第94.5話 幕間:勇者が目覚めた日
ジャンヌの回想という形での、ユージンのマナスカイでの過去話です。
冒頭は、第89.5話の続きになっています。
ジャンヌ達が、友好国であるアズール王国の王都アルスブルグに亡命してから、半月程度が過ぎようとしていた。
その間、ジャンヌは色々なところに呼ばれて、顔を売りまくると共に情報収集に勤しんだ。
もちろん、主である王女サローナも遊んでいた訳ではなく、各方面の有力者との面通しを行い、協力を取り付けていた。
そして似たような状況にあるスカリオ国の王女ディーナは、サローナと同様にアズール王国の有力者と面会を――行っていなかった。
ディーナの立場は、現在微妙である。確かに事情をよく聞けば同情できるところは多いものの、実質的にスカリオ国はアズール王国の敵国になったのだ。そこの(元)王女となれば、風当たりが強くても仕方がない。
そのため、その存在はあまり公表されることなく、いつの間にか行動を共にしていたジャンヌの相棒のような立ち位置になっていた。
事情を知る人間以外からは、ジャンヌ同様にサローナの護衛か何かのように扱われているが、本人はいたって気にしていない。ついでに、彼女に着き従う侍女もまるで気にしていない。
侍女曰く、「姫様が気にしていなければ問題ありません。姫様がそのようなお方であるからこそ、私は忠臣であるのです」とのことだった。
さて、そんなコンビになりつつあるジャンヌとディーナは本日、サローナと共に今後について話し合っていた。
クゼールの王都ホルディアを奪回するのが第一の目標ではあるが――、ディーナは、その先のことも考えて、根本的な事を口にした。
「そもそも、カイナが現れたときにどうする?今のあたし達では太刀打ちできないのは当たり前だが、それ以外でも何とかなる算段はあるのか?」
その言葉には、誰も首を縦に振ることはできなかった。
たとえこの場にアズール王ローデリヒがいたとしても、同じ事だろう。
現状、四の魔剣『デリュージ・ファンフ』を所有するカイナに対抗できる戦力は、クゼール王国にも、アズール王国にもないのだ。他の人間の国々でも同様だろう。
唯一の希望は、勇者と七の魔剣『セブン・フォース』だった。
だが、それらは両方失われている――。
いや。
ジャンヌは、小さく首を振った。
「(ユージンは、帰ってくる。絶対に)」
「ジャンヌ……?」
その様子を、サローナが心配そうに見つめる。
それに反応して、ジャンヌが彼女に微笑む。
「大丈夫です。今すぐには無理でも――、いずれ、何とかなる。私はそう信じます」
「……勇者様ね」
サローナの言葉に、頷くジャンヌ。
一方、ディーナは首を傾げる。
「勇者って……例の居なくなった奴のことだよな?でも、戦闘能力はジャンヌ以下なんだろ?もし帰って来たとしても、とてもじゃないがカイナの相手にならないだろ。実際、殺されかけたんだし」
ディーナの率直な意見に、ジャンヌは苦笑する。
「そうね。今すぐには無理でしょうね。でも、ユージンなら、きっと何とかしてくれるわ」
ジャンヌの確信の籠った瞳に、ディーナは若干気圧された。
普段、どちらかと言えば物腰柔らかな彼女が、これほどまでに何かを主張することは滅多になかったから。
だがそれでも、ディーナは眉を顰めて。
「何でそこまで信じられる?そいつだって、あたし達と同い年のただの少年なんだろ?」
「そうね。でも――ユージンは、勇者だから」
「勇者だから、って……。おいおい、自分が召喚した勇者だから、何でも出来るって事か?」
ジャンヌの言葉に、ディーナが失望して訊ねる。
だがジャンヌは首を横に振り。
「違うわ。……いえ、最初はそう信じようとした。でも、違った」
ジャンヌは、苦笑いをした後に、少し遠い目をする。
「勇者として召喚されたから、ユージンを信じるんじゃない。私は、ユージンが真の勇者だから――勇者としての覚悟を持つからこそ、彼を信じるのよ」
真の勇者?と首を傾げるディーナを見て、ジャンヌは微笑む。
そして、思い返す。ユージンと出会ってから、彼が真の意味で勇者となるまでの日々を。
◆ ◆ ◆
ジャンヌ=ダンデリオンにとって、東条ユージンという少年は、扱いにくい少年であった。
口も悪ければ態度も悪い。
召喚された当初、怒りを顕にして真っ向からこちらを非難してくる彼に、苛立ったジャンヌも反論し、口論になった回数は数えきれない。
そんな彼の態度を、国の重鎮達は当然ながら鼻白んだ。
さらに悪いことに、勇者として召喚された彼は、目論み通り魔剣の封印を解くことはできたものの、その実力は期待外れもいい所だった。
剣術については素人丸出し、魔法に至っては使ったこともないという。
ユージンが勇者としての資質を疑われ始めたため、魔剣を別の手練れの兵士に使わせ、ユージンを勇者から更迭しようという声も上がり出した。
同時に、勇者を召喚したジャンヌ達魔導士の立場も微妙になった。
召喚した勇者が期待はずれなのは、召喚魔法に不備があったのではないかという事だ。
もちろん、ジャンヌは自分の行った魔法に絶対の自信を持っていた。
彼は、この国を救う素質のある人物である、はず。
幸いなことに、ユージンは渋々ながら兵士としての訓練を受けることを承知した。
だが、そこでも駆け出しの兵士に良いようにあしらわれるユージンを見て、ジャンヌは彼と自分の魔法を疑う気持ちが芽生えた。
いやいや、そんなことを考えてはいけないと首を振り、ジャンヌは横柄な態度を崩さない少年のサポートを我慢しながらも続ける。
しかし彼の態度に、召喚を主導した国の上層部、召喚を実行した魔導士、そして彼に訓練をつける兵士の関係がぎくしゃくしてくる。
そうすると、当然のように裏でひそひそと、あるいは表立って、ジャンヌへの風当たりは強くなる。
その結果――、遂にジャンヌは爆発した。
「いい加減にして!君が召喚に不満を持っているのは分かるけど、そんな態度でいたって何も事態は好転しないわ!むしろ悪化するだけよ!このままだと、軋轢が強くなって、君だって市井に放り出されるかもしれないわよ?そうなったら君に何が出来るっていうの!?」
勢い込んで言ったはいいが、無駄だろうな、どうせまた口論が始まる。と思ったジャンヌだったが、予想に反して少年は表情を消してスッと目を細めただけで、口を開くことは無かった。
そしてそれ以降、ユージンの不遜な態度は鳴りを潜めるのだった。
自分の言葉の何が彼に響いたのは分からなかったが、ひとまず彼は態度を改めてジャンヌや兵士達に普通の少年らしく接し始めたため、ジャンヌは溜飲が下がった。
口の悪さは相変わらずだったが、終始不機嫌顔で眉間に皺が寄っていた彼の表情は普通になり、時折笑顔も見せるようになった。
あくまで表面上は、だったが。
ジャンヌの発言以降、彼はこれまで怒りという形で顕にしていた、その心の底を見せなくなった。
会話も訓練も、これまで以上にスムーズに行われるようになったが、ジャンヌはユージンとの間に心の壁を感じていた。
しかし、現時点でそれが大きな問題になるわけではなかった。
勇者を鍛えるというジャンヌの目的は着実に進行しているし、彼の心に踏み込んだ話が出来なくても、対話は普通にこなせている。
彼はこちらの文化やジャンヌの考えを理解しようとしてくれているし、いずれ心の壁もなくなっていくだろう。
そう、ジャンヌは考えていた。
◆ ◆ ◆
それからおよそ一月が経った。
彼は不平不満を口にしながらも、訓練から逃げ出すことはなかった。こちらの生活にも慣れ、剣のレベルも上達した。
だが、その上達スピードは「それなりに才能がある」レベルで、相変わらず勇者としては物足りないものだった。
そのため、国の上層部は魔剣を別の者に、という案を度々出してきた。だが、彼の努力を見ているジャンヌや兵士達は、曲がりなりにも彼は魔剣に認められた訳であるし、もう少し彼に託すべきだと反対した。
しかし上層部からの圧力は日に日に強くなる。
結果を出せば上層部も黙らせられるはず、とジャンヌはユージンに色々と助言をして、もっと頑張るように告げるが、少年はいまいち乗り気ではなく、その様子にジャンヌは、君のために言ってるのに!とやきもきするのだった。
ジャンヌにとっての大事件が起きたのは、そんなさなかだった。
ジャンヌは、実はその姓が示しているのだが、ダンデリオン修道院に付属する孤児院の出身である。まだまともに動けもしない赤子の頃に、孤児院の前に捨てられていたらしい。
親の顔は知らないし、今さら知りたいとも思わない。
孤児院の生活は、正直言って苦しい。そこで生活をすることになった原因の親を、子供の頃は恨みもしたが、一人立ちして王立魔導研究所の魔導士となった今となっては、さして興味もなかった。
ただ、自分を育ててくれた孤児院には感謝しているし、自分にできるだけの事をしたいと思っている。
自分と同じ境遇の子供達に、できるだけ笑っていてほしい。
ユージンをこの世界に召喚したのも、自分の仕事ということもあるが、子供達が笑っていられる世界を守るため、という意識が大きかった。
だからこそ、責任重大で、失敗すればこれまで実力だけで築いてきた立場が簡単に崩れるであろう召喚魔法の実行者に志願したのだ。
魔剣の復活が噂され、乱れ始めたこの世界を救う人材を――国の上層部の言いなりではなく、自分の意志で魔剣に立ち向かう勇気を持ち、力ない子供たちが笑っていられる世界を守るだけの資質を持つ人間を、自らの手で召喚するために。
もちろん、ジャンヌとて子どもたちの未来を完全に他人任せにするほど無責任ではない。
少しでも孤児院の生活を楽にしてあげたいと、それなりに貰っている給料の多くを孤児院の援助に回しているし、時々孤児院に顔を出して、子供達に魔法の手解きをしている。魔法の能力があれば、就職にも有利だ。
その日も、ジャンヌはいつも通り孤児院を訪れた。
ユージンを連れて。
ユージンはその立場上、基本的に王城住まいで、城下に気軽に出かけることができない。だが、世話役兼護衛のジャンヌと行動を共にするのであれば、あまり良い顔はされないものの許可が下りる。
そのため最近は、ジャンヌの孤児院訪問に必ずと言って良いほど付いてきていた。
そして意外な事にこの口の悪い少年は、子供達に人気なのだった。
ユージンは、子供達に対しても口は悪いものの、態度はジャンヌや兵士達に対する態度とは異なり、上手いこと「兄」として厳しくも優しく接する術を心得ていた。そのため、年上の遊び相手に飢えている子供達にとってはまたとない機会なのだろう。
特に男の子は、女子であるジャンヌと違って遠慮無くじゃれあえるためか、最近はユージンの方を待ち望んでいる気がして、ジャンヌとしては少し面白くない。
それはさておき、普段であれば2人が孤児院の門をくぐると、堰を切ったかのように飛び出てくる子供達が、今日は1人たりとも出てこない。
ジャンヌは不審に思いつつ、孤児院の扉を開く。扉についている鈴が鳴っても、誰も出てこない。
嫌な予感がして、ジャンヌは人の気配がする方に急ぐ。子供達の寝室がある方向だ。
やがて、子供達の泣き啜るような声と、大人がそれを宥める声が聞こえてくる。
彼らの姿をジャンヌが捉えると同時に、孤児院に勤める修道士の一人がジャンヌに気付いた。
「ジャンヌ……」
「一体、何があったんです?」
異様な雰囲気に、少し近付くのが躊躇われたが、ジャンヌは廊下の子供達を掻き分けて修道士に近寄る。
修道士は沈痛な面持ちで、寝室の1つに視線を遣った。
「ビアンカがな……風邪を拗らせて」
「っ!まさか……!」
修道士の様子に事態を悟ったジャンヌは目を見開き、それでも信じられない、とばかりに首を振って、彼の視線の先にある部屋に飛び込んだ。
その中には、沢山の子供と、数人の修道士。
そして、ベッドの上に横たわる1人の少女がいた。
ジャンヌに気付いた子供達が、ジャンヌ姉ちゃん、と震える声で呼びながら、寄ってくる。そんな彼らを優しく脇に寄せながら、ジャンヌはベッドの横に跪いた。
まるで眠っているかのような顔だったが、ベッドの上の少女は既に息をしていなかった。
「そんな、ビアンカ……」
まだ、5歳だった。
本当は明るくて甘えたな性格なのだが、人見知りが激しく、ユージンが最初に来たときはジャンヌの後ろからじっと観察するだけだった。
3回目くらいでようやく話しかけることに成功し、それからは、ユージンお兄ちゃん、とにこにこ笑顔で甘えていた。
くりっとした瞳が可愛く、ジャンヌと同じ栗色の髪を、お姉ちゃんと一緒!とポニーテールにしてはにかむ、本当に妹みたいな……。
ジャンヌの頬を、涙が伝った。
もう、あの笑顔を見ることができない。そう思うと、次から次へと涙が溢れてきた。
冷たくなった小さな手を握り、ジャンヌは嗚咽を漏らしながら涙を流し続ける。
◆
いつもは気丈なジャンヌが、女の子の遺体に縋って涙する姿を、ユージンはやや混乱しながら眺めていた。
その光景は、まるで自分との間にガラス板があるようで、別の世界の話に思え、1枚の絵画のように儚く美しいように見える。
と思った次の瞬間には、生々しい嗚咽と沈痛な空気が身体を取り巻き、喉が痞えるような感覚を覚えた。
そして、自分でも気づかぬうちに、一粒の涙が零れた。
ユージンは、濡れた頬を触り、自分の思いに耽る。
ジャンヌに、同情したのか?
いや、違う。これは、同情ではなく――。
◆
しばらく泣き続けたジャンヌは、少し心を落ち着けると、見守ってくれていた修道士や子供達に礼を言い、少し席を外すと言って部屋を出た。
今は、1人になりたい。
そう思ったのに、廊下を歩くジャンヌの後ろにユージンがついてくる。
そして、喋りかけて来るな、というジャンヌの希望も虚しく、こんな時に限って積極的に声をかけて来るのだ。
「まあ、なんだ。気持ちは分かるよ」
その言葉に、ジャンヌはカっと頭に血が上って振り返り、ユージンを睨みつける。
神妙な顔をしてはいるが、まるで悲しそうでもなく、表面上だけの慰めの言葉。
そんなもの、ない方がマシだ!
「気持ちが分かるですって?君に私の何が分かるのよ!君だって可愛がっていた子が亡くなったっていうのに涙の1つも見せないで!君のために言っている忠告もまるで聞こうとしない!所詮、君にとってこの世界なんてどうでも良いんでしょ!だったら上辺だけの言葉なんてかけないで!家族を失う悲しみを、そんな安っぽい言葉で汚さないで!」
これまでの苛立ちも込めて、全力で少年を詰るジャンヌ。
興奮して鼻息も荒く言葉を吐き捨てたジャンヌのその様子に、少年の目がスッと細められる。
その顔、どこかで見たことがある――。
ジャンヌがそれを思い出す前に、ユージンが口を開いた。
「なら、お前に俺の何が分かる?」
その言葉に込められた底知れぬ昏い感情に、ジャンヌは思わず背筋を震わせた。
彼は今、静かに憤激している。
壁を作って見せなくなった心の奥の怒りを、最初の頃に見せていたものよりさらに深く昏い憤りを、露わにしようとしている。
ジャンヌは、その先の言葉を聞きたくなかった。聞いてしまえば、何かが決定的に変わってしまう気がしていた。
だが、ユージンは言葉を続けた。
もしかすると、彼にも止められなかったのかもしれない。
「教えてやろうか?お前に召喚される直前、俺がどこにいたか」
やめて。聞きたくない。今はそんな時じゃない。
そう、言いたかった。
だがジャンヌの口はハクハクと水を求める魚のように無駄な動きをするだけで、何一つ意味のある言葉は出てこなかった。
そして、その言葉がユージンの口から吐き出される。
「妹の、亡骸の前だよ」
◆ ◆ ◆
イモウトノ、ナキガラノマエ――。
ジャンヌは、廊下のベンチに座ってぼんやりとその言葉を反芻していた。
ユージンはジャンヌが気付かぬうちにどこかへ行ってしまっている。
イモウトの、ナキガラの前。
その言葉を理解するにつれ、ジャンヌはただでさえ悪い顔色をどんどん悪化させていった。
イモウト――、妹。誰の?ユージンの。
「妹、いたんだ……」
ジャンヌはそこでようやく、重大なことに気付いた。
「私、彼のことを何も知らない」
兄弟や両親、家族構成。友達、恋人、交友関係。どんな国で、どんな経験をして、どんな生活をしていたか。
知らない。知らなった。知ろうとしなかった。
なぜか。
彼が生きてきた世界など、どうでも良かったから。
大事なのは、彼の勇者としての資質であり、能力であり、性格であった。
だから、彼と話して、その性格が垣間見えるようになって、彼のことを分かった気でいた。
だが、実際はどうだ?自分は彼の何を知っている?何も知らない。
彼がなぜ召喚された当初あんなにも怒っていたのか。その怒りを収めようとしなかったのか。
自分達は、我儘で物分かりの悪い勇者だ、と勝手に謗っていた。
彼を、「勇者」としか見ていなかったのだ。
自分と同じ年齢の少年であり、生身の人間であることは承知していた。でも、その背景に家族が、友達が、生活があったことを微塵も考えていなかった。
東条ユージンという1人の人物を、ポンとこの世界に現れた「勇者ユージン」としか捉えられていなかった。
妹の、亡骸の前。
その言葉には、まだ葬儀も済んでいないという事実が孕まれている事に気付く。
亡くなった妹と、最後の別れすら済ませていないのだ。
今のジャンヌと同じ状況だ。
そんな状況で、見も知らぬ世界に身勝手に呼ばれ、剣の封印を解いて国を救えと言われたら。
「……私、なんてことを」
取り返しのつかない事をしでかしてしまった。
召喚魔法を使うときに、そういう事を今からするのだと、理解しているつもりだった。
だが、本当のところは何も理解していなかったのだ。
自分達のために何の責任もない人の人生を壊す覚悟など、そしてその罪を背負う覚悟など、何一つしていなかった。
自分達が齎した事態を本当の意味で知り、先程自分が彼に吐いた言葉の無神経さを理解したジャンヌは、ガクリと項垂れた。
「ジャンヌお姉ちゃん」
そこに、孤児院の子供が泣き腫らした目のまますり寄ってきた。
そうだ、今は反省する時じゃない。亡くなった少女を悼む時間だ――。
そう思っても、先程のユージンの昏い瞳が脳裏から離れない。
――お前に俺の何が分かる。
妹のように可愛がっていた少女の死を前にして、素直にそれを悲しむことができない事態を招いてしまった自らに、ジャンヌは深く失望した。
◆ ◆ ◆
少女の葬儀は明日、修道院内の身内だけで行うと伝えられたジャンヌは、連日城を抜け出せる立場でもないので、この場で少女と最後の別れを済ませた。そして修道士達に礼を言い、子供達にはまた来ると告げて孤児院を出る。
ここに入る際に隣にいた少年は、今はいない。
気が重い。彼に合わせる顔がない。
彼から彼の世界を奪っておいて、その事を自覚もせずに、自分達の世界のために働けと、そのためにもっと努力しろと、それがお前のためだと。
そんな恥知らずな行為をしてきた自分達を甘んじて受け入れ、理解しようとしていた少年に向かって、「この世界なんてどうでも良いんでしょ」と。
亡き妹との別れすらさせてやらなかった自分が、「家族を失う悲しみを汚すな」と。
自分に悲しむ資格なんてない。そう思いながらも、ユージンの心情を想像して、ジャンヌは再び目頭が熱くなるのを感じた。
でも、涙は流すまいと、唇を噛んで耐える。
こんな状態で会いたくない。でも、探さないわけにはいかない。
ジャンヌは、見渡す範囲に彼がいないのを確認すると、気配探知の魔法を使おうとして――、やめた。今は、自らの足で彼を探すべきだと思った。
そして、少し考えた後、ジャンヌの足は迷わず修道院の裏手にある墓地に向かっていた。
ユージンは、墓地の入り口に立って、一面に並ぶ墓標を眺めていた。その横顔からは、何も読み取れない。
これまでもそうだった。彼は、その心中を中々晒してはくれない。
だが、今は分かる気がする。
彼は、亡くなった妹を想っているのだろう。
ジャンヌが近付いたのに気付いて、彼が視線を向けてくる。その視線に、自分が緊張したのが分かった。
数歩の距離を残して、ジャンヌは立ち止まり、意を決して口を開く。
「さっきは――」
「悪かった」
謝罪しようとしたジャンヌの言葉は、ユージンの謝罪によって遮られた。責められるとばかり思っていたジャンヌは意表を突かれ、言葉を忘れる。
「あんな事、言うつもりじゃなかったんだ。ただ、ジャンヌの涙に同調して、妹の事を思い出して……。俺も混乱していたんだ」
ばつが悪そうな顔で、目を逸らして言い訳を述べる少年を見て、ジャンヌはようやく実感した。
彼は、「勇者」ではないのだ。
「勇者」としての資質がどうこうという話ではない。
彼は、自分達と同じ、1人の人間なのだ。
家族を失えば悲しみ嘆く。見知らぬ場所に行けば不安で惑う。意に沿わぬことを強制されれば怒り反発する。そして、自分が悪いと思えば反省し謝る。
そんな、どこにでもいる、普通の少年なのだ。そんな簡単なことを、自分達は理解していなかったのだ。
求めれば応じ、何が起きても心乱さず、誰に対しても公平で、常に心清らか。そんな「勇者」なんていないことは分かっていたはずだ。それなのに、心のどこかでそれを彼に期待していたのだ。
そして、期待通りじゃない不満を理不尽にも彼にぶつけていたのだ。
ジャンヌは、初めて「勇者」という偏見を抜きにユージンを見た。
そこにいたのは、ただの17歳の少年だった。
ジャンヌはゆるゆると首を振る。
「君は悪くないわ。無神経なことを言った私が悪いのよ」
だが、ユージンは譲らない。
「いや。家族の死を悲しんでいる人に向ける言葉じゃなかったのは確かだ」
自分が身をもってその心境を知っているからこそ。ユージンは、ジャンヌに頭を下げる。
「そう……分かったわ。でも、私にも謝らせて。これまでの君への行いと、君を何も理解していなかったことを。勝手に世界を奪ってごめんなさい。その事を気にもかけずに、君に要求ばかりしてごめんなさい。そして、君の事を理解しようとしなくて……ごめんなさい」
そう言って、ジャンヌは深く頭を下げた。
それを見てユージンは目を丸くした後、ふっと表情を緩める。
それを感じたジャンヌが顔を上げると――、そこには彼女が初めて見る、ユージンの微笑みがあった。
それにジャンヌが驚いていると、ユージンは視線を逸らし、王都の北に横たわる丘に視線を遣った。
「少し付き合ってくれるか?」
◆ ◆ ◆
『嘆きの丘』の頂上に立ち、ユージンは西の空を眺めている。
「どの世界でも、夕陽は同じだな・・・」
そのユージンを、ジャンヌは静かに見つめる。
彼が何を考えているのかは分からない。ただ、その瞳の先に、この世界の夕陽を映しているのは事実だった。
しばらくしてから、ユージンが話し始めた。
「あの時――この場所で召喚された時――、最初は、ふざけるな、としか思ってなかったよ。この世界の全てを受け入れられなかった。だから大人げなく反発するしかできなかった」
そこで、ユージンは表情を曇らせた。過去の自分を顧みているのだろう。
「でも、ジャンヌに『何が出来るのか』って言われたときに、気付いたんだよ。その通りだ。俺には、何も出来ない。何も出来なかったんだ……」
俯き、拳を握りしめるユージン。
その何かを後悔するような様子に、ジャンヌが声を掛ける。
「ユージン?」
「妹は、俺のせいで死んだんだ」
「え?」
今、信じられない言葉が聞こえた気がする。
ユージンは、明らかに妹の死を嘆き悲しんでいた。それは、妹のことを大切に思っていたからに他ならない。
そのユージンが、妹の死の原因であるとは一体……?
「俺が、余計なことを言わなければ、あいつは、真弓は、死なずに済んだかもしれない。それなのに、俺は――何も出来なかった。俺の心を救ってくれたあいつに、俺は何も出来なかったんだ!」
ブチッ、と何かが破れる音がした。
気付けば、ユージンの拳から地面に血が滴り落ちている。この世界に来て初めて吐露した、心の深いところにある後悔と言う名の激情に、彼の皮膚が耐えきれなかったのだ。
ジャンヌはその様子を黙って見つめることしか出来なかった。
「妹だけじゃない。両親も、一度に全てを喪った。自然を前に、人間はちっぽけな存在だ。そんなのは分かってる。でも、家族を救うために何も出来なかった俺は……!」
ユージンは、一際強く拳を握りしめ、身体を一度震わせた。そして、全身の緊張を解き、魔剣の台座にもたれて力なく笑む。
「だから俺は、逃げた。現実から逃げたんだ。この世界で、言われるままに訓練をしていれば、何も考えずに済むから」
ジャンヌは、泣きそうな表情をするユージンに、何も言えなかった。
彼の家族に何があったのかは分からない。おそらく自然災害か何かで家族を一度に失ってしまったのだろう。
血の繋がった家族の死というものは、ジャンヌには実感することはできない。ジャンヌにとって親代わりであったこの孤児院に勤める修道士達や、子供達が亡くなった場合と近い感情だろう。
だが、唯一無二の血の繋がりがある分、その絶望はより大きくなるのかもしれない。
その絶望を背負った少年が、現実から逃避したことを、どうして責められよう。彼の逃避先が、この世界のために訓練することであったなら、尚更である。そこに気持ちが入っていなかったとしても、彼の行いそのものは否定されるものではない。
ジャンヌはそう考え、血に塗れた掌を眺めるユージンを慰めようとした。
だがその前に、ユージンが口を開く。
「でも、それじゃダメなんだな」
小さい、呟きだった。
だが、そこには、ジャンヌがこれまでユージンから感じたことのない、力が籠っていた。
「さっきジャンヌがビアンカの前で泣いているのを見て、俺は妹のことを思い出さない訳にはいかなかった。二ヶ月前、あいつの死とそれに伴う責任から逃げた俺は、日本のことを思い出さないようにしていた。
でも、思い出してしまえば、自分の成長の無さに情けなくなった。これじゃ、自分の殻に閉じこもっていた昔の俺と同じだ。俺は、妹のために――、出会った時から何の根拠もなく俺を信頼し、『世界を変える人間になる』と信じていた妹のために、そんな大それたことは出来なくても、妹に誇れる自分であろうと決めたはずだった。
でも、今の俺はどうだ。この世界は確かに目の前に存在しているというのに、どこか空想の世界に迷い込んで、その登場人物の役割をなぞっているだけの気がしていた。自分の意志など何もなく、人の感情、そして自分の感情にも鈍感になっていた。今の俺には、何一つあいつに誇れるものなどない。あいつが信じたとおり『国を救う』役割を与えられたというのに」
そうしてユージンは顔を上げ、ジャンヌに視線を向けた。
その中に強い意志を見出し、ジャンヌはドキリとする。
これまで彼から向けられる視線は、憎悪か憤怒、その後は空虚で上辺だけの闇であった。
だが今は。
その漆黒の瞳の奥に、揺るぎない決意が灯っていた。
「真弓の死と責任から逃げるわけじゃない。その胸の傷は今でも痛む。だけど今、俺がここに呼ばれて、この世界で生きているのは紛れもない現実なんだ。だから俺は、この世界で、あいつに誇れる存在にならなければ、あいつに顔向けできない」
家族を一度に喪う悲しみと、それに伴う責任。17歳の少年には重すぎて、一度は逃げ出したしまったのだろう。
だが、彼はそれと向き合うと決めた。
そしてそれだけでなく、彼からすれば何の義理もない世界のために、彼から世界を奪った自分達に、応えようとしている。
「そのためにも、ジャンヌ、俺は今ここでお前に誓おう。お前が望む、子供達が笑顔で夢を失わずに生きていける世界を作るために――たとえ道半ばで仲間が斃れ、あるいは道を違えたとしても――俺はこの先、この命尽きるときまで、自分が信じる道を進む」
ああ、やっぱり私は間違っていなかった。
ジャンヌは、ユージンの誓いを聞いて、確信した。
彼は、やはり「勇者」なのだ。
もちろん、今更彼のことを清廉潔白で公明正大な、立派な勇者などと言うつもりは無い。彼は、自分達と同じ、一人の人間だと分かっている。
家族を喪って悲しみ、見知らぬ世界で不安になり、強制されれば怒り、失言すれば謝る。そんな、どこにでもいる、普通の少年だ。
剣術の腕だって未熟で、魔法の天才でもない。闘えばジャンヌにすら勝てないだろう。
それでも、彼は進むと決断したのだ。
家族を喪い、世界を奪われ、自分こそが救いを求める立場にもかかわらず。
そんなことにも気付かぬ者に、身勝手に国を救えと要求され。
現実から逃げ出したくなるほどの後悔と悲しみを抱えながらも。
この先どんな危険が待ち受けているかもわからない、勇者としての道を進もうというのだ。
ただの決意だ。誰にでもできる。そう言われれば、その通りだろう。そこに必要なのは、ほんの少しの勇気だけだ。
でも、だからこそ、とても特別なことだとジャンヌは思う。
勇者とはなんだ?
圧倒的な力を発揮して敵を薙ぎ倒す戦士か。
軍隊を率いて戦に勝利をもたらす戦略家か。
巧みな話術とカリスマで国を導く政治家か。
そうじゃない。
勇者とは、生き様だ。その名の通り、「勇気ある者」のことだ。
人生の中で無数にある、ちょっとした選択肢の中で、勇気のある決断を行える者。その決断の積み重ねが、その者を勇者たらしめるのだ。
言葉にすれば簡単に聞こえる。
でも、違うのだ。彼が覚悟しているのは、己に課せられた勇者としての役割を果たす覚悟だ。普通の生活における勇気ある行動とは意味が違う。
彼の行く先には、命の危険がある。勇気を出して失敗すれば、それは死に直結する。
自らの死を目前にして、ほんの少しの勇気を持てる人間がどれだけいるだろう。
彼は、その覚悟をしたのだ。
誰かが死に、誰かの心が離れたとしても、ほんの少しの勇気を持ち続けて進む覚悟を。
場違いなのはわかっている。しかしジャンヌは自分の頬が紅潮し、胸が高鳴るのを感じた。
今、まさに、自分は勇者が目覚めた瞬間を目撃したのだと、直感がそう告げていた。
だからユージンの誓いに、ジャンヌは微笑む。
「なら私は、貴方が進む道を、一緒に歩くわ。最期の時まで、隣でね」
前でも後ろでもなく、隣で。
彼を導くのではなく、彼に付き従うのでもなく。
彼の道は彼の意志が決める。でも、彼が迷ったときには、隣で一緒に考える。
それが、ユージンの誓いに対するジャンヌの応えだった。
彼が進む道は、おそらく困難なものになるだろう。国の外だけでなく、国の中にも彼を認めない者は多い。
もし他の魔剣が復活したなら、命の危険は非常に高くなる。いつ死ぬことになるかもわからない。
でも、だからこそ。
最期まで、彼が彼の道を進めるように、隣にあり続ける。
それが、彼をこの世界に呼び寄せた自分の責任であり、誓いだった。
「ああ。これから、本当の意味でよろしくな、ジャンヌ」
憑き物が落ちたような綺麗な笑顔で右手を差し出してきたユージンに、ジャンヌも右手を出して応える。
「ええ、よろしくね。ユージン」
ユージンとジャンヌ。
後世の英雄譚において、救世の英雄とその恋人として描かれることの多い2人である。
だが、この2人が初めて真に心を通わせた出来事は、当人達の記憶の中にしか残されることはなかった。
ユージンの日本での過去についてはおいおい書くつもりです。




