第110戦 VSワーム
十一月十一日のフィーラ村の外れ。
昨日の雨とはうって変わって、晴れた朝。しかし昨日の雨の温度が尾を引き、温度は急激に下がっていた。
そんなことはまるで気にしていない半裸の巨漢は、厳つい顔をラフターに向けて言葉を発した。
「おい、ラフター。俺が三日ぐらい真面目に戦ってねえぞ?」
「……そうだな」
三日前の出世螺は一撃。掴んで投げ飛ばして終わり。
アフロディーテは、愛の熱に浮かれた愚か者共の行動は単調で、戦士として三流の相手。アフロディーテには一瞬で誘惑された。
そして昨日のドモヴォーイも一撃で終わった。
ラフターは眠たげな目で告げる。
「そもそもだな、今はお前達の鎖を外す事が先決。戦いは二の次ではないか?」
バイオンの右腕の鎖が、そこより離れた十一歳の金髪の少年、アジニスの左腕に続く。
それはかつてプロメテウスと呼ばれる神を縛り上げていた、神の力を込めたアダマントの鎖。
破壊するのは神の力でもってしても不可能であり、解き放たれるには「不老不死の物がその不老不死を捧げる」必要性があった。
それは理解しているが、相手が弱すぎてもバイオンにとっては物足りない。
バイオンにとって鎖が外れるかどうかよりも、己が強くなる方がよっぽど大事だった。
「特に昨日の敵なんざ、弱すぎて拍子抜けしたぜ」
「ドモヴォーイの事なら仕方ない。あれは私をあぶりだす為の囮だったからな」
「……あん?」
「こっちの話だ、お前は気にしなくていい」
ラフターは表情を変えずに毛むくじゃらの妖精について考えていた。
(あの妖精は、魔法によって位置情報を確認できるマークがされていた。おそらく私が回収する事を見越して)
ドモヴォーイを確認した際に、その魔法の探知の仕掛けがされている事に気付き、ラフターはフィーラ村に転移させる前に解除した。
(やったのは魔法国家クレイゼの魔法使いだろうが、何故、私を探しているんだ?)
昨日の草鞋大王の事と合わせ、相手が己を探しているのではと、ラフターは考える。
(ドモヴォーイにマークをつけていたのも、以前、私がキキーモラ達を回収した事があるから、妖精を集めているのではないかとクレイゼの魔法使いが思っていると考えるべきか? 私が探しに行く三日前にドモヴォーイを狂わせていた事を考えると、未来察知など占い系の能力を持っている者がいる?)
そしてラフターは、目を閉じて考えに更けた。
(……なぜ、私を探している?)
漆黒の魔女はその理由をいくつか考えるが、しかしこれといってまとまらなかった。
「おい、ラフター、聞いてるのか?」
「聞いている」
眠たげな魔女は、いつも通り平坦な音量で声を発する。
「わかった、今夜にでも強めの敵を探しておく」
「頼むぜ」
「ああ、ではな、二人とも」
話を終えたとバイオンは、いくつかの武器を手に森へと向かう。
鎖で繋がった金色の髪の少年アジニスは、嫌そうな顔でそれに着いて行った。
「命がかかっているというのに、余には事前の確認も無しか」
己の命の危険を感じながらも、どうしようもないと受け入れるアジニス。
その少年の手には昨日の夜に受け取った、五冊の魔法書があった。
フィーラ村から転移した一同。
夜空に星が輝く、冷たい風の吹く荒野。
その大地に鋼鉄の全身鎧をつけたバイオン、その右手の鎖に繋がれバイオンに背負われた少年アジニス、隣に箒を持った赤い少女のプレゼン、その帽子に鼠のハッピラ、そのプレゼンのすぐ横に黒い犬のエルジョイがいた。
プレゼンが頭上に火の玉を魔法で生み出して浮かび上がらせる。暗い大地が照らされる。
荒野を進むと随分前に破壊されたのだろう、町が見えた。
崩れたレンガ、かつては民間人がいたのであろう家々の並び。徹底的に破壊されており、もはや瓦礫の散乱した地となっている。
しかしその夜の荒れ地を進み、周りを見渡しても、白骨死体などは無い。
おそらくこの町の人間達は、殺される前に逃げ出してしまったのだろうと一同は理解する。
バイオンは気にせず進み、その背中のアジニスも気にしていないが、プレゼンは周囲を見渡しながらその後を着いて行った。
少し怯えた赤い少女を、黒い犬が安心させるように腰に擦りつき、鼠が鳴いた。
「お師匠様、これは?」
プレゼンの質問に対し、フィーラ村のラフターは鏡越しに見ながら、バイオン達の脳内に語り掛ける。
『その質問に対する答えも含め、お前達が今回戦う相手を教える』
漆黒の魔女はいつもの、音程の変わらない感情の薄い言葉で語り掛けた。
『お前達が向かう先、川に棲む怪物は、ワームだ』
「ワーム、ですか?」
『ああ、ドラゴンの一種だが四肢は無い。デカい蛇だと考えればいい』
「また蛇かよ」
鉄仮面を被った巨漢が、六日前の大蛇を思い出し、面倒臭そうに言った。
『蛇といっても、どちらかといえばアンフィスバエナが近い。強烈な毒を吐いて、サイズも似たような物だ』
そこでいったん区切り、大事な事を言うようにラフターは告げる。
『最大の違いは、その生命力だ』
「生命力、頑丈なのですか?」
『いや、そこまで頑丈ではない。体の硬さは大蛇とそこまで変わらないだろう、……だが』
『ワームは傷ついた側から傷を塞ぎ、体が千切れても体を繋ぎ合わせる』
その答えに、プレゼンは想像がつかない。
『硬さによる無敵の不死では無く、回復力による不死。もしかしたら、あるいは』
鎖を外す為の不老不死を求める一同。ラフターはそれに近い存在としてワームをあげた。
その言葉に、アジニスが質問する。
「つまりワームを殺した者はいないのか?」
『いや、伝説では退治されている。私でも殺せる』
「では、不死ではないではないのか?」
『あくまで、近い存在だという事だ』
アジニスはその答えに少しだけ黙る。そして質問を続ける。
「ラフター、さん、きさ、貴女に問いたい。其方の言う所の不老不死とはなんだ?」
『……質問の意味がわからない』
「誰にも殺されない不滅の存在というのは、本当に実存するのか?」
今度はラフターが、押し黙る。瓦礫の町に夜風が吹いた。
数秒後、漆黒の魔女はゆっくりと答えた。
『いない』
「……」
『私の神話では神は殺されなかった。その魂も冥界、奈落へと落ちる事はあっても砕け散る事は無い。だがそれは無かっただけだ。時間と空間の制限を無視すれば、今は絶対に壊れない存在も、いずれ壊す存在が生まれる』
「ならば我らのやっている事は、無意味ではないか?」
『いや、それは違う』
ラフターはまた少しだけ考えてから、少年を含めたバイオン達に告げる。
『かつて私の元となった存在は不老不死だった。そして今の私には不老不死である事の証明である透明なる血液、イコルは流れておらず血は赤い。だが私は年齢は重ねず、死ににくいのも事実。しかし不老不死では無い』
『今までの発言から、敏い君ならば理解しているだろう?』
バイオンの背中の鉄籠、その中の椅子に座った少年は左腕の鎖を見る。
「この鎖を破壊する、外せる何かがこの世にあると?」
『私はそちらは確実にあると考えている。そして絶対の不老不死は無くとも、その鎖を外せる程度の半端な不死は存在するかもしれん』
「曖昧に過ぎるぞ」
『まだ十日も経っていないんだ。気長に待て』
アジニスはそのまま目を閉じて、黙った。
(気長に待てか、呑気な物だな)
十一歳の少年は目を細めて、ラフターの態度を苦々しく思っていた。
(……この女、己を用心深いと思い込んでいるようだが、実際の所は隙だらけだ。確実にこの女の情報は漏れている、果たしてどこまで悠長に構えていられるか?)
夜の壊れた町を通り過ぎて、その横にある大きな川へとバイオン達は向かう。
周囲には壊れた小屋、そして元は田畑であったのだろう雑草だらけの草地が周囲にあった。
『ワームの特性は、再生力、毒の息、あとは長い胴体による締め付けが特徴か』
夜の中、バイオン達の視線にゆるやかに流れる川が見える。
『本来は締め付けられない様に鎧の外側に刃をつけて、流れの速い時期に戦う事で千切れた胴体がくっつく前に川に流しながら戦うものだが。似たような事は出来るだろ?』
大地の震動と共に川の水が砕かれ、その場所から水を噴き上げて怪物は現れ、その頭を天へと昇らせる。
それは体をくねらせた大蛇。以前戦った巨大な蛇ほどではないが、アンフィスバエナよりは体が太くバイオンの横周りに匹敵する、巨木を思わせるモンスターだった。
その胴体はバイオンをギリギリ、丸呑みできるほどの太さがあった。
トカゲを思わせる大きな目と、ワニを思わせる大きな口、その口の横には九つの穴が開いている。
毒と思われる紫色の空気を、その穴から呼吸の様に噴き出していた。
夜の川に、全身から水を零しながら音を立てて現れし怪物。
バイオン達を認識したワームは夜空に吠える。
プレゼンが炎の弾を周囲に飛ばし、雑草を焼いて明かりにする。
そしてすぐに箒にまたがり、夜空を飛んだ。
エルジョイはバイオンから距離を取るように、火が点々と着く大地を走って離れて行った。バイオンと一緒に毒のブレスを受けない様、相手に的を絞らせないために黒い犬は離れたのである。
その口には、ドワーフ特製のアダマントの牙が付けてあり、いざという時は噛み千切らんとエルジョイはワームを赤い目で隙を伺う。
バイオンはアダマントの大剣を右手に、盾を左手に夜空に頭を掲げるワームを見上げる。
ワームは餌が来た事を知り、喜びと共に威嚇の咆哮を燃える大地へと放った。
それが戦いの合図となる。
ワームは、口の横の穴から毒ガスを噴き出す。それは毒の霧となってバイオンに吹きかけられた。
バイオンはすぐにガントレットに装着した魔法石から、水のバリアを張った。
紫色の空気が、薄青色の透明な壁の向こう側に見えた。
「さて、どう戦うか?」
バイオンが気配を感じて、左腕の盾を構えた。
バイオンの左手側から、ワームの頭の薙ぎ払いが放たれる。
その頭突きに水のバリアはあっけなく壊れ、毒ガスの外へとバイオンは吹き飛んだ。
しかしすぐに火の粉が飛ぶ大地へと立って、バイオンは大剣を握り直した。
ワームの額に、バイオンの剣による深い切り傷があった。
しかし数秒後、傷が泡立ったと思うと瞬時に塞がる。傷口すら残らない。
「……なるほど、聞いた通りの再生力だな」
仮面の奥でバイオンは、獰猛に笑った。
「しかし頭を完全に潰されても、再生できるか?」
プレゼンが、天高くから魔法を放つ。
炎が、氷が、水が、電撃が、土の塊が、プレゼン自身よりも大きなそれらがワームの頭に次々と直撃した。
しかしワームはダメージを受けた様子が見えない。
「う~ん。やっぱりドラゴンは、丈夫ですね?」
箒にまたがる赤いコートのプレゼンは、先がアダマント製の矢を取り出した。
「やっぱりこれを念動力で飛ばすのが一番ですね」
「チー、チー? (抉った先から、再生するだけじゃねえか?)」
「でも痛覚はあるんじゃないでしょうか? 目を潰すだけでも効果はあると思いますし」
プレゼンが矢を落とそうと考えていた頃。
ワームの目玉が、その赤い少女を睨んだ。
「む、来ますか?」
毒ガスを吐いてくるだろうと予想したプレゼンは、それより速く飛ばんと箒を握る。
ワームは目玉を動かし、相手を確認する。
夜空を鳥の如く飛ぶ相手と、大地にいる硬い相手。
二人とも頭に対して攻撃を行い、傷をつけたのをワームは理解した。
それらを認識したワームは行動に出る。
川の中にその体を引っ込めたのだった。
「なに?」
「え、逃げたんですか?」
水飛沫をあげながら、姿を隠すワーム。
その行動に、鉄仮面の巨漢は頭を傾げる。空を飛ぶ赤い少女も状況が読めず、いつでも避ける準備だけはして見送るだけだった。
だがバイオンに背負われたアジニスだけが、状況の悪化を感じ取っていた。
「おい、バイオン、不味いぞ?」
「あ? 何がだ?」
振動と共に、どんどん川の中へとワームの胴体が沈みこんでいく。
一切見ずに状況を、ワームという怪物の特性を聞いてアジニスは理解した。
「ワームはおそらく、顔を出さずに戦うつもりだ!?」
「はあ?」
説明されてなお、バイオンには理解できなかった。
川の中に深く潜り込み、さらに地面まで掘ってワームは地中深くに己の顔を潜り込ませた。
そして逆立ちするかのようにその胴体を、竜の頭とは裏腹な蛇のような尻尾を、水を滴らせながら夜空に掲げたのである。
そしてバイオンがいるだろう場所に叩きつけた。
しかし目測も無い攻撃、少し横に避ければバイオンに当たる事は無い。
だがワームは諦めず、その長い胴体と尻尾を叩きつけて振動を起こし、横に薙ぎ払った。
「な、このやろう!?」
バイオンはアダマントの大剣をスイングしてきたワームの尻尾へと突き立てた。
蛇よりは頑丈でも、竜の鱗程は硬くないそのワームの胴体に、大剣は突き刺さる。
刺さったまま振り回される大剣。それを握ったままのバイオンも、横に縦にとその巨漢を振り回された。
鎖で繋がったアジニスも、振り落とされない様に必死に鉄籠にしがみつく。
バイオンの大剣が振りぬかれた。ワームの胴体が半ば切れ、そして勢いと共に千切れて離れ、燃える草地へと落ちた。
「……っくそぉ!?」
だが数秒後にはお互いに意志がある様に引っ付きあい、傷口に泡が溢れたと思えば、傷痕も残さずくっついたのである。
「ダメージは無しってか!?」
お返しとばかりに、長い胴体がバイオンに迫る。アダマントの盾で防ぐバイオンだったが、威力に負けて大地に転がる。
追撃の尾撃に、プレゼンが土の壁を作って防ぐ。
見もせずに小さな炎が燃える大地に、振り回されるワームの胴体。バイオンは何度か斬り返すが、すぐに傷は塞がる。
五分の戦いに見えて、実際にはバイオンは防戦一方だった。
夜空を飛ぶ、赤いコートの少女プレゼンは困る。
「ど、どうしよう」
眼下のバイオンの戦い。それに対して時折、土の壁で援護するプレゼン。
だが守る一方で、攻める手段が思いつかなかった。
「矢を胴体にあてたって、すぐに傷は塞がるだろうし。頭を目指したって、あんなにブンブン鞭みたいに胴体を振り回していたら、矢の胴体が途中で折れちゃうし」
アダマントの矢先では無く、その矢の胴体の部分を念動力の魔法で動かしているプレゼン。
コントロールに自信はあるが、見えない標的に当てる事はさすがに無理であった。
「ど、どうしよう、ハッピラ?」
とても困った様子で、赤い帽子の上に立つ鼠に相談するプレゼン。
鼠のハッピラも、眼下の状況を確認しながら悩んだ。
「……チー、チー? (息継ぎの時を狙うしかないか? ……だけど離れてやるだろうな)」
燃える大地を何度も行われる、左右からの薙ぎ払い。
盾で防ぎ、剣を何度も払う巨漢の男バイオン。
何度も何度も剣で傷を与えるが、ワームにダメージは無い。
歯を食いしばり、バイオンはままならない状況に叫ぶ。
「どうすりゃいい!? 川に飛び込むか!?」
しかしそれを、鏡越しに見ていた漆黒の魔女が止める。
『駄目だ。川の水はワームの毒で汚染されている。お前でも十秒もかからず死ぬだろう』
「じゃあ、以前の様にプレゼンが魔法で川の水をふっ飛ばすか!?」
かつて水の精霊二体を相手に戦った際に行った、念動力の全力発動。
しかしその意見を、今度は鉄籠にしがみついたアジニスが反論した。
「川の水を飛ばせるのか? しかし川は常に流れておるのだぞ? 十秒もかからず川は流れ込む。その間に飛び込み、おそらく動き回るであろうワームの首をとれるのか?」
バイオンは頭が悪い事を自認しているが、直感的に無理だとわかっていた。
上から叩きつけられてきた胴体。しかし目視していないので、バイオンより離れた場所に行われる。
辺りのいくらかの火が消えて、大地が震動する。
周りを見渡せば、当初より火がかなり消えていた。
バイオンはその様子を見ながら、呟くように言う。
「なら胴体を斬り落として千切り、それをプレゼンの念動力で遠くに飛ばすか? 武器を失えば頭を出すんじゃないか?」
虚空からの声がそれを否定した。
『いや、おそらく、ワームは川を泳いで逃げる』
「そうかよ」
左からの薙ぎ払いに、バイオンは右手の剣を叩きつける。
大きく切り傷の付くワームの胴体だったが、相打ちでバイオンもふっ飛ばされる。
地面を転がる鋼鉄装備の巨漢。背中のアジニスは魔導石の魔法により、自らの体を鉄の如く硬化してダメージを防いだ。
地面を転がった後、バイオンは立ち上がりながら呟いた。
「なら、逃げたふりをして距離を取るか?」
『それなら探す為に、ワームも顔を出すだろう。それが一番の手だろうな』
ラフターも抑揚のない声で、バイオンの意見に賛同する。
しかしアジニスは何も答えない。
(この怪物、思ったより警戒心が強い、上手く行くか?)
バイオンが胴体が届かない場所まで離れる。
手ごたえがなくなった為、しばらくしてワームは尾の薙ぎ払いを止めた。
息継ぎもかねて、様子見に頭をあげるワーム。
ハッピラが思った通り、三十メートルほど離れた川でワームは顔を上げた。
「……?」
逃げたのかと思い、大きな目玉で夜の大地を見渡すワーム。
地面を見れば草を焼いていた炎は消えて、暗黒が世界を満たしていた。
顔から雫を雨の様にこぼしながら、ワームは注意深く辺りの気配を探る。
念のために、ワームは顔の周囲に毒の霧を漂わせていた。
ワームの頭上から何かの音がした。
(いっけぇええええ!!)
口を閉じたままのプレゼンの叫び。
プレゼンの念動力の魔法をかけられた、鉄塊の大男が急速落下する。
狙うはワームの二つの目玉の間、その眉間。
アダマントの大剣を抱えたバイオンが、まっすぐに落ちたのだった。
結果を大きく影響したのは三つの事柄だった。
一つは、ワームが頭をあげるまでプレゼンが箒にバイオンを掴ませてぶら下げていた事。
鉄の塊な上に武器と子供を背負うバイオンの重さを、長い間、魔力で浮かび上がらせるのはプレゼンには辛く、数分で疲労を感じていた。
一つはバイオン達を発見させない為に暗闇のままで明かりをつけなかった事。
これによりバイオン達は、標的であるワームをしっかりと見る事が出来なかった。毒の霧もそれに付与していた。
そして何より、ワームは闇に紛れての攻撃を警戒していた事。
姿隠しの魔法からの夜空からの奇襲は確かに効果的だったが、ワームは奇襲自体を読んでいたために突然の攻撃も回避行動をとれたのである。
バイオンの大剣は、ワームの口の右側三分の一を吹き飛ばした。
それだけであった。
大地ギリギリで念動力の魔法を弱め、バイオンは着地を行う。
そこに壊れた顔を修復しながらのワームの頭が迫る。
転がるように避けるバイオンだったが、避けきれず。毒のブレスが直撃した。
「バイオンさん!?」
戸惑いながらも、助けに飛ぶプレゼン。
ワームは追撃をかけようとするが、眼前を黒い犬が飛び込んでくる。
攻撃後も警戒を行っていたワームは、驚いて顔を離れさせる。
その隙にプレゼンは倒れたバイオンの上に着地して、その巨漢に念動力の魔法をかけて共に夜の大地をかけた。
ワームから、少し離れた所でバイオン達は姿を消す。
エルジョイもまた夜の大地を走り、その黒い体を闇夜に消した。
バイオン達は姿を消し、ワームは探すも見つからない。
自分を傷つけられる相手を追撃するのも危険だと思い、八つ当たりに地面を叩いた後、川の中へとワームは消えたのだった。
次の日、十一月十二日の朝。
フィーラ村の近くにある森の中。葉を失った木も数本、姿を見せるようになった。
そんな中で一人の半裸の大男が、汗を掻きながら動き回っていた。
厳つい顔の大男、その周囲をいくつもの魔法の矢が浮かび上がっている。
音を立てて、次々と大男へと飛んでくる光の矢。
大男は一本、二本と魔法の矢を避けるが、三本目の矢が大男の左肩に当たる。
少しの痛みが、巨漢の体に走った。
「っの、やろう!?」
大男は周囲を見渡しながら、左右にステップして魔法の矢を避ける。
しかし三本に一本は、魔法の矢が当たり男に痛みを与えた。
一分ほどして矢が消えて、大男は大地にひれ伏す。
大きな雨粒の様な汗を全身に掻きながら、右腕の鎖を鳴らした。
その鎖に左腕が繋がったアジニスは、本に目を通しながらバイオンの様子を見ていた。
「朝早くに来たと思えば、いつも通りの訓練か」
少しすると疲れていたバイオンが立ち上がる。そして手に持った二つの石に念じる。
重力が増加して、バイオンの全身を大地に押し付けようとする。
同時に魔法の光が、いくつもバイオンの周囲に生まれる。光は矢へと変貌した。
「……昨日、ワームに敗北した事が、それほどまでにショックか?」
少年の呟き、しかし回避し続けるバイオンはその言葉を聞いていない。
全身に感じる重みに全力で抗いながら、バイオンは動き続けていた。
昨日の夜、フィーラ村に戻ったバイオン一同。
ワームの毒で全身を痛めていたバイオンとアジニス。
「すまん、私の見立てでは十分に倒せる相手だと思っていたのだが、まさか己の弱点を隠して戦う知恵を持っていたとは予想外だった」
ラフターの謝罪、しかし二人は何も答えない。
アジニスは痛みと苦しみに意識を失っていたが、バイオンは意識を保っていた。
泡を吹きながらも、充血した目で鉄仮面の男は悔しさに歯噛みする。
口を閉じたまま「まだ俺は、この程度かぁ!!」と、己の弱さに嘆く。
ラフターとプレゼン、鏡越しに見ていたドワーフの兄弟も、何も言えなかった。
そして次の日、バイオンはいつもより早く起きて訓練へと向かった。
アジニスも誰かに起こされて目を覚ます。
なぜかミントの香りが強く、部屋の中に充満していた。
魔法の本を読みながら、アジニスは動き続ける巨漢に言葉をかける。
「アンフィスバエナに勝てたのも、マグレか?」
ぱたんと音を立てて本を閉じて地面に強いた布の上に置き、次の本を金髪の少年は手に取った。
「貴様、遠くないうちに死ぬぞ?」
何度も矢に当たりながら、バイオンは鋭い目で少年を一瞬だけ睨んだ。
「死んでねえ!」
そのまま互いに言葉を交わさず、バイオンは動き続け、アジニスは本を読み続ける。
「まあ、確かに」
アジニスは微笑して、本を左手に、何も持たない右手を空に掲げる。
右手から空に向かって電撃が放たれる。
「死んでない以上、まだ死なない以上、今は目的の為に何かを為さねばな」
バイオンはその言葉に返事をせず、ただステップを続けていた。
バイオンは今回も特に無し!
ワーム:ウォーム、ウィルムとも呼ばれる。ミミズや芋虫など、四肢の無い虫を英語でwormあるいはwyrm、wurm。他、テントウムシのような小さな虫はバグ、ハエなどの飛び回る虫はフライ、カブトムシなどの大き目の虫はインセクトと呼ぶ。ただしその線引きは曖昧。
ファンタジーにおいては、蛇のように四肢が無い体の長いドラゴンの事もワームと呼ぶ。だがそれも曖昧であり、海外でもそこそこ大きな蛇をワームと読んだり、ドラゴンぽいモンスターを巨大な虫のような生物呼ばわりしたりする。威厳の無い竜=虫扱い?
毒を吐いたり、再生能力が高かったり、水辺に住み着いたり、家畜を襲ったり、乙女を攫ったりする。
羽が付くとワイアームやストーアウォームと呼んだりするが、ワイアームはウィルムwyrmの読み間違い。
ワームはドラゴンの一種とされるが、もっとも古いギリシアでは大きな蛇をドラゴン(ドラコーン)と呼んでいたので、名称はともかくワームの方がドラゴンの始まりの見た目に近い。今のドラゴンはトカゲの見た目が主流。
海外のカードゲームのMTGではクローラーと呼ばれる。クローラーは英語で(四肢の無い生物が)這う者という意味で、芋虫の別名である。またMTGではドラゴンのワームにはwurm、虫にはwormと区分けしている。
ラムトンのワーム:ランプトンのワームとも。イギリスの伝説であり、ワームの中でも有名な伝承。
あるラントン家の跡取りが、サボって釣りをしていると口の横に九つの穴の開いた小さなワームを釣り上げた。老人に水場に捨ててはならないと忠告されるが、怖くなって井戸に捨てる。
井戸の中で日に日にワームは大きくなり、いつしか巨大なワームとなって家畜や人を襲い暴れ始め、いつしか町は荒れ果てた。
ラムトンの跡取りは罪の意識を感じてミサの巡礼に行き、そして後に一人の魔女と出会いワームの倒し方を教わる。
巻き付いて締め上げてくるのを防ぐため、鎧に刃をつける事。切れてもすぐに再生して体を引っ付けるため、急流で戦い千切れた体がすぐに川で流れるようにする事。
そして倒す為のある情報を、呪いと取引で教えて貰う。
町に戻った跡取りは、激しい戦いの末にワームを倒して家に戻った。
家に戻った跡取りの下に最初に訪れたのは、ワームを倒した事を感激した父親であり、跡取りは驚いた。
なぜなら魔女の言う呪いとは「家に戻って最初に訪れた物を生贄にする、でなければ八代にわたり悲惨な死に方をして家が途絶える」というものであり、本来ならば九人の使用人がそれぞれ放った犬が、最初に家に戻ってくるはずだったからである。
使用人達はワームが倒された事を感激して、全員が犬を放つ事を忘れていた。親を殺す事は出来ず、その後に来た犬を殺したが、結局呪いは発動して八代でラムトン家は途絶えた。
ワームのいた井戸は大きくなったワームに破壊されたが、現在は修復されており観光名所となっている。
この作品内ではアンフィスバエナを小さい扱いしておりましたが、ネットで調べてもアンフィスバエナの大きさは分かりませんでした。