忘れられた加護を持つ少女は、辺境を楽園に変えるようです
忌々しいくらい、初夏の陽射しがまぶしかった。
一流の庭師が手がけたという王宮の中庭は、まるで楽園そのものだ。
今日が品評会でなければ、この景色を気兼ねなく楽しむことができたのに……。
すでに赤い絨毯が敷かれたステージを、着飾った貴族たちがぐるりと囲んでいる。
皆の視線は、上段の特別席に座る二人の王子様に釘付けのようだ。
燃えるような赤髪の第一王子、カイゼル殿下。
騎士団の象徴と呼ばれ、国内の軍閥貴族を束ねる御方。
その隣には、淡い金の髪に謎めいた笑みを浮かべる第二王子、グリフィス殿下。
魔術塔や政務官からの支持が厚く、とても聡明な御方なのだとか。
控え席のあちこちから、令嬢たちの弾んだ声が聞こえてきた。
「ねぇねぇ、聞いた? 今年は両殿下の婚約者選びも兼ねてるんですって」
「まぁ! じゃあ、今日選ばれたら王子妃に……!」
……その気持ちは、わかる。誰だって夢を見たいもの。
この世界の女性は、成人を迎えると世界樹アルセリアから開花の加護を授かる。
その力で咲かせた花には、奇跡の力が宿るのだ。
もしも、優れた奇跡を示すことができれば、たとえ平民であろうが、一夜にして上位貴族からの縁談が舞い込むことも珍しくない。
そう、優れた奇跡さえ示すことができれば……。
でも、私には——。
膝に乗せた植木鉢を、ぎゅっと抱きしめる。
小さな黄色い花が、風に揺れた。
緊張で心臓が早鐘を打っている。
喉の奥が渇いて、唾を飲み込むことさえ難しい。
『ノベルシュタイン公爵家、エレオノーラ嬢! 花はインペリアル・リリィ!』
壇上から司会者の声が響いた。
エレオノーラ様がステージに上がると、皆が息を呑んだ。
彼女自身の美しさもさることながら、胸に抱いた白百合の花は、神秘的な燐光を放っていた。
『宿す奇跡は<皇帝の祝福>! 周囲の人間の魔力を大幅に増強します!』
「す、すごい……!」
「これは王太子妃はエレオノーラ様で決まりね」
うん、あの人は本当にすごい……。私なんかとは、何もかもが違う。
続いて登壇したリズモント侯爵家のセレスティーヌ嬢の花も輝いていた。
花はゴールデン・マーガレット、宿る奇跡は<黄金の結界>……周囲から感嘆の声が上がり、カイゼル殿下も満足げにうなずいている。
やっぱり……私なんて場違いだ。
『最後はヴェルデライト伯爵家、クロエ嬢! 花は……た、タンポポ⁉』
よ、呼ばれた――!
脚が震えて、階段を上がるのも必死だった。
一段、また一段……みんなの視線が刺さる。
まるで背中に無数の針を突き立てられているようだ。
恐る恐るテーブルに鉢を置くと、話し声がぴたりと止まった。
水を打ったように静まり返った会場に、リズモント嬢の声が響く。
「ふふっ、まぁ、可愛らしいこと。でも、これは道端の雑草じゃなくて?」
「い、いえ! そ、そんなつもりでは……」
頬が熱い。恥ずかしさで全身が燃えるようだ。
「えー、クロエ嬢、本当に……これでよろしいですか?」
司会が困ったように笑う。
「は、はい……」
どっと笑いが広がった。
視界が滲む。涙が零れそうになるのを必死で堪える。
「ハッハッハ! ヴェルデライト家も落ちたものだな!」
カイゼル殿下の豪快な笑い声が響く。
誰もが笑う中、グリフィス殿下だけが、黙ってタンポポを見つめていた。
憐れみ? それとも好奇心? 理由はわからない。
私はただ、この時間が終わることだけを願っていた。
* * *
品評会が終わった。
私の花は存在しなかったことにされた。
当然だ……肝心の奇跡が宿っていないのだから。
結果、エレオノーラ様が堂々の一位。
カイゼル殿下にエスコートされ、万雷の拍手の中を去っていった。
誰もいなくなった会場。
私は膝をついて、しおれかけたタンポポを見つめる。
「ごめんね……」
声が震えた。
タンポポに謝っているのか、自分に謝っているのか、それさえもわからなかった。
「一緒に帰ろっか」
鉢にそっと声をかけたその時——影が差す。
「花に罪はないよ」
顔を上げると、そこにはグリフィス殿下がいた。
「あ、あばばば! で、殿下っ! ご、ご機嫌麗しゅ——」
何も言い終わらないうちに、殿下は背を向けた。
でも、去り際にもう一度だけ、タンポポに視線を落とす。
その表情は——柔らかかった。
まるで、何か大切なものを見るように。
「……私は綺麗だと思う」
小さく、そう呟いた気がした。
私の聞き間違いかも知れない。
何か他のことを仰ったのかも……確信が持てない。
「あ……」
私はスカートから手を離し、大きくため息をついた。
挨拶すらまともにできなかった……。
私はタンポポに目を向ける。花に罪はない、か。
うん、そうだよね。悪いのは、私の加護が弱いせいだ。
世界樹アルセリアに愛されなかった、それだけのこと。
もしかしたら、殿下が褒めてくださったかもしれない。
それで十分だ――。
私は鉢を抱え、ひっそりと会場を後にした。
* * *
「ただいま戻りました……きゃっ⁉」
居間の扉を開けると、飛んできたワイングラスが私の足元で砕け散った。
赤い液体が床を伝い、私のドレスの裾を染める。
「聞いたぞ……クロエ……! この、恥さらしが!」
「も、申し訳ございません……!」
父、コーエンは肩で息をし、顔を紅潮させている。
私は必死で頭を下げた。
「カリーナは素晴らしい花を咲かせたというのに……クソッ!」
母カリーナは、私を産んですぐに亡くなってしまった。
母が咲かせた花の奇跡は<豊穣>——とても強力な加護だった。
その力は伯爵領を国内有数の穀倉地へと変え、ヴェルデライト家を強固な地位へと押し上げた。
父の怒りは無理もない。
その母から、こんな出来損ないが生まれたんだもの……。
しかも、私は父から母を奪ってしまったのだから……。
「もう、お前を王都へは置いておけん……クロエ、お前にバスラールを任せる」
「えっ……⁉」
心臓が止まりそうになった。
バスラール領——魔王戦争の跡地。
かつて魔王が放った大規模魔法の影響から、草一本育たぬ不毛の荒野となっていた。
「父上、さすがにそれは……!」
兄のノーマンが父の腕を掴もうとするが、父はそれを振り払った。
「頭を冷やせノーマン! お前が真に考えるべきはヴェルデライトの名であって、クロエのことではないだろう!」
「……」
兄は目を伏せ、口をつぐんだ。
父は私に向き直る。
「好きにやれ。成果を出せば……戻ることを許してやる」
成果など出るはずがない。
母の加護でさえ変えられなかった辺境地で、奇跡の宿らぬタンポポしか咲かすことのできない私に何ができると言うのか……。
「……二度と戻るなということですね」
私の言葉に、父は何も言わず背を向けた。
「明日の朝、発て——」
「……わかりました」
私は父の背に頭を下げ、静かに自分の部屋へ戻った。
* * *
その夜、兄ノーマンが私の部屋を訪ねてきた。
「お兄様……」
「少しだけいいか?」
「ええ、どうぞ」
兄は部屋に入ると、私に頭を下げた。
「——クロエ、本当にすまない!」
「やめてください、お兄様に責任はありません。全ては私の力不足によるもの……だから、本当に気になさらないで」
「……」
兄は私にそっとハグをした。
あたたかい。小さい頃と同じ匂いがする……。
胸の奥が熱くなって、涙が溢れそうになる。
「クロエ……いいか、もし、眠れないくらい寂しくなったら、夜空を見上げるんだ」
「夜空、ですか?」
そう答えたとき、兄の胸が震えていることに気付いた。
思わず抱きしめる手に力が入ってしまう。
「お前が星を見るとき……僕も同じ星を見ている。寂しくなんかないさ」
「……ええ、覚えておきます」
* * *
——夜が明ける。
朝の冷たい空気で頬が引き締まった。
用意された馬車に乗り、私は旅行鞄ひとつでバスラール領へ旅立つ。
車窓から小さくなる屋敷を見て、思わず涙が零れた。
駄目だ駄目だ、気弱になったら駄目!
きっと大丈夫!
何度も自分に言い聞かせ、タンポポの鉢を膝の上に置いた。
「夜空を見上げるには、まだ早すぎるものね」
私はそうタンポポに話しかけ、流れる景色に目を移した。
* * *
馬車が止まった。
「あっしはここまでです。どうかお達者で……」
「ええ、ありがとう。お兄様によろしく伝えて」
御者に礼を言い、降り立った瞬間——息が詰まった。
空気がざらついている。見渡す限りの荒野だ。
地面は乾燥してひび割れ、およそ色を持った物は見当たらなかった。
灰色と茶色だけの世界。
生命の気配が、まるでない。
領民らしき人は誰もいない。小動物の影すらなかった。
しばらく歩くと、古い館がぽつんと建っていた。
石造りの壁は所々崩れかけ、窓ガラスは割れている。
「まあ、住めるだけありがたいわ……」
うん、前向きに考えよう。
中に入ると、聞いていた通り、水と食料の備蓄があった。
最低限、生きていくことはできそうね。
「さて、と」
私は袖をまくり上げた。
悩んでいても仕方がない。まずは、ここを住める場所にしなくては。
館中の窓を開け、空気を通す。
スカーフでマスクをして、つもりに積もった埃を払っていく。
咳き込みながら、床を、壁を、家具を拭いていく。
気がつけば手は真っ黒になっていた。
二階の陽当たりの良い角部屋を選んで、集中的に掃除した。
よし、これで、何とか寝る場所は確保できたわね。
一休みしようと壁に凭れた瞬間——ガコッという音がした。
「えっ⁉ な、何……⁉」
壁のレンガが一個だけ凹んでいる。
ふと見ると、本棚に隙間が出来ていた。
「何だろう……」
隙間に手を掛けると、それは扉になっていた。
「隠し部屋⁉」
恐る恐る中を覗くと、そこは書斎だった——。
薄暗い部屋。中に入ると勝手に明かりがついた。
見ると、壁の四隅に小さな魔方陣が描かれていた。
あれは、劣化防止の結界……?
王立図書館にあったものに似ている。
本棚に並ぶ本をざっと見ていく。
殆どが植物に関する文献のようだった。その中で、一冊の本に目がとまる。
「う、嘘でしょっ⁉ こ、これ、アルス・マグナ・ボタニカの初版本じゃないっ⁉」
ということは、少なくとも四百年以上前……?
その割に状態が良い……やはり魔方陣のおかげか……。
見ると、机の上に開かれたままの本があった。
息を吹きかけ、薄く積もった埃を払う。
「魔法……植物大全……?」
魔法植物? 聞いたことがない。
不思議に思いながらページをめくる。
そこに描かれていたのは、見たことも聞いたこともない植物だった。
竜を食らう『竜殺しの蔦』、たちどころに傷を癒す『女神の果実』、ダンジョンを創る『迷宮球根』——記述は学術書のように詳細で、図版も精密だった。
「創作、なのかな?」
でも、妙に現実味がある。
まるで、実際に観察したかのような記述だわ……。
私は本を手に、自分の部屋に戻った。
* * *
それから三日間、私は本を読みふけった。
食事も最低限。眠る時間も惜しんで、夢中でページをめくり続けた。
読めば読むほど、胸が高鳴る。この本は——本物かもしれない。
本によれば、この世界の植物には、二つの種類があるらしい。
光の世界樹アルセリアの加護で育つ植物と、闇の世界樹ノクサリスの加護で育つ植物。
この時点で、この書物がどれだけ常識外れかがわかる。
私が、いや、私たちが知る世界樹は、アルセリアだけだ。
闇の世界樹なんて、聞いたこともない。
本当にそんなものが存在するのだろうか……。
しかし、本の記述は具体的だ。
『アルセリアの加護を受けた植物は、花に奇跡を宿す。それは人の願いを叶える力となる』
『ノクサリスの加護を受けた植物は、奇跡を宿さない。その代わり、植物自体が奇跡に近い力を持つ』
同じ事のように思える。
でも——違う。
アルセリアの植物は「器」だ。人が願い、祈り、その力を引き出す。
でも、ノクサリスの植物は違う。植物自身が、生きた魔法なのだ。
『ノクサリスは、生命の本質を司る。成長、繁殖、適応——その力は、時に破壊を、時に創造をもたらす』
ページをめくる手が震えた。
『ノクサリスの加護は、選ばれし者にのみに与えられる。それは祝福か、呪いか——すべては使う者次第である』
私の脳裏に、ある仮説が浮かんだ。
もし……もしも、私が授かったのがアルセリアの加護ではなく、ノクサリスの加護だったとしたら——。
全身に鳥肌が立った。心臓が激しく打つ。
もしそうだとしたら……タンポポに奇跡が宿らなかったのは、私の力が弱いからじゃない。そもそも、アルセリアの加護じゃなかったから——。
「た、試してみなきゃ……!」
私は本を抱えて、外に飛び出した。
荒野に立ち、持ってきたタンポポを地面に植え替える。
手が震える。うまく土が掘れない。それでも必死で、タンポポを植えた。
「よし……」
私は大きく深呼吸をする。そして、本に書かれていた呪文を詠唱した。
『——咲 き 誇 れ』
その瞬間——世界が変わった。
足元から、光が溢れる。
地面が震え、音を立てて何かが芽吹いていく。
これは——⁉
館の前が、一面の黄金のタンポポで埋め尽くされていた。
風に揺れる無数の黄色い花。
その光景は、まるで太陽を地に降ろしたようだった。
「咲いた……咲いたわ……!」
涙が溢れた。嬉しくて、嬉しくて、膝から崩れ落ちる。
タンポポの海に手を伸ばす。柔らかな花びらが、指先に触れた。
「私は……愛されていたのね……!」
夜空を見上げる必要はない。
私の足元には、太陽が咲いているのだから――。




