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十六、対泡ガエル②

「上手い事卵が産めなかった」


 わたしの(はら)には卵ができんらしい。周りの雄もよく分かっているのか、どれもこれも近寄ろうとしなかった。


「人の言う、醜女(しこめ)と言う奴かしらん」


 背に歪なこぶがあった。要らんそれに栄養を取られたのかもしれなかったが、所詮ケダモノ。真偽を確かめる術を持たないまま(とう)が立った。


「おまえはどう思う?」


 こぶは黙ってばかりだが、何があっても一緒に在るのが良い。雄に見向きもされず、隅の方で汚泥を啜っている間も寂しくない。


 憧れたこともあった。でも別に、もうこのままでいいかと思っていた。雌の仕事ができずとも、こぶは何にも文句を言わない。愛想を尽かして出ていかない。それに甘えて、共にのんべんだらりと過ごすのだ。


「それで良いと思っていた。……ほんとうに」


 ああ、我らが神よ。何故、私はいつまで。

 これは本当に我が子なのか。それらが這い出た後の背中に粘液が伝うと、焼けるように痛いのに。


「そりゃあ、胎に毒の粘液が伝えば痛いだろうね。ぼくは知らないが、産むという行為は痛いものらしい。なら、合っているんじゃないか」


 純朴な我らの神は、きっと大丈夫だと笑った。


 腹が重たくて動けないようになった。食べるのを止めてじっとし続け長いこと経つのに、いっこうに中身が減らず膨れるばかりだ。


「満腹ならよかったじゃないか。孕むというのは、腹が膨れて重くなるらしい。なら、合っているんじゃないか」


 舌足らずの我らが神は、なぜそんなに苦しむのかと小首をかしげた。


 ぶくぶくと太る体が憎い。背が弾けるたび恨みが漏れる。どちらもまとめて喉に押し込まれて、さらに太る糧になった。


 ああ恐ろしい。身を焼く痛み、肥大する体の苦しみ、それらを与える得体の知れない同族が、我が子であるなんて。雌の仕事はこんなに辛いものだったのか?なら、一生そんなことしなくてよかった。こぶと二匹、寄り添って平穏に在ればそれで。


 こぶ。そうだ、こぶはどこに行った。傍に居ておくれ。ここに在っておくれ。子供なんて要らん。石女(うまずめ)のままでいい。おまえが、おまえが居てくれさえすれば――。


「きみも、子供は要らんなんて言うのかい」


 冷え切った声が突き刺さる。暗がりで我らが神の三本角が鈍く光った。


「こぶだったか。あの産まれそこないなら、一番始めにお前の糧になって消えただろ」


 ああ、無情な――。




 と、こんな出来事から生じた絶望が、原形を忘れた奔流となって松風(まつかぜ)の頭の中を巡っていた。


 生命らしい繁殖の渇望から、少なくともカエルらしくない在り方を強いられた苦しみまで。

 漠然としたものだったが、何故か松風には伝わった。松風も女なので「いつか子供を持ちたい」なんて考えたことがあるせいだろうか。種族は違うが女は女。不幸なことに、親玉ガエルがああなった一端を見て正気は保てなかった。


「松、松、しっかりしろ!」


 間延びした普段の口調もかなぐり捨てて呼びかける富嶽(ふがく)。今の松風は受け止めることになった絶望に手いっぱいでいた。金切り声こそ収まったが、恥も外聞もなく泣いて止まらない。

 サトが遭遇したのは、そんな場面だった。


「一体、なにがあったんだろう?」

「ケダモノの穢れにあてられたようだ」


 後ろに消えたり現れたりして着いてくる椿女と古多万(こだま)が答える。


「穢れ。……なら、祓詞(はらえことば)でいけるか?」

「容易く」

「じゃあ、ちょっと寄り道だ」


 サトは自分で対処できると知ると、特に悩みもせず松風たちの方へと足を向ける。古多万たちも文句を言わず着いて行った。草をかき分けて近づくサトに、当然ながら富嶽は警戒を露わにしてこちらに短刀を向ける。


 野犬のような相貌の男に睨まれると、いくらサトでも怖気づくものだ。富嶽からすると突然現れた妖怪を引きつれた小娘の図。この対応はさもありなんといったところだろう。軽率だったと僅かな後悔が燻る。

 ぐっと恐怖を堪えて、距離を置いたところで止まった。自然と両手を上げる形になって、丸腰であることを伝える。弁明しなければと開いた口だったが、寸前で声が引っ込んだ。


 泣き続ける女と睨む男相手に、なんと声をかけるべきだろうか?


「あー……。おい、古多万。この場合、どうすればいい?」

「妖怪に聞くか?……身分を伝えてみればどうだ」


 傍らにいるのが人寄りの思考をした妖怪で助かった。稼吉(かきち)が着いて来ていればもっと助かったが、生憎と蔵の番を変わってもらっている。


「何の用だァ、ガキ」

「……えっと、岩戸出身の巫術師だ。サトという。浪人のレンを探している」


 既知の名前に富嶽の警戒がやや緩む、というか困惑して威圧が引っ込んだ。優れた鼻は草木と土の強い匂いを感じている。目の前に立つ薄っぺらい身体をした少女が美しい浪人仲間と結びつかない。

 富嶽は少しの間思案顔を浮かべると、睨む目はそのままに短刀を下げた。


「浪人の富嶽だ。……ガキ、状況は分かってんだろうなァ」

「分かったうえで加勢にきた。土門(つちかど)一門の出だ。足場の補助と簡単な浄化ができる」


 浄化と聞いて富嶽の目がきらりと光った。彼は松風の状態を正しく把握しているらしい。これは僥倖、と漏らしたのは後ろにいた古多万だった。


「取引はどうだ、富嶽さん。その人の受けた穢れを私が払う。代わりに、レン……か、大きな泡ガエルの居場所が分かれば教えてほしい」

「知らなかったらどうする」

「……えっと、そうだな。その場合は、どうしようか」


 ここに居て、連れが穢れも受けていて。知らんということがあるかよ。


 本気で悩み始めたサトに毒気が抜かれる気がした。岩戸の巫術師がなぜここに、という疑問はまだ続いている。なのに目の前の小娘がする世間知らずのガキのような仕草が、どうにも警戒心を損なわせてくるのだ。

 富嶽は未だ泣き続ける松風とサトを見比べ、結局短刀を鞘に戻した。


「ここから三町(三百メートル強)ほど南下しろォ。武士と浪人があの水膨れとやりあってる」

「えっ、あ、そうか。ありがとう。じゃあ、私の番だ」


 急に態度が軟化、と言うよりあからさまな棘が無くなった富嶽に面食らいつつ、サトはそっと松風に近付き腰を下ろす。

 松風は親玉ガエルを直視した当初に比べて落ち着いていた。サトから見ても穢れは大したことはなく、ただ穢れの発生原因と親和性があったせいで、人より強くあてられたようだった。


「祓え給い、清め給え」


 簡単な祓詞を唱えただけで穢れが呆気なく消えていく。松風の様子もすぐに落ち着いた。喚くことを止め、ハラハラと涙を零すだけに。後は時間と共に気持ちの方が落ち着けば、自ずと気力も持ち直すはずだ。


「これでいい。無理に動かさず、もう少し休んだら移動してくれ」

「アァ。……オイ、ガキ」


 腰を上げたサトに投げ渡されたのは竹筒。落としかけながらなんとか受け取ると、ちゃぽんと液体が揺れる感触がした。

 椿女は着物の袖で鼻元を覆う。


「臭い臭い。ケダモノの脂だ」

「臭ェのは同意だ。手足に塗っとけェ、多少マシだ」

「……ありがとう。使わせてもらう」


 早速蓋を開けると、確かに独特な獣の匂いがする。ケダモノの脂という割に穢れはないし、肌によく伸びて案外心地のいい感触がする。手早く作務衣から露出する手足に塗り終えたら、その場で筒を返した。


「脂の礼はあとでする。それじゃあ!」


 富嶽の情報の真偽も確かめず、林の中へ駆けていく小さな背のなんと忙しないことか。その背を追う木の気配がする妖怪たちと三本足の烏を見送って、大して中身が減らない竹筒をじっと睨んだ。


 筒ごと持って行けというつもりで渡したんだが。


 富嶽の脳裏に、出会ったばかりのレンの姿が浮かんで消えた。似ているような、似ていないような。

 些末なことかと頭を振って竹筒をしまう。それから、いつの間にか気を失った松風の脱力しきった体を支えてやり――。


「どうにもなァ、素直な年下はやりにくくて仕方ねェ」


 鼻は穢れた粘液の匂いを忘れて、草木の青い匂いで満たされていた。ふすんと追い出すように空気を吹き出したが、暫く消えそうにないようだ。



 ****


 富嶽が示した方角は、真実どどめ色の水饅頭が鎮座するあの沼だった。

 悍ましいその姿を視界に入れたサトは、成程、これにあてられたのかと妙な納得感を得る。レンの心配を余所に、ここに来た誰よりも冷静に親玉ガエルを直視できていた。


「平気そうだな、土門の子」

「チビの頃見た、変な匂いの肉塊に比べたら別に。穢れはこっちのが酷いが」


 サトは名前まで知らないが、ぬっぺっぽうという妖怪のことだ。

 医者に化けて接触を図ってきたそれが、鼻息荒く小さな八雲と棗に迫っていたのを覚えている。あの時の身の毛がよだつ感覚に比べれば、動かない穢れガエルなど取るに足らないものだ。


「……ちとズレとるな、この子」

「シッ、滅多なことを言うんじゃない」


 古多万のやり取りはサトの耳に届かなかった。


 視線の先では、レンが何度目かの一閃を親玉ガエルの腹に喰らわせようとしているところだった。身軽な動きで飛び石を作って迫っているが、やはり同じ場所に攻撃を当て続けるのは難しい。親玉ガエルの腹のいたるところに、血が滲まない切り傷が付いている。

 居ても立っても居られず、大声で呼びかけた。


「レン、待たせた!来たぞ!」

「サト⁉本当に来たの?」


 カエル相手に焦燥を滲ませていた顔が驚きに変わる。声は喜色と、それから一種の心配が含まれていた。


 ――ああ、本当に来てしまったのだ。


 背後で輪郭を木々に溶かしていく古多万に、恨み言を一つ浴びせてしまいたい気分だった。

 茂みから出たサトに、周囲の武士と浪人からどよめきがあがる。結局攻撃を産まれたばかりの子ガエルに阻まれたレンは、駆け足でサトを迎えた。この頃には古多万たちは完全に姿を潜ませていて、どこにも見えない。


「取引成立だ。助力はもらえた」


 どこか得意げなサトが、まるで獲物を自慢する子犬のようで。


「……そう!ありがたいわね」


 レンはいろんなものを飲み込んで、やっとそれだけ吐き出した。


 気合を入れ直して向き合うのは、親玉ガエルを中心に広がる毒の沼。正直、サトの素の実力ではどうにもならない大きさだ。


「まずは地面を何とかしないと……」


 サトが困惑する武士たちの間をすり抜けて沼の縁に近付く。

 見るからに貧弱な作務衣の小娘を追い出そうと動いた者が居たが、寸前でレンが静止した。


相克(そうこく)か、相乗(そうじょう)か?」

「深く考えずとも、比和(ひわ)で土の気を強めるといい」

「成程?」


 耳元で聞こえた古多万の助言に、素直に従うことにした。

 まだぬかるみが少ない沼の縁に両手を置き、いつもの調子で霊力を集める。願うのは、健全な土。この手のひらより先に向かって力を流すように――。


鎮星(ちんせい)麒麟(きりん)に願い奉る。比和の理、黄土の花」


 その効果といったら、まさに驚くほどのものだった。サトを含め、その場にいた全員が目と口を限界まで開いて固まるくらいに。

 土の力を高めた沼は、急速に水気を吸って硬い地面を取り戻した。沼に半身を浸からせていた泡ガエルや倒木などは、そのまま埋まってしまっている。踏み荒らされ波打っていた箇所の凹凸はあるが、先程より歩きやすいのは一目瞭然だ。


「あ」


 生憎と、跳びやすくなったのは泡ガエルも同じだったらしい。高く飛翔した一匹が正面にいたサトめがけて突撃してくる。カエルの影で目の前が暗い。

 近場にいた浪人の一人がとっさに動いて切り捨てたのは、流石の老練さだった。


「っおお……勝機は我らに在り!皆続けェ!」


 一気に変わった環境に、喜び勇んで先陣を切ったのは武士、(つちのえ)隊の男だ。先の行軍で散った武士の中に昔馴染みを多く持っていたことは、今残った武士も浪人も知らないことである。

 勢いを取り戻した戦士たちは、多くが親玉ガエルを目の当たりにしても正気を保っていた猛者たちばかり。男も女も雄叫びをあげながら、各々獲物を振りかざして我先にと駆け出した。


「うわ……」


 この状況を作り上げたサトはといえば、すっかり乾いた土から手を離せないまま固まっていた。古多万たち妖怪の力に慄き、目前に迫った攻撃に呆気にとられ、猛者の勢いに気圧され。初めての戦場に怖がる暇もない。

 これだけの規模の土地を乾かしておいて、霊力にはまだまだ余裕があった。疲れ知らずの体が不思議で仕方ない。


 ようやく土から持ち上げた両手を眺めて数回握っていると、ぐんっと引っ張られて宙を舞う。


「サト、サト!あんたこったにたげだの⁉」

「おお⁉」


 何やら感極まったレンに猫の子のようにひょいっと持ち上げられて、その場でぐるぐる回される。家族と仲睦まじく暮らしていたレンにとっては、年下を褒める際の最大限の手段である。

 父母の庇護を受けていた試しのないサトには初めての経験なので、当人は褒められていると理解できずに困惑して、限界まで縮こまっていたのだが。

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