↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

東西大陸の話

よくある婚約破棄と、それから

作者: 宇梶あきら
掲載日:2026/10/11

「アメリエンヌ・シドファ! リカルド・ドルツは、きみとの婚約を破棄する!」


 成り行きを見守っていたパーティー会場が一瞬、水を打ったように静かになる。

 ──幼少のころから婚約しているアメリエンヌ嬢が、リカルドという同伴者なしで会場に入ってきた。

 それ自体はいつものことなのだが、滅多に夜会に出ない彼も参加していると聞けば、話は変わってくる。

 しかもリカルドは、明らかに誰かを探している様子。


 これは、と思った貴族たちは、無言のまま少しずつ道を空け、リカルドをアメリエンヌのいる場所まで誘導していった。

 まんまとそれに乗せられた男は、目線の先に婚約者の姿を見つけると、即座に先ほどの言葉を叫んだのだ。


 周囲にいた人々も察して距離をとったため、アメリエンヌの周囲にはぽっかりと空きができている。

 声高に婚約破棄を訴えた男は、人並みの切れた道をずんずんと進み、令嬢の前に立つ。

 その表情は、言い切ったという清々しさに満ちあふれていた。


「聞こえたか? それとももう一度言おうか」

「リカルド様、この場で込み入ったお話は……」


 目の前にやってきた婚約者に、彼女は声を潜めて忠告する。

 せめて場所を変えようという気遣いだろう。

 だが、リカルドはその直後、激昂する。


「なかったことにする気だろう! そうはさせないぞ! だからこの場を選んだのだ!」


 どうだ、と言わんばかりに胸を張る。

 周囲の貴族たちはくすくすと冷笑をこぼしていくばかりだ。

 公の場での糾弾がどういう意味か、わかっているのか、という囁きも聞こえてきた。

 アメリエンヌは理解しているのだろう、羞恥に頬を染めていく。


「ぼくはもうたくさんなんだ。この場の皆が証人となってくれる、皆、いいだろう?」


 ぐるりと自信満々に周囲を見渡すリカルド。

 成り行きを愉快げに見守っていた者たちは、にこやかな笑顔を貼りつける。


「ええ、たしかに聞きましたとも」

「わたくしも。婚約を破棄されるのですよね?」

「解消、ではないと」


「ああ、そうだ!」


 堂々とうなずく令息に対し、破棄を言い渡された令嬢は今度は青ざめている。

 もう、ちょっとした失言だとか、会場にあてられて、などの釈明はできない。

 この場の貴族たちは、喜んで証言をするだろう。

 己にはなんの痛手もなく、愚かな若者が落ちぶれるさまを眺められるのだから。


「話はおしまいだ。彼女を待たせているのでな!」


 彼は一方的に喋り倒すと、用はすんだと戸口へ歩いて行く。

 今日もお気にいりだという市井の娘と一緒だったらしい。

 だが、流石に会場内に同伴はできなかったようだ。

 分別があったというより、止められてしかたなく、だろうが。


 令嬢は扇で顔の半分以上を隠していたが、その手はぶるぶると震えていた。

 無理もないことだと、こちらは同情の視線が集まる。

 アメリエンヌは気立てのいい令嬢で、どの場でも配慮がよい。

 彼女と同じテーブルだと、とても楽しい時間がすごせる、とお茶会ではすこぶる評判だ。


 だが、気遣いの視線も、今の彼女にはつらいものだったのだろう。

 か細く失礼しますと呟くと、逃げるように休憩室のある廊下側へと退出していった。

 リカルドと鉢合わせしないよう時間を置いて、そっと帰宅するつもりだろう。

 残された貴族たちは、慌てたように流れだしたワルツの旋律に合わせ、ダンスをはじめるのだった。



◇◇◇◇◇◇



「本当に申し訳ない……!」


 シドファ邸にやってきたリカルドの父、ドルツ家当主は、応接室に通され腰を下ろした途端、平身低頭の勢いだった。

 声からも表情からも、謝罪の気持ちは本当らしい。


「その……アメリエンヌ嬢は……?」


 リカルドの父を迎えたのは、固い表情のアメリエンヌの両親だけだ。

 応接室にも姿はないし、そもそも用意されている茶も三人分だけ、つまり、これで全員だ。


「あの子はちょっと、伏せっていてね、我々だけで話をさせてもらうよ。……それを言うなら、君も一人なのかい?」


 アメリエンヌの母がなにか言う前に、父のほうが急いで話しはじめる。

 口調こそ穏やかだったが、言葉の最後では、意味ありげにソファの空いている場所を見やった。

 夜会での騒ぎに関してお話がと、日を開けずにやってきたのはリカルドの父ひとりだけだ。

 いるべきはずの彼の妻も、リカルド本人もいない。

 リカルドの父は気まずそうに視線を泳がせて、一瞬だけアメリエンヌの母を見たが、すぐ視線をずらした。


「その……妻はくる気だったけど、そちらの奥方は会いたくないんじゃないかと気を遣って……」


 しどろもどろの言葉に、アメリエンヌの母はひんやりとした視線で返す。

 ぱちん! と大きく扇の音を響かせ、男二人が肩を震わせる。

 結論だけ口にしろと言外に含まれたようだった。


「……と……とにかく、先日の件、本当に申し訳なかった。まさかあそこまで馬鹿なことをするなんて」

「本当にね。パーティー会場での婚約破棄宣言なんて、いい笑いものだ」


 ため息を吐くアメリエンヌの父に、リカルドの父はひたすら頭を下げている。

 庶民むけの物語にはよくある話だが、現実はそう簡単ではない。

 家と家の契約だし、見栄や自尊心や──とにかく、普通は公衆の面前で行う愚行はない。


「謝罪はもういい。それで、どうこの件を片づけるつもりだね?」


 アメリエンヌの母は沈黙を保っているが、隠しきれない怒りの気配がある。

 公衆の面前で娘が恥をかいたのだ、当然の反応だろう。

 勿論、リカルドの父としても、今後はきちんと考えてからの訪問だ。


「それなんだが……リカルドは廃嫡することにした」


 出された結論に、シドファ夫婦は流石に驚いた顔をした。

 まさかこのまま婚約継続とはならないと思っていたが、せいぜい謹慎程度と考えていたのだろう。

 そこまで思い切った判断をするとは、と、表情が語っていた。

 リカルドの父は疑問の視線を受け止め、真剣な表情で経緯を話していく。


「あれは、前妻の忘れ形見、せめて家を継がせようと思っていた。だが、嫡男として学ぶこともせず、出歩いてばかりで、ついには酒場の娘なんぞに入れあげてしまった」


 リカルドはろくでもない放蕩息子、というのは、社交界では周知の事実だ。

 ろくな教養もないくせに、己は偉いのだと勘違いは一人前。

 パーティーにもろくに出ず、街中で遊び回っている。

 父について仕事をすることがないくせに、自分は次期領主だと誇示をする。

 典型的な馬鹿息子だと、嘲笑の的だ。


「アメリエンヌ嬢に会うとしょっちゅう出かけていたのも、嘘だったと本人が……」


 婚約者にだけはちゃんとしていると思っていたのだが……と頭を抱える。

 後妻との折り合いが悪く、普段は別邸で暮らしているのもあり、気づくのが遅れたとリカルドの父は弁解する。

 最近では、あんな後継者では今後のつきあいは考え直そうと、家の評判も落ちはじめていた。

 おそらく、その話を耳にしたせいもあるのだろう。


「このままでは我が家の評判も危うくなると、妻も言う。幸い、彼女との間に生まれた息子がいる。まだ幼いが、その子にあとを継がせることにした」

「……それは、こちらには関係ないことですわ」


 黙ったままだったアメリエンヌの母が、口を挟む。

 後妻、と聞いた瞬間、ぎゅっと眉も寄っていた。


「わたくしにとって大切なのは、娘をどうするおつもりか、それだけです」


 じっと見つめられて、リカルドの父は居心地が悪そうにする。

 だが、答えは決めてきたのだろう。


「婚約は解消させてもらいたい。前妻の願いとはいえ、今まで愚息に縛りつけてしまい、本当に申し訳なかった……!」


 再び頭を深く下げる。

 後妻との間に生まれた息子はまだ十歳。

 社交界デビューをすませたアメリエンヌとは、婚約は無理ではないが年の差は大きい。

 兄から弟へのすげ替えというのも、貴族たちの噂話になり、肩身の狭い思いをすることは明らかだ。


「勿論、慰謝料はお支払いする。新しい縁談も、良縁をなんとしても探してみせる!」


 同じ年ごろの令息は、ほとんどが結婚ずみか婚約者がいる。

 生まれたころからの婚約だったために、他家から声がかかったことはないが、気立てのよさから「リカルドには勿体ない」と本気の声音で言われたことは一度や二度ではない。

 その気になれば、良縁はまだ見つかるだろう、というのがリカルド父の予想だった。


「……そちらのお気持ちはわかりました」


 机に額をつける勢いのリカルドの父を見て、アメリエンヌの母も誠意は感じたらしい。

 いくらか怒気のおさまった声に、場の雰囲気がいくらか緩む。


「ですが、今のあの子に縁組みは酷というもの。しばらくはそっとしておいてもらえませんか?」

「勿論だとも! 詳細を詰められるようになったら、即対応するので」


 証文をつくってもかまわない、というリカルドの父に、アメリエンヌの父も鷹揚に返す。

 使用人が入れ直したお茶を飲む余裕も生まれてきた。

 一息ついたところで、そういえば、とアメリエンヌの父が疑問を口にする。


「廃嫡して、その後はどうするんだね?」


 手続きとしてすませることと、実際にどういう対応をとるかはまた別の話だ。

 娘と赤の他人になるとしても、近くにいられてはたまらない。


「領地に蟄居させるつもりだ。きつめの仕事を与えて、逃げられなくしておこうと」


 領地は王都から馬車で数日の距離にある。

 途中で山を越えるため、ドルツ領は少々不便な土地だ。

 シドファ家の領地は王都を挟んで反対側なので、うっかり会うことはない。

 夫婦は安心したように、それなら、と顔を見合わせた。



 それから数日後、社交界はあるニュースで持ちきりになった。

 大急ぎで行われたリカルドの廃嫡と、跡継ぎの変更届。

 受理の翌日には、質素な馬車がひっそりと邸を出て行った。

 ここまでは、概ね予想できたことだ。


 ──だが、数日後。

 馬車は山あいの崖から転落してしまったと続報が入った。

 きちんと整備された道のはずだが、状況が状況だ、誰もが疑問を浮かべても、表だっては口にしない。

 ただ、当主の嘆きは相当なもので、葬式も盛大に行われたため、不幸な事故だろうと周囲は判断した。


 さらにその後、アメリエンヌがこちらもひっそりと、自身の領地へ静養にむかった。

 己に過失がなくても、すぐに社交界に出る気にはなれないだろう。

 まして、不当な扱いを受けたとはいえ、長い間婚約者だった相手の突然死まで加わった。

 貴族たちはセンセーショナルな経緯に大いに同情し、同時におおいに楽しみもした。


 けれどそれもしばらくすれば、また新たな話題に変わっていくのだった。



◇◇◇◇◇◇



「のんびりお茶が飲めるって、最高ね」


 アメリエンヌは昨日の昼ごろ、王都からここ、シドファの邸へ到着した。

 少しだけ寝坊し遅い朝食をすませ、今は庭の見える部屋で食後のお茶を楽しんでいる。

 そこへ、執事がやってきた。


「お嬢様、お連れしました」


 慇懃に礼をすると、執事は扉こそ開けたままだが、来訪者を置いて出て行ってしまう。

 部屋にはアメリエンヌともう一人だけとなった。

 彼女は「彼」の顔を見て、ぱっと表情を明るくする。


「よかった、元気そうで」

「ああ、きみも」


 対面の椅子を勧めると、彼は一瞬悩んだようだったが、アメリエンヌの表情にわかった、と呟き着席する。

 彼女は笑顔のまま、手ずから彼にお茶を用意していく。


「……今のぼくはリカルドではなくただのリクだから、きみと同席するわけにはいかないんだけど」


 身につけている服は、せいぜい商家の息子程度で、貴族の着るものではない。

 立場的には、令嬢と使用人という状況だ。

 ゆえに、彼の言い分はもっともなのだが、アメリエンヌはどこ吹く風だ。


「邸のみんなも、扱いは変えてないわよね? 私も、いつもどおりにするわよ」


 紅茶の入ったカップをリクに渡し、一緒に砂糖も。ミルクはつけない。

 リクは庶民と誤魔化せない優雅な手つきでカップを持つ。

 一口飲んでふ、と唇をほころばせる。好きな銘柄なのだから、当然の反応ではある。

 それでもリクの表情を見て、彼女もさらに嬉しそうに微笑んだ。


「それにしても、ここまでうまくいくとは思わなかったわね」

「ああ、もう少し粘られる可能性を考えていた」


 おかげで時間がかからなくてよかった、と二人してうなずきあう。

 それから、アメリエンヌはじっとリクの全身を眺めた。

 どうかしたのか、と首を傾ける彼に、


「馬車の事故は見せかけと聞いていたけど、本当に怪我はないのね?」


 見える範囲に包帯や、傷はない。

 けれど、打ち身などの可能性もある。

 不安げなアメリエンヌに、問題ない、ときっぱり断言した。


「流石シドファの騎士だ、上手に工作してくれた」


 ドルツ領への到着予定日になっても音沙汰がなく、捜索に行けば道中の崖にいくつかの痕跡。

 崖下に微かに見える馬車のようなものとなれば、完璧だ。

 廃嫡した息子だから、死亡していても、言葉は悪いが困らない。

 捜索しても死体は見つからないが、魔物や獣に食われたと考えるだろう。


「きみのご両親には本当に感謝しているし、彼も、騎士の身分を捨てて下男として働いていたのに、文句ひとつなくよくしてくれた」

「いいのよ、うちはなんでもやるのが信条なんだから」


 シドファの領地は資源に困らないが、代わりに平地が少ない。

 領主館の大きさもこぢんまりとしたものですませているほどだ。

 不便な立地なので、誰もがやれることは自分でやる、という意識が強い。


「本当は直接、お礼を伝えたいんだが……」


 リクと名を変え、髪の毛を染め、髪型も変えているが、見る者が見れば気づいてしまう。

 時もたっていない今、危険を冒してまで王都へもどるわけにはいかない。

 アメリエンヌの両親は仕事もあるし、リカルドの父の動向を確認するためにも、王都にとどまっている。

 領地にもどる予定はかなり先の予定だ。

 だが、彼女はいいのよ、と首をふる。


「お母様は約束を果たしただけだし、お父様はこんな迂遠な手しか使えなくてすまないって気にしていたわね」


 ──そもそもは、二人の母が親友だったという、わかりやすいもの。


 ほぼ同時期に婚姻を結び、ほどなく懐妊、生まれた赤ん坊は男と女。

 じゃあ、将来この子たちを結婚させましょう、と進んだのは、ごく自然のなりゆきだった。

 家格もつりあっていたし、領地は王都を挟んで反対、つまり、双方の領地付近とのつながりが薄い。

 結婚によって関係がつくれるから、実利的な意味でもいい縁談となり、夫たちも賛成した。

 そのまま進めば、なんら問題はなかったのだが。


「……きみも、きみのご両親も、ずっと変わらないな。あの時と同じことを言っている」

「あの時?」

「母が亡くなったあと、はじめてきみの家に呼ばれた時」


 当初、夫婦は二組とも、仲むつまじく暮らしていた。

 しかし、リカルドの母に病が見つかり、治療不可の診断が下りると状況は一変する。

 病の進行により弱っていく妻に相対する勇気を持たなかった夫は、邸に帰らなくなり、他の女のもとへ通いはじめた。

 息子の身を案じた彼女は、見舞いにきたシドファ夫妻に、リカルドのことを守ってほしいと頼んだのだ。

 二人は勿論と快諾し、ほどなく彼女は身罷った。

 喪が明けるとすぐ、ドルツ家には新たな女主人が入った。──しかも、大きなお腹をさすりながら。

 リカルドは母が療養していた別邸にそのまま残り、本邸にリカルドの父と後妻が暮らすようになった。

 それを知ったアメリエンヌの母は、リカルドをシドファ邸に招待する。

 喪中だからと気を遣っていたのにバカバカしい、と叫んでいたことは、アメリエンヌも覚えている。


 やってきたリカルドは、淡々としていた。

 お手本のような弔問への返答まで完璧にこなす。

 悲しみが大きすぎるのかと心配している三人に、彼はこう問うたのだ。


「『あなたさまはドルツ家の後継者。ですから勉強など必要ありません、面倒なことは命令してやらせればいいのです』と新しい家庭教師に言われたのですが、今まで教わったことと違います。どちらが正しいのですか?」


 そのあとのシドファ邸は、ちょっとした騒ぎになった。

 十にも満たない子供が使うとは思えない言葉の数々は、逆に信憑性があった。

 また、寸分違わず発言を覚えていることも、捨ておけないものだった。

 教師の言うことは間違っている、と断言したアメリエンヌの両親だったが、ここで表沙汰にしても効果は期待できないこともわかっていた。

 ほぼ確実に、新しい教師は後妻の采配だろう。

 だが、指摘しても、子供の内容を鵜呑みにするのか、と返されればそれまでだ。

 迂闊な立ち回りで婚約解消されれば、介入が不可能になってしまう。


「あなたの固有能力がものすごい記憶力でよかったわね。でなきゃ、週に一回の勉強でまにあうわけないもの」


 アメリエンヌの両親は、前妻の遺言だからと婚約を正式にとりつけた。

 これにより、堂々とリカルドを邸に招くことができる。

 両親の名も使い、まめに彼を招き、聞き取りをした結果、やはりリカルドの家庭教師はまともな授業をしていないと知れた。

 おべっかやおだてるばかりだというから、鵜呑みにすれば愚かな息子のできあがりだ。

 これではいけない、とシドファ家はリカルドに教育をする決意をした。

 シドファ邸に到着したら、アメリエンヌの家庭教師に、その年頃の男子が学ぶべき課題を詰めこんでもらう。

 別邸にはリカルドの父も義母も近づかなかったから、参考書は持ちこめたので、基礎を学べばあとは本で補えた。

 図抜けた記憶力だけでなく、本人の努力もあり、勉強は順調に進んでいった。

 ただ、それを後妻に気づかれてはならないので、事実を知るのはシドファ家だけ。


「あなたのお父様に本当のことを言えないのは申しわけないけどね……でも、あなたが熱を出した時も、お任せします、ですませたかただから、やっぱり教えたくないわね」


 当時を思い返して憤慨するアメリエンヌに対し、リカルドは落ちついたままだ。

 彼の持つ固有能力──記憶したいものを完璧に記憶し、任意に引きだせる能力は、有用だが負担も大きい。

 能力が定着しきらない子供のころは、使いかたも習熟できない。

 そのため、学習したてのころは、詰めこみすぎて熱を出すことも多かった。


 この状態で別邸に帰すほど、シドファ家は残酷ではない。

 邸の使用人は味方でも、医者を呼ぶ許可が得られるかは疑わしい。

 発熱の理由に勘づかれてもまずい。

 だから何度か、そのままシドファ邸に泊めたことがある。

 母の名前でその旨を連絡すると、使者が運んできたのは簡素な手紙ひとつ。

 最低限の礼儀だけは守っていたが、よろしくお願いしますという文言くらいで、息子を気遣う言葉はなくて。

 後妻の目があったにしろ、これはない、というのが一家の感想だった。


「気にしなくていい。ぼくが母様に似ているから見たくないくせに、罪悪感で嫡男にはすると言うような人間なのだから」


 リカルドは肌身離さず持っているロケットペンダントを、シャツの中からひっぱりだす。

 ドルツ家からは身一つで出てきたが、これはアメリエンヌの母が贈ったものなので、問題にはならない。

 中にある小さな肖像画は、亡き母を描いたものだ。

 後妻によって、リカルドの母を描いたものはすべて処分されてしまった。

 だから、彼が所持しているのはこれだけだ。

 シドファ家には大きな肖像画があるので、勉強の合間、彼がそれを眺めていたのを覚えている。


 不作法だが、ひょいとテーブルに乗りだして肖像画を共に眺める。

 彼の言うとおり、リカルドの母は、彼によく似た面差しで微笑んでいる。

 うっすらとしか記憶にないが、やさしいひとだった。

 娘ができて嬉しいと喜んでくれていたのに。


 今でもアメリエンヌの家では、親子が日に一度は顔を合わせる。

 忙しくない日は食事を共にすごすことも当たり前だ。

 悩みがあればすぐに話せる環境でもあり、比べるとドルツ家は違和感ばかりだ。

 いくら後妻の目があるからといって、ここまで放置するなのかと。


「跡を継がせるつもりなら、なおさら、ちゃんとむきあうべきだったのにね……」


 おかげで計画が実行できたし、あっけないほどうまく進んだのだが、納得はできかねる。

 むすっとしているアメリエンヌに、リカルドが小さく笑った。


「なぁに?」

「いや、アメリはいつも怒ってくれたから、嬉しかった」


 リカルドの教育はできても、ドルツ家の問題は解決していない。

 そもそも、どうすることが最善なのか。

 社交界デビューの年になった折に、シドファ一家──アメリエンヌと両親と兄、リカルドの間で相談がなされた。

 このくらいの年齢になれば、自分で考えることもできるだろう、という判断からだ。

 跡継ぎには決まっているので、このまま爵位を継ぎ、そこでリカルドの父と後妻を領地にでも押しこむ案が一番妥当ではある。

 だが、自分の息子を後継者にしたい後妻が黙っているとは思えない。


「──ぼくは、ドルツ家を継ぎたくありません」


 なにより、ここ数年で父に見切りをつけたらしいリカルドがはっきり宣言したことで、この案は却下された。

 一応リカルドは何度か、父に相談しようとしたという。

 だが、腹を割って話すどころか、後妻に呼ばれれば、すぐ会話を打ち切る。

 対話にはならず、一方的に「後継者として励むように」と言われるばかり。

 その時の会話を一言一句逃さず喋るリカルドに、シドファ家は何度目かのため息をついた。

 このころには彼の能力も安定していたし、真偽を疑うこともない。


「私も会うたびリカルド君の様子を聞いていたら、あからさまに避けられるようになったしね……」


 どうしようもないね、とアメリエンヌの父がため息を吐く。

 リカルドの父を味方に引きこむのは、やはり無理だと判断するしかない。

 そこでリカルドが、アメリエンヌの両親を見つめて、頭を下げた。


「……今、ぼくがドルツ家を出ても、生きていけません。虫のいいお願いですが、もうしばらく、ぼくを助けてください」

「私からもお願い、リカルドをこのままになんて、したくない」


 懇願する子供二人に、当然だとも、と返す両親。

 逃げるだけなら簡単だが、その後の生活は立ちゆかない。

 とりあえず、表向きは今までと同じく凡愚を演じることにした。

 ただし、社交界デビュー後から少しずつ、リカルドの行動は変わっていく。

 婚約者に会いに行くと言って邸を出て、彼女の家で、今度は市井で生きる方法を学んでいく。

 アメリエンヌも一緒になって、洗濯、掃除、庶民の金銭感覚を覚えていった。


 ひととおり学んだら、今度は街へ出かけていく。

 別邸の使用人は古くからいる者たちと、シドファ家からとわからぬよう細工して入った者なので、全員が味方だ。

 彼らは後妻から金をもらって裏切るフリをして、リカルドが街で遊び歩いていると報告する。

 後妻の監視がついてきた時は、わざと無駄遣いをしたりして、信憑性を高めておいた。


 そんなふうに、リカルドはろくでなしを偽装して廃嫡を狙っていたのだが、なかなか父は決断しない。

 痺れを切らしたのだろう、後妻はリカルドがよく行く街の食堂に、見目のよい娘を送りこんできた。

 店の主には事情を話してあったからすぐ気づけたし、あからさまな態度は誰の目にも怪しかった。

 だが、それがちょうどいい。

 リカルドはまんまと術中にはまったフリを開始する。

 この娘に入れこんで駆け落ち未遂でもすれば、流石に廃嫡されるだろう。


「ダメよ」


 ところがまさかの、アメリエンヌの母から計画を却下された。

 どうして、と二人は顔を見合わせる。

 女に惚れたというのは嘘で、どうとも思っていないのは明らかなのに。


「ただの廃嫡では、ドルツ家は──あいつらは痛くもかゆくもないじゃない」

「お母様、私も腹が立つけど、なにか方法はあるの?」

「それを今から考えるのよ」


 憤懣やるかたない母に、追従する娘。

 穏便にいこうなどと言える男性陣ではなかった。

 あれこれ考えたが、ドルツ家の評判を落とす程度で妥協することになった。

 あまりやりすぎるとこちらも痛手を負うし、罪のない領民まで困らせてしまう。


 市井の女にうつつを抜かしているという噂は、貴族の間にも広まっている。

 シドファ家とドルツ家が意図的に流しているからだ。

 さらに家の金で女にドレスを買い、貴族の集まる場所──夜会などに連れて行けばいい。

 これを繰り返せば、見栄と虚栄の貴族社会、すぐさま冷笑の的だろう。

 信頼が回復不可能なほどになっては、後妻も都合が悪い。

 適当なところで動きがあるはずだ。


「ただ、アメリを巻きこんだのは──」

「またその話? 一人でなんてさせないって、何度も言ったわよね」


 この計画に否を唱えたのはアメリエンヌだった。

 市井の女を夜会に入れるのはなかなか難しい。

 まともな門番なら押し返してしまう。実際、押し通せなかった。

 騒ぎを起こすだけでも悪評は広まるが、どうせなら公然の証拠がほしい。


 ──だから、アメリエンヌは婚約破棄をつきつけるのはどうかと提案した。


 ただ、これには問題がある。

 アメリエンヌの評価も変わってしまうという点だ。

 だからリカルドは止めようとしたのに、シドファ家は許可を出した。

 助力を請うているリカルドの立場では強く言えず──あの茶番劇が開演された。


 婚約破棄されたアメリエンヌを叱責する者は少ないと予想していたし、事実、もらった言葉は同情ばかりだった。

 けれど、公の場で恥ずかしい思いをしたことには変わりない。

 アメリエンヌも、会場中からの視線は流石に震えたし恐ろしかったが、おかげで信憑性が上がったと思っている。

 夜会の主催にも、シドファ家として詫びを入れる必要があったが、これは両親が任せろと頼もしかった。

 一時の恥ずかしさなど、今の晴れ晴れとしたリカルドを見れば些細なものだ。


「それで、これからどこで働くことになったの?」


 リカルドにはこのままシドファ領で働いてもらいたい、というのが一家の願いだ。

 領内の内政だけなら、名を変えてしまえば気づかれる可能性は低い。

 優秀な彼を手放すのは惜しい、という理由もある。


「もう少し色々覚えたら、西大陸へ行こうと思う」

「え?」


 ところが、リカルドから予想外の答えが出た。

 隔ての山と呼ばれる山脈のむこうがわは、長らく行き来ができずにいた。

 近年、細い道が発見され、少しずつ交流がはじまっている。

 だが西は人間ではなく、魔族が住む場所であり、まだ忌避感が強い現状だ。

 西側からは人族の知識や技術がほしい、という要望があるので、国として動いていく予定だが、まだ先の話。


「簡単に行けるものなの?」


 国がらみとなると、正体がバレる可能性がある。

 道は現状二カ所しかない、道には検問もあるはずだ。

 正規の手段をとらなければ、西大陸へは侵入不可能になっている。


「調べてもらったんだけど、とにかく人手が足りないから、行きたいと希望すれば通してくれるらしい」

「へぇ……そうなのね」


 こちらに残る神話では、西大陸は神が失敗作を捨てた場所、と定義されている。

 人間の姿をした者は少ないという話もあるから、事情がある者しか行こうとは思わないようだ。

 両親──では大仰だから、代官あたりに身元保証で一筆書いてもらえば、すんなり進むだろう。

 貴族が関わっていないなら、ちょうどよくもある。


「大抵の仕事は覚えればできるから、なんとかなる。……荒事は苦手だけど」


 記憶の能力を持つ彼らしい言葉に、そうね、とうなずく。

 事務能力にも秀でている、だからこそシドファ家も、補佐を頼むつもりだったのだ。

 彼の言うとおり武術に関しては記憶だけではどうにもならず、型だけ完璧という有様らしい。

 とはいえ、住人を募集しているくらいだ。ある程度の安全は担保されているはず。

 どんなところかわからないが、周囲の目を気にせず行動できるなら、リカルドにはよさそうだ。


「いつ行くの? 私もそれまでに準備しなきゃね」


 両親への連絡、持っていくものの準備、市井での暮らしの復習。

 アメリエンヌの記憶力は普通だから、見直しは重要だ。

 やる気に満ちて顔をあげると、ぽかんとしたリカルドの珍しい表情。


「どうしたの?」

「いや……え? アメリも行く?」

「当然でしょ?」


 あっさりと答えてみせたが、内心は穏やかではない。

 だが、この機を逃すわけにはいかないのだ。

 リカルドは視線を左右させて、ひたすらに困惑している。

 嫌悪の表情はないことが、アメリを少し安心させた。

 珍しく言葉が出てこないようなので、こちらからたたみかけることにする。


「一緒に行くわ。だって私、リクのことが好きなんだからね」


 どもらずに告白できた、と満足する。

 ちゃんと目線も合わせたし、完璧だ。

 リクはさらに数秒ぽかんとしたままだったが、じわじわと頬が赤く染まる。

 つられてアメリの頬も熱くなってきた。


「……アメリ、格好いい」

「最初の言葉がそれなのね? 格好いい私じゃ駄目だった?」


 やがてため息と共に落ちた呟きに、つい口を尖らせてしまった。

 告白の返事でないどころかだ。

 無意識の呟きだったのか、リクは少し慌てている。


「いいや、どんなアメリだっていい。かわいいところも、綺麗なところも、負けず嫌いなところも、全部」


 ずば抜けた記憶力を持つ彼らしい言葉に、一体なにを思いだしているのか、アメリはちょっとひっかかる。

 幼いころのあれこれは、できれば削除してほしいのだが。

 消去を頼むべきか悩んでいると、リクが急に椅子から立ちあがった。

 なにごとかとアメリも続くと、近づいてきたリクが、躊躇うことなく彼女の前に膝をついた。


「ぼくは貴族じゃなくなるから、きっと苦労をかけてしまう。でも、ぼくも君が好きだ」


 見上げてくる瞳は真剣で、たしかな熱がこもっている。

 婚約破棄を演じた夜会とは違う、本当のリクだ。


「アメリ、ぼくの恋人になって。そして、一緒に西大陸に行ってください」

「そんなの、喜んで以外ないわね!」


 勢いよく返事をしたアメリを、リクはそうっと抱きしめた。

 婚約者時代は、抱擁などしたことがなかった。

 ほんの小さいころ、体調が悪く震える彼を守ろうとした時以来かもしれない。

 いつのまにか背を追いこされ、肩幅も違って、こうしていると力強くて、男のひとなのだと実感する。


「結婚の申し出は、また今度にするから」


 身体を離してから、ちょっとふてくされた顔で宣言される。

 どのみち結婚する気だから、べつに気にしないが、なにか不都合があっただろうか。


「……今ぼくがプロポーズしたら、君の告白に先を越されて言ったみたいになる。そうじゃなくて、ちゃんとしたものにしたい」

「わ、わかったわ」


 正直どんなプロポーズでも嬉しいし感動する自信があるが、多分、ここは黙っておくべきだろう。

 ムキになるところがかわいい、という感想も拗ねそうなのでやめておく。

 いつ、どんなものになるのか、楽しみが増えた。


「……それにしても、私『いってらっしゃい』って送りだす薄情者に見えたのね?」


 椅子にすわりなおしてから、アメリが聞くと、リクは再び慌てだす。


「違う。跡を継ぎたくないと決めた時点で、貴族でなくなることは決まったも同然だから、きみとは身分差ができてしまう。だから、望んではいけないと思っていた」


 それでなくとも、返しきれない恩を受けているのだし、と続く。

 リクがそう言うだろうことは、アメリも気づいていた。

 身を引かれては色々な意味で困るから、悟られないよう気をつけていたのだ。

 先ほどの発言は、自分もなかなかの女優だったなという自己評価も入っていたりする。


「私も、あなたが好きって言ったら、嫌なのに跡を継ぐって決めかねないと思ったから、隠していたのよね」


 アメリに生活の苦労をさせないために、不本意でも爵位を継ぐかもしれない。

 貴族のままでも、リカルドは生きていけるだろう。

 だが、彼らしいかというと、決してはそうではない。


「あなたが苦しくない場所で生きて、私はその隣にいたいのよね。だから、西大陸はちょうどいいわね」


 二人の事情を知る者はほぼいない。

 貴族らしさが抜けきらなくても、多分、なんとかなる。

 考えれば考えるほど、おあつらえむきだ。


「だから、一度も好きとか言ってくれなかったのか」

「ええ、だってリクは覚えているから」


 この場合、彼の飛び抜けた記憶力は、足枷にしかならないと判断したのだ。

 今の反応を見るに、決して間違っていなかったと思う。

 普段は家族のように接することに専念して、だから、リクのほうに恋情がなかったらどうしよう、という不安はあった。

 けれど、彼もアメリを愛しく思ってくれていたとわかれば、もう本当に、気に病むことはなにもない。

 振られたらどうしようと悩んでいた日々に比べたら、西大陸での生活への不安は些細なものだ。

 だって、ひとりではないのだから。


「ああ、安心したら、お腹すいちゃったわね」


 恥ずかしそうに呟くと、ちょっと待ってて、とリクが部屋を出て行く。

 すぐにもどってきた彼は、クッキーの載った皿を机に置いた。

 使用人みたいなことしなくていいのに、と複雑な気持ちになりつつ、一枚を手にとる。


「……おいしい!」


 装飾もなにもない、素朴な丸いかたちだが、味はとびきりだった。

 焼き加減もばっちりで、いくらでも食べられそうだ。


「よかった。お菓子作りは成功させやすいから、西大陸でもつくるよ」

「これ、リクがつくったの?」

「そう。お菓子は計量をすれば、毎回ほぼ同じものができるから、得意になった」


 なるほど、記憶力の有効活用というところか。

 味は菓子屋を名乗って十分やっていける質のよさだ。

 彼は順当に、自分の能力が活躍できる仕事を見つけている。


「……ただ、料理は少し苦手だ」


 少ししょげて、正直に自己申告してくる。

 基本的な調理方法でつくれば、失敗は少ないが、同じ味の保持は難しいのが料理だ。

 だが、リクはその能力のせいもあってか、機転を利かせることがしづらい傾向にある。

 たとえばその場に小さじが見当たらない時、アメリは別のスプーンで代用できるが、彼は少し悩んでしまう。


「そっちは私にまかせてね」


 なんとなく調味料を入れて味を調えるのは得意なほうだ。

 食べることが好きだから、というのもあるだろう。

 ちょうどよく役割分担もできるほうがいい。


「でも、お菓子作りも練習するわね。リクにおいしいって言ってもらいたいものね」


 リクが正確さで打って出るなら、こちらは見た目で勝負するのも手だ。

 味に大差ないならと、彼はあまり飾りたてしないのだ。

 本体をリクに焼いてもらって、アメリがデコレーションするのも一案だ。

 西大陸での生活にあたって、強みは多いにこしたことはない。


「楽しみだ、すごく」

「そうね!」


 心の底から笑ってくれるリクに、笑顔を返して、もう一枚クッキーを手にとった。


 なろうによくある婚約破棄ネタを、自分が書いたらどうなるか。でした。

 読んでいただき、ありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
>web拍手<

― 新着の感想 ―
読み始めたら、後半は違う方向になり、さすがでした。 よくあるタイプのお話もひねりがきいてるといいですね。 面白かったです。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。