第3話 2度目の召喚
「勇者様、どうかこの世界をお救いください」
豪奢な服を着た、いかにも王子様然とした金髪の青年が、片膝をついて懇願してくる。
ユージンは、その光景をどこか遠く感じながら、「あ、これデジャヴ」と心の中で呟き、ガックリと項垂れるのだった。
◆ ◆ ◆
カイナの凶刃に晒され、死を垣間見たあの瞬間。
3色の魔法陣に取り囲まれたと思ったら、徐々にその光が強まり、最終的には光の奔流に飲み込まれた。そして気付けば自分が立っているのは新緑萌える開放的な丘ではなく、薄暗い石造りの閉塞された大部屋であった。
徐々に光が弱まりつつある、3色の魔法陣。そして、遠巻きに周囲を取り囲む人間達の、驚きと期待に満ちた瞳。
突然の事態についていけないはずなのに、どうしようもない、この既視感。
そして、やや緊張した面持ちの青年が歩み寄り、一礼してからの、先ほどの言葉である。
ユージンは確信した。
「俺、また召喚されたのか……」
「勇者様、どうかされましたか?」
ユージンの呟きを聞き取ったのか、項垂れるユージンを訝ったのか、20歳過ぎに見える金髪灰眼の青年が問いかけてくる。ユージンはひとまず顔を上げ、深呼吸をして答える。
「いや、ちょっと待ってくれ。いきなり勇者っていわれても、こっちは何が何だか分からない。ここはどこで、あなた達は誰で、俺がどうなったのか説明してもらえるか?」
嘘だ。何となく、状況は察している。
3か月前にも同じ目に遭ったのだ。あの時は言葉通り訳が分からず、錯乱し、怒鳴り散らしたが、さすがに2度目ともなると、人間耐性が付くものだ。全く嬉しくないが。
しかし、すぐに状況を理解して世界を救うべく動き出す、来るべくして来た物分かりの良い素晴らしい勇者と思われても都合が悪い。正直言って、自分はそんな立派な者ではない。そのくせ、2度も「勇者」として召喚されているのだから意味が分からない。「勇者」の基準を問い質したい。というか、ジャンヌには実際問い質したが、明瞭な回答は得られなかった。
それはさておき、ユージンの質問に、金髪の王子(仮)が立ち上がり、彼よりももう少し年上に見える藍色の髪の青年が、濃紫のローブの裾を揺らしながら進み出て来て口を開いた。
「突然の事で混乱されていると思います。申し訳ありません。貴方をこの世界に召喚した私から説明させていただきます」
藍色の髪の青年は、王子(仮)と同じ理性的な灰色の瞳でこちらを見据えて説明を始めた。
「私はルキオール=ラルヴァンダートと申します。このネアン帝国において魔法局の次席魔法士を務めている者です。隣に居られるのは、この国の皇太子であられるイサーク=ルツ=ネアン殿下です。この勇者召喚の儀式の責任者であられます」
王子(仮)改め皇子(真)、もといイサークが軽く頭を下げ、ルキオールは説明を続ける。
「現在この世界スフィテレンドは、魔王と呼ばれる悪魔の脅威に晒されています。我々人間も必死で抵抗しているのですが、個々の能力が違い過ぎ、先日はこの王宮にまで侵入を許してしまいました。そこで、我々はかつてと同じように、隣の世界であるマナスカイから勇者をお呼びし、この世界を救うためにお力をお借りしたく儀式を敢行いたしました」
ルキオールの説明が一区切りついたのを見て、ユージンは溜息を吐いて独り言ちる。
「魔剣の次は、魔王か」
頭が痛い……と思ったところで、本当に頭痛がしてきた。同時に、体中の筋肉や神経が一斉に悲鳴を上げる。
突然の事で忘れていたが、先程まで、かつての仲間に殺されかけるという極度の緊張状態にいたのだ。肉体的にも、精神的にも限界が来ていたことを自覚したユージンは、思わずガクリとしゃがみ込んだ。
「勇者様!?」
突然、勇者が崩れたことで、ルキオールが駆け寄ってくる。
「大丈夫だ。ただ、色々あって疲れてるだけ。悪いけど、どこかで少し休ませてもらえないか」
明らかに年上の青年に向かって、ユージンはあえてやや礼を失した態度をとった。しかしルキオールはさして気にした風もなく、実際に顔色の悪い勇者に頷き、
「分かりました。まずはお休みください。どうぞこちらに」
ユージンを室外へといざなった。
召喚された部屋は地下であったらしく、階段を上った後に続く廊下から外の様子がうかがえ、今いるのが地上1階であると分かった。そして建物を出て、庭園に差し掛かったところで、西日がユージンの身体を照らした。
地平の果てに沈みゆく朱色の光を見つめて、ユージンは呟く。
「この世界でも、夕陽は同じだな」
そして、感傷に浸る間もなく案内されるままに別の建物に入り、客人用の部屋へと入れられた。
「お食事もご用意いたしますか?」
ルキオールの質問に、ユージンは首を振る。
「いや、必要ない。とりあえず、朝まで1人にしてもらえるか?」
「分かりました。隣の部屋が寝室になっています。何かありましたら、このベルを鳴らしてもらえれば使用人が伺いに参ります。部屋の中の物は、何でもご自由にお使いください。それでは、失礼いたします」
年下の勇者相手に慇懃に礼をして、藍髪の魔法士は扉を閉めた。
1人になったユージンは、ふうと一息ついて、目の前の2人掛けソファに身を沈めた。そして天井を見上げて考える。
ジャンヌは、ディストラは、クゼール王国は無事だろうか。カイナの第一目的がユージンの殺害であったとしても、世界を手に入れると言っていたことから、クゼール王国を攻める可能性は十分ありうる。仲間もいるようだったし、同盟国スカリオの内情も不明だ。もしかしたらすでにカイナがあの力で掌握しているのかもしれない。
そこまで考えたユージンは、頭を振る。
今あちらの世界の推測をしてもどうしようもない。問題は、あちらに戻れるのかということだ。
戻る手段はあるのか。仮にあったとして、戻してもらえるか。無理だろう。簡単に帰せる人間を、わざわざ呼び出すはずがない。だが、戻る手段そのものはあるのではないか。ルキオールは、ユージンを「隣の世界」から召喚したと言っていた。それは過去にもあったとも。
そういえば、とユージンは思い出す。
ジャンヌに召喚されてすぐの頃、彼女が言っていた。あちらの世界――マナスカイには、近い世界が存在し、召喚を行えば通常その世界から呼び出され、その逆もまたしかり。ユージンのように、「チキュウ」という世界からやってくることは異例だと。
であれば、ジャンヌに再び召喚をしてもらえればあちらに戻ることは可能だろう。だが、それではいつになるか分からないし、そもそもユージンがこちらの世界に来たことをジャンヌが知っているかどうか、そしてジャンヌは無事なのか……。
思考がループしたところで、ユージンの身体が徐々に傾いてゆき、ついにソファの上で横たわった。その数秒後には、規則正しい寝息が部屋に響き出した。
◆ ◆ ◆
「勇者様っ!」
「んぁっ!?」
翌朝のユージンの目覚めは、穏やかではなかった。荒々しく扉が開け放たれる音と、女性の叫び声に、ユージンは驚いて跳び起きようとし、ソファから転がり落ちた。
「いてて……何事?」
ゆっくりと起き上がって再びソファに腰かけたユージンは、欠伸を噛み締めながら訊ねる。
誰に?目の前の少女に。
「え、誰?」
ようやく頭が回り出したユージンは、首を傾げる。目の前には、金髪で灰色の眼をした少女が立っていたのだ。
浅黄色の優美なドレスを着こなすその姿は、美少女具合ではジャンヌと良い勝負であった。
起こしに来るのはてっきりルキオールか、その使いの者だと思っていたのだが、目の前の少女はどう見ても昨日の青年ではないし、使用人の格好にも見えない。まあ、こちらの世界については良く知らないので、もしかしたら青年が少女に変わるのかもしれないし、使用人はドレスを着るものなのかもしれない。
ユージンの誰何に対し、少女もキョトンとした顔で、
「私を知らないの?」
「は?いや、知るわけないだろ。俺がこの世界で名前を知っているのは、魔法士のルキオールさんと皇太子のイサーク殿下だけだ。もしかして、あんたはその2人のどちらかなのか?」
「な、そ、そんなわけないでしょう!性別が違うじゃない!」
こちらの世界でも性別が変わることはないらしい。と、そこでユージンは彼女の金髪と灰眼に、今自分が口にした名前の人物との共通点を見出した。
あれ、まさか……。
「そうね、知るわけないわよね。良いわ、久しぶりに自己紹介しましょう。私は、フラール=ネアン。このネアン帝国の第二皇女よ」
自信満々に胸を張る少女に、ユージンは溜息を吐く。
やっぱり皇太子殿下の妹だったか……。
「え、ちょっと、何その反応。いくら勇者様だからって失礼じゃない」
「ああ、悪い。ちょっと頭痛がして。それで、その皇女様が俺に何の用?」
現状で真っ先に話をするべきはルキオールか皇太子イサークだろう。彼らの使いとして皇女が来たのなら良いが、そうでなければ色々と面倒な気がする。政治に巻き込まれるのはごめんである。
そんなユージンの内心が滲み出て、皇女に対してなおざりな対応をとなったためか、フラールの頬が引き攣る。が、相手も一国を代表する立場に近い皇女。感情に左右されず場を支配する術はある程度心得ている。
彼女はコホンと一息ついて心を静め、改めてユージンに向き直った。
灰色の瞳がユージンの黒い瞳を見据える。一瞬前までは砕けた印象だった彼女が、凛とした空気を纏ったことにユージンはやや身構えて、言葉を待つ。
「貴方の旅に、私も同行させてほしいの。それも、貴方の要請という形で」
そして放たれた少女の言葉に、眉を顰めた。
旅、とは何の話だろうか。昨日ルキオールから聞いた情報では、魔王から世界を救うためにユージンは召喚されたということだ。よくあるRPGのストーリーでは魔王を倒すために勇者は魔王城(?)へと旅立つが、そういうことだろうか。
ユージンがそんなことを難しい顔のまま考えていたため、フラールは断られると思ったのか、言葉を続けてきた。
「もちろん、ただの足手まといになるつもりはないわ。これでも私は治癒魔法が得意なの。きっと厳しい戦いになるでしょうから、回復役はいた方が良いと思うわ。事情があって、私の意志で帝都を出るわけには行かないから、貴方の要請という形に――」
「ちょっと待った」
断られるわけにはいかないと、必死で言葉を紡ぐ少女にやや同情しつつも、ユージンは、これ以上自分が知らない話を進めない方が得策と考えて言葉を遮った。
「そもそも、旅ってなんだ?俺はまだ何の説明も受けてないんだよ」
ユージンの返答に、今度はフラールが眉を顰める。
「え?でも――」
フラールが何か言いかけたとき、部屋にノックの音が響いた。
コンコン。
「勇者様、お目覚めですか?」
そして、やや低い男性の声。おそらくは、ルキオールだろう。
ユージンは、フラールが「まずい」と呟くのを横目に、とりあえず返事をする。
「起きてます」
「入ってもよろしいですか?」
その質問に、フラールが慌ててもう一つの方のドアに向かおうとした。が、直後にピリッと空気が震えたかと思うと、フラールが出した足を止めて項垂れた。
直観的に、何かの魔法が使われたのだとユージンは理解したが、ひとまず気付かなかったことにして扉の外の人物と会話を続けた。
「どうぞ」
ユージンの了承と共に室内に入ってきたのは果たして、昨日勇者召喚を行った魔法士ルキオールその人だった。昨日と同じ濃紫のローブを着たルキオールは、ソファに座り自分を見上げる少年と、やや離れた位置で自分に背を向ける少女を確認した後に、ユージンに向かってにこやかに一礼した。
「おはようございます、勇者様。十分に休息は取られましたか?」
「ええ、まあ、一応」
頷くユージンに、ルキオールは一瞬だけ眉を動かし、思案顔になる。が、すぐに真顔になり、背を向ける少女に声を掛ける。
「何やら声が聞こえると思いましたが、やはり貴女でしたか、フラール様。なぜここにいらっしゃるのです?」
最後の抵抗と背を向けていたフラールだったが、名前を呼ばれて観念したのか、振り返ってルキオールに向き直る。その表情は、悪戯がばれた子供の様で。
「ちょっと、勇者様にご挨拶していただけよ」
「こんな早朝に、供も付けずに?」
「いつものことだわ」
ふん、と顔を背ける少女に、ルキオールがやれやれと溜息を吐く。そしてユージンに向かって頭を下げる。
「勇者様、申し訳ありません。第二皇女殿下は控え目に申し上げまして活動的でして。何か粗相はございませんでしたか?」
自国の皇族に対する言い草とは思えぬ表現に、フラールが眉を吊り上げる。
「ちょっと、ルキオール様!」
フラールの抗議の声を華麗にスルーするルキオールを見て、2人の関係性を何となく察したユージンは、首を横に振る。
「そうですか。それは良かった。ところで、いったい何の話をされていたのですか?」
ユージンへのその質問に、フラールの顔色が目に見えて悪くなった。ユージンとしては、先程の話を全てルキオールに話しても問題ない、が。
少女の必死な様子が脳裏を過ぎった。
「いえ、特に大した話は。目が覚めたら見知らぬ少女が居たので、彼女が何者なのかを尋ねて、この国の第二皇女であるとの回答をもらったところでルキオールさんが来たので」
ユージンの答えに、ルキオールから視線を寄越されたフラールがこくこくと頷く。ルキオールは一瞬目を細めたが、その件について追及するつもりはないようで、あっさりと話を変えた。
「それでは、皇太子殿下と共にこれからの話をさせていただきたいのですが、その前にお食事を召し上がりますか?」
それなりに空腹を覚えていたユージンが頷くと、ルキオールの合図とともにすぐさま台車に載せられた豪華な料理が食べきれないほど応接室のテーブルに並べられていった。
「どれも我が国の皇族に出されるものと同じ最高級の料理です。お口に合うか分かりませんでしたので、様々な種類をご用意しております」
呆気にとられるユージンに、ルキオールが説明した。
「では、短くて恐縮ですが1刻ほど後にお迎えに伺います。何か御用がございましたら、侍女を置いておきますのでお気軽にお申し付けください」
そして一礼するルキオールに、頷くことしかできなかった。
フラールはルキオールに連行されたため、今部屋の中にはユージン以外にはドアの脇に佇む侍女が2人いるのみである。色々と考えるべきことはあるが、とりあえず、まずは腹を満たすべし。
こちらの世界での1刻がどれくらいの時間か分からないが、早食い文化が根付いているかもしれない。それなりに急いで食べよう、と料理に向かうユージンであった。
幸いにして、この国の料理とクゼール王国の料理と、ひいては地球の料理とで致命的な違いはなかった。クゼール王国と比較するとこちらの方がかなり豪華で、お洒落な感じがあり、味付けも異なるが、ナイフとフォークで食べるスタイルは同一である。差をユージンの感覚的に表現するなら、こちらがフランス料理でクゼールはイタリア料理といったところだ。
食べ方が良く分からないものはスルーしつつ、分かり易い肉、野菜、パンを中心に食べること30分。起き抜けにしてはそれなりに食べたと思いながら、謎のお茶を啜っていると、失礼します、と声がかかった後にルキオールが入ってきた。
「お食事はお口に合いましたか?」
「ええ、美味しかったです」
ユージンは頷きながら、こちらの世界でも1刻は30分程度、と頭に入れる。
「それは幸いです。では、申し訳ございませんが、皇太子殿下の待つお部屋までご足労お願いできますか」
「ええ、行きましょう」
すっくと立ち上がったユージンは、先導するルキオールに続いて部屋を出た。
「ところで勇者様、侍女から報告があったのですが、昨晩はベッドをご使用になられなかったのですか?」
ベッドメイキングされたまま、皴の一つもついていないベッドを不審に思ったのだろう。ユージンは苦笑しながら頷く。
「ええ、ソファでうとうとしていたらそのまま眠ってしまって。寝室の方には入っていません」
従って、風呂にも入っていない。服だけは、食事の前に部屋に備え付けてあったものを借用している。
日本人のユージンとしてはやや気持ちが悪いが、クゼールでは平民が湯浴みするのは3日に1回程度であったため、こちらでもそこまで気にしなくても良いのではないかと考えている。その辺りはおいおい分かるだろう。
「そうでしたか。・・・勇者様、こんなことを聞くのは失礼なのですが」
ルキオールがやや改まった口調で問うてきた。ユージンもやや身構える。
「昨日と、口調などがかなり違うようですが、何かあったのでしょうか?」
何だそのことか、とユージンは心中で溜息を吐く。確かに、昨日はかなり不遜な態度をとっていたので、疑問に思うのも当然だろう。真正面から聞かれるとは思っていなかったが。
昨日の態度は、下手に出て舐められないためと、こちらの態度にどう反応するかを試すためのものであったが、権力者相手にそれを続けて良いことはあまりないことを、1度目の召喚でユージンは学んでいた。しかし、これらのことを馬鹿正直に言っても反感を買うので、ユージンは用意していた言い訳を答えた。
「ああ、昨日はちょっと気が動転していたもので、失礼な態度をとってしまいましたが、この国の偉い方と話す時は、丁寧な対応の方が良いかと思いまして。……昨日の方が良ければ戻すことも出来るけど?」
にやりと笑ったユージンに、ルキオールがやや驚いた表情をする。そしてふっと微笑み、
「私に対してはどちらでも構いませんが、皇族の方々――いえ、皇族だけでなく、貴族に対するときは、丁寧な方でお願いできますか?色々と都合が良いので」
どうやら、このルキオールという男はなかなか話が分かる青年の様だ。そう感じながら、ユージンは答える。
「分かりました。ルキオールさんも、俺に対して丁寧語じゃなくて良いですよ。特に気にしないので。それとも、『気にする設定』の方が良いですか?」
ユージンの少し踏み込んだ発言に、再びルキオールは驚く。が、すぐに、今度は少し気安く笑った。
「いえ、こちらは職務ですので。ただ、まあ、肩の凝る口調はやめましょうか。それと、可能であれば、貴族相手には丁寧な対応と共に、ある程度『気にする設定』の方が良いかもしれませんね」
「了解」
ルキオールが少し心を開いてくれたことを感じたユージンは、一安心した。が、ルキオールとの会話で、この国には日本にはいなかった貴族がおり、それなりに面倒な存在であることが分かったので、この先のことが不安になる。ただの高校生であるユージンに、政治的なアレコレをうまくやる自信はなかった。
そういった話になりませんようにと願いながら、ユージンは皇太子イサークの待つ部屋へと足を踏み入れた。