エピローグ スキルを奪われた英雄
「リュート!!」
王都から遥か離れた辺境の地、山間に建つ数軒の屋敷に女の大きな声が響いた。
「ライザ久しぶりだな」
声を聞き、屋敷の一つから姿を表した男の名はリュート。
二年前、進攻して来た魔王をただ一人で退けた伝説の英雄。
そんな彼は王国を始めとする世界中から押し寄せる全ての褒賞を固辞すると、現在の地に引きこもり隠遁生活を選んだ。
「半年振りね、なかなか来られなくてごめんなさい」
元気に馬を降りるライザ。
彼女の後ろには物資を満載した馬車が連なっていた。
「良いよ、まだ物資は残ってるから」
「そうか」
寂しくないのかを聞きたかったライザだが、リュートの返答は素っ気ない。
分かっていたが、やはり胸が苦しくなるライザだった。
「楽しそうねリュート」
「そりゃうるさい貴族が来ないからな」
「こんなに離れていればね」
近隣の村でさえ馬で1ヶ月は掛かる。
そんな場所で暮らすリュートだが、彼は一人で住んでいる訳では無かった。
「おお、ライザ殿」
「これは教皇様、お久し振りでございます」
リュートの住む屋敷の隣に建つ小さな教会から姿を表した初老の男性。
彼は世界を束ねる教会の教皇だった。
「もう教皇ではありませんよ、今はこの地で静かに余生を過ごす爺ですから」
「そんな...」
笑みを浮かべる元教皇。
彼は勇者が持つ魅了のスキルに操られ、教会のシスターや民に取り返しのつかぬ失態を犯してしまった。
魔王と決戦の後、生き残った彼は教皇の座を自ら退き、リュートと辺境での暮らしを選んだのだった。
そんな彼に傷ついてしまったシスター達も数名同行した。
「久しぶりの生肉だ!」
「これこれ、リュート様」
荷台に登り荷物を確認するリュートに元教皇が嗜めた。
「リュートったら相変わらずね」
「しょうがないだろ、教皇やシスターは野菜は食べても肉は食べないんだし」
「ハハハ」
元教皇がおおらかに笑う。
教会は特に肉食を禁じていない。
しかし、彼は自らを律する為に禁じたのだ。
シスター達もそれに倣ったので、リュートは普段一人で保存食の肉を食べるしかなかった。
「今日は腕によりを掛けるわね」
「楽しみだ」
嬉しそうなリュートに感情が戻って来たと実感するライザ。
本当なら自分もここでリュートと暮らしたいが賢者という立場上、復興半ばで国の再建を投げ捨てる事も出来ないのだ。
「さあ荷物は我々に任せて、ライザ殿はリュート様と」
「ありがとうございます」
「頼むよ」
後を任せ、リュートはライザを連れ屋敷に入る。
家の中は綺麗に整頓されており、男の一人暮らしとは思えなかった。
「シスター達が掃除を?」
「うん、いらないって言ったんだけど」
気にする素振りも見せないリュート。
彼には女性に対する性欲その物が無い。
それはやはり勇者に恋人だったユリアと義姉のネラスを奪われた事による後遺症の様な物だった。
「さあ座って」
「ありがとう」
豪華なテーブルにライザを案内するリュート。
こんな広い場所で一人食事をする姿を想像すると、また胸が苦しくなるライザ。
「何か変化はあった?」
リュートは慣れた手つきでお茶を淹れライザに薦めた。
「そうね、国王が退位したわ」
軽く喉を潤し、ライザは王国に起こった出来事を話し始めた。
「随分粘ったな」
戦いの後、魔王は魔王領に転移したので、講和のチャンスを逃した国王達は討伐隊を詰った。
自らの権威付けに講和会議を世界に知らしめたかったのだ。
結果、国王は生き残った討伐隊を始めとした国民から見放される事となり、宰相を中心とした貴族達から退位を迫られる結果となった。
宰相達の弾圧を叫ぶ国王達だったが、意外にも彼等の身内から説得され、遂に国王達は退位をする事となった。
「お妃様がね、宰相側についたのよ」
「へえ...」
「お妃様は国王派の奥様方とも協力して、一気に決まったの」
「仕方ないな、あのままじゃ内乱が起きていただろうし」
最悪の事態を避けられた事にホッとするリュート。
もし内乱となれば、彼を再び王都に呼び戻す事態も考えられたからだ。
「取り敢えず宰相様が臨時で国王の代行を務めているけど、近い内に新しい国王が即位する予定よ」
「なるほど」
誰が新しい国王になるか、本来なら気になる所だが、リュートにとってどうでも良かった。
王都にはライザが、そしてあの二人も居るのだから。
「ユリアとネラスは元気か?」
「すっかり落ち着いたわよ、今は爵位を賜って国事に奔走してるわ」
「良かった」
戦いの後、リュートと共に辺境の地へ行こうとした二人。
しかしリュートは拒んだ。
過去の禍根からでは無い、国の復興に必要な人材だったからだ。
「魔王もすっかり大人しくなったし、復興もこれからだからな。
落ち着いたら連れて来いよ」
「いやよ、絶対あの二人帰らないわ」
ライザの言葉が理解出来ず首を傾げるリュート。
まだまだ人の感情が読めないのだ。
「魔王軍の方はどうだ?魔王自ら来る事はもう無いと思うが」
「静かなもんよ」
魔王領に戻った魔王軍に新たな動きは無い。
泣き叫ぶ様な声が魔王領内の方々で聞かれているそうだ。
「魔王に何かあったら直ぐに伝えるからな」
「...分かったわ」
胸を叩くリュート。
彼の胸には魔王の右手が未だ埋まっている。
外見では殆ど分からないが、右手を通じてリュートには魔王の絶望が伝わるのだ。
「クソ野郎は?くたばったか?」
「アイツ?残念だけどまた生きてるわ」
「しぶといな」
苦々しい顔で吐き捨てるライザ。
魔王によってオークとなったタカシは戦場に捨て置かれ、王国に連行された。
自らの罪から絶望を植え付けられ発狂状態が続いている。
そのまま死刑も考えられたが、被害者達が止めた。
『直ぐに死刑など生ぬるい、狂い死ぬまでこのまま放置して下さい』と。
こうしてタカシは今も地下牢に繋がれている。
食事も与えられないが、タカシは死なない。
召喚者のタカシは魔王が死なない限り死なないのだ。
そして魔王の寿命は数百年残されている。
「...ねえ本当に良かったの?」
ポツリとライザが呟く。
「何が?」
「ここに居る事よ、貴方は魔王を退けた英雄として世界で知らない人は居ないのに」
「その事か」
ライザの言葉にリュートは首を振った。
世界では悪しき勇者タカシのスキルを奪い、魔王と戦った英雄リュート。
勝利の代償は大きく、彼は魔王によって全てのスキルを失ったとされていた。
「魔王の右手が埋まっている奴なんて気持ち悪いだろ?
それに英雄なんて俺には烏滸がましいよ」
「やっぱりね」
予想通りの答えに溜め息のライザ、彼は名誉に興味が無い。
「それに俺の心はまだ開いたままだ、こんな欠陥人間なんかが」
「そんな事...」
無いと言いたいが、リュート自身がそう感じている以上言葉が続かないライザ。
「でも、少しづつ埋まってきてる気がするんだ」
「本当?」
「ああ、こうしてライザの顔を見てるとな」
思わぬリュートの言葉にライザは息を飲む。
「それじゃ、いつか私と...」
「王都には帰らないよ」
「そうじゃなくて」
リュートを見つめるライザ。
その瞳にリュートの顔は赤くなる。
「あれ?」
戸惑いながらリュートは自らの顔を擦る。
何が起きたか分からないのだ。
「好きよ」
「は?」
ライザから突然の告白にリュートが固まった。
「大好きよリュート。ずっと、これからも」
「いや、...何だこの感覚?」
どうして良いか分からないリュート。
その様子にいつか彼と結ばれたなら、そう思うライザだった。
ありがとうございました。