第104戦 VS蟒蛇(うわばみ)
十一月六日の曇り空の朝。フィーラ村の外れ。
ラフターの生み出した焚火により、寒空の下でも温かな空間が出来ていた。
そこにラフター含めた六人と二匹の集団が集まり、前日のゾンビ象戦での話し合いを行っていた。
「吐けばいいんじゃねえか?」
「吐けばいいのでは?」
バイオンとプレゼンは、当然のように告げた。
バイオンと鎖で繋がった少年、カントラル王国の残虐なる元国王、金髪のジニアス。
戦闘能力の無い彼は、バイオンが戦う際に、その巨体の背中にある鉄籠の中で座って戦いが終わるのを待つ事となった。
だがバイオンの戦闘での左右への動きに耐え切れず、彼は酔ってしまった。
乗り物酔いとは、身体や視界などから与えられた情報に脳が対応しきれずに起きる異常である。
自らで体を動かす分には問題ないが、体を動かされ続けた場合には自らで身体バランスを整える事が出来ない為に、脳が異常を訴えて身体に吐き気などの問題を起こす。
酔いをどうにかしたいのであれば、自らの体調に気を配り、バランス感覚などの身体能力を向上させ、そして何より慣れる事であった。
その酔いにたいして、バイオンとプレゼンは「気持ち悪ければ吐けばいい」と即答したのである。
「いや、バイオン。お前の鎧に吐かれる可能性が高いんだぞ?」
ドワーフの弟フィアラルの問いに、半裸のバイオンは厳つい顔で返事をした。
「別に体が汚れても、洗えばいいだけの話じゃねえか?」
いつも土塗れ血塗れになるバイオンにとって、嘔吐物などそれらと大して変わらず、流せばいいとしか考えていない。
「そうですよ、フィアラルさん。そもそも皆さん、その程度の事で考える必要性なんて無いじゃないですか?」
「プレゼン?」
どことなく怒っている様子の赤い少女に、ドワーフ兄のガラールが訝し気な顔で見た。
「……何か皆さん。アジニスに対して過保護じゃないですか?」
「当然であろう。この王たる余を大事にして、過ぎたる事などない。何者よりも重用して当然である。そんな事も分からないのか、この下級民が」
貴族の様な服を着た金色の髪の少年が、さも当然として見下して言う。
それを聞いたプレゼンが、苛立たし気な顔をした後、すぐに笑顔でアジニスを見た。
「今は貴方も同じ下級民ですよ、アジニス?」
「様をつけろと言ったであろう。生まれついての高貴なる我が有様を理解できんとは、嘆かわしい女児だ」
「ああ、はい。さっぱり見えませんね? そこらあたりにいるボンボンのチビとどこが違うのか、本当にわかりませんね私には。そんなの最初から無いだけでしょう?」
「貴様の目が節穴なだけだ、見た目だけでなく心根も短躯のようだな?」
「本当に気品ある方は、無知なる人にも美しく見える者ですよ? そして背丈は同じじゃないですか、ガキが」
「貴様の方が三つ年上だろうが、それで同じなら貴様が相対的に小さいという事であろう?」
ムムムとにらみ合う二人の子供。低レベルな言い合いに、ラフターが眠たげな目でため息を吐いた。
「とりあえずだ、後で酔いを止める魔法石でも私が作ろう」
「お師匠様!?」
「理解してくれ、プレゼン。そいつにはバイオンの命もかかっている」
先達として尊敬する人物であるラフターに、その手を煩わせてしまっている。
その事実にプレゼンはますます頬を膨らませ、当然としているアジニスを嫌そうな目で見た。
「ああ、それとだ、アジニス」
「何だ、ラフター?」
「呼び捨てぇ」
プレゼンが睨みつけるが、アジニスは気にしない。ラフターも気に留めない様にして、昨夜の事を話す。
「カントラルだが、神の力を弾く結界が張られていた。あれでは私は潜入できない。またあの国の守護神も動く事ができないだろう」
その言葉の意味をすぐに理解したアジニスは、舌打ちする。
「……キャラディネスめ」
怒りと憎しみの混じった呟き。十一歳の少年は、それでも今はどうしようもないとその感情を心に押しとどめていた。
武器の特訓の為に、日課である森へと向かったバイオン。
それに対して文句を言うアジニスだったが、バイオンは気にも留めない。
その金色の髪の少年の後姿を見ながら、漆黒の魔女のラフターは考えていた。
(過保護か……、確かにそうかもしれないな)
黒き髪と黒い服の魔女は、目を閉じて考える。
(確かにあの少年、誰かに似ている。しかしそれが誰かわからない)
何かが引っかかるラフターは、全員が去った後に焚火の火を消してから、己の家に向かう最中も考え事を止めない。
(私が気になるという事はギリシア神話の誰かか? それとも私の弟子の魔女達か、あるいは使い魔達か? 記憶を探っているが答えが出ないな)
家の前まで来て、ラフターの目前で勝手に扉が開く。そこを通り、暗闇の家の中でラフターは考え続けていた。
(あと考えられるのは、私の上司のハデス神……ん?)
そこまで考えた時、ふと己に対する違和感にラフターは気付く。
(……ハデス神?)
(何故、私は今までハデスがこの世界にいないと思い込んでいたのだ?)
それはかつて、ラフターが己自身に対して思っていた事。この世界にはゼウスもハデスもいないとラフターは考えていた。
しかし、その思考がおかしいとラフターは気付く。
(この世界にいないのは、世界を統治する神と英雄に属する者。冥府を支配するハデスがいても問題は無い。私やヘルだっていたのだから……)
そしてラフターはさらに気付く。
なぜその思考がおかしいと思えた、その理由を。
(ランダの力を得て私の力が強化されたおかげで、私の記憶の改竄を私自身が気付けた……)
(……では誰に改竄された? そんなの決まっている)
「私はこの世界にいるハデスに、会った事がある?」
そうして考えて、漆黒の魔女はようやく思い至った。
少女と見間違えるほどの美貌を持った少年、その顔が誰に似ているかを。
「アジニスは顔立ちが、ペルセポネ様にそっくりだ」
かつての上司とその妻の容姿の記憶、それを書き換えられた己の記憶の断片から拾い上げて、ラフターは取り戻していく。
(きっとアジニスの先祖の顔もまた、ペルセポネに似ていた。だから率先して力を与えられていた)
「つまり、カントラル王国の守護神は……」
ラフターは一人、その考えに行きつき、そしてこの先の事を考えていた。
フィーラ村から転移したバイオン。そしてその後ろの鉄籠の中に座るアジニス。
夜になってなお、未だに立腹していたプレゼンが頬を膨らませていた。
『プレゼン、いい加減、気を静めろ』
「……はい、お師匠様」
プレゼン自身もこれ以上は意味が無いとわかっており、ため息とともに気持ちを抑えた。
転移先は夜の山であった。
木々が周囲を囲み、その葉は季節の為か赤々としている。それがバイオンの手にした松明の火に映し出されていた。
バイオンが鉄の具足で歩けば、赤や黄色の落ち葉が地面を覆いつくしていた。
「ここに蛇がいるのですか?」
虚空に対して尋ねたプレゼン。三人の頭の中に、鏡越しに見ていたラフターの声が聞こえる。
『ああ、不死の薬に関しては望みは薄いが、まあ念の為の調査だ』
『今回は、私が作った魔法石による酔い止めのテストも兼ねている。アジニス?』
「ふん」
バイオンの後ろの鉄籠の中で、小さな少年が石を手に座る。
「戦闘と同時に魔法を使えばいいのだな?」
『ああ』
これ以上の会話は無いと、バイオンは松明を右手に進みだす。
プレゼンは箒にまたがり、夜空を飛んだ。
曇りの夜空。頭上に大きな火を浮かべた赤い少女のプレゼンは、眼下のバイオンを見る。
木々の間の開いた、大きな道の様なスペースの中心を、炎を揺らしながら鎧の巨漢が堂々と歩いていた。
「なんだが不思議な幅ですね」
それを見ながらプレゼンが、ふと思った事を口にする。
「バイオンさんが歩いている所、大きな幅がずっと続いているんですよ。もしかして誰かが道を作ったのでしょうか?」
その問いに対し、ラフターが答えた。
『蛇だ』
「……蛇がですか?」
プレゼンはその言葉に、もう一度、バイオン達を見る。
横幅は五メートルはある大きな道を、落ち葉を踏みながらバイオンは歩いていた。
「え? あれが蛇の道なら、凄くでかくないですか?」
プレゼンはかつて、バイオンが蛇使いと戦った際に、大きな蛇に飲まれたのを知っている。
その蛇よりも、その道幅からさらにデカイというのが理解できた。
『……来るぞ』
ラフターの声と共に、大きな振動が山に響く。
地面が揺れたとバイオンが思った瞬間に、落ち葉が巻きあがった。
思わず顔を覆うバイオンとアジニス。
警戒しながら、夜空に浮かんでバイオンとその周囲を見ていたプレゼン。
だが巻きあがる落ち葉が静まった時には、そこに何もいなかった。
「あれ、バイオンさんたちは?」
バイオンは松明を振りかざしながら、道を進んでいた。
唐突に巻き起こった葉嵐は、気づけば木の葉は静まっていた。
しかし周囲には誰もいない。
バイオンは敵が移動したのかと思い、立ち止まらずに進んでいた。
「おい、巨漢」
そんなバイオンを、後ろに背負われていた金髪の少年が呼び止める。
「ああ?」
「周囲の暗さが、さっきよりひどくないか?」
アジニスの言葉に、バイオンは松明を横にかざした。
そこは暗闇では無く、赤黒い壁だった。
よく見れば左右とも、地面の木の葉の下も、そして天井も赤黒い壁であった。
『バイオン。お前達、地面の下にいた大蛇に喰われたぞ』
「わかっている」
バイオンは左手で、背中の鉄籠に取り付けていた大剣を引き寄せて手にした。
地面と壁が蠕動する。
飲み込んだ者を、さらに奥に持ち込もうとする伸縮運動に、バイオンは足を取られて這いつくばる。
これより戦闘になるのかと、アジニスは酔い止め等の気持ちを抑える魔法石を使用した。
立ち上がるバイオン。だが後ろの方と四方から壁が押し寄せており、その結果バイオンは前に進まさせられる。
松明を持っていた右手に、天井から消化液が落ちてきた。
火が消えて、真っ暗闇となった。
「おい、どうするんだ!?」
背中に背負われていたアジニスは、何も見えない状況にさすがに心細くなり、バイオンに問いかける。
バイオンは前に進みながら考えていた。
とりあえずと左のガントレットに付け替えていた水の壁の魔法石を念じ、壁を頭上に生み出し消化液を防ぐ。
だがそんな防壁をやっていても、いずれ四方から肉壁が迫り身動き取れなくなるだろうとバイオンも理解していた。
(さて、どうするか?)
バイオンは手を考えていた。
以前、大蛇に飲み込まれた時は手榴弾を爆破させてバイオンは脱出した。
しかしあれは、衝撃が自分自身に来るのが問題であった。
バイオン自身はまだしも、背中にいるアジニスが死ぬ可能性があった。
その場合は、バイオンの手でアジニスを殺した事になりかねない。
(……ならそれ以外で行くか)
暗闇の中バイオンは、ただの棒きれとなった松明を投げ捨てる。
そして背中から、手探りでアダマント製の盾を右手にする。
そしてバイオンは、左腕のガントレットと右手の盾から、魔法石に念じて魔法を放つ。
炎に氷に電撃に花に草に水に水流に念動力が、蛇の体内を襲った。
プレゼンが周囲を見ていると、突然に地面が盛り上がった。
そして巨大な蛇が、地面を突き破り、夜空へと躍り出る。
「きゃあ!!?」
慌てて箒を操り、その場を離れるプレゼン。
全長五十メートルはある巨大蛇は、体内の痛みにもがき苦しみ、山の上をのたうち回る。
体内ではバイオン達が、上に下にと振り回されていた。
さらに消化液の分泌が多くなっており、バイオン達に降りかかる。
「うわああああ、い、痛い!?」
背中の鉄籠にしがみつくアジニス。その少年の肌に消化液が降りかかり、その肌を焼く。
今までに知らない痛みに、アジニスは悲鳴を上げた。
バイオンもまた、鉄鎧の隙間から消化液がしみ込んでくる。
しかし、その程度の痛みではバイオンは何とも思わない。
だがアジニスは、死への恐怖から大声を出した。
「おい、大男、早く何とかしろ!? 余を助けろ!?」
「……」
「何を黙っている!? このままだと余が死んでしまうぞ!?」
ただしがみつく事しかできない少年は、グルグルと蛇の動きで上下に振り回される暗闇の世界と消化液の痛みに震える事しかできなかった。
今までに知らない状況。
生まれてきてから、ずっと奉られていた国王の己しか知らないアジニス。
恐怖と痛みに、ただ涙しながら叫んだ。
「助けてくれ、バイオン!!」
バイオンは振り回されながら、左手の大剣を構えていた。
背中からの少年の叫びなど、バイオンは聞いてなどいない。
彼はある技を試したいと、考えていた。
(昔、ゲリュオンがやっていた、あれだ)
バイオンの脳裏に浮かぶは、ゲリュオンの槍。
衝撃波を放ちながら飛ぶ、投げ槍だった。
バイオンは考える。あれは一種の振動波ではないかと。
武器の威力を、周囲の空気に伝える攻撃だと、バイオンは考えていた。
バイオンは盾を捨てて、両手で剣の柄を握る。
アダマントの大剣を握りながら、消化液でべた付く真っ暗な蛇の体内で前を見た。
そして自らの肉体を、その腕の筋肉を改造する。
バネでありながら、鉄の如き硬さを得た筋肉。その一撃が大剣に伝わり、その衝撃を空気に伝えた。
バイオンが縦に斬撃を放つ。
それは軽々と蛇の体内を切り裂き、さらにその周囲までも破壊していく。
蛇の体に、内部から大穴が開く。
大量の血液と共に、バイオンとその背のアジニスが、外へと放り出されたのであった。
そして山を暴れていた大蛇は、その口から多量の血を吐いて、木々をなぎ倒して地面に倒れた。
念の為にプレゼンが、電撃の魔法を放ち蛇に止めを刺したのだった。
フィーラ村に戻ったバイオンとプレゼンとアジニス。
地面の布の上に横になったアジニスが、ラフターに回復魔法をかけられていた。
「ふざけるな!?」
その状態のまま、少年は座っていたバイオンに叫ぶ。
「余を守るのが貴様の仕事であろう!? このような痛みを与え、苦しみを与え、貴様どういうつもりだ!?」
その言葉にプレゼンがカチンとくる。
(痛みを与えたのは、バイオンさんじゃないでしょう!)
プレゼンが文句を言おうと、倒れた少年に口を開いた。
しかし少女が言葉を放つ前に、当の言われていたバイオンが返事をした。
「俺はお前を守る気はないぞ?」
鎖で繋がれた巨漢の何気ない一言。
それはアジニス以外も、少し驚かせた。
「な、なんだと!?」
「俺は人間を殺さん、だがお前が誰かに殺されるのを防ぐ気も無い」
その言葉に、回復魔法を使用していたラフターが眠たげな目を送る。
「……アジニスが死ねば、お前にも影響があるかもしれんぞ」
「でもないかも知れねえんだろ?」
バイオンは最初から、アジニスの事などどうでもよかった。
ただ殺す事も出来ず、鎖も外す事も出来ない以上、背中に背負う事しかできなかった。
今までアジニスの言葉に対し何も言わなかったのは、アジニスがどうなろうと知った事では無かったからである。
自らの命が火の前の薄氷の上にある事を思い知り、絶句するアジニス。
プレゼンもまた押し黙り、少しだけ少年に同情した。
代わりにラフターが、バイオンに告げる。
「バイオン。この少年を守れ」
「守り方がわからねえ」
剣を振るった反動で、両手が動かないバイオンは即答する。
彼は戦う事は出来ても、誰かを守るために戦う事を意識できない。
バイオンはアジニスが不要だから守らないのではない。ただ守り方がわからないから、守るために戦う気になれないだけである。
そのまましばらく、その場に沈黙が続く。
どうすればいいか、誰も何も言えなかった。ただこのままバイオンの戦闘が続けば、アジニスが死ぬ可能性が高いという事だけは、全員が理解していた。
ラフターの生み出した焚火によって温められた空間。その夜空の下の場所に、秋風が吹いた。
大蛇の死骸を見て、嘆く女がいた。
「……ああ、あああああ、誰が私の蛇を……」
電撃で黒焦げになった、血まみれの蛇の死骸を撫でながら、女は唇を噛む。
彼女の名前はアイアタル。蛇を育てる邪悪な精霊。
「……誰だか知らないけれど、私の可愛い子供に傷をつけるならば、許さない。見つけ次第、殺してやる……」
蛇の母親である彼女は、たくさんの蛇を連れながら、夜の森を去って行った。
バイオンは瞬間強化での斬撃を覚えた!
アイアタル:フィンランドに伝わる女の邪悪な精霊、アジャタルとも。蛇を授乳して育てる。蛇あるいはドラゴンに化ける事が出来、また森の中でアイアタルを見た者は呪われ病気となる。