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美しくあれ

 美人というのは、怒るとそれはもう大変な迫力がある。泡ガエルの口から引きずり出したこの美男子も例外ではない。


 囲炉裏の炎を受けた猫のような目がギラギラと輝いているように見えるし、形のいい唇からはいつどんな罵倒が飛び出すのかと肝が冷える。手に鉈でも握られているんじゃないかと幻視してしまうくらいだ。実際に持っていたなら、自分の葬式が頭をよぎったかもしれない。


 夕暮れの中住み込みの平屋に戻ってきたサトは、囲炉裏の前で仁王立ちするレンに面食らって数歩後ろに退く。吊られた鍋が湯気をあげているところを見るに、夕飯の支度をしてくれていたらしい。


醜女(しこめ)、醜女ですって。ああそう、そういうこと言うの。あのガキ何様なのかしら」


「こっわ……」

「ぎゃい……」


 嘲笑交じりの声からドスの効いた声へ切り替わって落差が激しい。低音が腹に響いて悪寒が走る。我が家の板間に近寄れないサトの足元で、小鬼三匹も同じように震えていた。


「アタシもそりゃ男だと間違えたわよ。でも目が使えなかったから……いいえ、言い訳しないわ。これはアタシの落ち度。早とちりして気付かなかったアタシの責任。

……だとしても、それを抜きにしてもよ。醜女はないわ。ない、絶対ない!醜女はあのクソみたいな奴のことを言うのよ!

――サトは違うわ。絶対違う。間違ってる。……撤回させなくちゃ……」


「……ケツを割り開いて診たことはこの先も黙っといた方が良いと思うか?」

 それはすごい剣幕で起こられるやつだ。手のひらくらいの妖怪にだって分かることである。小鬼たちは揃ってぶんぶん、首を縦に振るのだった。


 すらりと長い足が美しい貧乏ゆすりを披露している。下手な妖怪より恐ろしい。

 なるべく静かに努めて戸を閉めたが、最後にコンッと鳴ってレンに気付かれた。小鬼が蜘蛛の子を散らすようにいなくなる。


「やだ、帰っていたのね。お疲れ様」

「あっはい」


 変わり身早いな。

 気付かれたならと板間に上がったサトは、それでも自然と膝を揃えて正座した。昼間の八雲同様、巫覡(ふげき)候補らしい綺麗な姿勢だ。


「アタシね、昼間の話聞いちゃったのよ。ごめんなさい」


 流石に声色が和らいでいるが、いつもより温度が低いと言おうか。胃がきゅっと縮み上がった気がする。


「お、おお……。別に聞かれて困ることじゃないし、いいけど。しかし、なんでまた蔵に。何か用でもあった、のか?」


 花弁を散らすような、耽美な満面の笑みが返された。古着の着流しが絹織りの銘品に見えるようだが、なんだかとても毒々しい。


「恩人を、“醜女”、なんて呼びやがったのよ。あのガキ」


 仁王立ちを止めて鍋をかき混ぜるレンから視線を逸らし、(はり)の辺りに泣きべそをかいた八雲を幻視した。

 ああ、哀れな八雲。醜女呼びは今更だしサトも“劣等生”と呼んでいるのでお相子だと思っているが、どうやらこの麗人の逆鱗に触れたらしい。


 男と思われていたことも醜女と呼ばれることも、結局サトの無頓着な恰好が原因だ。そりゃあ胸に刺さることもあるが、自業自得だと理解している。どうしても嫌なら恰好を正せばいいだけの話なのだ。面倒が勝ってほったらかしにして、今の今まで視線向けなかっただけに過ぎない。


 鍋からは食欲をそそる香りが湯気に乗って漂ってくる。レンに食事を作ってもらうのは二度目だが、サトの家には基本甘味と米、調味料くらいしか置いていない。前回はただの握り飯だった。

 囲炉裏に顔を乗り出して覗き込むと、なんとも旨そうな雑炊がたっぷり入っていた。葉物に大根、それに高価な卵まで。これは何だろうか?見たことのない、赤い野菜のようなものが細切れになって混ざっている。


「うわ……うまそ……」


 自然と唾液が溜まってこくりと飲んだ。

 レンはサトの反応を嬉しそうに受け止めて、もう一度鍋底をかき混ぜる。この時ばかりは一旦怒りを忘れたようだ。


「ふふっそうでしょう。もう食べられるわよ」

「本当?じゃあ、食べたい」


 椀にそれぞれ雑炊をよそう。サトはすぐに匙を突っ込んだが、レンは猫舌なのでしばらく放置するつもりのようだ。

 味が沢山混じっているのに調和がとれた雑炊は絶品だ。熱くてもすぐに次が欲しくなる。いつもより食欲旺盛なサトを、レンは満足げに見つめている。


「しっかり噛んで、しっかり食べて頂戴。あんた、食事内容が偏り過ぎなのよ。だからそんなに肌が荒れるの」


 こきゅ、と変な音を奏でたのはサトの喉だ。図星を突かれたので仕方ない。熱々の雑炊が食道を流れていったが、動く気になれず自分の頬肉を噛んで耐える。


「お米しか食べないじゃない。それ、弱ったアタシに合わせていただけじゃないでしょう。料理自体はできる癖に、面倒くさがっちゃって」

「バレてる……」

「美しさは鎧にも武器にもなるの。身綺麗であるに越したことはないわ。――私は、美しくあるために生きている」


 匙を握ったままレンを見る。囲炉裏の炎で照らされた顔は、相変わらず美しい。


「地元にいた頃、神隠しに遭ったことがあるの。面食いで男好きの、自分勝手な山神がアタシを攫って……ようやく戻れたときには家族全員いなくなっていた。アタシがいない間に、家族は勝手な神様のせいでヒラサカ街道の先に連れていかれてしまったの」


 ヒラサカ街道。土門一門が守る岩戸の先に伸びる、もう一つの世界に続く長い坂のことだ。凡人がおいそれと足を運べるところではなく、その土を踏むことができるのは、神々の導きを受けた者のみ。一説には、一方通行の黄泉路とも。


「それ、綺麗で損した話じゃないか?」

「そうよ。山神の眷属は言ったわ。“そりゃあ残念だ。あんたが綺麗なばっかりに”……なんてね」

「――」


 何も言えなくなったサトを気にせず、レンは囲炉裏から鍋を下ろす。これ以上火にかけ続けては折角の雑炊が焦げてしまうだろうから。


「だからこそ、アタシは美しくあるわ。より美しくなって神をも魅了して、弱点を武器に研ぎあげる。そうして、アタシにアタシの家族を貢がせる」


 烈火のような強い意思を宿した(かんばせ)は、氷のように冷ややかな目で囲炉裏の火の向こう側を見ている。呑み込まれそうになる迫力が、サトの視線を釘づけにして離さない。

 神を魅了し己に貢がせる――何とも途方もない話だが、一笑するにはその目が真剣過ぎた。旨い雑炊を口にすることも忘れて、鮮烈な美貌を浴びる。


「そのために遥々まほらの里まで来たんだから!――ま、忌々しいカエルのせいで育てた美貌も振出しになってしまったのだけど」


 憂い顔の睫毛が灯りを受けてくっきり影を作っている。これで振り出しとは、元はどこまで美しかったのか。


「それに、もう土地神くらいなら貢がせた経験はあるのよ」

「へえ、何貰った?」

「……それ聞くの?」

「なに?」

「おっきな猪、それから山菜!……笑わないでよ、名前も曖昧な小さい土地神だったんだから」


 レンは湯気が落ち着いた椀を手に取り、山盛りひと匙を口に突っ込む。こういう仕草は意外と男らしいというか、豪快だ。……雑炊の中の方は冷めきっていなかったらしい。小さく身悶えながら何とか飲み込んで、そこからは一口が小さくなった。


「サトへのお礼の第一歩は、その肌を何とかすることから始めるわ。そうして、あんたに小さな武器をあげる。安心して、無理を強いることはしないから。ただ美味しい物を満遍なく食べて、沢山水を飲んでくれればいいの」

「……それで、このしつこい吹き出物が治るのか?」

「ちょっとは薬も使うけれどね。絶対、絶対!……あのガキに二度と醜女だなんて言わせないから」


 サトはざらりとした自分の顎を撫でて、雑炊を食む。

 具材と栄養をたっぷり混ぜ込んだ米はあっという間に無くなって、珍しく一杯目と同量をおかわりまでして食べきった。


 ま、レンの好きにさせようか。飯は旨いし、痛い吹き出物が消えてくれるのは願ってもないことだ。

 サトは少なくとも自分の吹き出物が綺麗になるまで居てくれるつもりらしいと合点して、上機嫌で皿洗いを引き受けた。


「まったく、ようやく準備が整ったから巫覡の用心棒になりたくて来たのに、泡ガエルのせいで台無しだわ」

「そりゃ災難なのことで。ちなみに、巫覡の用心棒選抜は一年以上前に終わってるよ」

「えっ」

「鍛えたり作法の習得だのがあるから、巫覡選抜が始まる前に終わらせるんだ」

「……え、無駄足だったってこと?」

「……まあ、十二年後にまたあるから。レンなら十二年後も美しい、大丈夫だ。それか補充の臨時選抜を期待するしかないな」

「嘘でしょ!?」


 愕然とした美人は、とても綺麗に崩れ落ちた。

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