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序章 巫覡候補サト

和風ファンタジーに挑戦してみました。

週1~2話ペースで更新の予定です。

 辛うじて青い空が伺える昼下がり。姉・(しらべ)の合格通知と、妹・サトの落選通知を同時に聞いた父親は大喜びで宣言した。


「さあ、もうお前は用済みだ。さっさと出ていけ!」


 姉もその母親も喜ぶのに忙しくて、サトの方を気にしていない。縁側に控えている知らせを持ってきた使用人だけが、瞳を同情の念で染めていた。


「はあ、それじゃあお世話になりました」


 無感情な挨拶を零したのち、サトは軽く頭を下げて父親の部屋を出る。

 良心から騒音が使用人の仕事を妨げないよう障子を閉じた。残念ながら、喜びでタガが外れた姉の声は薄い障子紙で閉じ込めるのは難しいようだ。

 キンキンと鼓膜を震わす高い声。これからは聞かなくて済むのだと思うと清々するものだ。

 障子が閉じきると同時に、心底うんざりとした表情に切り替わったサト。目撃した使用人はどうしようかと、黒目をあちこち泳がせた。


「あの、お嬢様……」

「律さん、お世話になりました。なるべく私物は纏めて出ていきますが、後日残っている物があったら処分をしていただけますか」


 使用人はサトの言葉にまた目を泳がせてから一つ頷く。

 サトの態度が、当主のあまりにも非情な言葉に対しあまりにも堂々としていて、口を挟む余地がない。ぎこちないながらも掛けようとしていた慰めの言葉は、すっかり喉の奥へ引っ込んだのだった。


 陽当りの悪い自室に戻ると、サトはまず予め用意していた大きな風呂敷を広げた。躊躇うことなく、私物をじゃんじゃん乗せていく。替えの着物二着と下着、裁縫道具、ちょろちょろ貯めていた銭の袋。

 一番忘れちゃいけないのが、最後に父親――いや、養父と結んだ契約書だ。


 +++

 土門一族、第五分家当主・平信(ひらのぶ)(以下甲とする)とその養女・サト(以下乙とする)の間に、以下の契約を結ぶものとする。


 甲は乙を扶養し、その心身が害されることが無いよう務めること。乙は巫覡候補として勉学に励み、甲が求める教養を身につけること。


 甲の長女・詩が巫覡としての才が乙より優れていると認められたとき、又は長女・詩が齢二十を迎えたときを契約満了とする。

 終了後、乙は甲の扶養を離れ、速やかに家を出ること。

 甲は扶養を離れた後の乙と不要な接触を取らぬこと。

 +++


 なんて清々しい気分だろう。ようやくこの日が訪れた!


 もう髪を重たく伸ばし続ける必要もない。肌に合わない化粧をして吹き出物を作る必要もない。この日が入らない小部屋ともおさらばだ。

 荷物をまとめる手が捗って仕方ない。前々から用意していた職に就いたら、あとは人並みの自由を謳歌すればいい。


 風呂敷の上に小さな角の生えた小鬼が三匹落ちてきて、着物の山で跳ねて遊んでいる。それを一匹ずつ摘まんでどかしてやりながら、また登られないうちにさっさと風呂敷を結んでしまう。


「ご愁傷様だよ。お可哀想な父上殿は、未だにあね様の神通力が大したことないと知らんらしい」


 サトの言葉を理解したのかしていないのか。手のひらくらいの小鬼は遊び場が隠された方が不満なので、未練がましく布の山に抱き着いているのだった。



 ****


 先日、新しい「巫覡(ふげき)」を選ぶための儀式が執り行われた。


 土門(つちかど)の一族は十二年に一度、本家と分家、男と女を問わず二十歳以下の若者から、新しい巫覡を選ぶ。


 巫覡とは、神に仕え神意を人々に伝える者のこと。

 神々の世界・天ヶ原(あまがはら)に居る大神の声を聴いて加護を賜り、次の巫覡が決まるまで十二年間、結界を張り続ける役割を担う。


 大変名誉なことであり、我が子が選ばれれば親はたとえ分家の末端であろうと本家の当主と並ぶ地位を得られるとあって、子供の教育は物心つく前からとても熱心に行われる。


「――諸の罪、穢有らむをば、祓へ給ひ清め給へと白す事を聞食せと……」


 厳かで大きな祭壇には純白の神具、立派に育った榊や米、お神酒が並べられている。中央には誰もいない大きな座布団が鎮座していた。

 祭壇の前には祓串(はらえぐし)を振る本家当主、その後ろには硬い板間で正座を保ち、頭を下げ続ける若者たち総勢十八名が列になって並んでいる。


 当時一番端にいたサトは、隣で同じ体制を保っている姉がもじもじと足を動かしているのに気が付いてしまった。内心でそれはそれは大きなため息がもれても仕方ないだろう。


 サトは正座よりも、今の恰好が憂鬱で仕方なかった。

 長く腰まで伸ばした髪は頭上にきっちり結い上げられて、金銀と玉の髪飾りをこれでもかと挿しているので重いったらない。その頭を下げ続けるのがどれだけ首が痛いか。

 さらに肌に合わない化粧をするものだから、サトは年中吹き出物と肌の赤みが引くことが無い。赤み隠しにさらに分厚く塗るものだから、また肌が荒れる悪循環。……こうしている今も顎のあたりに違和感が生じていて、新しい吹き出物ができた気配がしている。

 胸部がなだらかなのでさらしを強く巻いていないことだけが、ほかの女候補者と違って楽な点だ。


 祝詞が終わると、本家当主は深々と礼をして下がっていく。続けて当代の巫覡が同じ場所に立ち、一つ礼をしてから神おろしの儀式に取り掛かった。サトたち若者は、その間ずっと姿勢を変えず保っていなければならない。そろそろ足先がジンジンと痺れてきた。


 当代の巫覡は、当時九歳でこの役割を担った女性だ。今年で二十一歳、すでに任を降りた後の処遇も決まっていて、上から三番目くらいの地位を持った分家へと嫁ぐのだそうだ。


「天ヶ原に坐す、掛けまくも畏き天活津日(あまかつつはる)大神(おおかみ)。この常世身に御言葉を賜らん事を、聞食せと畏み畏み白す」


 本家当主は面食いの女好き、分家の二番目は年上好きとの噂があるので、上から順に嫁ぎ先を検討したなら妥当な結果だ。


 巫覡を務めた経歴があるから、今後蔑ろにされることはない。嫁ぐ相手が四十過ぎた小太り男だということ、望んでいない相手との間に子供をもうけることと、強制的な長期の隔離生活で俗世の常識が十二年分すこんと欠落していることなんかに目を瞑れば、死ぬまで平穏な生活が手に入る。

 歴代には二十歳間近で巫覡になり、解放されたときには嫁ぎ先がなく結局身を堕としたなんて者もいたそうだ。それと比べれば幸福なのだろう。


 サトはそんな未来、死んでも御免被りたい。


「一同、ご起立くださいませ」


 巫覡の可憐だが芯の通った号令でサトたち全員が立ち上がる。半数以上が足の痺れでもたついたし、隣の詩に至っては数歩大きくふらついた。サトも例外ではない。


 祭壇の中央にあった高くてさぞ座り心地が良いだろう座布団の上には、いつの間にか半透明の大男が胡坐をかいている。ゆったりとした布の服を雑に着て、気怠そうに自分の片膝を使って頬杖をついた。

 男の声に合わせて座布団、いや神座の周囲に飾られた鈴が音を鳴らす。


「マジさいあくー。呼び出すくせして年々お神酒の質落としてんじゃねぇぞ土門ちゃん。こいつら何代変わってもケチばっかりー」

「ん、ぐ、ごほっ……」


 サトが誤嚥した唾による咳は、幸運にも煩く鳴り響く鈴の音にかき消されてくれた。儀式に参列している者も全員、鈴に気を取られて気付いていない。

 目下気にするべきは、噎せ込んだサトの顔を正面から見られる位置にいる……大男改め、天活津日大神だけだ。


 大神は頬杖を崩さずサトの顔を見て笑っている。露骨に視線が合ったので、サトは瞬きに乗じて鳴りやんだ鈴に目を向けた。その動きに大神が声をあげて笑えば、同じようにまた鈴が揺れて音を鳴らすのだ。

 当代の巫覡は、楽しげに揺れる鈴を気にせず大神に声をかける。


「大神よ、此度も新たに巫覡を志す一族の者が集まりましてございます。どうか、御言葉を賜りたく」

「いいよいいよ、葵ちゃんのお願いなら聞いたげちゃう。あーごほん、おほん」


 わざとらしい咳ばらいに鈴が軽やかに鳴って、ぴたりと止まる。


「……ありがとうございます。では、新たな巫覡候補たち。大神の言葉を余さず聞き取りなさい」


 会場内がシンと静まり返った。

 誰もが正面の祭壇に意識を注ぎこみ、サトを除いた十七名の若者が前のめりになる体を何とか抑え込んで耳を澄ます。


「あー、そうだな。濁り酒が飲みたいなあ、ええ?最近じゃ毎度決まった酒ばかり供えんだもの、このケチ共は。ああ、口当たりがまろい、舌で転がして楽しいやつが良いなあ。ツマミもあればなお良し!」


 酒好きの要望と鈴の音がいっぺんに届いて耳が痛い。

  サトが隣をそれとなく伺えば、ぐっとしかめ面をした詩が視界の端に確認できた。全員とは言わないが、過半数が同じような顔をしているだろう。

 見方聞き方のコツを知らないなら、目の前にあるのはいつの間にかへこんだ巨大な座布団とひとりでに揺れる鈴でしかない。


「感謝いたします、大神。三日後の夕暮れまでに、ご所望の品をお持ちいたします」

「うんうん、期待しないどくよー」


 葵に倣って全員が礼を尽くせば、だらしない笑顔を張り付け手を振った大神がすうっと透けた。天ヶ原に帰ったのだ。

 神が意識を下ろして発した言葉を、真に理解できた候補者が何人いたのだろうか。半分くらいが「酒がどうのと言っていった」と分かれば御の字といったところか。


 あね様は駄目そうだ。霊力があっても、使い方が下手では耳も目も使えない。あとで上手いこと助言をしてやらんと。


 儀式を終えると、サトは詩を含めた数人の候補者と会話しながらそれとなく大神の言葉を吹聴して回る。

 詩本人にも悟られないように助言をしたら、当日に自分は濁っていない酒を手配して渡せばいい。安酒ならなお良し。




 こうして、サトは思うままに姉を合格者に押し上げて、自分は巫覡候補から外れてみせた。

 姉がこのまま最終選抜まで残ることはないだろう。サトに対して随分としょっぱい対応を取り続けた養父も夢見がちな妻も、大好きな地位は手に入れられず終わるはず。また十二年間五番手のままなのだろう。


「ああ、いい気味だ。ここ数年で一番気分が良いね」


 サトは小鬼がオナモミのようにくっついたままの風呂敷包みを背負い、薄暗い部屋を出る。縁側から草履を履いて地面に降りると、裏口からさっさと屋敷を後にした。


 門出を祝うような風がサトの後ろから吹き、その背を押すように柔らかくあたった。

 いつの間にか晴れ間を広げた空からは陽光が差して、サトの前髪に一筋通る白髪を照らす。すうっと息を吸い込めば温い空気が肺を満たした。

 ああ、なんて旨い。


「おまえたち、着いてくるなら落ちるんじゃないよ」


 サトは風呂敷包みの上から小鬼が転げ落ちないように結び目をしっかり持ちながら、山道を下って町を目指す。


 ここはアシハラの中つ国、霊山の麓にある里。またの名を、まほらの里という。

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