように雑談をしていた。だが、海斗は何故か鳩が豆鉄砲をくらったような間抜けな表情をしていた。
「いや。なんか外に出てから急に暑くなったような気がするんだけど」
「クーラーでも着けてたんじゃないの」
「いや。俺ん家クーラーねえし」
瑞希は「そういやそうだった」と思い出す。そうだ。クーラーどころか扇風機すらない。海斗は今年こそ扇風機だけでも買おうと思っているが、それは今は置いておく。
しかし、本当にどういうことなのか。もしかしたらセーラと二人きりという状況に緊張して暑さを感じる暇もなかったということなのだろうか。瑞希とだと別に緊張しないので暑くならないということだとすれば。
「つまり瑞希は俺にとって身近で暑苦しい存在ということか」
「頭の中で何がどうなってそんなことになったし」
瑞希は海斗の頭を軽く叩きながらツッコミをいれる。これもよくあることであり、二人とも気にすることなく学校前の坂道を登る。
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ようやく学校に着き、靴箱まで来るとちょうどそこには大樹の姿があった。
「よっ。何してんだ大樹」
「ん? あぁお前らか。いやなに、ちょっとな……」
大樹は少し困ったような、しかし、そこまで困ってはいないような、なんとも言いにくい表情を浮かべた。それを見た海斗と瑞希はすぐに何があったか理解した。伊達に長い時間幼馴染みをやっていない。
「またかよ……。羨ましい限りですな」
「ひゅ~ひゅ~。ダイちゃんモッテモテ~」
「うるせぇ。静かにしろよアホ夫婦」
「「誰がアホ夫婦だっ!」」
海斗と瑞希は顔を赤らめながら言い返す。だが、これもいつものことなのですぐに収まる。そしてすぐに事の原因である大樹の手にあるソレに話が移る。
「で、ソレの中身はもう見たのか?」
「まだだが、だいたい予想は出来る」
「だね。相手はたぶん一組の子だと思う」
大樹の手にあるのは手紙だった。可愛らしいピンクの紙にハートのシール。今時珍しいくらいにわかりやすいラブレターだった。
大樹は昔からよくこういったラブレターを貰ったり、愛の告白をされたりしている、所謂リア充であった。高校に入学してからもそれは続き、今回ので入学してからだと四通目だ。ちなみに直接、愛の告白された回数も二回あるらしい。
だが、大樹はそれら全てを丁重にお断りしている。理由としては、今は誰とも付き合うつもりはない、と言っている。そして恐らく今回もそうだろう。それよりも気になることがあった。
「何で一組ってわかるんだ?」
「そりゃ昨日のことでダイちゃんの株価が一気に上がったからだろうね。カイはそんなこともわからないからモテないんだよ」
「妻がいるんだからモテてもしょうがな──」
「ダイちゃん。シャラップ」
「い、イエス、サー」
大樹は何故か律儀に敬礼までしていた。海斗は瑞希の言葉を反芻し、ようやく正解にまで至る。
「……プールの時か。なるほど確かに。あの時の大樹は見方によれば格好良く見えるからな」
「360度どこからどう見ても格好良かっただろうが。って、言わせんな恥ずかしい」
大樹がわずかに赤くなっているのをスルーしながら海斗は昨日のことを思い出す。
本来、二組と一組とは合同で体育を行うが、プール以外の体育では男女は別々であり、つまり一組の女子は二組の男子のことをよく知らない。だから一組の女子は大樹のことを噂程度は知っていても、大樹自身のことはよく知らなかっただろう。
男友達のことをこう言うのはなんだか変な感じがするし、絶対口には出さないが、大樹はムカつくくらいに格好良い。見た目だけでなく心もだ。
そこで昨日のあの救出劇(救助者海斗)だ。
つまりそこで一目惚れした可能性が高い。ということを言いたいのだろう。と海斗は結論付けた。
「つまり、そのラブレターを貰えたのは俺のおかげということになるな」
「なんでそうなる。お前の思考回路、一度でいいから見てみてえわ」
「全くだね」
大樹と瑞希の二人が大きく頷きながら、三人は教室に向かった。ちなみに、ラブレターは大樹が後で一人でこっそり見ることになった。流石にラブレターの中身を覗き見るようなことは憚られたからだ。
だからこの推察が正しいのかどうかは大樹と、ラブレターを出した本人しかわからない。けど 、別にそれでいいと思った。
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「あ、プールで思い出した。カイ。昨日の放課後って結局どうなったの?」
教室に着き、荷物を下ろしたところで瑞希がそんなことを言ってきた。
「あれ?お前聞いてたのか?」
「聞こえてきたんだよ」
「聞き耳立ててたの間違いだろ?」
「ダイちゃん。少し静かにしよっか?」
瑞希の優しげな口調とは裏腹な物凄い形相に気圧されたのか、大樹は口を閉ざして静かに、わずかな音すらたてずに椅子に座った。
クラスの連中は、「あぁまたいつもの一日が始まるなぁ」みたいな反応だった。それだけ周りに認知されている、ごくありふれた光景だった。少しばかり麻痺しているのではないかと思わなくもない。
「そうだな。何があったってわけでもないけど。これからプールある日は放課後に補習を受けろ。そしたら最低限の単位は出す。みたいな感じだったかな」
「へぇ~。じゃこれから放課後は棗ちゃんとマンツーマンなんだ」
瑞希のその言葉に何人かの男子がこちらを向く。その目は一様に「なんて羨ましい……!」と言っているようだった。ここに更にあの補足を加えたりしたら、この倍の視線と妬みを買いそうだったが、今誤魔化すと後々厄介になりそうな予感がするので正直に話した。
「いや。俺の他にもう一人いるからマンツーマンじゃない」
「あれ? そうなの」
「海斗の他にも泳げない奴がいるんだな。海斗と同じくらいだとすると、そりゃ相当だな」
「なんでも今まで水泳の授業を受けたことがないそうだ」
「今時珍しいね。どんな人?」
どんなと言われても海斗は九重とは昨日初めて知り合ったのだから詳しく知っているわけではない。ただ言えるとしたら。
「若干天然入ってるプラチナブロンド、かな」
「プラチナって?」
「金髪って意味だろ。でも金髪って言えば……」
大樹は少し考え込み、瑞希は「金髪……不良? こわっ」と的はずれな予想をしていた。海斗はそんな二人を放って話を続ける。
「名前は九重っていうんだ。たしか六組って言ってたかな」
「九重?なんかその名前聞いたことある気がするなぁ」
「そうか?俺は昨日初めて聞いたけど」
瑞希が必死に思い出そうと頭を捻っていると、横にいる大樹から答えが返ってきた。
「知らねえのかよ。ま、学力底辺のお前らは上位の方なんか見ないだろうしな。六組の九重って言ったら、中間テストで学年一位になった天才じゃねえか」
「「…………えっ?」」
大樹の言葉に海斗と瑞希は固まった。
この学校ではテストの結果を廊下に貼り出すことになっており、海斗と瑞希は下から見た方が早く見つかり、大樹は逆に上から探した方が早いので、九重の名前を見たことがあるのだろう。
「あ、あれが学年一位……。なんていうか、意外だ……」
海斗の九重に対する第一印象はどこか抜けている天然美少女だったので、まさか学年一位の天才だなんて思ってもみなかった。
しかし、思い出してみると棗が、流石のお前でもうんぬんと言っていたような気がする。それはこういう意味だったのか。と今更ながら納得する。
「すごいねぇ。学年一位か。私じゃ絶対無理」
「でも泳げないんだな。なんつーか激しいギャップに襲われるな」
瑞希と大樹はそれぞれ頭の中で勝手に九重のイメージを抱いていると、チャイムが鳴った。そのチャイムと同時に棗が教室に入ってきた。
「ほれ。朝のホームルームだ。さっさと座れ~」
「「「は~い」」」
今日のホームルームは特に何も起こることはなく、平和に過ぎていった。
しかし裏ではちゃくちゃくとピンチが迫っていることに海斗が気付けるわけがなかった。
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海斗達が一時間目の授業を受けている頃、セーラは聡に学校までの道のりを紙に書いてもらい、海斗のための弁当を持って道を歩いていた。のだが──
「ここは、どこなんでしょうか?」
セーラは持った地図を逆さまにしたり横向きにしたりしながらさまよい歩いていた。つまり道に迷っていた。どうにもセーラは地図を読むのが苦手なようだった。
なので、昨日えのき荘に辿り着けたように、また道行く人に道を尋ねながら学校を目指した。