第39話 青年ギルバート
前話のあらすじ:
悪魔との戦闘開始!そして狙われたケビン!
ユージン「魔法を使うときの呪文という単語について」
フレイヤ「わたし達人間の魔法には、絶対に発声する必要がある『魔法の名前』と、必要ではないけど魔法を安定させるために唱える『序詞部』があります。狭義には、前者を『呪文』、後者を『詠唱』と呼びますが、単に呪文や詠唱と言った時は、明確な使い分けはなく、どちらを、あるいは全体を指しているのかは文脈次第ですね」
ユージン「以上、フレイヤ先生の解説コーナーでした」
逃げろと言われても、ただの村人であるケビンにとって、戦闘行為は専門外も良いところだった。
ただでさえ、目の前で繰り広げられる常識外の戦闘に呆然としていたのだ。
完全に蚊帳の外にいたはずの自分に向かってくる氷の槍に、ケビンは反応すらできなかった。
「くそっ!」
ユージンはそう吐き捨てながら、なんとか彼を救う手段を考えたが、どれも間に合わない。
もう、槍はケビンの目前だ――。
誰もが、ケビンが串刺しになる未来を確信したその時。
「うおおおぉ!」
ガキィン!
突然の叫び声と共に、斜面の上から青年が飛び降りてきて、勢いのまま手に持った短剣で氷の槍を叩き落としたのだった。
「むっ?」
「えっ?」
「誰?」
悪魔も予想外だったのか眉根を寄せ、ユージン達は一様にキョトンとする中、ケビンだけがその青年の名前を知っていた。
「ギルバート……」
ギルバートは、ケビンよりやや年下、二十歳前後の青年だった。
だがその身体はケビンよりも随分とがっしりしており、いかにも鍛えています、といった風体である。
あるいは、そうならざるを得なかっただけかもしれないが。
「大丈夫か、ケビン」
「あ、ああ。助かったぜ……」
ギルバートに声を掛けられケビンはようやく自分が今死にかけて、そして彼に命を救われた事を理解した。
そして同時に、死の恐怖と助かった安堵で膝が笑い、しゃがみこんでしまった。
その様子を見ていたユージンが、悪魔が再度彼らを狙う前にと立ち位置を変えつつ、ディストラとゾーイに視線を遣る。
2人がそれに気づいてユージンに近寄って来たところで。
「なぜ、その男を助けるのですか?」
予想外にも、ユージン達の行動を気にもかけず、悪魔がギルバートに語りかけた。
喋りかけられた方のギルバートは、異形の悪魔に畏怖を覚えつつも、グッと踏ん張って答える。
「村の仲間だ」
「仲間?仲間、ねぇ……」
ギルバートの返答に悪魔は少し考えた後、酷薄な表情を浮かべる。
「人間の言う仲間とは、自分の親を殺した人間の事を指すのですか?」
「っ!」
悪魔の言葉に、ケビンが言葉を失う。
その事実は、まだギルバートには伝えられていない事だった。
なぜそれをこの悪魔が知っているのか――ユージンはそれを疑問に思ったが、ケビンにとってはそれよりもギルバートの反応の方に意識が向いていた。
もとより、ケビンとギルバートの仲は良くない。
カール存命時でも、ケビンはギルバートを疎んでいたし、ギルバートも自分を嫌う男を好きでいるほどお人好しではなかった。
だが、お互い憎み合うほどの感情は持っていなかった。
しかし、ケビンは突発的とはいえカールを殺害してしまった。
さらに、それに乗じてカールの名誉を貶め、ギルバートには無理難題を押し付けた。
村の発展のためと言う大義名分で自らの心を誤魔化してはいたが、根っからの悪人という訳でもないケビンに、罪悪感がない訳ではなかった。
ギルバートには自分を憎む十分な理由があると理解しているケビンは、その感情をぶつけられることを本能的に恐れたのだ。
「……なんだと?」
眉根を寄せたギルバートの視線が、傍らでしゃがみこむケビンに向く。
その視線を受けて、ケビンはさっと視線を逸らしてしまった。これでは肯定したも同然だ。
青年2人の微妙な雰囲気を見て、悪魔はニヤニヤとした笑みを浮かべる。
「おや、知りませんでしたか?私はその男達がこの隠れ家でこそこそと喋るのを随分聞いていましたからね、良く知っていますよ。その男は、お前の親を殺した上で、あらぬ罪を着せ、さらにお前に強制労働を課したのですよ。そんな相手が仲間ですか?私は人間の言葉には疎いですが、知っていますよ。それは――、仇と言うのです」
ギルバートのケビンを見る視線が硬くなって行く。
ケビンは、違うと叫びたかった。
だが、悪魔の発する威圧感と、ユージン達の存在が彼の口が開くのを阻害していた。
一方のユージン達も、この場をどう収めるべきか考えあぐねていた。
ギルバートの心情は察するに余りあるが、正直、悪魔と戦闘中のこの場で、諍いを起こしてほしくはない。
悪魔の言っていることは偽りだとギルバートに言えばひとまずこの場は収まるだろうが、わざわざ真実を暴いた自分達が、最も真実を欲しているはずのギルバートに偽りを告げるのも憚られる。
そんな葛藤が、ますます悪魔を増長させた。
「お前も、薄々その可能性に気づいていたはずです。沢の下流以外も探していたのはそういう事ですよね?でも、証拠もないのに村の仲間を直接的に疑うわけにはいかないと耐えていた。だが、その男はお前のその信頼を裏切っていたのです。お前が親の汚名を濯ぐために必死になって山を捜索しているのを見て、嘲笑っていたのです。どうです?憎いでしょう?殺したいでしょう?」
悪魔に煽られたギルバートの、剣を握る右手がギリリと軋んだ。
そして、ケビンを見下ろすその表情は、まさに射殺さんばかりのもとなる。
「あ、う……」
ギルバートから発せられる殺気を受け、ケビンは言い訳も出来ぬまま、怯えて僅かに後ずさった。
「お前には、その男を殺す権利がある!さあ、憎しみをその刃に込めるが良い!殺せ!」
悪魔が上機嫌にそう吠えた。それに応じる形でギルバートの瞳が憎しみ一色に染まり、剣が振り上げられ――、
「やめろっ!」
ユージンの叫び声も届かず、ギルバートがケビンに向かって右手を振り下ろそうとしたところで――、
ガラン、と音がした。
その音に注意を逸らされたギルバートが足元を見ると、獣魔除けの大きな鈴が転がっていた。
ギルバートが普段山に入るときに使用している物で、先程までは音が鳴らないようにストッパーをかけて腰のポーチに入れていた。
それが、ケビンを救うために飛び出した勢いでポーチから落ちかけていたのだろう。
ギルバートはその鈴を見て、小さく呟いた。
「父さん……」
◆ ◆ ◆
それは5年ほど前のことだった。
ギルバートの母親は、やや変わり者で、女性だてらに村を防護する仕事をしていた。
その仕事内容は主に、村の重要施設や家畜の放牧地、農地等を獣や獣魔から守る柵を敷設したり、実際に獣を追い払ったりするものである。
そんな仕事の中で、彼女は「獣魔を飼い慣らして村の防護に活用する」事を考えた。
もちろん、夫であるカールを始め、村の皆は「そんなことは無理だし危険だからやめるんだ」と反対したが、彼女は「可能性があるならやってみるべき」と主張し、試行を始めた。
当初は、誰もがそんな彼女を馬鹿にし、白けた目で見ていた。
カールも、強硬に反対はしないものの、できればやめてほしいと考えていた。
だが、彼女はやめなかった。自分の行動が、いずれ村の皆を守ることになると、そう信じていたから。
だから、自分の身が危険であることは承知していたが、捕らえてきた犬型の獣魔を飼い馴らそうと努力を続けた。
獣魔は確かに人には馴れないとされている。だが、知能が低いわけではない。
交流を続けさえすれば、きっと馴れてくれる。
そう考え、彼女は毎日、雨の日も風の日も雪の日も、魔獣との交流を続けた。
村人に白い目で見られ、魔獣に吠えられ、挫けそうになりながらも。
止めようとはしなかった。
厳重に逃走防止の柵を設けられた広い飼育場に足を運び、警戒する獣魔に餌を与え続けた。
すぐに諦めて考えを改めるだろうと考えていた村人達も、彼女のそれが1年と続けば、逆に考えを改めざるを得なかった。
そして魔獣が彼女の事を覚えたような様子を始めると、村人は少しずつ彼女の仕事を認めるようになった。
一方カールは、より早い段階で彼女の決意を受け止め、応援するようになっていた。
しかし、彼女の仕事がうまく行ったとしても渉外役であり村の外に出向くことの多い自分の懸念――すなわち、移動中に獣魔に襲われるという危険が減るわけではない。
そこで、彼女が飼っている獣魔を利用し、その危険を減らす方法も夫婦で検討していた。
そして、獣魔がそれなりに彼女に馴れ、檻の中に入って触れ合えるようになった頃。
檻の掃除をしていた彼女が、誤って獣魔の尾を踏んでしまった。
あ、と彼女が思った瞬間には。
怒った獣魔の爪が彼女の首筋を切り裂いていた。
カールが駆けつけたときには、彼の妻はもうほとんど息をしていなかった。
だが、夫の姿を認め、彼女は小さく微笑んでこう言った。
「私は……失敗して、しまったけど……。あなたの、鈴は。きっと、みんなを救うわ……。ギルを、よろしくね」
それを聞いて、カールは怒りとも悲しみともとれない感情で涙した。
彼女は、今際の時まで、村人の事を案じているのだ。
1年以上も心を砕いた末に裏切られた獣魔への恨みを口にするでもなく、支援をしてくれない村人への辛みを吐くでもなく、ただ、村人と息子への慈しみを向けるのみ。
彼女は、聖人でもなんでもない。その事は、一番傍に居た自分が良く知っている。
他人の悪口も言ったし、不満をぶつけられることもあったし、それで喧嘩したこともある。
それでも、彼女は今、微笑んでいた。
満足している訳ではないだろう。まだまだ彼女の試行は途中であり、他にもやりたいこともあったはず。
そしてなにより、息子の成長をもっと見ていたかったはずだ。
それでも、彼女は微笑んだ。
なんで。なんでだよ。
カールはそう問おうとして、分かってしまった。
彼女は、覚悟していたのだ。いつかこんな日が来るかもしれないということを。
自分が世話をした獣魔に命を奪われる日が、やって来るかもしれないことを。
だからこそ、彼女は今自分にできることを、精一杯やっていたのだ。
誰かに後ろ指を指されたとしても。自分の信念のために。
仲間を、村人を守る手段を探し続けたのだ。その胸に誇りをもって。
「っ……」
カールは、彼女の決意を、覚悟を知り、温度を失いつつあるその身体をかき抱いた。
そうして嗚咽を漏らす夫に対し、彼女は最期の言葉を吐いた。
「ごめ、んね。……ありがと」
彼女の葬儀が終わった後。
ギルバートは、憎しみの籠った瞳で裏山を睨み上げた。
母の命を奪った獣魔を、一匹残らず殺してやる――。
そんな言葉が聞こえてきそうな視線を見て、カールは苦い顔をする。
彼の気持ちは良く分かる。だが、それでも。それはだめなのだ。
カールは、ギルバートの眼前に、大きな鈴を差し出した。
「……これは?」
突然、良く分からないものを渡されたギルバートが父親を訝る。
「獣魔除けの鈴だ。今朝完成した。これを鳴らしておけば、この辺りの獣魔は近寄ってこない」
獣魔を避ける。それはつまり、獣魔を――母を殺した仇を、野放しにしておくということに他ならない。
ギルバートは、カールをギッと睨んだ。
「なんでだ!父さんは、あいつらが憎くないのか!?母さんを殺したあいつらを赦すって言うのか!?」
カールは、ギルバートを見下ろして首を振る。
「憎いさ。赦せるはずもない。だが、憎しみを胸に命を奪っても、残るのは虚しさだけだ。そして憎しみは薄れてしまう」
「でも!」
「それに、獣魔を殺すことはあいつが望んだことじゃない。あいつが望んだのは、村人の、お前の、安全だ。獣魔と戦えば、お前は傷付き、いずれ殺されるかもしれない。そんなことのために、あいつは命を懸けていた訳じゃない」
「それは……」
「憎しみを忘れろとは言わない。いや、言えない。俺だって憎い。あの獣魔どもを1匹ずつぶち殺していってやりたいさ。けど俺は、この憎しみを胸に鈴を完成させた。二度と獣魔による被害がでないように。あいつの望みを叶えるために」
だから、お前も、憎しみを力に変えろ。そう、言外に言われた気がした。
ギルバートの手の中で、鈴がカラン、と乾いた音を響かせる。
ついに母が聞くことのできなかったその音は、ギルバートの胸に深い印象を与えつつ、空に消えていった。
◆ ◆ ◆
剣を振り上げたギルバートの頭に、亡き父の言葉が甦る。
『憎しみを胸に命を奪っても、残るのは虚しさだけだ』
だから、ケビンを赦すのか?
いや、赦さない。赦せない。
だが、ケビンを殺してもカールが生き返るわけではない。憎しみは消えないが――。
ギルバートが再度右手をギリリと握り込み、そしてケビンへと憎しみの視線を向ける。
そして。
ザシュ!
「ひいっ!」
振り下ろされた剣の音と、ケビンの悲鳴が裏山に響いた。
次の投稿は明後日の予定です。




