二枚目のラブレター
拝啓、私の王子様
何十年も前、こんな書き出しの手紙を置いて行きました。覚えていますか?
あの時、あなたの顔を見てキッパリ別れられるほど、私は割り切れていませんでした。あなたと会ったら、縋ってしまう。だから、手紙を書くことを選びました。
あの手紙は、『あたし』が書いた最初で最後のラブレター。大好きだった恋人に、別れを告げるための書き置きでした。だから、今度は『私』として書こうと思います。ただ、あなたに愛を伝えるための、二枚目のラブレターを。
☆☆☆
「それではお嬢様、本日の授業はこれで終わります。しっかりと復習してくださいね」
「はい。ありがとうございました」
私は先生に向かって、習った通り一番綺麗に見えるようにお辞儀をする。すると先生は満足したように頷いて、部屋から出て行った。
(よし)
しっかりと扉が閉まったことを確認し、私は一目散にクローゼットへ向かう。1週間ぶりの自由時間だ。
「令嬢っていうのも大変よねぇ」
茶髪のかつらを被り、簡素なワンピースに着替えながらひとりごちる。平民として生きていた頃には考えられなかったような暮らしだ。お国の歴史から他国の言語、朝から晩まで勉強三昧。マナーにダンスもある上に、舞踏会やお茶会に出席しなければいけないし、何より常に人の目がある。私が抜け出せているのは、侍女たちが見逃してくれているからだ。
彼は、こんな窮屈な生活を送っていたんだろうか。いや、王子様なんてもっと厳しいか。あれだけ頻繁によく抜け出せたものだ。伯爵令嬢の私だって、多くて週に2回程度なのに。
「いい天気」
太陽に眩しさに目を細めなながら、さっさと伯爵邸から抜け出した私は、王都の平民街へと向かう。目的地は中心の噴水広場。平民街と言っても、王都の一部である以上、ある程度の整備はされている上、食堂や雑貨屋、露天など、常に賑わっているような場所だ。
「おや、アンじゃないか。1週間ぶりか?相変わらずいつ出てくるかわからんなぁ」
「こんにちは!やっと休みがもらえたのよ」
「アンちゃん!元気かい?」
「うん!おばさんも腰治ったー?」
「もう大丈夫さ!」
「よかった!」
噴水広場に向かうと、色々な人たちが話しかけてくれる。アン、とは私の名前であるアンジェリカをもじった偽名だ。三年前から時間ができるたびに足を運んでいるから、もうみんな顔見知りだ。
「今日も待つの?」
「うん……約束だから」
心配そうに尋ねてきた食堂の若女将に返事を返しながら、私は噴水に腰掛けた。今日も、彼を待つために。
(まぁ、来るわけないんだけどね)
なんせ相手はもう亡くなっているんだから。
(お茶、一緒に飲もうって約束したのになぁ)
ひどく一方的で、返事も聞けていない約束だったが。
突然だけど、私には前世の記憶がある。前世の私は貴族である今とは違い、平民のアンというこの噴水広場の近くの食堂の娘だった。そこそこ幸せに暮らしていた前世の私…『あたし』には恋人がいた。たまに食堂にきていた同い年の青年で、レオと名乗っていた。最初はただの客だった彼に惹かれて、仲良くなって、お祭りで告白されて、最後にはプロポーズまでされた。『あたし』はプロポーズも喜んで受けた。きっとあの時が、アンの人生で一番幸せだった。
だけど、レオは、この国の王子様だった。ゴロつきに襲われた時、騎士が出てきてあっという間に倒した後、彼らはレオに跪いたのだ。そして確かに言った、王太子殿下、と。
それから私は色々あって、この国から去ることにした。レオのことは大好きだったけど、その時彼には隣国の王女との縁談がきていた。身分の釣り合わない平民の恋人と結婚なんて、夢にまた夢だった。彼の荷物になりたくなくて、足枷なにりたくなくて、私は縁談の話を教えてきた、とある貴族の手を借りて、隣国へ旅だった。
その時に、一枚の手紙を書いたのだ。レオへの別れのラブレターを。そこに、年を取ったらこの場所で一緒にお茶を飲もう、と書いた。でも私は、約束を果たそうとこの国へ向かっている途中で病に罹り、命を落とした。
約束は、守れなかった。
「全く、アンも物好きねぇ、あのおじいちゃんみたい」
「…あのおじいちゃんって?」
飽きもせず、三年間通い続ける私を呆れたように笑う若女将。あのおじいちゃんって誰だろう。はじめて聞いた話だ。
「それがね…」
「おーい!ベルタ‼︎こっち来てくれ!!」
何かを言いかけた若女将…ベルタを彼女の旦那さんが大声で遮った。どうやら店で何かあったらしい。
「はーい!ごめん。行かなきゃ。この話はまた今度ね。」
おそらく二十代後半くらいの彼女は、パチっとウィンクを残して店へ戻って行った。その後ろ姿を見つめ、あぁなりたかったなと、思ってしまう。
もし、レオが王子じゃなかったら、『あたし』達も父さんの食堂を継いで、あんなふうに生活したいただろう。ありもしない、ただの夢物語だけど、何度思い浮かべたことか。
『あたし』が隣国へ行った後、レオは国王になった。一度は『あたし』を追いかけようとしていたと、国を出るのを手伝ってくれた貴族に聞いた。でも、彼は責任や義務を全て放り出すような人じゃない。ちゃんと、民を守る”王族”として決断をしたらしい。そして、彼は隣国の王女と結婚した。それを知った時、少なからず胸は痛んだけど、少し安心した。彼は前に進めてる、『あたし』がいなくったって大丈夫だと。また10年前、今の国王に譲位した後、さっさと隠居して、15年前に亡くなったそうだ。
「いい加減、私も諦めなくちゃね…」
前世みたいに高く結んだ髪が風で揺れた。もう時期私も婚約者が決まる。そうしたら、ここには来れなくなる。レオは進んだ。いつまでも、割り切れていないのは私だけだ。
「帰ろう」
色々なことを考えていたら、いつのまにか空が茜色に染まりかけていた。流石に帰らなければ。夕日に背中を押されるように、私は急いで噴水広場を後にした。
☆☆☆
「お嬢様!」
「どうしたの?」
自分の部屋に戻り、髪も解いて着替えてお茶を飲んでいると、侍女のヘレナが少し怒った様子で戻ってきた。自分の仕事を終わらせてからくるあたり、真面目なヘレナらしい。
「どうもこうもありません!夜会に前日にお出かけなさるのはおやめください、と言いましたでしょう!?どうして今日もいなかったのですか!早く寝ないとお肌のコンディションが!」
「あぁ、ごめんなさい。今日を逃したら一週間はいけないな、と思って」
明日は筆頭公爵家主催の公爵令嬢のお誕生日パーティーだ。公爵は父の上司であるため、面倒だけれど必ず参加しなければいけない。
(やっぱり令嬢生活って面倒だなぁ)
翌日、鏡の前に座り、髪を結われながらそう考える。正直なんでもやってもらえるこの生活に慣れてしまって、すぐに前世のような生活に戻れるとは思わないけれど、平民だった頃はなんでも気楽にできた。それに比べて、貴族はひとつのスキャンダルが命取りだ。自分の立場がなくなるだけではなく、家族に迷惑をかけてしまう。それは避けなければいけない。今世の優しい家族も、大好きだから。
「できましたよ、お嬢様」
ヘレナの言葉で、私は鏡の中の自分を見つめた。前世のようにありふれた茶色ではなく、アデライト伯爵家特有の銀色の髪。普段は下ろしているそれは、複雑に編み込まれていて、華やかなまとめられている。少し吊り気味の瞳は濃い青色で、前世と同じこともあって結構気に入っている。
(重いなぁ)
着ているドレスは華やかで、スタイルを引き立てるようなものだけれど、裾が長くて歩きにくいし、重い。これをヒールを履いて、なんでもないように優雅に歩くのだ。淑女というのは恐ろしい。
(本当に面倒臭い…)
「ありがとう。それじゃあ、行ってくるわね」
心の中でため息を吐きつつ、私は重い足取りで部屋から出た。
☆☆☆
目が眩んでしまいそうなほど輝く豪華なシャンデリア。女性達は華やかに着飾り、噂話に花を咲かせ、男性達は難しい政治の話をしつつ、お酒を楽しむ。まだ主役は登場していない。でももうそろそろだろう。
ザワッ
一際ざわめきが大きくなった。主役が来たのかと振り向くと、そこには、絶対にいるはずのない人物がいた。
「レ、オ」
入り口から堂々と入ってきたその青年は、いつかの彼、『あたし』の恋人だった、レオだった。
(なんで…)
私が状況を理解できずに呆然としていると、隣にいた父様が不思議そうな顔をして説明してくれた。
「レオ?あの方は第一王子のレナート殿下だよ?そうか、アンジェリカは会ったことはないね。殿下は1ヶ月前まで隣国へ留学されていてな。閣下の奥方は殿下の伯母君。ご令嬢は殿下の従姉妹に当たるから、このパーティに来たんだと思うよ」
「そ、う」
今代の第一王子ということは、レオの孫だ。顔も姿もそっくりだけれど、彼はレオではないらしい。分かってる。レオは十五年前に亡くなっているのだ。私が生まれた年に。
(っ)
その時、不意にこちらを向いた王子と目が合った。その姿も、仕草も、ちゃんと頭では別人だと理解したけれど、あまりにも似ていて、懐かしさと、愛しさが込み上げてきて、胸が詰まった。
「アンジェリカ?」
父様が驚いて声を上げる。頬に触れると、そこは涙で濡れていた。
「あ、え、ゴミかな?なんで…」
私は次々と溢れてくる涙を止めようと下を向く。私はこんなに彼に未練があったんだろうか。彼と別れたあの時から一歩も進めていない。
「少し、外に出てくるね」
「あ、あぁ。落ち着いたら戻っておいで」
突然泣き始めた私に驚きながら父様は送り出してくれた。もうすぐで公爵令嬢が入場するだろう。お祝いの挨拶までに戻らなければ。
「ありがとう」
父様にお礼を言いつつ私はバルコニーに向かう。感情がぐちゃぐちゃだ。
「はぁ…」
見上げた夜空は綺麗だった。この国を出て行ったあの時みたいだ。また目の端に涙がたまる。
「レオ…」
いつまで経っても諦めきれない。きっと私は未だに彼が好きなんだろう。我ながら執着じみていて嫌になる。
☆☆☆
『最後に会わなくていいのかい?』
『あんたがそれ言う?』
『確かにね』
『家族に挨拶できたからいいよ…今会ってきっぱり拒絶できる自信もないし』
軽口を叩きつつ、あたしは馬車に乗り込んだ。座るところはフワフワで、あたしじゃあ一生乗れなさそうな高級品だ。本当に援助を受けてしまっていいんだろうか。
『ご家族はなんて?』
『流石に寂しそうだったけど、ちゃんと話したらわかってくれたよ。まぁ、一ヶ月は一緒に過ごせたしね』
『そうか。すまないね、こっちの事情で国を出なければいけなくなって』
『お国のためって聞いたらしょうがないよ』
『本当にさっぱりした人だね、君は』
気安く話しているが、今目の前にいるのはこの国の宰相らしい。普通に暮らしていたら平民のあたしごときじゃお目にかかることもできないくらい偉い人だ。こんな口を聞いていい相手じゃない。
⦅さっぱりねぇ⦆
一応手紙を書き置いたけれど、あれだって面と向かって何回も別れようなんて言いたくなかったから。正直まだ好きだし、国だって出たくない。でも、未練がましい女だと思われるのも嫌だ。
『おぉ、今夜は満月ですね』
声に釣られて窓の外を見る。今日は九の月の十五日だ。一年に一番月は綺麗に見える日。確かに、雲ひとつない夜空にはまん丸な月が輝いていた。
『綺麗…』
あたしの心とは真逆な、なんも曇りもない、本当に綺麗な夜だった。
☆☆☆
(戻るか…)
思い出に浸って、なんだかしんみりとした気持ちになってしまった。会場内が騒がしくなった。公爵令嬢が登場したのだろう。彼女を祝う言葉が聞こえてくる。私も行かなければ、流石にお祝いもしないでここにい続けるのは失礼すぎる。
「父様」
「おぉ、アンジェリカ。大丈夫かい?」
「うん。ごめんなさい。やっぱりゴミが入っていたみたい」
「そうか。じゃあ、ご令嬢に挨拶に行こうか」
「はい」
私はバルコニーから会場に戻り、すぐ近くにいた父様に声をかけた。戻ってきた私にニコニコと笑いかけてくれる。いつも何か楽しそうな人で、センチメンタルの酔った気持ちが回復してくる。
「おぉ、アデライト伯爵!そちらはご令嬢かな?」
「閣下」
公爵閣下に近づくと、あちらが気づいて話しかけてくれた。実はこの二人は結構仲がいいらしい。職場の上司としか聞いていなかったが、よく二人でお酒を飲んで酔い潰れて帰ってくるし、公式の場でこそ敬語だけれど、普段はお互い呼び捨てだ。
「マリアベル嬢。本日はおめでとうございます」
「おめでとうございます」
「ありがとうございます。アンジェリカ様は、お久しぶりですね」
「はい。マリアベル様は本日も本当にお美しい。髪飾りがよくお似合いです」
「そう!お気に入りなのです」
彼女は頬を紅く染めて嬉しそうにはにかんだ。きっと隣国にいる婚約者様からの贈り物なのだろう。ドレスも髪飾りも紫色と金色で統一されている。あまりにもあけすけなその姿に、見知らぬ婚約者様からの圧が感じ取れる。私もマリアベル様にはお茶会などで何度か会ったことがある。特別親しかったわけではなかったけれど、優しくて気さくな方だ。
そのまま雑談をしていると、他の貴族が近寄ってきた。お祝いと挨拶だろう。主催者に挨拶をするのは社交会での最低限のマナーだ。
「では、ぜひ楽しんでくださいね」
「ありがとうございます」
マリアベル様を別れると、どこからか音楽が流れてきた。ファーストダンスはもう終わっているはずだから、参加者が好きなように踊るための時間だろう。まぁ、私の相手は父様くらいだし踊る必要もない。スイーツでも食べるとするか。
「父様。私あっちの…」
「失礼、ご令嬢」
公爵家自慢の菓子職人の作ったお菓子たちの元へ向かおうとしていると、そこへ誰かの声が割り込んだ。
(っ!)
誰だと思って後ろを振り向くと、そこには金髪に紅目を持つ、麗しい青年の姿があった。
(レ…あぁ)
違う。この人は第一王子殿下だ。レオではない。わかっているはずなのにやっぱり似すぎていて、どうしてもレオの姿が真っ先に脳裏にチラついてしまう。
「私に、貴方と踊る栄誉を与えてくださいませんか?」
そう言って差し出された手には、星形のアザがあった。
(綺麗な星形だなぁ。珍しい…じゃなくて)
もしかしなくてもこれはダンスのお誘いだ。甘い誘いを吐き、手を差し伸べる姿はとても様になっていて、周りの視線が集中しているのがわかる。もっとも、疑問形だけれど私に拒否権はない。それにしてもどうして私なんか。母様に似た私は結構目立つ容姿をしている。でも第一王子で隣国へ留学していたなら美人なんて飽きるほど見てきただろうし…
(考えるだけ無駄、か)
身分はあちらの方が圧倒的に上。第一王子からのダンスの誘いを断るなんて無礼な真似はできない。私は淑女教育で学んだ通りの言葉を述べて、できるだけ優雅に見えるように彼の手に自分の手をのせた。
「…はい。喜んで」
レオを重ねてしまわないように、微笑みを貼り付けながら。