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耽美なる浪人

 八雲がまたサトを訪ねて仕掛け蔵に来た時、帳場にいたサトは真昼にも関わらず大変眠たげな様子で、隈をこさえた眼を虚空に投げて座っていた。心なしか顔の吹き出物もいくらか増えているようだ。

 濃い隈に散切りにも程がある乱れた短髪、荒れた肌。勢いよく乗り込んできた八雲は面食らって、衝撃的な姿のせいか目じりにじわりと涙を溜めだした。


「ど、どうした醜女(しこめ)?いつもより、なんか酷いぞ……」

「分かっているなら帰れ、劣等生」


 なんだか悪態すらいつもの勢いがない。

 八雲は様子の違うサトに戸惑って、三和土(たたき)で右往左往した。目線もサトの顔と髪を行ったり来たり落ち着きがない。それを階段で見ていた小鬼が一匹真似をして、二匹は大いに囃し立てるのだった。


 サトの元気がないのは、単純に睡眠不足のせいだ。

 夜八つの鐘を聞き取ったらしい旅人が起きだしたのが始まりだった。鐘の音に慌てふためく声が続いたせいで起こされたサト。寝ぼけ眼をこすって身を起こすと、まず帯が無いので全開になった着流しをほったらかして、暗闇にぬっと立つ男が目に入って眠気が飛んだ。


「か、(かわや)……厠はどこ?」


 然もありなんと言おうか。飲み込んだ粘液を薄めるため稼吉にたらふく水を飲まされ、煎じ薬も急須一杯分飲んだのだ。むしろ今まで決壊せず、起きて厠を探すだけの余裕があったのは奇跡と言える。

 サトは大あくびを一つしてから重たい身体を持ち上げた。


「おい、おまえ。案内するから着いといで」

「うわぁっ!あんた誰、って……いや、いい。わかった。な、なるべく急いで!」


 低く少し掠れた、耳に心地いい大変良い声だ。

 場違いにもそんな感想を抱きながら立ち上がる。あまりに哀れな旅人の内股姿は、提灯を用意する時間すら待たせるのが可哀想だ。代わりに、神通力で火の玉を一つ二つと出すことにした。


「えー……っと、螢惑(けいこく)炎駒(えんく)に願い奉る――」


 炎に照らされた旅人の瞳は真ん丸になって浮かぶ火の玉を見る。綺麗な深い緑色だ。梅紫の髪によく似合っている。


「ほら、こっちだよ」

「待って!」


 酷く震えた声が形よい唇から紡がれた。


「……ごめんなさい。目が、上手く見えないみたい」


 サトが唾を飲んで鳴らした喉の音が、暗い室内に嫌に大きく響く。

 きっと泡ガエルの粘液が影響したのだろう。光は解るが、どうにも視界がぼやけて不明瞭らしい。失明していないのは幸運だった。

 旅人は暗闇で下手に足を動かせず立ち尽くす。ただ焦点が合わない緑の瞳が、長い睫毛の奥で揺れていた。


 この場合、どう声をかけるべきだ?

 サトが思案すること数秒。形にならなかった慰めの言葉は、音になることなくため息と共に飲み込まれた。


「……手を引こう。明かりについて来ればいい。厠は狭いからそれだけ気を付けて」


 軟膏が浸透しきった手は荒れているのがよく分かる。やはり一度薬を塗った程度では炎症を防ぎきれないのだろう。筋張った男の手が熱を持っていて、サトの少し冷えた指を温めた。


「ありがとう」


 慎重に足を運ばせて平屋の外に出る。目がよく視えない相手を誘導するのはとても気を遣うこと。初めてで、しかも夜ともなればなおさらだ。


「ここが厠だ。……穴は見えるか?」

「ええ、明かりがあれば大丈夫」

「じゃあ、済ませてきてくれ。終わったら声をかけてくれればいいから」


 火の玉を厠の中、足元がよく照らされるよう配置してから外に出る。

 何度もあくびをしながら声を待った。夜風と月明かりに晒されて待っていると、吹っ飛んだ眠気もまたいそいそと戻ってくるので困ったものだ。


 上から厠を覗き込もうとするずんぐりむっくりした妖怪を追い払うのは、残念ながらあまり暇つぶしにはならなかった。


「――あの、そこにいる?」


 瞼が重くなって漸く声がかけられた。

 灯りが役立ったのか、旅人は難ある目でも無事に用を足すことができたようだった。厠に間に合ってすっきりしたのだろう。美しい顔はいくらか明るくなていた。

 火の玉についてぎこちない足取りで寄ってきた旅人に手を洗わせる。眠気が冴えたらしい彼は手拭いで水を拭きとりながら、焦点をサトに合わせようと目元に力を籠めていた。


「あの、助かったわ。ありがとう」


 ここで初めて旅人が女性らしい言い回しをすることに気が付いたので、今更ながらサトは面食らってまた眠気が引っ込んだ。

 彼はいくら美しくても立派な青年だ。しかし紡がれる言葉は女でも稀なほどに柔らかさと上品さに満ちている。とはいえ、驚いたのは一瞬のこと。一見ちぐはぐな容姿と口調だが、この青年には不思議と良く似合っているのだ。


「目が覚めて良かったよ」

「助けてくれたのは、あんた?」

「そう。サトという。近くの林で稼吉(かきち)……、知り合いの男と拾ったんだ。昨日の真昼前の話だよ」

「アタシのことはレンと呼んでちょうだい。浪人よ」


 旅人もとい、レンは美しい顔を綻ばせて礼をする。


「助けてくれてありがとう。その……お礼をしたいのは山々なのだけれど、」


 言葉が不自然に止まって沈黙が横たわる。

 サトが首をかしげるといそいそとレンの腕が動き出して、掻き抱くようにして着流しの合わせを閉じるのだった。なんというかまあ――


「今更?」

「ご、ごめんなさい。みっともないとこ見せたわ……っ」


 赤面するレンを宥めながら板間に戻らせ、放置していた褌と帯を締めさせる。

 羞恥で落ち込むレンを励まして落ち着かせて、どのくらいかかったことか。再び眠りについたのは、少なくとも晩七つの鐘が鳴ったあとだ。

 今朝のレンはまた眠っていて、結局起きてこなかった。




「醜女、眠いのか?」

「見りゃ分かんだろ劣等生。ほんと何しに来たんだよ……」


 疲れと睡眠不足、もしかすると神通力を一日に何度も使った影響があるのかもしれない。今のサトは頭痛と怠さを訴える体を、気力で何とか起こして店番をしている。小鬼が近寄らない程度には弱っていた。今日ばかりは仕掛け蔵の掃除も省略だ。


 八雲はサトの様子に気圧されたようで用事を口に出せずにいる。まだ両足が右往左往して止まらない。

 半泣きの垂れ目と動くたび揺れる雲のような髪を、サトはレンとは真逆だなとぼんやり眺めていた。あちらは猫のような吊りがちの目をしていた。荒れた髪も元は真っすぐだったはずだ。


「……おまえ、木行はできたっけ」


 そんな言葉が突然サトの眠気で緩んだ口から零れたので、八雲は鳩が豆を投げつけられたような顔をして固まった。零した本人は今にも瞼がくっつきそうな、とろんと気の抜けた顔をしている。珍しい表情も相まって、八雲は暫しサトの顔を見て静止していた。

 九割がた瞼が閉じた辺りでハッと我に返ると、力強い声音で問いに答えた。


「そ、そうだぞ。木行と水行は醜女よりましだ!」


 えへんと胸を張った八雲にひと言。


「神おろしはろくに見聞きできないくせになぁ」

「うぐっ……」


 なんとも儚い力強さだった。


 サトが聞いたのは、眠っていたレンに軟膏を塗るとき使っていた木行の神通力についてだ。

 五行神通力のうち、木行は命や体にまつわる神通力。主に治療や身体強化に使われる術だ。土門一門は大地や均衡にまつわる土行に秀でていて、他の行は本人の資質と努力でどれだけ扱えるかが決まる。サトも得意な術は土行ばかりで、その他は基礎的で難易度の低い術しか使えない。


 サトの記憶に間違いがないのなら、八雲の母は木行を得意とする木内一門から嫁に来た人だったはず。劣等生と言われる割に上手く木行を扱えるのは、母方の血筋なのだろう。


「泡ガエルに襲われた奴がいるんだ。この場合、使うのは癒水(ゆみず)でよかったか?」


 八雲は何を聞かれたのか分からないといった顔をした。暫く言葉を反芻してようやく何を問われたか理解する。

 まさかサトが自分に教えを乞うとは!――と、言わんばかりに頬へ血の気を集めて、いつもより輝きを増した垂れ目を興奮に見開いてこちらに向けてくる。率直に言って、睡眠不足には辛い明るさだ。ついでに続いた声も音量が大きくて頭に響いた。


「あ、合っているぞ!薬を使うときに神通力を籠めればいい!」


 いつの間にか八雲の両足は落ち着きを取り戻していたが、今度は両手がぎゅむぎゅむと握ったり開いたり忙しない。


「上級巫術師(ふじゅつし)なら相剋(そうこく)相乗(そうじょう)をうまく使う!……けど、それは木内(きうち)一門じゃないと難しいしな!」


 気分が高揚した八雲は喧しいが、まあ己の対応は間違っていなかったらしい。そう知ってサトは「ふうん」と気の抜けた相槌の後に、帳場の机に肘をついた。眠くて姿勢が維持できないのだ。


「でも、……ケダモノ相手なら略祓詞(りゃくはらえことば)を合わせたほうが良いかもしれない、かも?」


 直後、八雲が続けたこの言葉に、姿勢は戻せないが少しだけ目が覚めた。


「ケダモノ……?そうか、泡ガエルもケダモノか」


 ケダモノは野生動物のように繁殖し各地に生息する。動物とは違い、霊力を宿した生き物の象徴だ。厄や難、穢れを好む性質があり、たまに増えすぎたりして討伐対象になることもある。汚物を好む泡ガエルもそのひとつ。


「粘液に触れただけならいいけど、もし飲んでしまったなら腹に穢れが溜まっているかもしれない。念のため、清めた水を飲ませたほうが良い!……と、聞いたことが、ある」


 なるほど、と冴えてきた頭で助言を反芻する。後半になるにつれて弱弱しくなる声は無視だ。旅人が目を悪くしたのは、その穢れのせいもあるかもしれない。


「八雲、礼を言う」


 サトに今日で一番の笑顔が浮かんだ。何なら八雲が見た中で一番と言ってもいい。体調のせいで顔色は悪いが、眠気も相まって八雲が覚えている限り最高に柔らかい微笑みだった。


「そっそ、そう、そうか……?へへっ、えへへへ」


 途端に腑抜けて緩み切った笑顔に変化した八雲のなんと単純なことか。機嫌よく手を振ったと思うと、浮ついた足取りでぴょこぴょこと仕掛け蔵を後にするのだった。

 八雲が今日、なぜ態々霊山三合目にある土門一門の領地から、町はずれの仕掛け蔵を訪れたのか。その理由を本人が思い出すのは、帰ってから父親に「緩み切った顔がだらしない」と禊場(みそぎば)に突っ込まれた後の話だ。


 哀れな八雲はさておき。蔵のお勤めを終えて家に戻ったサトは、改めてレンと顔を合わせた。レンは(むしろ)に崩れた正座をして、こちらに背を向けていた。


「んん?起きられたのか」

「っあ、帰ったのね。おかえりなさい」


 なんとも擽ったい言葉と共に座ったまま振り向いた旅人は、まだ目が見え辛いようだ。懸命に焦点を戸口にいるサトに合わせようとして、眉間にしわが寄っている。

 それでも元気そうではある。炎症も酷くなった様子はない。サトは安堵の息をひとつ零した。


「丁度いい。知り合いに治療について聞いてきたんだ。ひとまず試させて」

「治療?……分かったわ」


 レンは素直に姿勢を正してこちらを向く。明るい場所で見ると、視線を吸い込むような美貌が威力を増している気がした。相手がよく見えていないのをいいことに暫く眺めてから、サトは湯呑に水を注いでくると正面に座る。

 近付くと旅人の額がじっとりとした汗をかいていて、肌が炎症とは別種の赤みを帯びていることが見て取れた。熱を出しているらしい。安堵するのは早かったかもしれない。

 これは気合を入れたほうが良いかと、深く息を吸って手のひらで湯呑を包み込む。


「祓え給い、清め給え。……神ながら守り給い、幸せ給え」


 手に込めた霊力がじんわりと湯呑に揺れる水へと清めの力を宿す。あまり経験のない霊力の使い方だが、上手くいったようだ。

 湯呑はレンの手を取ってそっと持たせた。ぎこちない動きで指に力が入り受け取られる。


「あんた、拝み様なのね」


 早速湯呑に触れた唇は荒れて皮が浮いている。


「古臭い言い方だな。どこの出身?」

「んー……北方よ。愁麗峰(しゅうれいほう)の辺り、って言って分かるかしら」


 柔らかい口調が掠れがちな声によく似合う。外見の美しさも相まって性差を超えた色気を感じた。サトは人知れず喉を鳴らして唾を飲む。気付かれていないことを祈ろう。


「都のさらに北だっけ?」

「そうよ。よかった、知っていたのね」

「まあ……何となく?この辺りじゃ私みたいのは単に術者とか、巫術師なんて呼ぶよ」


 ちびちびと湯呑の水を消費する旅人から離れて薬缶に生薬を突っ込む。起きているうちにまた急須一杯飲んでほしい。

 レンは囲炉裏で火を起こすサトを目で追っているようだが、やはり焦点が合わないのか眉間にしわが寄っている。


「改めて、助けてくれてありがとう。その、……お礼をしたいのは山々なのだけれど」


 遠くを見ることを諦めて近くの湯呑を眺め始めた。憂い顔はまた違った色気があるものだ。サトとしてはその顔を無料で見ているだけも「お礼」にしてもらっていいと思うのだが。


「……まあ、最低でも買った薬を消費しきるまでは居てくれないと困るかな」


 腰を据えて地領をさせたいが五割、言ったとおり薬の心配が二割、あと下心が三割といったところだろうか。

 付きっきりで治療をしてくれる巫術師なんてそういない。少しずれるが、生憎と入院なんて制度はこの中つ国には無いのだから。初期治療を終えた今、下手な医者に世話になるよりもここに滞在してもらってサトが術をかけ続けたほうが手厚い治療ができる。つまりその方が、荒れてしまった美貌を速く元に戻せるはずだ。


「困るって?」


 レンの美しさを早く戻して見てみたい、というのが本音。


「泡ガエルの薬は高いんだよ。一人治す分いっぺんに買い込んである。余ると嵩張るから消費してから次を考えたらどうだ?」


 これが建前。

 嘘ではないが申し訳なさが針になってチクチク刺さる心地がする。それからサトは黙って火箸で炭を弄るだけになった。難ある目がこっちを向いていることは分かっていたが、目線を合わせる気になれずそのまま大きくなっていく火で視界を占有しておく。

 火が小さく三回弾けて火花を散らすと、レンはいっそう柔らかい声を紡いだ。


「……本当に、本当にありがとう。アタシ、後できっちりお礼をするわ。家族に誓ってね」

「そうか。まあ、そこは任せるよ」


 目を逸らし続けたい気持ちとは裏腹に移動していた眼球が、視界の端で花開くような笑顔を捉える。正面から目に焼き付けておけばよかったと少し後悔しながら、漂い始めた煎じ薬の匂いに鼻を鳴らした。

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