第5話 ネアン帝国の事情
説明回その2です。
昼食の際には、主にネアン帝国の内情について軽く会話を交わした。その中で特にユージンが驚いたのは、次席魔法士と紹介されたルキオールが、実は次期公爵であるということだった。
公爵といえば、貴族での最高位。皇族に次ぐ権力のある家だ。ルキオールが、皇太子であるイサークの腹心であることも納得というものだ。
ちなみに、現在の皇族は現皇帝とその皇后、皇太子と第二皇女のみであるらしい。第一皇女はすでに他国に嫁いでおり、帝国にはいない。そのイサークとフラールにも当然のように婚約者が居り、状況次第ではあるがそろそろ結婚の話も出ているとのこと。
「さて、では話し合いを再開しようか」
昼食後、再び午前中と同じ席に座った4人。中央の机には、地図のタペストリーがユージンに見やすい向きで置かれている。
イサークの発言に、ルキオールが続く。
「ユージン様、これまでの話で何か気になった点はありますか?無ければ、今後の方針についてお話ししたいと思いますが」
「とりあえず、それを聞きましょうか」
「分かりました。午前中にもお話しした通り、我々の目標は魔王の討伐です。ですが、正面からぶつかっても、正直勝ち目はありません。強力な魔法で吹き飛ばされて終わりです。そのため、少々卑怯ではありますが、少数精鋭による奇襲で魔王の暗殺を狙います」
「まあ、状況的におかしくはないですね」
「その部隊を、勇者殿に率いていただきたい。簡単にいえば、こういうことだ」
最後に、イサークが纏めた。ユージンは、想定内の要求に、暫し考える。
そして、まず最初に、と切り出す。
「俺が、協力を拒んだ場合はどうなります?」
イサークは2度瞬いた後、ルキオールに視線を遣る。
それを受けたルキオールは少し考えた後、
「そうですね。こちらとしても大分強引な要求をしている自覚はありますので、それも仕方ないかもしれません。その場合は、この帝都で平民として暮らしていく環境は整えます」
「元の世界に帰すという選択肢は無いんですか?仮に魔王を討伐しても、マナスカイには戻れないと?」
そこが重要である。ユージンとしては、今すぐではないにしても、何としてもマナスカイに帰る必要があった。
所詮あの世界も、この世界と同じくユージンにとっては故郷でもなければ深い思い入れもない。
それでも、
「(あの日、誓ったから)」
何も成せぬままマナスカイを去る訳にはいかなかった。
「それは……」
ユージンの問いに、今度はルキオールがイサークに視線を遣る。それを受けたイサークが頷くと、ルキオールが説明を始めた。
「我々は通常、マナスカイとの行き来には魔道具を使用しています。この魔道具を用いることで、召喚と送還どちらも容易に行うことができます。しかし、これは我が国の恥を晒す事になるのですが、昨日もお話しした通り、1月ほど前にこの王宮が悪魔に襲撃されてその魔道具を奪われてしまいました。この魔道具は、数百年前の魔道具技師が作り上げたもので、代えが無いため、奪い返す以外に手がありません」
なるほど、魔王を倒して魔道具を奪い返せば、マナスカイに帰れるという訳だ。しかし気になる点がある。
「……魔道具が悪魔に破壊されていた場合は?それに、魔道具が奪われていたのになぜ俺を召喚できたんですか?」
「どちらも、回答は『かつて使われていた魔法を復活させる』ことです。今回、ユージン様をお呼びした魔法は、魔道具が作成される前に使用されていた魔法を解析して復活させたものです。ただし、これには時間と人員が必要です。召喚魔法の方は、魔王が現れてから、もしものことを考えて少しずつ研究を進めて来たため、魔道具を奪われてから一月で完成させることができました。しかし、現状では悪魔への対策で手一杯で、送還魔法の研究に費やす時間と人員がありません。もし、魔王が討伐され、研究にリソースを集中できるようになれば、3月……いえ、召喚魔法のノウハウを活用すれば、1月半あれば何とか形にしてみせます」
なるほど、筋は通っている。魔王を倒して魔道具を奪い返せばすぐに帰れるし、魔道具がなくとも魔王の脅威がなくなれば、1月半で帰れる。
しかし、どちらにしても。
「魔王を倒さないと帰れないってことか……」
「申し訳ありません」
召喚魔法の研究をするなら送還魔法の研究もやっておけよ、と言いたいのはやまやまであるが、今言っても詮無いことである。
結局、ユージンの取れる選択肢など他に無かった。
「分かりました。協力は、します」
ユージンの決断に、イサークとルキオールが顔を見合わせて、安堵の表情を作る。
「ただし」
しかし、次のユージンの質問に、2人の顔が曇る。
「俺の役割についてはまだ疑問があります。そもそも、なぜ勇者が必要なんですか?少数精鋭で魔王を討つ計画に、必ずしも勇者が必要とは思えませんが」
「それは……」
ルキオールが、言い淀んでいると、これまで沈黙を貫いていたフラールが勢い良く口を開いた。
「それは、勇者様が世界を救うと決まっているからよ!」
「……どういうこと?」
意味が分からず、ルキオールに説明を求めるように視線を向けるユージン。
ルキオールは、難しい顔をして、
「確かに、フラール様の言う通りかもしれません。正直な所、これまでの魔王襲来の際に、召喚された勇者様が仲間を率いて世界を救って下さったという前例からお呼びしたというのが大きいです」
何とも曖昧な話である。しかし、その役割を自分に求められているのなら、力不足ではないかと感じるユージン。
「過去の勇者は、そんなに強かったんですか?」
「かなり昔の話なので、正確には分かりませんが……500年前の勇者様は、我々を超える魔法を駆使して魔王を倒したそうです。その前は、およそ千年も前になりますが、岩のように強靭な皮膚を持つ悪魔をも一刀両断にする剣を持って魔王を討伐したとか」
「……そうですか」
どちらも、自分には出来そうもない。
だが、もしかすると、こちらの世界の人間はマナスカイよりも虚弱で、一兵卒程度のユージンでも勇者並みの扱いになるのかもしれないし、こちらでは魔法が使いやすいかもしれない。もちろんどちらも、かなり可能性の低い希望的憶測だが。
ユージンが思考に耽るのを見て、イサークとアイコンタクトをしたルキオールが提案する。
「どうでしょう、ユージン様。一通りの説明は終わりましたし、休憩がてら王宮内を散策されてみては?案内にはフラール様を付けますので」
「ちょっと、ルキオール様!?何で私が」
「暇でしょう」
「ひ、暇じゃないわよ!」
「何かご予定が?」
「そうよ!用事があるのよ!」
「何の?」
「え?」
「何の用事ですか?」
「そ、それは」
「まあ、何の用事でも後回しですね。よろしくお願いします」
「横暴よ!」
「そうですね。よろしくお願いします」
憤るフラールに、にっこりと黒い笑みを向けるルキオール。
動じる気配も引く気配も無い青年に、少女はわなわなと唇を震わせた後、
「分かったわよ!行きましょ、勇者様!」
勢いよく立ち上がり、
「え、お、おい」
ユージンの手を掴んで立ち上がらせ、ずんずんと床を踏みしめて扉を乱暴に開け放ち、そのままユージンを引っ張って行った。
残された室内では、2人の気配が十分に遠のいたのを確認して、ルキオールが扉を閉める。
「どう思う?」
イサークのこの質問に、ルキオールが答える。およそ、皇太子に向けるものとは思えない口調で。
「そうだな……。正直、身体能力は並だろう。多少は鍛えているようだが、悪魔に勝てる程ではない。魔法については、良く分からないな」
「分からない?お前がか?」
イサークの認識では、現在のネアン帝国でルキオール以上に魔法に詳しい人間はいない。その彼が分からないというのか、という驚きが顔に現れていた。
しかしルキオールは冷静に答える。
「あちらの魔法は、こちらとはかなり違うと文献で読んだ事がある。彼の身体には、『魔珠』が無い。いや、正確には、見えなかった。それでも魔法が使えるなら、俺達とは違う理で魔法を使えることになる。そうなると、予測はできない」
「『魔珠』が無い?それで魔法が使えるのか?」
「分からん。明日にでも、色々試してみる必要があるな」
首を振りながら、明日の予定を立てるルキオールに、イサークが質問を続ける。
「そうだな。それで、勇者としての役割は果たせそうか?」
「微妙なところだな。頭は悪くない。度胸もあるし、柔軟性もある。ただ、リーダーシップがあるタイプかはまだ分からないし、若干食えない部分がありそうだ」
これまでの会話から、ルキオールが導いた結論であった。ルキオールよりも接した時間が短いイサークもそれには同意する。
「確かに、受け答えは確りしていたな。ここに残って技術協力してもらうか?素直に神輿に乗ってくれるとも限らないし」
当初の予定とは違うが、より良い方針が見つかれば、変更も辞さない構えの皇太子に、ルキオールは少し考えた。が、出てきた答えは無難なものだった。
「いや……そうだな。まあ、明日の調査と、彼の意思次第だろう」
「そうなるか」
ひとまず勇者への対応は明日に持ち越しとなったが、ルキオールにはイサークに1つ問いたいことがあった。
「ところで、何故フラール様を同席させた?」
その質問に、イサークは肩を竦める。
「特に深い意味はねーよ。ただ、あいつが何か企んでそうだったから、面白そうだと」
「お前な……。一応あれでも年頃の娘だぞ。何かあったらどうする」
イサークの軽い答えに、呆れ顔のルキオール。
一応、勇者の動向はかなりの重要事項であるし、フラールが彼の不興を買ってもメリットはない。そして逆に、まあ確率は低いがユージンがフラールに興味を持ってしまうと、それはそれで面倒なことになる。もしユージンがフラールを求めるようであれば、状況的に断るのは難しい。
だというのに、
「それなら、それで良い」
イサークは、冷徹に答えた。まるで妹を勇者に売らんばかりの言葉であり、その表情は為政者のそれであった。
「……」
イサークの返答に、ルキオールは沈黙し、部屋に静寂が訪れた。
◆ ◆ ◆
一方、部屋を出て行った方の2人は。
「それで、勇者様はどこに案内してほしいの?」
「いや、どこって言われても。そもそも何があるかも知らないし。ていうか、いいのか?用事があるんだろ?」
ユージンの質問に、立ち止まって振り返るフラール。そこで、ようやくユージンの腕を掴んだままだった事に気が付き、慌てて手を離す。
「いいのよ。大した用事じゃないから」
ふん、とそっぽを向く少女に対してユージンは温い視線を向ける。
「ふーん」
「……何よ」
「別に?」
「勇者様、貴方――」
「ユージンで良いよ。俺もフラールって呼ばせてもらうし」
「……ユージン、貴方、兄様やルキオール様に対する態度と私に対する態度が違いすぎないかしら?気のせい?これでも私、この帝国の第二皇女なのよ」
「いやあ、相手によって態度を変えるのは普通だろう?生憎と俺の産まれた国では、身分による差があまりなくて、年齢による差の方が重んじられるからね」
もちろん、それだけではない。気安い態度を受け入れられそうな人間相手には、そうした方が意思疎通や交渉がやりやすいと思うからだ。
その点、イサークやルキオールも問題はなさそうだが、ルキオールの忠告もあるため、現在は探っている状態だ。フラールも皇族ではあるが、ルキオールの態度から、人前で気安くしても問題ないと判断した。
「年齢って、貴方いくつよ」
「17。フラールは?」
「……16」
「あれ。意外と近かったな」
言動がやや子供っぽいことと、その発育具合から、もう少し下だろうと思っていたユージンの、主に胸部への視線を感じて、フラールの眉が吊り上がる。
「貴方どこを見て私の年齢を予測したの」
「ご想像にお任せするよ」
「……ねえユージン。私、貴方のことが少し嫌いになりそうよ」
「それは残念。俺は君のように素直な子は割と好きだけどね。――面倒事を持ってこなければ」
好き、と言われて動揺し、一瞬顔を赤らめたフラールだったが、続く言葉に表情を改めた。先程まで軽口を叩いていたユージンの眼が、フラールを見定めるように細められる。
しばらく無言の時間が続いたが、先に目を逸らしたのはフラールだった。
「今は、あの話は置いておきましょう。まだ、貴方が今後どうするのかも決まっていないのだし」
「……分かった」
「それにしても、身分よりも年齢が優先されるなんて、変な国ね」
「まあ、全体的に変な国であることは否定しないけど、俺は身分に縛られるのも嫌だね」
「そう。この国じゃ生き辛いわよ」
「永住する気はないよ」
「それでも、よ」
隣を歩く少女の横顔に、寂しさと諦めの色を見出したユージンは、どこの世界でも、身分が高ければ悩みがないという訳じゃないものだ、と小さく溜め息を吐いた。
◆ ◆ ◆
フラールに王宮の建物の配置などを教えてもらっていた(というか、あれは何、それは何と適当に指差していくフラールの後を付いていくだけだった)ユージンは、夕方に差し掛かった頃にルキオールの使いに捕まった。曰く、今日は今朝と同じ部屋で夕食をとってもらい、そのまま休んでほしい。明日の朝食後また迎えに行く、という事だった。
ユージンはそれを了承し、今度は常識的な量の夕食を平らげた後、控えていた侍女に風呂の使用について訊ねた。
「寝室の隣のバスルームをお使いください」
という事だったので、使用方法を教えてもらった後に、1日振りの命の洗濯を行うことが出来た。
湯船に浸かりながら、天井を見上げるユージン。
この世界で、自分の置かれている状況は概ね理解した。その上で、どう行動するか。
マナスカイに戻るには、魔王を倒す必要がある。したがって、それに協力することに否はない。だが、協力の方法も様々だ。あちらが示してきた役割が、自分にとって最適かどうかは考える必要がある。
現状、勇者の役割を全う出来る気がしない。かといって、ただの日本の高校生であったユージンが技術的なアドバイスをできるとも思えない。常識の違いによる発想の転換なら可能かもしれないが。
考える程、今後が不安になってくる。
「(しかしまあ、元の世界に帰る手段があるだけまだマシか)」
クゼール王国で召喚されたとき、ジャンヌに日本に帰る手段を聞いた時には、わからない、という最悪の回答が返ってきたのだから。もちろんその時には激怒したし、今でもその点については腹立たしいが、それはジャンヌ個人にではなく、クゼール王国に対してである。
決して日本に帰ることを諦めたわけではなかったが、ユージンの中で優先度がやや下がっていた最中での、2度目の召喚である。
「(こちらには、異世界転移を簡単に行える魔道具があると言っていた。場合によっては、それを使えば日本に帰る方法が得られるかもしれない)」
隣の世界であるマナスカイに人間を送れるのならば、また別の世界である地球にも人間を送れるかもしれない。
故郷への帰還の希望が僅かながらでもみえたことで、ユージンの心がやや軽くなる。その気持ちのまま、ユージンはゆっくりと目を瞑り、
「っがはっ、げほっ!……あぶねー、溺れるところだった」
湯船に沈みかけた身体を慌てて浮上させるのだった。