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八、浪人

 まほらの里南にある仕掛け蔵は、長期滞在する浪人(冒険者)向けに開かれている。サトが勤める蔵の三倍は規模があり、勤め人も利用者も相応に多い。


 この日、レンは久しぶりに小袖を身に着けて町に出た。腹掛けと股引(ももひき)脚絆(きゃはん)に絢爛な柄の小袖を崩して合わせる様は、本人の容姿と口調のように男女があべこべだ。目尻と唇に紅も引いて、下手な遊女よりも艶やかなその出で立ちに、道行く人は思い思いの反応を示す。概ね、八割がたは好印象だ。残りは下卑た劣情を隠さない阿呆と奇抜を嫌う頑固者。

 レンはそんな有象無象を気にせず、勿論歩みも緩めない。いずれは十割全員魅了して、劣情を抱くことすら烏滸がましいと思うような美を手に入れるつもりだ。


「親父さん、久しぶり」

「おや……レンさんかい?久しいね」


 番頭を勤める中年親父は、その阿呆な二割に入る方だ。ようやく艶を取り戻しつつある髪を指先で遊ぶレンを、下品な視線が嘗め回す。幸い、身の程を弁えた臆病な親父なので、無体を強いてくる度胸はない。手形を受け取るときに気を付けていれば、墨だらけの不衛生な手で撫でまわされることもないので容易に受け流せる。


「どこまで行ってたんだい?寂しいじゃないか、最近荷物も届かないし」

「馬鹿言わないで」


 猫なで声の親父に手形を渡し、財布から角銭三枚を取り出して添える。


「おや」

「急で悪いけれど、明日で契約切らせてもらうわ。午後には換金屋も手配してあるから」

「……へえ、もう出るのかい?」

「いいえ、蔵を変えるの。北東の方にね」


 親父は手形と銭を受け取りながら渋い顔をする。


「あそこに?態々閑古鳥が住み着いた鬼門を選ぶなんて」


 何と言われようと決めたことだと、レンはふんと鼻を鳴らして胸を反らしてみせる。それだけで十分な迫力があって、親父は口を噤んで解約手続きを進めはじめた。


 親父の顔つきからは、欲に少し混じっていた親しみが明らかに消えていた。どうせレンが依頼に失敗して、手元の銭が足りなくなったのだとでも思っているのだろう。別に気に留めないが。そりゃあ、最後に蔵宛で報酬の送付があったのは遅くともサトの元で療養している前半のことだろうから、貧乏になったと思われても仕方のないことだ。


「――はいよ、鍵を開けた。ああ、人手はいるかい?」


 途端に冷えた声のなんと分かりやすいことか。


「結構よ」


 軽く手を振ったレンは一階の奥へと迷いなく足を運んで行った。


 浪人は、町や個人、商家などから依頼を受けて、ケダモノの討伐や採集をして生計を立てることが多い。その中で、討伐後の死骸を回収する場合や採集数が多い場合は、報酬におまけがつくことがある。特に商家の依頼で多いだろうか。品を受け取った側が報酬に採集品や加工品を少し付けて支払うことで、銭の支出を抑えるわけだ。

 レンはそういう類いの依頼を受けることが殆どだ。以前は長くとも五日に一度の間隔で、報酬の品がこの蔵に直接届けられていた。


「まあ、我ながらため込んでいたわね。解約明日にしてよかったわ」


 六畳の部屋にところ狭しと並べられた箱や壺、布袋等々。大半が討伐で得たケダモノ由来の素材か、レンの美貌を称賛して付けられた反物(たんもの)などの、元は無かった正真正銘のおまけ品だ。生憎と使い道が無くて、箪笥ならぬ貸し蔵の肥やしとなっていた。


「使えるのは……行李(こうり)三つ分ってところかしら」


 用があるのは手前の方に置かれた数種類の加工品だけだ。壺や漆塗りの箱に入っているそれら以外、惰性で取っておいたガラクタにすぎない。不用品は後ほど来る換金屋が出張買取していくのだ。

 開けた引き戸をそのままに、ぐるりと部屋を見渡して吟味する。


「出張料を差し引イてェ、板銭……イや。大板銭二枚ってとこかィ?」


 突然背後から聞こえた声は、どこかぎこちないような、演技がかっているような。レンは聞き馴染みのある口調にうんざりした顔が隠せなかった。気付かぬ間に真後ろに立った人物から香る女物かつ、数種類混じった香と化粧の匂い。レンの形良い眉が思い切りしかめられる。


「離れて頂戴。あんた、臭いのよ」

「人のこと言エっかイ?」


 すん、襟足の辺りで大袈裟に鼻が鳴らされる。


「ショウガ、ヨモギ、海イタチの油と……こりゃ黒スモモの種か。臭ェ臭ェ薬臭ェ。泡ガエルに後れを取るたァ、情けねェこった」


 一言で表すなら、彼は野犬のような男だ。痛みきった髪に日焼けした肌、着古した旅装束。軽佻浮薄なようでいて、その実用心深さを忘れない掴みにくい性格。富嶽(ふがく)というこの浪人とレンは、何の因果か借りている蔵も宿も隣同士だった。

 半ば強制的に結ばれた縁はまだまだ切れる様子が無い。気づけばこうして、花街帰りのどうしようもない女好きの方から絡んでくるのだから。


「髪も肌も荒れ放題。はア、頭から飲まれたか女顔」

「そうよ。あんたも三倍デカいカエル相手じゃ子犬同然でしょ」

「ハンッ、俺がカエルに負けっかよォ」


 富嶽がストンと座り込む。態とか知らないが、敷居を尻に敷いているせいで扉が閉められなくなった。

 呆れるやら怒りたいやら、レンは面倒になってしまって、そのまま荷物の回収を始める。どうしようもない男だが、不本意ながら、盗みなんてちっぽけなことはしない奴だと知っているので。

 適当な反物が入っていた行李をひっくり返し、使えそうな物を手当たり次第に入れ直す。見向きもされず転がることになった反物はどれも見事な逸品だが、生憎と派手な柄ばかり。サトには似合いそうにない。


「勿体ねェ。イらねェの?」

「いらない」

「フーン。今着てんのと、そウ変わらねェと思うがねェ」


 富嶽を無視して荷造りを進めていく。構われないのが不満な富嶽は、不貞腐れた様子でいるが、重たい尻をあげようとはしない。


「アァー、つまんね。景気付けに泡ガエル狩りに参加すっかなァ」

「そうしたら。もし呑まれたら、たわしで洗ってあげるわよ」

「オ優しィこって。くそ、巫覡(ふげき)選定後の祭りが見たくて滞在伸ばしたってのによォ。オかげで懐が寒みィ寒みィ」


 そんなに寒いなら花街通いを止めればいい話だろうに。

 例年に比べて巫覡選定が遅れていることは、最近噂になっている。サトと彼女を醜女(しこめ)呼ばわりしたガキンチョの言っていたことが理由だろう。対して親しくもない富嶽に教える気はないので、レンは適当な相槌だけ打って淡々と荷物をまとめ続ける。


 あのガキンチョ、顔もよく見ていない相手だが思い出すと腹が立つものだ。言われた相手が恩人というのを抜きにしても、人の容姿を蔑む行為自体を、レンは昔から嫌っている。素の形、体質、環境的要因。どれも万全な人間など一握りいればいい方だ。不完全で当たり前。容姿を磨きどこまで完璧に近付けるかは個々の自由、どの程度重視するかも自由なのだから。

 とはいえ、サトの肌に思うところが無いわけではない。あれば長期間体質に合わない化粧を続けた結果だろうと予想している。洗顔のたび、荒れた肌を気にしているのも知っていた。本人の知識ときっかけが無いから放置されているだけで、治せるものなら治したいらしかった。ここで埃をかぶっていた品たちは、その力になるだろう。


 順調に荷づくりを進めるレンの耳に、また別の声が届く。


「あれ、富嶽ったらまたレンに絡んでんの?」

「絡んでんのォ。ただ、ヌルヌル滑ってなかなか絡めとれねェのよ」


 廊下から顔を覗かせたのは松風(まつかぜ)という女浪人だ。溌溂とした性格が言動まで滲み出ていて、赤みを帯びた髪とソバカスが良く似合う。


「ちょっと、富嶽といい松風といい、なんで集まってくるのよ……」

「いいじゃない。久しぶりに顔見知りに会ったら挨拶したくなるもんでしょ」

「そオそォ、減るもんじゃねェし」


 ため息が禁じ得ない。入り口がふさがって少し暗くなった室内に苦言を呈せば、松風はちょっと体を避けて止まった。このまま離れる気はないらしい。

 すんっとまた鼻を鳴らした富嶽が両目を歪に細めて笑う。


「なァんだ、おめェも泡ガエルと遊んだ帰りか?」

「流石の鼻ね、腹立つー。ま、そうよ。大店の旦那が依頼出してたの。泡ガエルの繁殖を抑えるがてら、回収して石鹸を作るんだって」

「石鹸ねぇ」

「わたしたち浪人雇うにもお銭がいるもの。経費削減したいんでしょ」

「回収人員の手配と加工の手間で振り出しじゃね」


 背後がうるさくてまるで集中できない。レンの手はだいぶ動きが鈍くなっていた。

 苛立ちの半面、頭の中では松風の話を熟考している。対象は泡ガエルで作る石鹸のことだ。レンの体を荒らした粘液だが、回収して油と混ぜて固めると、質のいい石鹸ができあがる。赤ん坊の寝巻に使えるほど刺激が少なく、全身に遠慮なく使える万能な代物だ。

 さり、と自分の顎を撫でる。まだまだ本調子とは言い難く、カサついて少し油分が多い。

 行李に詰めた物の中には、保湿剤や髪油はあるが石鹸はない。サトが湯浴みで使うのは糠袋で、洗顔はいつも井戸水のみだ。これでは、十分手入れできているとは言い難い。


「松風。泡ガエル退治は、まだ募集してるかしら?」

「もちろん!切っても切っても減らないから、今日あたり流浪組合が招集をかけるって話も出てるよ」

「そう、情報ありがと」


 行李に入りきらなかった香油がたっぷり入った容器を投げ渡せば、受け取った松風が乙女らしく目を輝かせた。早速開けられた蓋から漂う匂いを嗅いだ富嶽が嫌な顔をしている。


「なんだァ、オマエも参加すんのか女顔」

「当然。良い石鹸が手に入るなら、アタシが参加しないはずないでしょう?」

「物好きだねェ、ちょっと前に呑まれたばっかだろォに」


 レンを襲った泡ガエルはすでにサトの手によってこと切れている。それはそれとして、仕返しがてら安く質のいい石鹸を手に入れられるなら討伐に参加する価値は大いにあるだろう。


「泡ガエルを減らして町を助ける。持ち帰ったカエルで石鹸が作られる。アタシはその石鹸が手に入る。石鹸のおかげで肌が治る。どう、良いことずくめじゃない!」


「カエルには気の毒な話ね」

「違エねェ」


 外野の感想は何のその、思い立ったが吉日だ。

 レンは中身がぎっしり詰まった行李を三ついっぺんに持ち上げて、まだ敷居に居座り続ける富嶽を蹴飛ばしながら蔵を出た。


「ッオォイ!でけェケツがぶつかってんぞォ!」

「誰のケツがなんだって?嫌なら貧相な尻をそこからどかしなさいよ!」

「ケツケツ煩いよあんたたち」


 レンの背中を追って、富嶽と松風も後ろを着いてくる。自分の用事があって蔵にいたんじゃないのかとも思ったが、深くは追及せずに同行を受け入れた。

 行李を荷運び人に任せると、その足で流浪組合――浪人や旅人のための補助団体へと向かった。すでに泡ガエル討伐に申請している浪人も多くいて、数日毎に交代制で繁殖した肥溜めに派遣される形だ。


 レンと富嶽はすんなりと討伐参加に申請できた。松風はすでに参加済みで、数日後の手番が来たらまた行くという。


「しかし、オかしな話だ」


 参加者を証明する木札を受け取った富嶽が、その手で木札を遊ばせながら独り言ちる。


「泡ガエルの繁殖時期と、ちィとずれてる。何より数に対して肥溜めがちいせェ」

「ああ、卵を肥溜めの中に産むんだっけ?」

「なによそれ。どうして?」

「奴らの粘液が、卵も溶かしちまうのよォ。汚ねェところに産んで中和するわけだ。肥溜めのほかならァ……汚泥、どぶ川なんかか」


 組合の地図に載っている泡ガエルの出没地域は肥溜めのみ。近くに川もなく、勿論汚染された土地もない。大量発生の原因が分からず悶々とする富嶽は、鋭い犬歯で手元の木札を噛み始めた。参加証明書の体裁を保てなくなるほど齧るようなら止めさせようと、レンと松風はその行動を一旦無視することにした。


「東じゃ海狒々が増エてるってェ話もあるがァ……アれも分からん」

「船の転覆があったとか?」

「そうなら簡単なんだけど、レンがいないうちもそういう話は無かったよ」


 不可思議な話もあるものだ。指摘されると違和がより大きく感じられるもので、なにかざわりと胸の奥底を無遠慮に撫ぜられたような心地になる。


「ま、用心するに越したことないよね」


 さっぱりとした松風の言葉に同意を口にしながら、レンはそっと襟元を指先でなぞった。

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