第77話 ユージンとカルサイ伯爵
前話のあらすじ:
ユージンとディストラはカルサイ伯爵に接触した!
その日は、良い天気だった。
ユージンとディストラは、南の空を昇る太陽の光を殆ど通さない、森の中に居た。
「静かだね」
ディストラが、少し離れた位置を通る道を見下ろしながら呟いた。
「そうだな。不気味なくらい、静かだ。まさに、嵐の前のなんとやら、だな」
ディストラの隣でユージンも、その道路と、その先にある河川と、さらにその先の丘陵を眺める。
数時間後には、戦場になるとは思えないほど、その場は静まり返っていた。
そしてその17歳とは思えないほど落ち着き払った少年2人の横顔を、カルサイ伯爵は不安げに眺めるのだった。
◆ ◆ ◆
数日前、カルサイ伯爵からゾーイへの伝令の任務を(無理矢理)請け負ったユージンとディストラは、伯爵の自家への滞在の勧めを断り、市街に繰り出した。
そして、歩いて1日程度かかる戦場予定地の視察に泊まりがけで向かった。現地の状況を自分の目で確認するためだ。
もちろんカルサイ伯爵は案内を申し出たが、自分達の勝手でやることに手間をとらせたくないのと、借りを作りたくないという心情から、ユージンはそれを辞退して、ディストラと2人で向かったのだった。
たどり着いたそこは、南から順番に、傾斜のある森、道路、河川、岩の丘陵、といった順番で並んでいた。
「なるほど、戦闘するには十分な幅だが、完全に両軍が正面衝突はできない。多少カルサイ伯爵軍の数が少なくても不利にはならないということか」
ユージンが、10m弱の幅がある道路を見てそう言った。
道路から河川までは20m程、道路から森までも20m程ある。つまり、戦闘できそうな平地は50mの幅があることになる。
これだけ幅があれば戦闘は十分に行える。
一方で、全軍が正面衝突するには圧倒的に面が足りない。ムスペラ公国軍の先頭と末尾で先端が開かれた後も、公国軍の中央は身動きできないだろう。
両軍がちまちまと戦うのであれば、兵の数の差による影響は小さくなり、兵の質による影響が大きくなる。
カルサイ伯爵軍の質が如何程かは不明であるが、「国や自領を守る」という名分がある分、防衛側の方が必死になると思われる。
「そして、森を迂回しようとする勢力に対するのが、残りの2割ってことだね」
ムスペラ公国軍の前後から戦いを仕掛ける主戦力は、それぞれ4割ずつ。残りの2割はどこに配置するかというと、この森林である。
敵から視認されない距離で、索敵を誤魔化す魔法を使いつつ、潜伏するとのことだった。
そして、戦線が短いのに業を煮やした敵軍が、森林を迂回しようとしたら、それをすかさず討つというのだ。
森林は南方が高い斜面となっているので、戦場の監視にも向いている。カルサイ伯爵始め、本陣はこの森林の最上部に置かれることになっている。
「俺達も最初は森にいて、ゾーイが近づいたら道路に出るってことだな」
「そうだね。……ゾーイと接触した後は、どうする気?」
「作戦は邪魔しないことになってるからな。ゾーイに防御の役割がある以上、そのままとんずらするわけにも行かねぇし……。前線からは退きつつ、戦争が終わるまで待機するしかないな」
「……もし負けそうになったら?」
「そんときゃ、とんずらだ。俺達だけなら、逃げ切るくらいはわけないだろ」
「悪党だね」
「無駄死にはしたくないんでね。帝国自体は、ルキオールさんが『保険は掛けてる』って言ってたし大丈夫だろ。だから俺にとって重要なのは、この戦争での勝利じゃなくて、ゾーイの生存だ」
ユージンのドライな考え方に、ディストラがやや不安そうな表情を浮かべる。
「……帝国が無事なら、兵士の犠牲は良いってこと?」
「良いとは言わねぇけど。でも、これは人間同士の戦争だろ。俺は、悪魔と戦うためにここにいるんだ。人間と戦うためじゃない。そして、ネアン帝国の手先になったつもりもない」
「……なるほど」
ならばなぜ彼はネアン帝国の無事を案じるのか。
ディストラは自問し、すぐに自答した。
ネアン帝国が揺らげば、争いの火種は広がる。悪魔との戦いも足元が覚束なくなる。
故に、ユージンはネアン帝国寄りの立場でいるのだ。
ネアン帝国の一強体制が、世界にとって良いのかどうかは分からない。
だが、それをユージンが判断する必要はない。ユージンの目的は、魔王を倒し、悪魔による脅威から世界を救うことだ。
人間達のいざこざに巻き込まれるのはごめんである。
だからユージンは、このネアン帝国とムスペラ公国との戦争でなるべく剣を振るいたくはないのだった。
◆ ◆ ◆
それからしばらく、周囲の地形を観察していたユージン達だったが、森林の奥にまで足を踏み入れる事はなかった。
だから、気付かなかった。
カルサイ伯爵軍の本陣が置かれる予定のその場所に、怪しげな魔法陣が描かれていることに。
◆ ◆ ◆
正午まで、あと1時間といったところだろうか。
ユージンの視界の端で、何かが動いた。
「来たか……!」
ユージンの声に、隣のディストラや、カルサイ伯爵が道路の右手奥に目を凝らす。
緩やかなカーブを描く道路のその先に、ちらちらと動く一団がかすかに見えた。
森の中にいる兵士達に、ピリッと緊張が広がる。
「大体時間通りだな。これなら、作戦パターンAの通り、昼食中に奇襲できそうだな」
理想的な作戦であるパターンAは、戦場予定地でムスペラ公国が昼休憩をとっている最中に襲撃するというものだ。ゾーイは、そのためにムスペラ公国のペース配分に気を配っている。
それでも、何らかの事情で時間が大幅にずれれば、彼らが戦場予定地で休憩をとる事はなくなる。その場合は、行進中に襲撃をかける、パターンBとなる。
幸いにして、ユージンの言葉通りムスペラ公国軍の進行ペースは予定と大差ないため、彼らはそれなりに開けた眼下のスペースで昼食を摂ることだろう。
そこに、ユージンとディストラは乗り込むわけだ。
「上手く行くかな?」
「分からん。が、やるしかないだろ」
若干不安気なディストラに、ユージンが檄を飛ばす。
実際のところ、ユージン達がゾーイに接触できなければ、作戦はほぼ失敗なのだ。その責任感とプレッシャーが2人に圧し掛かる。
だが、それに潰されていては勇者なんてやってられない、とユージンは自らを鼓舞し、ディストラも励ましたのだ。
「魔道具を無効化する魔道具の存在がばれてなければ、そこまで警戒はされないだろ。いざとなったら強行突破だ。援護頼むぜ」
「というか、ゾーイが橋を架け始めたら、両軍が衝突するまでは、強行突破……というか、ひたすら防御するしかないよね」
「そうだな……。いや待てよ。空中に逃げれば、物理攻撃は回避できるな」
「……ユージンとゾーイが居れば、それくらいできちゃうのがずるいよね」
「まあな。ただ、敵も同じことをしてくるかもしれないから、その時はお前の出番だ」
「頑張るよ」
軽い感じで微妙に作戦を変更したユージンは、カルサイ伯爵に向き直る。
「さて、じゃあそろそろその魔道具を貰おうか」
そう言って手を差し出してくるユージンに、カルサイ伯爵は準備していた小包から腕輪型の魔道具を取り出し――、ユージンに渡すのを躊躇った。
「どうした?」
ユージンが首を傾げる。
カルサイ伯爵は少し目を泳がせた後に俯き、そして小さく呟いた。
「これをあの娘に渡して、大丈夫だろうか……」
◆ ◆ ◆
「どういう意味だ?」
カルサイ伯爵の言葉に、ユージンは眉根を寄せた。
それを気にすることもなく、伯爵は言葉を続ける。
「私は……私には、あの子が分からない。貴族の令嬢だというのに外で走り回り、魔法を覚えたがり、挙句に弟を亡き者にしようとしたり……。その上、たった10歳でありながら、屋敷の壁を破壊するあの能力。14歳で一級魔法士?ありえないだろう」
ゾーイが家を出ることになった事件を思い起こしたのか、伯爵がぶるりと背筋を震わせた。
ユージンはそれを無表情で見つめる。
「5年ぶりに会ったと思ったら、親の私に対してまるで他人を見るかのような視線。我が家の最悪の行く末を、楽しそうに語る口調。さらに、自分の命すら危ういというのに、平気な顔でこの任務に出て行った。……あの子が何を考えているか、私にはさっぱりわからない。そして、恐ろしい……」
「……で?」
ユージンが、苛立ちを込めて伯爵を睨んだ。
「この腕輪をあの子に渡して、あの子が自由になってしまったら……その魔法の矛先がこちらに向くかも――」
「黙れよ」
その一言で、その場がシン、と静まり返った。
カルサイ伯爵が、ユージンの怒気に言葉を失う。
「ゾーイの事が分からないだと?それは、あんたが分かろうとしてないからだろ。外に出るのが好きなのも、魔法が好きなのも、あいつの個性だ。貴族の親としてその行動を認められなくても、理解することはできたはずだ。そしてきちんとあいつを理解してやれば、分かるだろう――あいつが弟を殺そうとするはずがないってな!」
ユージンが語気を荒らげて、カルサイ伯爵を睨む。
「家の没落を楽しそうに語った?危険な任務に平気そうな顔だった?ああ、ゾーイはそういう子だよ。本当は辛くても、怖くても――そんな感情を表に出さずに、ふざけて平気そうな顔をする。確かに分かりづらいよ。でも……あいつをそんな風にしたのは、あんただろうが!」
「な、わ、私が……?」
「あんたが、ゾーイのことを何一つ理解しようとしないから。あいつを自分の自由にできる駒としか考えなかったから。ほんのひとかけらも信用しようとしないから!だからあいつは、自分の心を守るために、本心を奥底に沈めるしかなかったんだろ!」
「そ、そんな……」
呆然とするカルサイ伯爵の手から、ユージンは乱暴に腕輪の魔道具を取り上げた。
「ゾーイが攻撃してくるだと?ありえないな。俺は、たとえどんな状況でも、あいつを――仲間を、信じる」
ユージンはそこまで言って、カルサイ伯爵から視線を逸らした。
これ以上彼と話していても気分が悪くなるだけだし、そろそろ動きださなければまずいからだ。
近付いてくるムスペラ公国軍に視線を遣り、隣のディストラと頷き合い。
「それじゃ、行ってくるぜ。せいぜい成功を祈っててくれ」
そう言って、黒髪の少年は、暗い森を後にするのだった。
◆ ◆ ◆
作戦通り、ムスペラ公国軍は戦場予定地で昼休憩をとっていた。
その一団に、ユージンとディストラの2人は西側から近付いていく。
誰もいないはずの道路に現れた2人の少年に、警戒していた兵士が気付いて警戒態勢をとった。
ユージンは、こちらに槍を向けてくる兵士達に、若干緊張した表情を作りつつ、両手を軽く上げて敵意がない事を示しながら近付く。
彼我の距離が、会話ができる距離になったところで、兵士が問い質してくる。
「何者だ?」
「カルサイ伯爵からの遣いです。ゾーイ様に伝言を届けに参りました」
ユージンの言葉に、兵士が胡乱気な表情になる。
「そうか、ならば我々が伝えるので、ここで言うが良い」
兵士の言葉に、ユージンは内心で舌打ちしつつ、表情は困った顔になり。
「いえ、その、直接お伝えしろと命じられておりまして……」
そのユージンの言葉に、兵士は薄く笑った。
「ふん、お前達の魂胆はバレバレだ」
「っ……」
ムスペラ公国軍兵士の嫌らしい笑みに、ユージンは作戦の失敗を悟ったのだった。




