Prelude 転移前
※不定期更新です
※主人公は戦いません。
※念のためR15指定をかけています。
「それでは、続いてエルガーの『愛の挨拶』を…」
そう誰が聞いてるわけでもない言葉を言ってから、心を落ち着けピアノを弾き出す。スナックにある決して上等ではないアップライトピアノは、中のハンマーが痛んでいるのか満足な音を鳴らせないが、それでも僕のタッチについてきてくれた。仕事帰りの会社員が酒を飲み、日ごろの愚痴を言い合う中、僕は音楽を奏でた。
山野奏は昔から音楽が好きだった。物心ついた時には音の出るものに興味を持っていた。音楽に疎い両親が言うことには、歩き出したと同時にその辺りの物を叩いて笑う僕を見て、この子はどうしたんだと心配したらしい。奏なんて名前を何で付けたんだと聞いたことがあるが、言葉の響きだよと、父は悪びれた様子もなく答えていた。
保育園のピアノが好きだった。何もわからないままに鍵盤に手をついて、音楽とはとても言えない音の羅列を、それでも楽しそうに弾いていた。母さんが迎えに来た時も、ピアノから離れたがらず、泣いて困らせた。
「最後になりました、今日はつたない演奏にお付き合いいただきありがとうございます。最後は…」
「ママさん!ここってカラオケないの!?」
最後の曲を弾く前にあいさつをしようと席を立ったが、ガラガラ声に遮られた。40は過ぎているだろう頭の禿げかけた小太りの会社員だった。カウンターに立つスナックのママは一瞬僕の顔を見てから、会社員に答えた。
「あるけど、彼の演奏聞かないの?最後の一曲だそうだけれど。」
「そんなもん、聞いたってわからないクラシックより歌謡曲を歌ってるほうが気分がいいってもんよ!だいたい、ベトベンだのエルなんとかだの、そんな高尚な音聞きたくてここにきてるわけじゃないんだ。他の客も誰も聞いちゃいないだろう!」
と唾をまき散らしながら大声で言う。周りの客も、大声でいう自分勝手をよくは思わないが否定はしない…。そんなところだろう。何人のお客さんが僕の演奏に耳を傾けてくれただろう、今日の演奏代はゼロだな…。そんなことを考えながら、次の言葉を探すママさんのほうに歩いた。
「これで失礼します、また来週の金曜日、お願いします。」
「…でも奏くん、いいの?」
「はい、また演奏させてもらえれば。ありがとうございました。」
そう言って他の客にも頭を下げて、開けることができなかったギターケースを抱えて店を出る。どんな人でも、演奏者と客の関係は崩しちゃいけない。腹を立ててることに気づかれないよう、店を出る前にもできる限り丁寧に頭を下げた。店を出てすぐに腹の立つガラガラ声とカラオケの大音量が聞こえてきた。よくもまああれだけ場を白けさせておいて…と考えると同時に、客を満足させられなかった自分の実力を嘆いた。
小学校に入学した僕は無理を言ってピアノを習い始めた。母さんは何とかお金を用意して近所のピアノ教室に通わせてくれた。学校のピアノをこれでもかと弾きこんだ。音楽室の先生は許可を取れば何でも楽器を触らせてくれた。ピアノ以外の楽器も弾けるようになりたかった。音楽がある時間が幸せだった。
大学を考える時になって、音楽でお金を稼ぎたいと思った。甘い道ではないことはわかっていたが、音楽で人を幸せにしたかった。お金なんかよりも、夢を求めた。
「…その結果がこれかー。」
駅前でぼやきながら、ギターケースをおもむろに開く。今日はここで稼がないと晩飯抜きだ。死活問題だ。本当ならスナックであと1曲ピアノを弾いて、お礼を言って、ギターケース開けてアンコールがてら何か弾いてる間にいい恰好しようとした会社員の皆さんがお金をケースに投げ入れてくれる…
「なんて予定が、ほんとあのお客のせいでパーだよ。こっちは晩飯かかってるのに…」
そういいながらチューニングを合わせていく。ギターを始めたのはいつ頃からだっただろう。確か小学校の準備室にはあったから、それぐらいから弾いていたんだろうな。あぁ、あの頃はよかった。なんで年寄りめいた言葉も出てくるようになった。大学を卒業して5年。今日も都会に紛れてギターを弾く男。山野奏。…言葉だけなら恰好つくんだけどなぁ。んなこともないか。
「さて、じゃあ始めるか!」と勢いづけてアコースティックギターをジャンと鳴らした時。
周りの通行人が上を見ていることに気づいた。
疑問に思って僕も上を見上げたその時。
きれいな黒い瞳と目が合った。
どこか悲しげなその目に吸い寄せられるように。
山野奏の意識はプツッと途絶えた。
初投稿です。
つたない作品ではございますが、お楽しみいただければ幸いです。