序章
夜の森を一人の薄い布をまとった、半裸の巨漢が暴れていた。
「クソッッガァアアアアア!!」
一帯の獣達がその叫びに逃げていく。男は手に持った無骨な石斧を振り回し、草むらを薙ぎ、目に付いた木に何度も叩きつけた。
「アアアアッアアア! アアアアアッッアアアア! アアアッ! アアアアアアアッッッ!!!」
いかつい顔に鋭い歯の並ぶ口を大きく上げ、ただひたすらに夜空の星々に向かい大声をぶちまけ、森を震わせていた。
男はバーバリアンと呼ばれる種族の者だった。
バーバリアンとは男女変わらず獰猛な面構えと、人間に近いが鍛えなくともつく筋肉と、2mを越える体躯を誇る部族である。
知性は人間並みにあるはずだが、思考は獣のそれに近く、力こそもっとも重要だと疑いもしない。
一応は一か所に集まり住むが、人間の様な連携など考えず、狩りや逃走は単体で行う。
多数のモンスターが住み着く荒野を、我が物顔で支配する。そんな者達だった。
ある時、魔族と呼ばれる怪物達が荒野を襲った。
漆黒の翼に角の生えた頭の異形の人型の怪物。空を飛び回り、魔法を使い、目に付く生物達を襲った。
バーバリアン達も反抗はするが、空を飛び回る怪物たちにはかなわず、散り散りになって逃げるほかなかった。
この一人の男のバーバリアンも逃げた一体だった。
まだ若いバーバリアンであったが、部族の中ではかなりの強者だった。バーバリアン同士でのくだらない理由や、酒を飲んでの取っ組み合いの喧嘩では未だに負けを知らない。
深く考える事もなく、猪や狼、その他モンスター達をその剛腕と手にした石斧で殴り殺し、日々肉を食らい生きて来た。
しかし魔族という今まで戦った事もない存在には手も足も出ず、降り注ぐ魔法にただひたすら走って逃げた。
魔族達に背中を向け、体を掠める魔法の弾丸を見る事もなく、愛用していた石斧を投げ捨て、他のバーバリアン達の悲鳴を聞く事もなく、ただただ走った。
切り立った山を走っていた頃、男は崖から転げ落ちた。
振り返って崖の上を見るが誰もいない。魔族はそれ以上の追撃を止めたのだと、男は理解した。
逃げ切ったという安堵感に、ずっと荒げていた息を徐々に抑えていきため息となって吐いた。顔に伝う疲労と冷や汗を拭う。
その後に感じたのは恐怖だった。ガムシャラに逃げていた時にはまるで感じていなかった初めてのそれに、身を縮めた。
ガキの頃から大人顔負けの戦闘力を誇っていたそのバーバリアンにとって、初めての感覚だった。
仲間の仇を取りたいとは頭によぎりもしなかった。バーバリアンは物心ついた頃には捨てられ、自分で飯を取りに行く。群れたのはそれが互いに生きやすいからであり、正直一人でも構わなかった。仲間意識など欠片もありはしない。
疲労が少し回復した頃、とにかくここを離れようと逃げるように去った。
それからは魔族と出来る限り離れるため、どんどん荒野を離れていく。
木の棒に蔦で尖った石を括り付け、新たな石斧を作る。
森の中を獣を狩って喰らう、場所は変わっても以前と変わらない生活をしていた。
ただし新たに、人間を襲うようになった。
彼がかつていた荒野には、人間など滅多に通りはしなかった。だが遠く離れた森には、商人や旅人が時には通っていた。
バーバリアンの男は、獣を襲う時と同じように人間達に襲い掛かった。
荷物を捨て、逃げるならば追いかけはしない。
だがまれに剣を抜いて、立ち向かって来た者もいた。
獣に比べれば遅い動きに、バーバリアンの男はあっさりとその攻撃を避けて、石斧で殴り殺した。
そうして半年、移動し続けた彼はある森の中の崖にあった洞窟に自分の住処を作った。
その場所を拠点に、今まで通り獣を狩り、時には人から奪って暮らした。
荒野ではなく森に住みついたのは、また魔族に襲われても隠れて逃げやすいからである。もっとも彼は特に考えてはいない、心の中に残った恐怖が無意識に隠れやすい場所を求めていたのである。
こうして彼は、昔とあまり変わらない野蛮な日々を過ごしていた。
そんな男の前に、銀色の髪の少年の剣士が現れた。
まだまだ幼さの残る顔立ち。
押せば潰れそうな小さな体。
バーバリアンの男よりも圧倒的に、弱そうな見た目。
だが戦いはバーバリアンの方が押されていた。
少年の持っていた剣が、何度もバーバリアンの巨体に傷をつけた。バーバリアンが大きな一撃を受けないように、ギリギリで避けていた。しかしそれは少年がバーバリアンに対し致命的な一撃を与えないように遠慮したからこそ、小さな斬り傷だけで済んでいたのである。
逆にバーバリアンの男が何度も石斧を振るっても、一度も当たらなかった。
焦れて石斧を投げつけ、素手で掴みかかるが、少年には全く触れる事が出来なかった。
少年には魔法使いの服装をした少女が、遠距離から魔法を使っていた。
風の刃を飛ばしたり、時には少年に何かの援護の魔法をかけたりしていた。
それも面倒ではあったが、もし少女に襲い掛かれば、少年剣士に後ろから斬られるのは目に見えていた為、バーバリアンは攻撃できない。
それ以上におそらく、魔法使いの少女がいなくともこの少年剣士には勝てなかった。バーバリアンは直感的に理解した。
全身に剣の斬り傷と土汚れ、そして汗にまみれたバーバリアン。
対称的に、対峙する二人の少年少女は全く汚れていない。
「クソガキがぁあああっっ!!」
一撃当てれば勝てると考えるバーバリアンだったが、その一撃が全く当たらない。
大声で叫びながら、殺気と怒気を喚き散らす。
一方的な戦いはしばらく続いた。
全身を傷だらけにされ、森の中を動き回った疲労から木の根に足を取られて、バーバリアンの男は前向きに派手に転んだ。
立ちあがろうと地面に手を突いた瞬間、その首に剣を突き付けられた。
その状態で銀色の少年の剣士が、バーバリアンを見ていた。
(ころされる)
自分よりもずっと小さな存在を、バーバリアンの男は見上げていた。
冷や汗が男の獰猛な顔の頬を伝う。そのバーバリアンの表情から殺気と焦りは消え、ただ恐怖がじわじわとせり上がってくる。緊張からか震える事も出来ず、声も出ない。
ただ次に来る斬撃を、何もできずに待ち続ける事しか、巨体の男にはできなかった。
少年剣士は動かず、バーバリアンの男は動けず、いくらかの時間が経った。
「あったよ、トラト! 壊れてない!」
「良かった、フレンデ、これで依頼任務完了だね!」
少女がバーバリアンの男の住処から、ペンダントの様な物を持ち出していた。
それは一ヵ月ほど前、バーバリアンが旅人から奪った荷物と一緒に放り込んでいた物だった。
トラトと呼ばれた少年は、ゆっくりと剣をバーバリアンから引いた。
その行動に戸惑いつつ、巨漢は鋭い歯をゆっくりと開ける。
「……こ、殺さ、ないの、か?」
少年剣士のトラトは優し気な笑みを浮かべて、返事をした。
「もう悪い事をしちゃだめだよ」
その言葉を、バーバリアンの男は理解できなかった。理解できないから、思わず聞いた。
「なぜ、殺さねえ。いま、殺さなければ」
「君がまた悪い事をしたら、止めに来るさ」
迷いなく言う少年。そんな少年に少女は呆れた様子だが、すぐに笑みを浮かべた。
その様子に巨漢の男は唖然とした。
少年の剣士トラトと、少女の魔法使いフレンデの二人組はそのまま立ち去る。
それを見送ったバーバリアンは、ただ項垂れるだけだった。
男は森の中で吠え続ける。
「チクショ、畜生! チクショチクショチクショチクショウチクショオオォオオオッッ!!」
石斧を夜の森に向かって振り続けるバーバリアン。
いつしか石斧は壊れて崩れる。しかしバーバリアンは止まらず、拳で木を殴り続けた。
「クソォオオオ!! クソクソ、クソッタレェ!! クソッタレガァアアアアッッ!!」
何度も何度も、木に頭突きを繰り返すバーバリアン。
ひたすら喉が壊れんばかりに吠え続ける。
しばらくしてようやく、男は止まる。
木は半ば幹が折れ、男の無骨な拳と頭が赤くすり向けていた。
「……なんだよ、ちくしょう」
バーバリアンの男は、崩れるように地面にひれ伏した。
男をある感情が埋め尽くしていた。
それは魔族から逃げた時から燻っていた物。
そして今回、自分より小さな人間に一方的にやられ、その自身の気持ちを無視できなくなっていた。
無力感と屈辱だけが、男の内心を巡っていた。
男はかつて最強だった。
部族の中でも一番強い、荒野の動物も敵ではない。
ただただ深く考えず、バーバリアンの男は毎日を生きていた。
自分のパワーだけが全てであり、暴力が何もかも解決していた。
だが魔族から逃げて、その考えは一変する。
自分の力では、どうしようもない存在がいたのだと理解した。
その時は、そういう事もあるのだろうと思った。
男は深く考えないようにしていた。自らの中に湧き出た感情を抑え込んでいた。
自分より弱い獣や、人間を襲い殺す事で、自らの強さを再認識していた。自らの弱さから目を逸らせられた。
しかしもはや無視できなかった。
自分は決して最強ではないという事を知った。
足元にも及べない相手がいる事を知った。
一方的に自分を殺せる相手がいるという事実を知った。
男は、それらを受け入れなければならなかった。
バーバリアンの男の中には、得も言われぬ恐怖でいっぱいになってしまっていた。
虚栄を張ってもそれらを振り払う事は出来ない。
男はただ苦しんでいた。
夜の森の中、草の中にそのまま倒れ込み、身動きを取らず、不貞腐れた様子で眠った。
次の日。
バーバリアンの男は、今までため込んでいたほとんどの大荷物を持って拠点の洞窟を出た。
そして、森の中を散策した時に遠目で見た、森の近くにある村へと向かった。
村にたどり着いたバーバリアンの男。
突然現れた巨漢の男に、村はパニックとなる。明らかに風体が怪物の様子だったからである。
悲鳴を上げて走り回り、家の中に閉じこもる村人たち。
遠くにあるこの国の領主の下へと助けを求めに、若者達が走っていった。
バーバリアンの男は気にせず、近くの家の扉をこじ開けて屈んで中に入り、家族で固まり縮こまっていた村人に話を聞く。
そしてそこで聞いた話の通りにあった万事屋に向かい、今まで奪って来た武具等を売却した。
殺されたくない店の主人は、有り金を渡して頭を下げる。
道具を置いて立ち去ったバーバリアンが向かったのは、酒場だった。
そこで次の日の朝まで、バーバリアンは酒を飲みまくり肉を食べた。
村人達はそれぞれ食料を集め、遠巻きに半裸の巨漢を見張った。
酒を飲んで顔を赤くしたバーバリアンは、酔っぱらったまま酒場の床で眠った。
今のうちにロープで縛り付けてしまおうかと悩む村人達だったが、下手な事して起きられても困ると実行には移せない。その木の幹の様な太い腕と足が、寝返りを打っただけでふっ飛ばされそうだと恐怖を感じさせた。
村の人々は逃げる準備に荷物を纏める。しかし、まだ暴れていない蛮人相手に逃げるのも躊躇してしまう。もしかしたら、何もせずにこのまま森に帰る可能性も捨てきれなかったからである。
結局、村人達は夜通し、バーバリアンの男を交代で見張るぐらいしか手が無かった。
次の日の朝、快晴の村。
(城の者は、まだか!?)
この村でもっとも長生きしている、長い白髭の村長は汗を額に掻きながら、祈っていた。
最近、荒れ狂う獣などのモンスターが増えてきた。
さらに近くの森では山賊が出ると噂になっていた。
この村に来る行商人も減り、治安も悪くなった。農業もやり辛い村の状況。
景気の悪い村の雰囲気に、村長はずっと頭を痛めていた。
そしておそらくその噂の山賊が、突然この村へとやってきたのだ。
(ダメだ、一目遠くから見て分かった! この村の者ではあれは倒せん!)
村人の男達よりもずっと太い腕や足、その筋肉質の巨漢を見て、どうしようも無いとわかった村長はただこの国に助けを求めた。
しかしこの村は遠い。兵士隊が来るにも二日はかかる。
老人は問題が起きない事を祈り続けた。
(ああ、あの男は酒場で飯を食らい酒を飲み続けております、このまま何もなく通り過ぎてください!)
老人は跪き震えながら、神に祈りをささげた。
(お願いします、助けてください! 山の女神よ!?)
「邪魔するぜ」
村長の家の扉がこじ開けられ、つっかえ棒がへし折れる。
その声に、体が石のように固まる村長。
入り口を屈んで通り、ずかずかと入り込んだバーバリアンの男は、固まる老人へと近寄り話しかけた。
かたかた震える老人は、ゆっくりと巨体を見上げた。
「おい、あんたがこの村で一番の物知りだと聞いたが、本当か?」
「……ど、どどど、どうで、しょうか、ねえ?」
「聞きたい事がある」
「な、な、なん、なんでしょう、かあ??」
「何か強い武器とか知らねえか?」
質問の意味が分からず、しばらく固まる村長。
「え、ええっとですね」
唾を飲み込み、老人はゆっくりと答えた。
「この近くの山に、守護神たる、女神様が、いらっしゃるというのですが、そちらで、知恵を借りるのが……」
村長は、バーバリアンの男に対し、山の女神について話した。
この村には、モンスターや盗賊から村を守ってくれる女神が近くの山にいた事。時折、その姿を見せてくれて村長も若い頃はよく見ていたとの事。
しかし四十年ほど前から徐々に村に来なくなり、二十年前には完全に村へと訪れる事は無くなってしまった。
何があったのかと山へと向かうが、切り立った道なき山は険しく、誰も山頂まで登りきる事は出来なかったと村長は話した。
「山の女神は聞けば何でも知っており、あらゆる魔法を使えます。あの女神様ならばきっとあなたの願いを答えてくれるでしょう」
村長はかつての村の恩人を売った。あるいは兵士達が来るまでの時間稼ぎと、もしかしたら女神がこのバーバリアンの男を退治してくれるかもしれないという希望も、その言葉には含まれていた。
バーバリアンの男は、疑いもせずにその山へと向かったのだった。
山を登って来たバーバリアン。
「本当に、ここに女神とかいうのがいるのか?」
険しい岩山を、自慢の筋力で登って行く。
道などわからない場所であったが、バーバリアンの男は山頂を目指していた。
その間、村人たちは脱出の準備をさらに進めていた。
だが結局、もしかしたら山の女神が助けてくれるかもしれないという可能性を捨てきれず、逃げる事を実行できなかった。
村人総出で集まり、ひたすら女神に祈り続けていた。
もちろん山の方向へと見張りを立たせて、戻ってきたら全力で逃げる事が前提である。
太陽がかなり地面へと近づく程の時間が経った頃。
ようやく山の頂上付近にバーバリアンが辿り着いた。
「……なんだこりゃ?」
そこには四角い、立方体の建物があった。
黒色のその四角は巨体の男よりも大きかった。それが山の岩の中にポツンと立っていたのである。
バーバリアンの男はその建物を調べる。
「家だと思うんだが、扉がねえぞ?」
うろうろと歩いて見回るが壁ばかりで、その立方体には入る場所が存在していなかった。
蹴り飛ばしたり岩をぶつけたりするが、びくともしない。
ぎらつく目で睨みつけ、バーバリアンは思案する。
「ちっ! どうしようもないな、とりあえず他をあたるか?」
一旦、建物に関しては諦めて、山をさらに先に進む事にしたバーバリアン。
少し進んだ所で、男はある物を見つけた。
岩の地面に落ちていたのは大きな鎖だった。
「ああ、なんだってんだ?」
バーバリアンの男は鎖を拾い上げる。
それなりに長いそれは、持ち上げられてぶらぶらと揺れた。
「とりあえず、これでさっきの建物を殴ってみるか?」
辺りを見回し、他に何もない事を確認する。
「あの中にいるかもしれない女神とかいうのに、あのガキを倒す手段を貰わねえと」
バーバリアンが呟いた瞬間、鎖が光りだした。
戸惑う男は、突然の眩しさにその目を閉じる。
一帯を照らした光はすぐに消失する。
鋭い目を男は開けた。
その男の右腕に、鎖の腕輪がくっついていた。
「な、なんだこりゃあ?」
鉄の腕輪を外そうと、バーバリアンは左手で引っ張ったりするが取れない。
そもそも鎖の腕輪には一切のつなぎ目も、鍵穴も無かった。
「おい、なんだこりゃ? ええ?」
力ずくで引っ張ったり、岩壁にぶつけたりするが、鎖は取れない。
長い鎖はただ揺れるだけである。
突然の事に男は戸惑い、そのいかつい顔を困惑させ、ひたすら地面や岩に右腕の腕輪をぶつけたり左腕で引っ張ったりを繰り返した。
「……なんだ貴様は?」
低い音程の女の声。
バーバリアンの男が振り返れば、さきほどの黒く四角い建物から出て来たであろう女がいた。
「……テメェは?」
「質問はこちらがしているのだけど?」
魔法使いの着るような黒いローブ、夜を思わせるような長い黒髪。
まるで闇そのものを思わせる雰囲気の女性がそこに立っていた。
(なんだこいつ、気配が無い?)
バーバリアンの男は、女を鋭い目で睨みつける。
「……テメェが女神か?」
男は右腕の鎖を引きずりながら、女に近づいた。
女は眠たそうな薄目で男を見ているが、返事をしない。
半裸の巨漢は女の目の前に立ち、相手を見下ろした。
「この鎖はなんだ? なんで勝手にくっついてんだ?」
「……」
「おい、聞いてるのか!?」
返事をしない女に、苛立ちながら男は大声で聞いた。
女はため息交じりに声を出した。
「面倒臭い」
「ああ?」
「……その鎖はかつて神であった男を戒めた鎖、言っておくけど取れない、それは」
「なんだと!?」
女に掴みかかる巨漢の男。
だが女に触れる寸前に、見えない何かに弾き飛ばされる。
男は驚き下がり距離を取った。
「なっ!?」
「下郎が」
男に対し、つまらない物でも見るかのような見下した視線を送る女。
女の体からまだ昼間だというのに夜の闇が霧のように吹きだし、続いて体が炎に包まれ燃え上がる。
「私は貴様如きが声をかけて良い存在ではない」
「!?」
目に見える圧力、その視線に恐れ、男は声を発せなくなる。
漆黒と火炎を抱く女が、殺気を放った。
蛇に睨まれた蛙の如く、身動きが取れなくなるバーバリアンの男。
その殺気に飲まれ、口を開く事も出来ない。
(こ、殺される!?)
目の前にいる女は自分を圧倒する理解できない何かだと、ようやくバーバリアンは悟った。
そんな男に対し、女は吐き捨てるように言う。
「自らの無知を恥ながら、死に行くが良い。我こそは冥府の女神。そう、我が名は」
女は淡々と呟く。
「我が名は」
しかし、徐々に殺気が静まっていく。
「我が、名は……」
噴出していた闇と炎が、どんどんと力を弱めて行き、いつしか消え去った。
「……」
男から見て、得体のしれない存在へと変わって行った何かが、またもただの女へと戻って行った。
怯え後ろに下がっていた男は、黒いローブの女を見る。
さきほどの恐怖を生み出していた怪物は去り、ただの女だけがそこに立っていた。
女はため息をつき、小さく独り言を口にした。
「……馬鹿々々しい」
男を完全に無視して、女は黒い建物へと戻って行った。
呆然と立っていた男は我に返り、建物の中へと入って行く女を追いかける。
引きずる鎖が邪魔だった。
「ええい、クソ!」
バーバリアンの男は、長い鎖を右腕に巻き付けて女を追いかけた。
男がさきほど見た時には無かった、木製の扉が建物についていた。
その扉を乱暴に開き、男も屈んで中に入る。
建物の中、その中央にはベッドが一つあり、立ち去った女が一人で横になっていた。
それ以外、広い部屋には何もなかった。何もない灰色の平たい壁が四方と上下を囲んでいた。
薄暗い部屋の中、ただ女がベッドに倒れ込むように眠っていた。
男は鎖を鳴らしながら、女に近づき、ベッドの横に立った。
「おい、女!?」
「……」
女は微動だにしない。
男は左腕で無理矢理その服を引っ張り上げて、女の顔を近づけさせた。
今度は触れるがまま、されるがままで、女は抵抗しようともしない。
顔を向けた女の目は、薄暗い部屋の中でもわかるほどに生気が無かった。
「おい、女、俺の話を聞け!?」
バーバリアンの男は気にせず、女を揺り動かす。
「この鎖は何だ? どうやったら外れる?」
薄目の女は小さく口を開けた。
「……取れんよ、それは」
「ああ?」
「それを外すには不死身の存在が、不死を捧げる必要性がある……はずだ」
「どういう意味だ?」
「その鎖は絶対に壊れん。かつて神と呼ばれた者でも壊す事は出来ない、絶対な堅牢の鎖。外れる事は無い」
女の言葉に、男は驚く。
だが男はすぐに口角を釣り上げて笑った。
「……そうか! そいつは良かった!」
「なに?」
目の前の男の笑みを理解できず、死んだ目の女は首を傾げる。
「壊れない鎖か! 外れないのは面倒だが、俺は丁度、武器を欲していた!」
男は鎖の巻き付いた右腕を動かす。
鎖の先端を鞭のように動かし、床に叩きつける。
硬い床に傷をつけるが、鎖には傷一つない。
その様子に鋭い歯が並ぶ口で、不気味に男は笑った。
男はまた女に声をかける。
「女、貴様に聞きたい事がある」
「……」
だが女は目の前の男から興味を失したように、視線を落とした。
しかし男は気にせず問うた。
「貴様、女神なんだろ? なら何か知っているはずだ、俺の質問に答えろ」
「私は女神じゃない」
「あ?」
女の返事に男は間の抜けた声を出す。
抑揚の無い声で、女は独り言の様に言葉を続ける。
「……私は女神なんかじゃない、冥界も関係ない」
「あるどこぞの創造神が作り出した、偽りの存在」
「ここより遠く離れた星、その世界の神話を真似て作り出された、ただの模倣人形」
「私の名も、私の記憶も、私の力も、全てただのコピー品」
「私には住み着く冥界も、下らない同僚も、愛すべき弟子や配下も、支配し加護するべき人間もいない」
「全てが嘘、全てが虚構」
「それでも最初は義務感で人間を守っていたが、もうどうでもいい」
「このまま闇に消えるんだ、私は死ぬのさ……」
生気のない目で女は自嘲しながら、呟いた。
バーバリアンの男はその話を聞き、答えた。
「知るかぁ!!」
のこぎりのような歯をきしませ、いかつい目で睨み男は女に言う。
「死にたいなら勝手に死ね! だがその前に俺を強くしろ!」
「なぜだ?」
怒鳴る男に、とりあえず女は聞いた。
「倒したい奴がいる! 魔族、そして前日のクソガキ! 俺をコケにしやがって、許さねぇえ!! どいつもこいつも戦ってぶっ倒して! ぶっ潰して! ぶっ殺してやる!! 俺を強くしろ女神! でなけりゃ、ぶちのめすぞ!!」
目の前の男の大声。
さきほどまで薄目だった女は、少しだけ目を見開き、そしてため息交じりに小声で呟いた。
「戦いを求め、暴力で解決する……、闘神か何かか貴様は……、これだから男は……」
「ああ?」
「野蛮で、単純で、本当に羨ましい。今はそれこそが私もほしい」
女は魔法を発動する。
女の前に生まれた闇が衝撃波となり、男だけをふっ飛ばした。
転がり壁に激突する、バーバリアンの男。鎖がじゃらりと音を立てた。
「ぐえ!?」
男は小さくうめき声をあげる。
女はベッドから立ち上がり、自身の着崩れた黒いローブを直した。
よろよろと立ち上がり、半裸の巨漢は女を睨んだ。
「やるか、テメエ!?」
「名前は?」
「ああん!?」
凄む男に、無表情の女は抑揚のない声で聴く。
「お前は何という名前だ? 強くなりたいんだろ?」
黒髪の女に問いに、男は怒鳴り答えた。
「バイオンだ!!」
女は微笑する。
「バイオン、お前を強くしてやる」
女はすたすたと歩き、外へと出る唯一の扉を開く。
「近くの村を拠点にするぞ」
「おい、どういう意味だ?」
「強くしてやると言っている、ただし私なりのやり方でだ」
女の死んでいた目に光が少し灯っていた。まるで夜の星を思わせる小さな光だった。
「村の近くに魔法陣を作る、遠くの場所へとワープ移動する魔法だ」
女は続ける。
「そして私が探知した相手とお前は戦え、その場所までは私が送ってやる」
「なんだと?」
「強さを求め、戦いを求める者。なら戦い続けろ。お前より少し強い奴を倒し続ければ、いずれお前が最強になる」
女の言葉を驚いた顔で聞くバイオン。
その手段は意味が分からない物だったが、しかし強くなる方法は単純であり、バイオンに分かりやすい方法だった。
最強という言葉が、男の心を躍らせた。
扉が少し開き、そこから光が差し込む。
それは打ちのめされていた男に、差し込む光だった。
女は振り向き、バーバリアンのバイオンを見た。
「私の手を取るか?」
男は口の端を不気味に開き、笑った。
「聞いてねぞ」
「?」
「女、お前の名前は何だ?」
歩み寄るバイオンに、女は少し悩む。そして答えた。
「私の名前はラフター、しがない魔女だ」
「ではラフター、よろしく頼む」
「ああ、こちらこそ、バイオン」
二人は笑み、薄暗い建物から出る。
こうして男女は、何もない部屋を出る。
男は誰にも負けない強さを手に入れる為に。
女は空虚な心を埋める為。偽りの過去とは違う己の世界を望んだ為に。
ここからバイオンの、ただひたすら戦い続ける日々が始まった。
他に書いている作品があるのに、どうしてもアクションを書きたくなった。交互に更新出来たらいいな。