第1章 第9話 元カノ
「……私、お仕事辞めようかな」
何年前かは覚えていない。だがいつの頃かははっきりと覚えている。高校三年生……だから二年前か。
「元々モデルなんてスカウトされて仕方なく始めただけだし、君の後押しのおかげで二年間やってこれた。でももういいかな。限界が見えたっていうかさ、この程度だろうなっていうのがわかっちゃった。モデルも配信者も、全く人気がないわけじゃないけどこれだけで生きていくのは無理。ほんとは女優やりたかったんだけど、来たのは端役三回だけ。……うん、ここらが潮時だと思わない? それに……何より。まーくんと同じ大学行きたいし」
今になればわかる。それは半分告白のようなものだったと。だが当時の俺はそんな現実など見えておらず、ただ夢しか見えていなかった。
「女優になるのが夢なんだろ。そのためにやりたくないモデルや配信者までやってきたんだろ」
「……だから、それがもう限界なんだって……」
「モデルも配信者も大学進学も、どれか一つを選ばなきゃいけないわけじゃないんだ。道は無数に広がってる。諦めたら全部終わるけど、続けてれば夢に繋がる道は消えない。やって、やり続けて、本当に駄目なら道は自然となくなる。でも道が見えてるのに引き返すのは、絶対後悔が残ると思うんだ」
「……ひどいこと言うね。確かに道は見えるよ。険しくて、必ずしも辿り付けるかはわからない道が。その道を歩くのに疲れたって言ってるのに。このまま進んでたら道半ばで死んじゃうって言ってるのに、それでも進めって言うんだ」
「そのために俺がいるんだろ。死ぬ時は一緒に死んでやる。それくらいしかできないけど、それだけはできるから」
「……そっか、どこまでいっても一緒にいてくれるんだね」
言葉は鮮明に思い出せる。でもこれだけは思い出せない。彼女がどんな顔で、こう言ったのか。
「約束だよ。私が落ちぶれても、絶対に一緒にいること。じゃないと、もう歩けないんだから」
そして焔の人気に火がつき、無事に志望校にも合格して。俺は、大学受験に失敗した。
「わぁ! ここがほむらさんの家なんですね!」
焔が借りているマンションの一室に入ると、彩ちゃんがわざとらしく身体を弾ませた。
「すごーい! 綺麗で立派なおうちですね! いいなぁ、あこがれちゃうなぁ!」
「……私の家も負けてないけど」
さっき言っていたファンだという発言の真偽はわからないが、きょろきょろと辺りを見渡してはしゃぐ彩ちゃんの仕草は少なからず本当に憧れているように見えた。
「いいでしょ、そう思ってもらうためにわざわざ高い部屋借りてるんだよ。身の丈に合った生き方をしてると、身の丈に合った仕事しか来ない。上に行くにはハリボテでもいいから良く見せる必要がある。私が大好きな人の教えなんだ」
「さすがほむら様! かっこいー!」
「……私は無理してない。がんばらないでも同じステージに立ててる」
家具は高級だし、部屋で働いてるスタッフも上品で華やか。一見するとお高くとまっているように思えるが、それも全て策略の内。よくやっていると思う。
「じゃあとりあえず動画二本撮ろうか。私のチャンネルで上げるやつと、君たちのチャンネルで上げるやつ。どういうネタやりたい?」
「あやぁ、ほむら様が普段使ってるコスメとかアクセとか知りたいなぁ!」
「……うちのチャンネルの色と合わない。虫食べようよ虫。ほむらさんらしくていいと思う」
「もーやだーコトちゃんったら。ふふっ。てめぇちょっと外出ろコラ」
いい加減演技を押し通せなくなった彩ちゃんが、さっきからぶつくさとネガティブな言葉を挟んでくるコトに笑顔で詰め寄る。だがコトは負けじと、叫んだ。
「おにぃと! ……正義さんと、どういう関係なんですか? 元カノって、本当なんですか?」
そう力強く訊ねたコトの身体は小さく震えていた。初対面の人と話すのなんてそれだけでストレスなはずだ。これから動画を撮るんだ、これ以上余計な負担を強いるわけにはいかない。
「焔の……徳川さんの冗談に決まってるだろ。ただの高校の同級生だよ。付き合ってなんかない。なぁ、徳川」
焔に目配せすると視線が合った。いや、さっきからずっとそうだった。再会した時からずっと、コラボ相手のコトたちではなく俺しか見ていない。
「確かに言葉にはしなかったけど、私はずっと付き合ってると思ってたよ。好きだったし、今も好きだし。それにまーくんもまんざらじゃなかったと思うけどなぁ」
「……言葉にしてないんだから付き合ってないだろ」
「そっちの方が都合がいい? じゃあそういうことにしておいてあげるけど」
「あのなぁ……!」
これは全て俺の責任だ。一緒にいると言いながら、焔が成功した途端惨めに感じて逃げてしまった俺の責任。だから今度こそ、逃げるわけにはいかない。
「この後時間あるよね? 一緒に飲みに行かない?」
「いや、俺車だから……」
「……え」
だが法律には敵わず、俺と焔の話はまたいずれになってしまった。