お待たせ
(やっぱり王子の行動は謎だなぁ)
舞踏会から三日後、私はまた噴水広場へ向かっていた。道は体に染み付いているから、考え事をしていながらでも迷うことはない。今の所は見逃してくれているけれど、どうせ護衛も隠れているから危険もない。結局、第一王子がなんで私をダンスに誘ったのかは最後までわからなかった。ダンス中に聞いてみても、上手く躱されてしまった上に、あの舞踏会で王子が踊ったのがマリアベル様以外に私だけだったから、あの後貴族たちに注目され続けていた。目立ちたくはなかったのに。気まぐれなのだろうか。理由ぐらい教えてくれたっていいのに。
「アン!来てたの!」
いつも通り、噴水の淵に腰をかけていると、ベルタが声をかけてきた。
「うん!仕事は大丈夫なの?」
ベルタは食堂の若女将だ。いくらお昼を過ぎたからと言って暇ではないだろう。
「休憩だよ。今日もお客が多くてね。疲れた〜!」
「お疲れ様」
彼女は私の横に座りつつ、手に持っていたサンドイッチを頬張った。具材はレタスにチーズにハムにトマト。定番だけれど、一番美味しいやつだ。ソースは食堂秘伝のものだろう。
「は〜。美味しい」
「それは旦那さん作?」
「そう!普段はバカなのに料理は美味しいんだから。一口食べる?」
「遠慮しとく。さっき食べたばっかりなんだよね。ありがとう」
美味しそうに食べるベルタを見て、ふとあることを思い出した。
「ねぇ、ベルタ。この間来た時にさ、私のこと『あのおじいちゃんみたい』って言ったよね?おじいちゃんって誰のこと?」
前回の別れ際、ベルタが言った『おじいちゃん』のことが気になっていたのだ。会話の流れ的に、私と同じようにこの噴水で誰かを待っていたみたいで、もしかしたら…
「ん、そういえばそんな話したっけね」
口元についたソースを親指で拭いながら、彼女は思い出すように空を見上げた。お手本みたいに晴れた空だ。
「私、小さい頃からこの噴水の周りを遊び場にしててね、人通りも多いし、家の手伝いとかが終わったらよくここで遊んでたんだ」
ベルタは懐かしそうに目を細めた。口元に笑みが浮かんでいるから、いい子供時代だったんだろう。
「10歳くらいの時かな?あぁ、ちょうど今の王様が王様になった年だ。その時から、日が傾いてくる時間まで、噴水に座り続けているお爺さんが現れたんだ。アンみたいにね。結構年は行ってる感じだったけど、優しくてちゃんとしてる人だったなぁ」
「…そのお爺さんって毎日きてたの?」
「うん。毎日2時間ちょっと、ずーっと噴水に座りつずけてた。だから気になってね、おじいちゃんがくるようになってしばらくした時に話しかけたんだ。『なんで毎日ここにいるの?』ってそしたらおじいちゃん、なんて言ったと思う?」
「…私と同じって」
「そう。『ある人と待ち合わせをしていてね。歳を取ったら、ここで集合してお茶をしようって約束したんだ』って言ったんだよ…そう言えば、っアン!?どうしたの!?」
ベルタが困惑したような声をあげる。困らせている。分かっていたけど、私は顔を上げられなかった。舞踏会の時みたいに涙が溢れてる。
「レオ……」
(ごめんなさい。約束を守れなくて、ごめんなさい)
心の中で謝罪の言葉を並べる。もう届かない、意味なんてないのに、そんな言葉で埋め尽くされていた。
『そうだ。また、恋をしていたなんて忘れた、じいさんばあさんになったくらいにいつもの所で会って、お茶でもしようよ。約束ね。』
ひどく一方的で、レオの気持ちなんて考えてもない、あの手紙に書いた言葉を、彼は守ろうとしていた。ベルタが10歳ということは、今から十七年前だ。その頃には、『あたし』はもう死んでしまった。自分勝手で一方的な約束を突きつけて、何も言わずに国を出て行った女の戯言を、この国で一番偉いはずの彼が、果たそうとしていた。幾つになっても、レオはレオだった。
(ごめんなさい)
永遠の友人なんかじゃない。本当はずっと愛していた。重いと言われても、怖いと言われても、私は彼を想い続けるだろう。前世も、今世も。
「アン!」
「…ベルタ」
ふらふらと顔をあげると、そこには心配そうに私を見つめるベルタがいた。なぜかその姿に安堵してしまって。
「私ね…」
話すつもりなんてなかったのに、いつのまにか私は自分のことについてベルタに話していた。前世から、今世まで、『あたし』と『私』のことを、全部。
「アンがお貴族さまねぇ」
「えぇ。あんまり貴族らしい貴族とは言えないけどね」
全てを話し終える頃には、日が傾きかけていた。今更だけれど、店は大丈夫だろうか。ベルタに尋ねるけれど、旦那がどうにかするから大丈夫だと言われた。迷惑をかけてばかりだけど、頼もしい友達だ。
「あんたがここに通ってるのは、恋人との約束を守るためで、あのおじいちゃんが前の王様で、あんたの前世の恋人。だめだ頭がパンクしちゃいそう」
「もう、恋人だなんて名乗れるもんじゃないよ」
「そりゃそうよ。私ら平民と王子様なんて結ばれないし、無理したって絶対どっかで崩れる。いつまでも幸せに暮らしました。なんておとぎ話の中だけだよ。わかってたから、出て行ったんでしょ?」
「うん…」
季節に合わない冷たい風が、私たちの間を吹き抜ける。レオとアンは結ばれない。結局、いつまで待っても、死んだ人が会いにきてくれるわけじゃないし、『あたし』も生き返らない。もう少しだけ、ここに来続けよう。そうしたら、諦めるから。
そろそろ帰らなければ。またヘレナに怒られてしまう。流石にお説教は勘弁してもらいたい。
「ねぇ、ただの好奇心なんだけどさ」
「ん?」
私は帰ろうと上げた腰をまた落ち着け直す。さっきのしんみりとした感じではなく、少し楽しそうにベルタは言葉を続けた。
「王子様って、どんな感じだったの?イケメン?」
「ベルタ…そうね、かっこいいと思うよ。薄い茶髪に、紅い目の、甘い感じの…」
思っていたのと違う質問に面食らいつつ、私は彼の顔を思い浮かべた。思い出せば思い出すほど第一王子にそっくりだ。流石孫と言ったところだろうか。きっとあの髪色もカツラだったんだろう。今の私と同じように。
「薄い茶髪に、紅目の甘い感じのイケメンか……最近そんな感じの人、見たなぁ」
「え」
多分ベルタは面食いだ。嬉々としてその時のことを話し出した。
「4日前、フードを被った怪しい感じの男が、噴水に座っててね。やだなぁって思ってみてたら、風邪でフードがめくれて、その時見えた顔が!すっごいかっこよかったの!すぐにフード被り直しちゃったけど、ちょっと話しかけたんだ。そしたらその人も『待ち合わせをしているんだ』って言っ、て」
ばっと彼女がこっちを見る。偶然にしてはできすぎている気がする。レオそっくりな青年が、待ち合わせって…
「その人!次いつくるって言ってた!?」
「5日後だから…明日?」
「分かった」
私はすぐに立ち上がった。明日も来れるようにするなら、やらなくてはいけないことがたくさんある。
「ありがとうベルタ!明日も来るね!」
「気をつけてねー!」
ベルタの声を聞きながら、私は走り出した。
「あぁ、アンジェリカ。聞いて驚くんじゃないよ、王家からアンジェリカをレナート殿下の婚約者候補にするって連絡が…」
「ごめんなさい父様。気分が悪いから今日はもう寝るね。お話は明日聞くから」
屋敷に帰ると、父様嬉しそうな顔をして話しかけてきた。でも、今はそれどころじゃない。父様には申し訳ないけど、後にしてほしい。頭の中は明日のことでいっぱいだった。
「そ、そうかい。大丈夫かい?医者を呼ぼう」
「多分寝たら治るよ。お医者さんは大丈夫。ありがとう、父様」
心配してくれている父様にお礼を言いつつ、私は部屋に引き篭もった。
後で、ちゃんと父様の話を聞いておけばよかったと後悔することを知らずに……
☆☆☆
「お嬢様〜!」
「どこですか〜!」
私を探し回るヘレナ達の声が聞こえる。それもそうだろう、結局今日の分の用事は終わらず、授業も抜け出してきたのだから。いつもなら全て終わらせてから抜け出すから見逃してくれていたけど、今日は大事な用事もあるらしいし、使用人総出で探しているみたいだ。
(っと)
いつもは裏門から出ていくけれど、今日は塀の穴から屋敷を抜け出した。防犯上この穴が残っているのはどうかと思うけれど、もしもの時のために放置しておいてよかった。ここならしばらく見つからないだろう。
(急がなきゃ)
私はカツラを被り、茶色い髪を高く結い上げながら走った。もしかしたら、彼に会えるかもそれないから。
「っはぁ、はぁ」
体力のない令嬢が恨めしい。前世だったら少し走ったくらいじゃ息なんて上がらなかったのに。
「アン」
「ベルタ」
なんとか噴水広場に着くと、ベルタが話しかけてきた。いつもおしゃべりな彼女にしては静かだった。
「あの人だよ」
目線で噴水を示す。そこには黒いフードを被った怪しい人物が座っていた。
「1時間くらい前からあそこにいるけど、ずーっと座ってる。何も食べないし、買わない。この前と同じだね」
「そう…」
私はもう一度噴水に腰をかける男を見つめる。やっぱり怪しい事この上ないけれど、体格的に若い男だろう。
(っ)
注がれ続ける視線に気がついたのか、男はこちらを向いた。その拍子に、深く被られたフードが剥がれ、男の顔があらわになった。薄い茶髪に紅い目の整った顔立ちの、見覚えしかない顔だった。宰相に頼み込んで手に入れた、国を出てから、いつも持ち歩いていたペンダントに入っていた写真の人物。
私を視界に納めた彼は驚いたように瞳を見開いた。そんな姿も愛おしいと思ってしまうのは重症だろうか。
私は彼に近付いていく。普通に歩いているはずなのに、時間が進むのがひどくゆっくりに感じる。
「『あたしの名前はアン。あなたは?』」
いつかと同じセリフを投げかける。初めて彼が食堂に来た時だっただろうか。何十年も前に、私が最初に投げかけた言葉だ。
「っは、『レオだ』」
これも、あの日と同じ言葉だ。やっぱり、この人はレオだった。何回も会いたいと願った愛しい人。何十年も忘れることができなかった人。
「お待たせ」
そう言って笑おうとしたけれど、上手くできなかった。また涙が溢れてくる。ここ数日で何回目だろうか。
「遅刻がすぎるね……会いたかったよ、アン」
彼が立ち上がって腕を広げる。その紅い瞳の端にも薄く水の膜が張っているように見える。私は躊躇うことなく、彼の胸に飛び込んだ。
「ごめん、なさい。約束…守れなくて…!」
「いいよ。今、会えたじゃないか。何十年でも待つよ」
「レオ…」
レオは泣きじゃくる私の背中を優しく叩く。まるで子供を落ち着かせる時みたいに。少し恥ずかしかったけれど、それよりもレオと会えたことが嬉しかった。
「ねぇアン」
「な、に?」
「好きだよ」
耳元で告げられたその言葉に、心臓が大きく跳ねる。驚いて彼の顔を見上げると、彼はあの頃みたいに、私の大好きな優しい笑みを浮かべていた。無意識に言葉が溢れる。
「私も、大好きよ」
どちらともなく、顔を寄せ合う。今世で初めてしたキスは、少し苦いチョコレートみたいな味がした。