時を経て
あれからさらに一ヶ月。
ここは王城の一角。私は王宮の文官後ろを歩いていた。国の頂点が住居なだけあって廊下でさえ豪華なものだけれど、そこに注目する余裕は私になかった。澄ました顔を心掛けているけれど、少しでも気を抜いたら分厚いカーペットに足を取られて転びそうだった。ドレスの裾と高いヒールも相まって余計に大変だ。
(面倒だけど、今は令嬢であることに感謝しなきゃね)
「こちらです」
「…ありがとう」
ドアの前に立つ騎士によって大きな扉が開け放たれる。一歩中へ踏み出すと、そこにはローテーブルを挟んでソファが2台。おそらく高級品であるそれには、まだ誰も座っていなかった。
「おかけください」
今日は見合いだ。そろそろだろうと思っていたけど、初回の相手がまさかこんな大物だとは思わなかった。対して豊かなわけではない、一介の伯爵令嬢が選ばれるだなんて誰が想像しただろうか。
(…美味しいわね)
出されたお茶に口をつける。流石王城。使っている茶葉も、入れてくれる侍女の技術も最高級だ。
「…」
私は手に持った手紙を見つめる。あの日のやり直しをしたくて書いたものだ。渡す気満々できたけれど、なんだか自信がなくなってきた。手紙くらいで恥ずかしがる年でもないのに。
「いらっしゃいました」
文官の言葉にハッとし、隠しポケットに手紙を戻す。どうやら相手が来たようだ。私は椅子から立ち上がり、最上級の礼をとる。今すぐにでも足が攣りそうだ。
「顔をあげてくれ」
男物の革靴が視界に入り、上から聞いたことのある声が降ってくる。
「改めて、第一王子レナートだ。今日はよろしく頼む」
「アデライト伯爵家が娘、アンジェリカでございます。お目に掛かれて光栄です。よろしくお願いいたします」
軽く自己紹介をして椅子に座る。目の前に腰を下ろし、人の良さそうな笑みを浮かべた第一王子の顔は、やっぱりレオそっくりだった。
「ふふ」
「?」
さっきの茶番でしかない自己紹介を思い出して、笑いが込み上げてくる。それにしても演技が上手い。私は耐えられなかったけれど、彼は突然笑った私に不思議そうな表情を崩さない。
(あ)
よく見たら肩が震えている。表情は変わらないのに、必死に笑いを答えているのがわかって、さらに面白くなってきた。
「アンジェリカと呼んでもいいかい?私のこともレナートと呼んでくれ」
「ではレナート様、と」
込み上げてくる笑いを必死に抑えようとしながら、私は微笑を浮かべる。
そこからは、普通の見合いらしい、なんでもない話をした。趣味だとか、思い出話だとか、政治についてだとか。あちらは王子らしい、私は令嬢らしい回答を続けていた。お茶を2杯飲み終わった頃、レナートが立ち上がり、右腕を差し出しながら言った。
「ずっと座っているのも勿体無い。少し庭園を散歩しないか?」
「まぁ」
令嬢らしくフワッと微笑み、私は彼の腕に手をのせた。結構楽しめたけれど、いい加減この茶番にも飽きてきたところだ。この誘いに乗らない理由はない。
「楽しみです」
☆☆☆
「もういいんじゃないか?」
「うん。大丈夫」
お見合いとあって、侍女も護衛も少し距離を置いてついてくる。このくらい離れていれば、会話も聞こえないだろう。
「にしても、アンの令嬢モードすごかったなぁ」
「レオも、ちゃんと王子様だったよ?」
そう、やっぱりレオは今世でも王子様だったのだ。父親は前世の息子。あまりにも祖父に似ているから、先代国王であるレオナルドにあやかって、レナートと名付けられたそう。レオナルドは、前世のレオの本名だ。その話をしていた時、レオは苦虫を噛み潰したみたいな顔をしていたから、自分の孫として生まれるのは複雑なのだろう。今もその話をすると、嫌そうな顔をする。
「でも疲れるんだよね。ご令嬢って」
「見てるだけでも大変だよな」
「今日だって起きたの4時よ?いったい支度に何時間かかるんだって」
「お疲れ様」
「まぁ、ご令嬢だから、レオとお見合いできたんだけどね」
アデライト伯爵令嬢アンジェリカは、第一王子の婚約者候補に選ばれていた。この間の夜会での振る舞いが受けたらしい。真面目に勉強しておいてよかったと心底思う。あの時は、なんでダンスに誘われたのかが気になってあまり覚えていないけれど、レオのダンスに付いていくのに必死だった気もする。
「確かに」
「まぁ、誰と結婚するかはレオの自由だよ。後二人いるんでしょ?」
「…本気で言ってる?」
レオが信じられないものを見るような目でこちらを見てきた。そんなにおかしなことを言っただろうか。正直、私はレオが幸せだったらなんでもいいのだ。そりゃあ、大好きだし、前世でできなかった結婚だってしたいけど、私がレオの荷物になるのだけは嫌だ。だから国も出たのに。
「前世での結婚は現実的じゃなかったのはわかってる。でも、アンだけが辛い思いをする必要はないと思ってたよ。ずっと。君は僕に幸せになってほしいと言うけど、僕は君が幸せじゃなきゃダメなんだ」
「…」
「本当は追いかけたかった。権力でもなんでも使って連れ戻そうとした。でもその時、あの手紙を渡されたんだ」
レオは苦しそうな顔をする。やめて、そんな顔をさせたいわけじゃないのに。貴方を邪魔したくなかっただけ。
「冷静になれ、荷物になりたくない、自分で国を出てくんだ。そんなのを見たら、追いかけるなんてできないじゃないか。ただでさえ、父上と宰相に行動を制限されかけていた所だったのに」
「それが、あの時の『あたし』の望みだったから」
「僕が君に弱いのくらい知っているだろう?それがたとえ仮だったとしても、君が望めば僕は止められない。ひとりっ子だったから跡継ぎもいないし、国民は見捨てられない。僕は…国を選んだ」
当たり前の、正しいことをしただけなのに、レオはひどく申し訳なさそうだった。平民の恋人と、国民なんて天秤にかけるまでもないだろう。王族には義務がある。彼はその義務を果たしたに過ぎない。貴族になった今だからわかる。貴族や王族の豪華な生活の裏には、大きなプレッシャーと義務がある。税金で生活しているからには、国民を彼らの生活を守らなければいけない。それがわかってなかった前世でだってレオを恨んだことなんてない。むしろ安心したのだ。
「何がいけないの」
「僕は……君を選びたかった。何よりも大切だった、君を」
そこまで言って、レオは顔を上げて、こちらを向いた。さっきの罪悪感に満ちたものではなく、何かを決意したような、今まで見たこともないくらい、真面目な表情だった。
「だから、周りに止められずに君を選べるこの状況を、僕は逃すわけにはいかないんだ」
彼は跪いた。いつか、プロポーズしてくれた時と同じ体制だ。その手には、いつの間に手折ったのか、はたまた事前に用意していたのか、スターチスの花があった。
「アンジェリカ・アデライト嬢、この世界の誰よりも、貴女を愛している。どうか、私と結婚してください」
「っ」
(綺麗…)
真っ直ぐに私を映すその紅い瞳の美しいこと。きっと今はそれどころじゃないのに、前世と変わらぬ煌めきに、思わず見惚れてしまった。
「…本当に、私でいいのですか」
声が震える。なんとか絞り出したその言葉に、彼ははっきりと言った。
「私は、貴女がいい」
もしかしたらここは夢の世界なのかもしれない。恋人のために、国を出ることを選んだアンの、叶えたかった夢の中なのかもしれない。
でも、それでもいいと思った。たとえこれが現実ではなくても、彼が私を選んでくれるなら。なんでもいい。
「喜んで、お受けいたします」
次の瞬間、私は彼の腕の中にいた。ずっと変わらない、レオの香りに包まれる。また、目の奥があつくなっていた。でも、今泣くわけにはいかない。それがたとえ、何十年越しに叶った夢の嬉し涙だったとしても。
(そうだ)
今なら、渡せる気がする。
「ねぇ」
「どうしたの?」
「これ」
私は少しレオから離れて、手紙を取り出し、彼に手渡す。宰相を通じて届けるしかできなかった、前世のラブレター。今世では、ちゃんと手で渡せた。
「後で読んで」
もう時期、帰る時間だろう。後ろの侍女たちが、こちらの様子を伺っている。
「アン、」
「レオ」
何か言おうとしたレオの言葉に被せる。これだけは言わなければ。恥ずかしがって、結局伝えれらないまま終わってしまった。この言葉を。
「ずっーーーと」
一生分の、姿が変わっても抱え続けた、愛を。令嬢らしさなんてかけらもない『あたし』と『私』の二人分の告白。風に髪が煽られても気にしない。この言葉だけは、自分でも伝えたかった。
「愛してる!」
この言葉を伝えた時の彼の表情を、私は一生、もしかしたら来世でだって、忘れることはできないだろう。
☆☆☆
…でしょう?
最後に、きっと直接あったら言えないと思うからここで書きます。これは、一介の伯爵令嬢が抱くには、大それた願いだろうけど、
私は、貴方に選ばれたい。
今も、今世でも貴方が私を愛してくれるなら、その愛が続く限り、私を貴方の隣に居させてほしい。
たまに思い出してくれればいいなんて嘘。ずっと想っていて欲しかった。そんなのを貴方の腐りにしかならなくて、迷惑だから書けなかったけど、もしかしたら今世でだったら叶えることができるかもしれない。
今度は、待ち合わせなんかせずに、おじいちゃんとおばあちゃんになってもお茶ができるようになりたい。守れない、一方的な約束なんてしないで。当たり前に二人で笑い合えることを願います。
今回はこのくらいで終わろうと思います。前世のラブレターはたった一枚だったけれど、これからは、何枚でも書けます。楽しみにしていてください。
じゃあ、またね、大好きだよ。
敬具
あなたを愛し続ける、アンジェリカより