第2話 仲間の裏切り
「ああ、久しぶりだな、ユージン。待ってたぜ」
その瞬間。
ぞわり、と嫌な予感がして、ユージンは咄嗟に飛び退いた。
一瞬前までユージンがいた空間を、光が一閃する。
「なっ!?」
「ユージン!」
ユージンを案じるジャンヌの悲鳴が耳に入るも、応じる余裕はなく、今見た光景に驚愕する。
カイナが、腰に下げていた剣を振り抜いたのだ。ユージンに向けて。
ユージンは恐る恐る自身の身体を確認する。
両袖の前面と胸部の服が裂け、肌が覗いているが、幸いにして刃は身体には届いていなかったようだ。
「一体、何のつもり――」
仲間からの突然の暴力に、戸惑いと同時に湧き上がってきた怒りのままに目の前の青年を睨むユージンだが、その視線がある一点に固定された。
彼が持つ、剣。
やや幅広の片刃の直刀で、ファルシオンと呼ばれるタイプの剣に似ている。
美しい水色の刀身と、趣味良く纏められた鍔の装飾。実用的でありながら芸術的。
初めて見るそれに、見覚えがあった。
「四の魔剣『デリュージ・ファンフ』……何故、それを」
◆ ◆ ◆
ユージンがこの世界に召喚されてすぐ、魔剣からこの国を救うという召喚の目的を教えられると共に、魔剣の「画集」を見せられていた。
魔剣は恐るべき力を秘めているが、同時に美しい芸術品でもあった。立地や結界といった理由から、どの魔剣も間近で眺めることはできないが、せめて絵で見たいという要望が過去にあったらしく、7枚の絵として纏められたものが出回っているのだ。
そして、ユージンが既視感を覚えたのはそれだけが理由ではない。
実用的でありながら芸術的であるというコンセプト、そして細部に至るまで作り込まれた意匠。それが、自分の持つ『セブン・フォース』と同じ雰囲気を放っていたからだ。
世界に七つある魔剣の由来は解明されておらず、ユージンの『セブン・フォース』はいわゆるブロードソード型であり、『デリュージ・ファンフ』はファルシオン型であるなど、剣としての形状は異なる。
一方で、七の魔剣を除いてその能力と意匠に共通項が多く、同一人物による作品とみなされている。
七の魔剣については、千年前に六の魔剣までを止める役割を果たしたとされること、能力や銘の付け方が他とやや異なるとみられていることなどから議論になることもあるが、目の前で七の魔剣と四の魔剣を見たユージンは、これが同一人物の作品であり、すなわち本物の魔剣であることを感じ取った。
だが四の魔剣は、クゼール王国の西側、獣人の国々がある地域を越えた大陸の西の果て、マヌグス火山帯に封印されているはずのものである。
それが何故、今、目の前にあるのか。
それに何故、それを持っているのが仲間である青年なのか。
そして何故、彼は自分を亡き者にしようとしたのか――先程の一撃には、明確な殺意が込もっていた。
「なんで、それをあんたが持ってるんだ!?」
叫びながら、『セブン・フォース』を抜き放ち、構えをとるユージン。
理由は分からない。経緯も分からない。だが、今、目の前にいる青年は、自分を殺そうとしている。
無意識の生存本能が、ユージンに臨戦態勢をとらせた。
それに対してカイナは、ユージンがこれまで見たことのない冷たい視線を寄越す。
「何故、だと?」
そして、醜く軽薄な笑みを浮かべた。
「魔剣に、選ばれたからだよ。他でもない、この俺が!」
叫ぶと共に『デリュージ・ファンフ』を振るうカイナ。
何の技巧もないただの横薙ぎだったが、それを『セブン・フォース』で受けたユージンは大きく後退せざるを得なかった。
「くぅっ!前より、速い!それに重い!」
ユージンは、これまで何度もカイナと手合わせはしているが、その際に受けた斬撃とは比較にならないくらい威力が上がっている。
「ふん、お前相手に本気を出していたとでも思っているのか?見縊るなよ。訓練という建前上、殺さないように手を抜いていただけだ。実に退屈だったよ」
気の良い兄貴分として、剣の手ほどきをしてくれていたと思っているユージンにとって、カイナの言葉は鋭い刃となって胸に刺さる。
「それが、あなたの本音か?」
睨み合う2人の間に、半身を割り込ませながらディストラが尋ねた。
同時に、突然の事態に動揺していた兵士達も、勇者を守らんと周囲を警戒しながらカイナを囲む。
一見して圧倒的不利な状況にもかかわらず、カイナは焦る様子もなく、晴れ晴れとした表情でユージンを見つめる。
「ああ、そうだ。この魔剣に選ばれたことで、ようやくクソみたいな同盟に振り回されずに、本当の俺のまま生きられるようになったぜ」
クゼール王国とスカリオとの同盟は、違う種族である人間と獣人が、衝突・交渉を重ねながら長い時間をかけて築いたものである。
その同盟を虚仮にされ、クゼールの兵士が色めき立つ中。
ユージンは何かが気にかかり、カイナに問おうとするも、ディストラの言葉に先を越された。
「それで、七の魔剣を持つユージンを殺しに来たのか?」
「物分かりが良くて助かるぜ」
カイナがはっきりと勇者の殺害を宣言したことで、カイナを取り囲む兵士は完全に臨戦態勢に入った。
だが、10本近い剣先を向けられてなお、カイナは平然としている。
その余裕に、中隊長が訝る。
「確かにアンタは強いが、対人戦闘での剣の腕は俺と同じくらいだろう。これまで本気を見せていなかったと言っても、この人数を1人で相手にできるはずもない。頭がイカレたか、それとも伏兵でも居るのか?」
部下の1人に目配せをして、周囲を警戒させる中隊長に対して、カイナは浅く溜息を吐く。
「ここには伏兵はいねーよ。――ああ、悪い悪い。伏兵っつーか別動隊だな。アンタらもご存じのとおり、王城を襲ってるやつらのことだ」
ここには、という単語に兵士たちが警戒したのを見て、カイナは肩を竦めて説明した。
次いで、獰猛に笑って、
「アンタらこそ、魔剣を甘く見すぎじゃねーのか?この『デリュージ・ファンフ』は、千年前の世界を戦禍に陥れた存在だぜ?何の力も発現していないユージンの『セブン・フォース』とは訳が違う!」
フォン、と軽く剣を横に振るった。
その瞬間、カイナを中心として水色の魔法陣が展開し、同時に、ユージンにも感じられるほど周囲のマナがざわめいた。
「ユージン、逃げて!」
少し離れた位置で全体を見渡していた、最も魔法に精通しているジャンヌが悲痛な声を上げる。
だが、ユージンやカイナを囲む兵士達が行動を起こす前に、カイナの声が丘に響いた。
「『河の斧』」
呪文と共に、カイナを囲むように、彼と兵士達との間に水の輪が生まれた。そして次の瞬間には、水の輪から全方向に凄まじい勢いで水が水平射出される。
それは波紋のように広がり、周囲の兵士に襲い掛かった。
迫り来る水の奔流を剣や盾を構えてやり過ごそうとする兵士達だったが、
「くそっ、水の、勢いが!」
「途切れない!」
後から後から絶えることなく水が射出されているため、ついには耐えきれなくなり、鋭い衝撃と共に数十mほど押し流されて崩れ落ちた。
「どうだ?これでまだ能力の10分の1も出してねえんだぜ?すげえだろ?」
腕利きの兵士達をあっさりと退け、自慢気に周囲を見遣るカイナだが、その視線が正面に来るや、スッと目が細められた。
「で、なんでお前は立っていられるんだ?ユージン」
正面に剣を構えるユージンは、肩で息をしながらも、一歩も退かずにその場に立っていた。
「さあ、何でだろうな」
不敵に笑うユージンだったが、その頬を冷や汗が伝う。
正直、自分でも何が起きたか分からなかった。
目前のディストラが水に弾かれた直後、彼を庇うように咄嗟に前に構えた『セブン・フォース』が、斧の如く襲い来る水の流れを断ち切ったのだ。
特別何かをしたわけではない。ただ、迫る水の魔法を『断て』と強く念じただけだ。
だが、それに応えるように七の魔剣は薄く光を纏った。そして、剣では斬りようのない水の奔流を断ち切ったのだ。
「ユージン!怪我は!?」
攻撃の範囲外にいたジャンヌが駆け寄ってきて、カイナを警戒しつつもユージンの身体を確認する。
「俺は大丈夫。ディストラは?」
最初の一撃で服を切られた以外、特にダメージを負っていないユージンは、後ろで起き上がる友人に問う。
「大丈夫、だ。腕がまだ痺れてはいるが」
そう言って右手をぐっぱっと動かすディストラ。大したダメージではないようで、剣を握り直してジャンヌとは逆隣にユージンと並ぶ。
3人が相対するのは、狐の獣人、カイナ。
ほんの10日前までは、実力差はあれど、仲間として4人肩を並べて戦っていたはずなのに。
「なんで、こんな……」
まだ信じられないような心持ちで溢すジャンヌをチラリと見遣るも、特段の反応はせず、カイナは『セブン・フォース』を観察する。
「僅かな魔力の発露……。七の魔剣の能力が発現したか。詳しい能力は不明とされてきたが、他の魔剣の能力を無効化するような能力であれば、千年前の戦いでの活躍も納得できるな」
そして、冷静にその能力を分析した。
ユージンやジャンヌも七の魔剣については詳しく分かっていなかったので、カイナの分析を聞き、ある程度納得する。
そして、その力が本物であるならば、四の魔剣にも対抗できる――。
「だが、それだけなら問題ないな」
言うや否や、カイナが地を蹴り、ユージンに迫る。
それを防がんとディストラがユージンの前に出て、ジャンヌは、
「『砂壁』!」
防御魔法の呪文を唱える。
が、ディストラをカイナから護るように浮かび上がった黄土色の魔法陣は、魔法が発動する前に揺らめき、薄れ、そのまま消えていった。
「なんで!?」
「残念だなぁっ!」
魔法が発動せず動揺するジャンヌに叫びつつ、カイナが下段からディストラを逆袈裟に切り上げる。
剣を両手で構え、体重を乗せてそれを受けたディストラは、しかし軽々と数m程上空に吹き飛ばされた。
「がぁ!?」
しかも、剣で受けたはずの斬撃は、彼の胸から腰にかけて赤い筋を作っていた。
想定外の膂力と痛みに、ディストラはろくに受け身も取れずに地に転がる。
「ディストラ!」
血を流す少年に駆け寄る2人をカイナは余裕の表情で眺める。
そして、回復魔法を行使しようとして再び発動に失敗し、慌てる少女に告げる。
「無理だぜ。魔剣は、その場のマナを喰らう。魔剣がある限り、その周囲では通常の魔法はほぼ使えなくなるんだよ」
「なん……ですって?」
知らなかった、そして驚異の事実に、ジャンヌが目を見開く。
それが本当ならば、魔導士では相手にもならない。
そして純粋な剣の腕だけならば、ジャンヌはおろかディストラでもカイナには及ばない。しかも、相手には強力な魔剣の能力がある。
「分かるか?魔剣相手に魔法は使えない。なのに、魔剣の所持者は強力な属性魔法を使い放題だ。さっきの、本来なら目くらまし程度の短縮呪文であの威力だぜ。クゼールが誇る精鋭でも、剣の一振りでこのざまだ」
ユージンが庇ったディストラ以外の兵士は、数十mほど吹き飛ばされたまま、立ち上がることも出来ずに呻いている。
「千年前、魔剣で世界が滅びかけたなんて誇張した伝説にすぎねえと思ってたが、今ならわかる。こんな剣が6本もあれば、世界も滅ぶぜ」
うっとりとした表情で自らの魔剣を眺めるカイナに、ユージンが唸る。
「世界を、滅ぼしたいのか、あんたは!」
少年の恨むような鋭い視線を受け流して、カイナは告げる。
「滅ぼしはしない。だが、他の魔剣が目覚める前に……いや、他の魔剣をも手に入れられれば、俺は世界を手に入れられる。そして」
ユージンを冷たく見下していた瞳に、殺気が籠った。
「そのためには、その魔剣とお前が邪魔なんだよ、ユージン!」
明らかに剣が届かない距離で、『デリュージ・ファンフ』を振り下ろすカイナ。
それを訝るジャンヌ。
だが、ユージンは「それ」を感じ、『セブン・フォース』を構えた。
そして「それ」が目の前に来た瞬間に前方を切り払った。
スパンッ!
小気味良い音と共に、『デリュージ・ファンフ』から延びていた「水の刃」が切断され、宙に飛沫が舞う。
「水の剣!?」
マナの動きには気づいていたものの、薄い水の刃の存在に気付かなかったジャンヌが目を見開く。
だが、ユージンには何となくそれの気配が感じられた。同じ魔剣を長く所持しているからかもしれない。
「ああ、これが、ガードしたはずのディストラを斬ったからくりだ!」
ユージンが、剣を握りなおしてカイナに向き直った。
相手は、強力な水属性の魔法と「水の刃」を使えるが、どちらもユージンの『セブン・フォース』ならば対応できる。
剣の腕に開きはあるが、自分が防御を担当し、ジャンヌと協力すれば、
「何とかなる、とか思ってんじゃねえだろうな」
ユージンが瞬きをする一瞬で、カイナは剣を振れば当たる距離に迫っていた。
「っ!」
「遅いんだよ」
そして、咄嗟に振ったユージンの『セブン・フォース』を『デリュージ・ファンフ』が勢いよく跳ね上げた。
ガキィィン!
車が衝突したかのような衝撃を受けたユージンの右手は、あっさりとその手に握る魔剣を弾き飛ばされる。
「あ……」
ユージンは呆けた顔で、目の前で剣を振り上げる男を見上げた。
「じゃあな、ユージン。恨むんなら、弱いお前をこの世界に喚んだジャンヌを恨むんだな」
カイナは、少しだけ視線に憐れみを込めて、右腕に力を入れ、
「ユージン!!」
数歩離れた位置から縋ろうと駆けてくるジャンヌを無視し、
「なっ!?」
突然のマナの奔流に、反射的にユージンから距離を取った。
◆ ◆ ◆
ユージンの周囲に、3つの魔法陣が展開していた。
赤、緑、青の光を発するそれらは、一部で重なっており、3つの円が全て重なる中心にユージンが立っている。
「なんだ、これは!?何をした!」
使えないはずの魔法の発動に動揺したカイナは、その発動者であろうジャンヌを睨む。
が、魔法陣の淵に立つ彼女もまた、驚愕の表情でユージンを見つめていた。
その間にも魔法陣の光は強まり、ユージンの姿が視認しにくくなる。
何が起きているのか分からない。だけど、ユージンの身に何かが起きている。
おそらく、魔法による何かが。
一時も目を離してはならないと、網膜を刺激する光の暴力の中、ジャンヌはユージンの姿をその眼に捉える。
彼の影が、こちらを振り向く。
そして、何かを口にする。
「ジャ――」
その瞬間、世界が光に染まった。