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第1章 第3話 ちょっと

「それで信音ちゃんの様子はどう?」



 コトの家庭教師を始めた日の夜。彼女のお母さんから電話がかかってきた。



「引きこもってるって聞いて心配しましたけど……意外と元気で安心しました」



 リビングのソファに腰掛けながら閉じられた扉に目を向けながら答える。金をもらっている以上中途半端な報告は許されない。



「本当に? あの子暗いでしょう?」

「確かに暗いですね……表情も声も話す内容も。それでも元気でしたよ。別に暗いことは悪いことじゃないですからね」


「信音ちゃん話せたの? あの子私たちが話しかけてもんーとかぁーとかしか言わないから……信じられない」

「まぁ実の親には話しづらいこともあるでしょうからね。僕が話聞いておきますよ」


「まぁ頼もしい。昔からそうだったわよね。いつもおにぃおにぃって正義くんの後ろ隠れて、正義くんは僕に任せてって言って……」

「いつの話してるんですか。これでももう二十歳ですからね。大人として、子どもの面倒を見るんですよ」


「そうねぇ……もう大人だもんねぇ……。そうだ、信音ちゃんお嫁さんにどう?」

「はは……まぁコトにその気があったら……」


「あとはまた学校に通えるようになったら……うんすぐ行く! ごめんね正義くん、これから打ち合わせで……」

「はい、がんばってください。それじゃあ……はい、はーい……。ふぅ……」



 おばさんとの電話を終え、一息つく。とりあえず報告も終えたし、今日のバイトは終了ってことでいいのかな……よくないよなぁ……。



「ただいま」

「おかえりなさい。ママなんだって?」



 部屋に戻ると、無防備にも脚を放り出したコトがスマホ片手にベッドに寝そべっていた。



「結婚したらどうかって」

「……ふっ」



 半分……というか全部冗談で答えると、コトは乾いた声で笑いスマホを放り捨てる。焦るようなかわいい反応は期待していなかったとはいえ、嘲笑されると傷つく。



「そりゃ引きこもりだと世間体悪いもんね。結婚したら同じ引きこもりでも専業主婦って呼べるもんね。子育て成功したって満足できるもんね」

「そんな言い方……お母さんただ心配してるだけだって」


「朝は悪く言ってたのに……ママに絆された?」

「二人で悪口言ったらただの陰口だろ? どっちかが悪く言ったらどっちかがそんなことないよって言う。それがコミュニケーションってやつなんだよ」


「説教くさいの嫌い。謝って」

「ごめんごめん」



 俺がベッドに座ると、コトも横になるのをやめて隣に腰掛ける。とりあえず……なぁ。



「このままじゃいけないと思うんだ」



 おばさんもバイトも関係ない。俺が思っていることをそのまま口に出す。



「……学校行けってこと?」

「別に学校に行かなくてもいいよ。でも今日みたいにさ、何もしないっていうか……ずっと同じことしかしてないっていうか。だって今日やったのって動画観てただけだろ? しかも何回も同じやつ。新しいことに挑戦すんのは怖いけどさ。やらないと始まらないっていうか……」


「今日一度も勉強しなかった浪人生に言われたくない」

「ごめんほんとにそれ言わないでマジでごめん」



 考えないようにしていた現実が襲ってくる。まだ大丈夫……まだ五月だから……いや……その通りだ。



「偉そうなこと言ったけど俺も同じだよ。勉強して大学受からないと何も始まらない。コトだってずっとこうしてるわけにはいかないってことくらいわかるだろ?」

「……わかってる。でも学校には行きたくない。……いじめられたくない」


「そうだよな……」

「そうだよ……」



 おばさんには俺に任せてなんて言ってしまったが、俺にできることなんて何もない。大人だと言ってもただ歳を重ねただけだ。コトと同じ、何もしていないただの引きこもり……。



「……ねぇ」



 心が沈んでいくのと同時に、身体までベッドに倒れていく。横に座っていたコトに倒されたのだと気づいたのは、その直後。



「ほんとに結婚……してみる……?」



 抱き着くように一緒に倒れたコトの顔が、俺の眼前で何かを期待していた。



「っ……ご、ごごごごめん! い、今の忘れて……わすれて……」



 かと思えば俺をベッドから弾き落とすコト。ゴミ袋がクッションになったとはいえ、中々のダメージだ。身体も、心も。



「……やっぱりこのままじゃいけないよ」



 ゴミ袋にまみれながら、改めてそう思う。一瞬……ほんの一瞬。でも確かに、コトの顔を間近で捉え、思ってしまった。このまま結婚するのもアリなんじゃないかと。でもそれは逃げでしかないんだ。お互いにとって。



「最近外食した?」

「ううん……。カップ麺か、ウーバーだけ。カップ麺も宅配だから、一ヶ月外に出てない」

「じゃあ外に食べにいこう。ちょっとでもいい。変わらなきゃいけないんだよ」



 ゴミの中から這い上がり、コトに手を伸ばす。だがコトは俺の手を取ろうとしない。怖いんだ、外に出るのが。知らないものに触れるのが。



「……やだ?」

「……うん。だって……一ヶ月引きこもってたんだよ? 変わらなきゃいけないのはわかるけど……やっぱり……」


「俺と一緒でもがんばれない?」

「おにぃと一緒なら……ちょっとは、がんばれる……でも」


「じゃあちょっと、がんばるか」

「うん……。ちょっと、がんばって……みよう……かな……」



 ふらふらと伸びた手を強く握る。そして抱き寄せた。



「ほんとにちょっとだよ……? ちょっとしたらすぐに帰るからね……?」

「わかってる。ちょっとだけだ」



 この時の俺たちは知る由もなかった。この小さな一歩が、俺たちにとって大きな一歩になるなんて。

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