第8戦 VS大サソリ
北の国ノートは、砂漠の国である。
ただひたすら一面の砂、遮るものが無く、熱の変動を抑える水分が枯れた乾いた世界。
昼は太陽の熱を際限なく受け入れ続け、高温となる。
夜は昼の熱さとは真逆に、熱を際限なく放射し続ける。
そんな寒い夜の月の下、砂漠の道を二メートルを超える身長の一人の大男が立っていた。
向かい合うように、大男より少し大きい茶色のサソリが待ち構える。
大男は右手に鎖と鎖のついた鉄斧。左手には鉄の大盾。背中には鉄槍を背負う。
また鉄仮面を被り、鉄鎧はその下にたくさんの鉄の輪をつなげて潰して作った、鎖帷子を着ている。
砂と同じ色の大サソリは、敵を捕らえる為のハサミ、そして後方には大きな鞭の様な尾を持ち、その尾の先には強烈な毒針がある。
月明りだけの薄暗い世界。風で砂漠の砂が舞う。
二人は互いに相手を殺さんと、見合っていた。
動かずに攻撃のチャンスをうかがっていた。
バイオンは相手のサソリの尻尾の毒針を警戒し、それが動くと同時に攻撃するつもりでいた。
大サソリはそもそも動かない種であった。
じっと影に隠れて獲物を待ち、獲物が近づいて来た時に毒針を刺してから喰らうのがサソリという生物である。
生き物の少ない砂漠に置いて、下手に動いてエネルギーを消費するのは得策ではないからである。
ゆえにサソリは動かない。大男が動くのを、ただ待ち続ける。
隙が生じるのを、左右三つずつの眼と頭の上の二つの眼で見続けていた。
盾を構えて動かぬ男。元々、動かない事が基本の生物。
数分経って焦れたのは男の方だった。
大盾を構えての突撃。
鉄の具足で砂を蹴り飛ばしながら、大サソリへと向かう。
サソリは反射的に鋏を広げて、八本の足で少し後退しながら、尾を伸ばして毒針を叩きつけた。
硬い針は盾にはじかれる。
尾が動いたその隙を狙い、大サソリに対して斧を振り上げるバイオン。
しかし振り下ろされた鉄斧は、砂をえぐるだけだった。
少しの差で、サソリはさらに後方へと逃げた。
再度、盾を構えて突撃するバイオン。
大サソリはしかし素早い動きで後退。先ほどより距離が開く。
いくらかの距離ができた後、サソリは尾を振り回した。
地面の砂が舞い上がり、砂煙が起きる。
煙に紛れて、サソリは目の前の大男を攻撃するつもりだった。男からは見えないが、サソリは振動で男の位置を理解した。
しかしサソリが動き出す前に、その身に鎖付きの斧が飛んできた。
斧が体に浅く当たり、よろめく大サソリ。眼のついた甲殻に傷をつける。
さらにバイオンは鎖を引っ張って斧を回収する。そして今度は横薙ぎに煙に向かって振り回した。
今の位置から動こうと、横に走り出した大サソリだったが、薙ぎ払いされた鎖が尾に絡みついた。
強い夜風で砂嵐が吹き飛ぶ。
鉄斧が大サソリの近くに落ちる。鎖は尾に一回りだけ巻かれていた。
バイオンはベルトを外して背中の槍を落とし、それを右手で拾う。
左の盾を前にして槍を右手に、男はサソリに対し三度目の突撃を行った。
何とか絡んだ鎖を外そうと、尾を振る大サソリ。
だがそれをするよりも先に、外敵が迫っていた。
サソリは男に対して動き出した。
鎖が絡んでいたせいで動かし辛い尾を、男に叩きつける。
バイオンが掲げた鉄盾が、それを防いだ。
しかし走り寄ったサソリは、尾が弾かれてすぐに鋏を振るった。
掬い上げるかのようなハサミの攻撃に、バイオンは大盾が横にはじかれた。
盾の重みでバランスを崩し、砂に足を取られたバイオン。
倒れまいと槍を杖がわりにする。しかし盾を左手から落としてしまう。
サソリはその機を逃すまいと、尾をまた叩きつけた。
サソリの毒は自分より小さな獲物を捕らえる為で、大きなものを殺す為の毒性の強い種類は少ない。
しかしこの大サソリはその体のサイズに合わせた、強力な毒を持っていた。
大男にそれが突き刺さらんとする。
しかし鋭き針であっても、バイオンは防具を固めた鉄の塊。
その尾を逸らす様に鉄仮面の頭頂ではじいた。
衝撃が内部に伝わり、ぐらつくバイオン。
そこにさらに大サソリの鋏の連撃が来る。
バイオンは槍を捨てて前に飛んだ。
そして鋏の上を行き、サソリの八つの目の上、その甲殻に乗る。
そのままバイオンは、自分を睨むサソリの眼に拳を入れた。
一番上の大きな眼の一つを潰され、苦しむ大サソリ。
尾で薙ぎ払いバイオンを吹き飛ばす。鉄の鎧と鎖帷子でダメージは薄く、バイオンは砂の上に落ちて転がった。
近くにあったのは鉄斧、バイオンはそれを両手で拾って構える。
大サソリは怒り、バイオンに突撃。
毒針の突く攻撃を、バイオンは避けつつ前進する。
そして鋏の連撃が来る前に、その頭に鉄斧を叩き込んだ。
男の全力を込められた攻撃に、潰れる頭。
殺されながらも反撃に、サソリは鋏で死に際の攻撃をする。
しかしバイオンの鉄鎧と鎖帷子には、その攻撃は意味の無い行為であった。
サソリの死骸を置いて、バイオンは夜の砂漠を進む。
見渡す限りの砂であるが、魔女に道を伝えられ迷う事は無い。
三十分ほど男が歩くと、岩山の側にたくさんの柱が並ぶ神殿が立っていた。
「直接ここにワープさせれば、良かったんじゃねえか?」
バイオンの言葉を、ラフターは否定する。
『この辺りに結界が張られていて、直接のワープは難しかった。あと場所も漠然としていて探す必要があった』
眠たげな女の説明の声に、それ以上はバイオンも気にする様子も無く神殿へと入った。
バイオンが少し進んだ先、石床に巨体が座り込んでいた。
人型の胴体と四肢を持ち、顔は河馬、獅子の足、ワニの背中と尾を持った三メートルほどの女神。
神殿に入り込んだ男に対し、タウエレトと名乗った。
「このような夜更けに、このタウエレトに何用か?」
大きな女神は離れたバイオンを見て、河馬の口を開けて、女性と思われる声を出した。
バイオンが何かを言う前に、神殿に声が響く。
『この夜分、さらに姿も見せずに申し訳ない。私はラフター、この男の名はバイオン、私はこの男の守護をしている隣国の者です』
さきほどよりもはっきりした声が、男と河馬の女神の耳に届く。
『この男は自らを鍛える為の、修練の旅に出向いた者。この神殿に赴いたのも、この男自身の探求心から来るものです』
「……愚かな奴だ」
冷たい大理石の床に座り直した女神は、大きな口を開けた。
「言っておくが、私は出産の女神だ。この男に対して加護は与えられんぞ?」
『ご無礼の上に、その上に利得を求めるなど、そのような失礼は出来ません』
「冒険者とはそういう者であろう。しかし好奇心は死をもたらすぞ」
河馬の女神は男を見る。
「口を開かず、急いでここを立ち去るが良い。それが貴様にとって最善の行動である」
見上げていた男はその言葉を受け入れて、何も言わずにそのまま来た道へと立ち去った。
バイオンも、その光景を鏡越しに見ていたラフターやドワーフ兄弟にプレゼンも、女神の気分を害したと思っていた。
気分を悪くしたタウエレトがバイオンに対し、「目障りだから早く消えろ」と遠回しに言ったのだと思った。
しかし内情は違う。
このタウエレトは民の為の神であり、例えコピーであろうとも善意がその体の中心にあった。
善意でバイオンに対し、早く逃げろと言ったのである。
バイオンは神殿を出る。
前方には月の光に照らされた、果ての見えない砂漠があった。
これ以上は失礼を重ねないように、魔法を使ってタウエレトの目の前で男が消えるのは止めて、歩いて離れてからフィーラ村へ戻る事にラフターはさせたのである。
神殿を出て、鎖を鳴らしながら砂漠を歩くバイオン。
そろそろ転移させようとラフターが魔法を唱えようとした時に、不意にバイオンに声がかけられた。
「こんばんは。あんた、旅人?」
全く気配を感じさせず、その女はバイオンより少し現れた場所に現れた。
顔は雌のライオン、首から下は簡素な服を着た普通の女の体だった。よく見ると顔が赤い。
(酒臭い!)
風のある外野だというのに、そのうえで強い酒の匂いがバイオンの鼻にも感じさせた。
「強そうだね、あんた。私とちょっと戦ってみる?」
訝し気に獣頭の女を見るバイオン。
手にした酒瓶から、赤色をしたビールをがぶ飲みする女。
乱暴に口からこぼした酒を、その手で拭い、酔った目で女はバイオンを見た。
げっぷをしながら、ライオンの顔がへらへらと笑う。
鏡越しにフィーラ村から見ていたラフターは、賢者の知識からそれが誰かを考えた。
『雌ライオンの頭、首から下は人間、赤い酒……!?』
そしてラフターは叫んだ。
『バイオン、逃げろっっ!!』
バイオンの視界からライオン頭が消える。
ラフターの大声だけが、バイオンに聞こえた。
『そいつは戦の神セクメト! 今のお前じゃ勝てん!!』
バイオンの目の前に現れたセクメト。
反射的に、バイオンは腕を十字にしてブロックした。
そのブロックの上から、セクメトの蹴りが入る。
砂漠の夜空にバイオンはふっ飛ばされる。
そのブロックした二つの腕、前方の右腕は鎖の上から骨が砕け、その後ろの左腕の骨も砕け、さらに胸骨もへし折れる。
男の鉄鎧と鎖帷子が壊れ、内臓全てに衝撃が走る。
頭にまで来た衝撃に、一瞬意識を失うバイオン。
そして夜空に高く打ちあがった所で、空間を転移した。
「ありゃ逃げられた?」
気にした様子も無く、セクメトは赤いビールを飲む。
神殿内からタウエレトが姿を見せた。
「……セクメト、貴様!」
「怒るなよ、タウエレト。あー酒がうまい」
「我らは民を守る女神、いたずらに傷つけるものでは無い!」
「……私は太陽神に祈らぬ者を殺すのが仕事、むしろ神として私は真面目な行為をしたと思うが?」
馬鹿にしたように笑うセクメト。タウエレトは河馬の小さな目でその女を睨んだ。
「止めとけ、牛女ならまだしもお前じゃ私には勝てんよ」
尽きぬ酒瓶を手で遊びながら、セクメトは夜空を見上げる。
「それにここはエジプトじゃない。ナイル川も無い。我らは偽りの存在。女神として真面目に働くなど、馬鹿だろう?」
「……」
その言葉に沈黙するタウエレト。
バイオンが消えた場所を見つめながら、セクメトは自分のライオンの顔に触れる。
「……あの男、蹴られる寸前にガードする時、私の顔面に鎖をぶつけやがった。やるじゃん」
誰にもわからないほどの小さな殺気を、その酔った体にセクメトはみなぎらせていた。
フィーラ村の魔法陣。
そこで重傷で倒れるバイオン。
ラフターが回復の魔法をかける。
ドワーフ兄弟とプレゼンが、心配そうな顔で横に立っていた。
「生きていたか。頑丈に生まれた体と、代わりに壊れた鎧と、その鎖に感謝するんだな。私は死んだ者の蘇生や、千切れた腕の再作成は出来ない」
薄目でラフターは、大男に告げた。
血を吐きながら、倒れたバイオンは苦し気な声を出す。
「……ラフター」
「なんだ?」
「俺は、奴らに勝てる程、強くなれるか?」
ラフターはその問いに、淡々と答えた。
「それはお前次第だ」
「どいつもこいつも、ぶっ潰してやる!」
血を吐きながら、苦しみながら、それでも蛮族の男は、怒りを発していた。
「魔族も、あのガキも、魔女も、コヨーテも、黒犬も、蜘蛛も、河馬も、あの獣女も!」
白い目で呻きながら、怨嗟を吐くバーバリアン。怒声が終わるとそのまま気絶した。
「待てバイオン! 魔女って私の事か? 私の事だよな?」
ラフターの質問に、気絶したバイオンは答えない。
黒き魔女はため息をつきながら、回復の魔法でバイオンの傷を癒していく。
星明かりの下、ラフターは魔法を唱えながら呟いた。
「……四方向の守護神は、話にならない事が分かった。このまま結界を続けてフィーラ村が疑われても問題になる。国全体に結界を張っても結界を張らない他国に疑われる」
そして魔女は結論を言う。
「もうすぐ初夏、小麦の収穫の時期。それが終わったらモンスター除けの結界を解こう。村長には明日言うか」
バイオンの鉄鎧が、鎖帷子と合わさり防御力アップ!
タウエレト:エジプト神話の河馬の頭の女神。出産の女神。
セクメト:エジプト神話の雌ライオンの頭の女神。破壊、疫病、復讐、戦争の女神。太陽神ラーに自分を信仰しない者を殺せと命じられ、それはやりすぎだと他の神が説得し、赤い酒(ビール?)を与えられて酔わされた。
タウエレト、セクメト、ハトホル、バステト、テフヌトは母性の神として同一視される事もある。
誤字報告ありがとうございます。