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第八章:頭領の決断と新たな伝説

 争いは終わった。

 弥助の言葉と桃太郎の決意を受け、鬼ヶ島での戦闘は終わりを迎えた。

 中枢の広場には、鬼と呼ばれた者たちと桃太郎一行が向き合い、互いに疲弊しきった体で、言葉を交わすための会議が開かれた。

 血の惨劇が繰り返されるのを止めるため、桃太郎は頭領に静かに和解を求めた。

 その間、動ける村人と衛門、弥助は、島に散らばった亡骸の埋葬を進めていた。

 海の付近では、潮の香りと共に、何人もの遺体が波に揺られている。

 衛門は、その遺体の一つ一つを丁寧に回収しながら、ふと、見覚えのある男の顔に目が留まった。

 それは、道中で彼が「盗賊」と決めつけ、無慈悲に斬り捨てた男だった。

 死後硬直していたその手は、まるで何かを抱えるように固く握りしめられていた。

 衛門がそっとその指を解くと、中から出てきたのは、桃色の布の切れ端。

 男は、最期の瞬間まで村で泣きながら待つ娘に届けることだけを懇願していたのだ。

 きっと無事に帰ってきて欲しいと願う娘からの御守りでもあったのだろう。

 衛門は、その場に崩れ落ちた。

 自分が正しいと信じて行った行為が、また一つの悲劇を生んでいた。

 彼は、男が握りしめていた桃色の布の切れ端を丁寧に回収、その他所持品など形見となるものを持ってすぐに中枢へと戻った。

 中枢へ辿り着くと、一人の幼い女の子が生還した村人が集まる広場で父親を探しているのを見かけた。

 衛門は全身に力が入りガタガタと歯も音を鳴らしていた…罪悪感と自分への憤りを押し殺し、震える手でそれを渡した。

 女の子は形見を抱きしめ静かに涙を流した。

 衛門は、ただその場に立ち尽くすことしかできなかった。

 一方、会議の席では時雨がなぜ復讐に燃えていたのかを語り始めていた。

 その声は復讐に燃えていた頃の激しさとは違い、まるで遠い昔の物語を語るかのように静かだった。

 「私は、都で名の知れた貴族の娘でした。不自由を感じることなく育ちましたが、すべては一夜にして奪われた。あなた達に家を襲われ、大好きだった父と母は、私の目の前で命を奪われたのです」

 時雨の言葉は、悲しみと、そして拭いきれない虚しさで満ちていた。

 「あの夜のことは、今でも鮮明に覚えています…」

 彼女は、目を閉じて、その光景を思い出す。

 「風のない、ひどく静かな夜でした。庭の池に映る満月が、まるで凍りついたように見えた。闇の中から現れた影は、ただ無言で…父の剣が、母の悲鳴が、そして血の匂いが…私の鼻と耳にこびりついて離れないのです。」

 時雨は、貴族の娘でありながらも、忍びの一族の血を引いていた。

 その隠密の術のおかげで隠れ通すことができたが、家族が殺される瞬間を息をひそめて物陰から見ていることしかできなかった。

 その時の土の冷たさと、自分の心臓の音だけが、今も彼女の心に響いていた。

 「それが悔しくて…悔しくて」

 彼女の瞳に、その時の光景がよみがえり涙がにじむ。

 その後の何年間も、彼女はただ憎しみを燃料にして生きてきたのだ。

 「故郷を離れ、流れ着いた村で、私は桃太郎の噂を聞きました。桃から生まれたという、不思議な力を持つ男の子の噂を」

 時雨は、桃太郎の不思議な力を、自分の復讐を果たすための「道具」だと考えていたと、率直に告白した。

 しかし、鬼ヶ島で目の当たりにしたのは、単なる悪ではない鬼たちの真実と、頭領の悲壮な決意だった。

 「私は復讐だけに生きてきた。でも、あなたと出会い、あなたの真っ直ぐな心に触れたとき、私の中の虚しさは消え、別の感情が生まれたのです。…父を殺した鬼の頭領は、私に復讐の虚しさを教えてくれました。今なら分かります、あなた達が我が一族を滅ぼすことで救われる命がどれほど多いかを判断し、弱き者の代表として鬼になったのだと…覚悟を決めるまでにどれほど苦しんだ事か…申し訳ありませんでした。」

 時雨は深々と頭を下げた

 「鬼と恐れられたあなたは、身内の処罰を終えたあと自らの命を桃太郎に差し出す覚悟を持っていた。断罪を託したあの重みに触れることで、私を突き動かしてきたあの憎しみは晴れていきました。」

 その言葉を聞いた桃太郎は、静かに席を立った。

 彼は、懐からきびだんごを取り出すと、それを小さく丸め、会議の場にいた妊婦や子どもたちに配り始めた。

 時雨もまた、その手伝いを始めた。

 かつて復讐の道具だと考えていた桃太郎の力を、今は人々の命を救うために使っていた。

 時雨は、きびだんごを受け取った一人の妊婦にそっと声をかけた。

 「これを食べて、どうか無事に…」

 時雨の言葉に、妊婦は静かに頷き、そのお腹を優しく撫でた。

 時雨の瞳に、再び涙が滲んだ。

 それは、復讐の憎しみではなく、新たな命への希望と、自分たちが犯した罪の重みを噛みしめる涙だった。

 頭領は目を閉じ、ただただ無言で考え込むように座っていた。

 食料を配り終えた桃太郎は、鬼の頭領と再び向き合うように座る。

 「我々は、飢饉という共通の悲劇に苦しんでいた。ですが、その悲劇の根源は、武将たちの終わりなき領土争いと、民に無理な年貢を強いる傲慢さにあります」

 桃太郎は、この飢えこそが、盗賊を生み出し、人々を「鬼」に変えていく全ての混沌の始まりだと結論づけた。

 「この悲劇は、私たちの胸に深く刻むべきものです。ですが、その上で、私たちは次の道を探さなければならない」

 桃太郎は、決意に満ちた瞳で頭領を見つめ、手を差し出した。

 「私は、あなた方と共に、一つの村を作り上げたい。飢饉に負けない、強い村を。そこに住む誰もが、飢えで心を失うことのない世を共に築いていこうではないか!」

 頭領は、一瞬だけどこか思い詰めたような顔をした。

 しかし、その表情はすぐに消え、桃太郎の真っ直ぐな言葉に強く頷いた。

 彼は、桃太郎の手を固く握り、穏やかな笑みを浮かべた。

 「ああ、君ならできるだろう。俺も微力ながら尽力しよう。共に、明るい未来を夢見ようじゃないか」

 二人は、憎しみや悲しみを乗り越え、希望に満ちた未来を語り始めた。

 その声は、かつて殺し合いをしていた者たちのものとは思えないほど、穏やかで明るかった。

 対話を終えた後、鬼の頭領は深く安堵の表情を見せた。

 彼らは、互いの村が抱える悲劇の根源を共有し、新たな希望を見出した。

 「…貴殿が示す希望の光だけは消えてはならぬ。我らは貴殿と共に村へ帰り、この罪を償いたい」

 頭領の言葉は、これまでの罪の意識を深く受け止めながらも、桃太郎の提案に乗るという強い決意の表れだった。

 彼の表情は、安堵と同時に、深い悲しみと責任感に満ちていた。

 そして、桃太郎は鬼たちを故郷へ連れて帰ることを決意する。

 衛門も、鬼たちの悲しい真実を知り、自分が斬り捨てた男の悲劇と重ねていたため、村人を説得するのが困難だと反対はしたが、その目に迷いはなかった。

 時雨も復讐を遂げ、彼らと共に新しい村を築く道を選んだ。

 夜が明ける前に、島に眠る亡骸は丁重に埋葬された。

 鬼ヶ島から持ち帰られたのは、金銀財宝などではない。

 新しい道を切り開く為に結託した「鬼」と恐れられていた新しい労働力、そして彼らが人を襲わない暮らしを目指していたときに作られた野菜などの種と肥料、さらに畑を作るのに十分な道具だった。

 頭領は仲間に、村に辿り着いてからの償いと今後の活動について指示を出し、すぐに村を改善させられるように働きかけた。

 その夜、桃太郎一行は頭領を囲んで酒を酌み交わした。

 焚き火の炎がパチパチと音を立てる中、彼らは互いの過去の武勇伝や、新しい村で実現したい夢を語り合った。

 かつての殺し合いが嘘のように、桃太郎と頭領は、まるで旧友のように笑い合った。

 酒が回るにつれ、頭領はぽつりと呟いた。

 「俺は、俺の村を守ることしかできなかった…この悲劇を止めるために、もっと早く何かをしなければならなかった」

 彼の言葉には、自分たちが犯した罪への後悔と、桃太郎に託す希望が滲み出ていた。

 その夜の会話は、桃太郎の心に深く刻まれた。

 「日の出と共に出航しよう、船は全員乗れるだけの分はある」

 頭領は自分の村が安定した時に宴会で使おうと思っていた酒を出し、その場にいる人々に振る舞った。

 「皆の衆!我々に向けられる目はおそらく冷ややかな目だろう!理由はどうあれ我々は襲撃した一族に違いない!人の命を奪って生きてきた罪は人を守る為に燃やそうぞ!」

 頭領の決意が全体に伝達された。

 頭領は信頼できる仲間の顔を見て安心しきった表情をみせていた。

 そして夜が明ける頃。

 鬼ヶ島から故郷へ帰る準備が整い、一行は船着き場に集まっていた。

 だが、荷物の最終確認を終えても、頭領の姿が見えない。

 若い鬼が、不安げな声を上げ、他の民もざわつき始めた。

 「頭領はどこへ?」

 衛門が眉をひそめて尋ねた。

 桃太郎は胸騒ぎを覚えた。

 昨晩、あれほど明るい未来を語り合った頭領の、最後に一瞬見せた「思い詰めたような顔」が脳裏をよぎる。

 その予感は、確信に変わった。

 「探すぞ!みんなで手分けして!」

 桃太郎の指示で、民と仲間たちは手分けして頭領を探し始めた。

 桃太郎と時雨は、二人で昨晩酒を酌み交わした場所へと戻った。

 焚き火の跡から、冷たい煙が立ち昇っていた。

 その近くに、一枚の布が静かに置かれている。

 時雨は、それが頭領のまとい、夜の闇に溶け込んでいた熊の毛皮だとすぐに気づいた。

 そして、その毛皮の隣に、頭領がひざまずき、静かにうずくまっているのを見つけた。

 時雨は、言葉を失った。

 「…頭領?」

 桃太郎が、声をかけようと一歩踏み出した。

 だが、頭領の姿は、ひざまずいたまま微動だにしなかった。

 その横には、桃太郎一行と民へ向けた遺書が置かれている。

 桃太郎は遺書を拾い上げ、震える手で読み始めた。

 「桃太郎殿、そして時雨殿、我が民よ。この度は、我らの罪を許し、新たな道を示してくれて心より感謝する。貴殿らは、この世に光をもたらす希望だ。だが、我らが犯した罪は、この世に生きる限り償いようがない。この身は、罪を背負うために、この世から消えるべきだ。介錯を断ったのは、この命を全うするために、罪を背負いながら黄泉の国へ旅立つため。そして、桃太郎殿、貴殿に我らの未来を託すためだ。我らの未来に光を。この地は悲劇の地、鬼ヶ島として語り継がれていくことだろう。新天地の平和と発展を願う。頭領より」

 桃太郎の手から、遺書が滑り落ちる。

 頭領の背中には、血が滲み、土に小さな染みを作っていた。

 時雨は、頭領の背中に手をかけ、そっと揺すった。

 「嘘だ…嘘だと言ってよ、頭領…!」

 だが、彼女の震える手には、もはや頭領の体温を感じることはなかった。

 彼女の復讐は、新たな悲劇を生み、そしてその連鎖を断ち切るために、頭領は自らの命を絶ったのだ。

 時雨は、その場で崩れ落ち、頭領の亡骸を抱きしめて泣き叫んだ。

 「なんで…なんでなのよ!これから一緒に、新しい村を作るって…!約束したじゃない…!」

 桃太郎は、その場で立ち尽くしていた。

 胸に広がるのは、悲しみ、怒り、そして、頭領が最後の最後に自分に託した命の重みだった。

 彼は、頭領の遺書を再び手に取った。

 遺書に書かれた文字が、彼の目に焼き付いて離れない。

 「…頭領…」

 桃太郎は、込み上げる嗚咽を必死に堪え、空を見上げた。

 夜が明け、太陽の光が、頭領の穏やかな寝顔を照らし出す。

 その顔には、過去の悲しみも、未来への不安もなかった。

 ただ、桃太郎に託した希望だけが、彼の最後の安息を物語っていた。

 桃太郎は、大粒の涙を流し、頭領の遺体を前に静かに頭を下げた。

 彼の頬を伝う涙は、頭領の死を悲しむだけでなく、彼が背負った使命の重さを噛みしめる涙だった。

 そして、彼は静かに、しかし、はっきりと決意した。

 「もう、誰も泣かせはしない。…俺も…泣くのは、これが最後だ」

 桃太郎は、心の中でそう誓った。

 頭領の死は、桃太郎にとって、新しい時代を築くという使命が、どれほど重く、尊いものであるかを教えてくれた。

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