フラッシュバック
「死ねよブス」
クラスで一番嫌いだった女が言った。今川瞳。その頃hitomiというアーティストが流行っていて、よく彼女の歌声を聞いたものだ。彼女はファッションアイコンとしても活躍しており、世の女性の羨望の眼差しを我が物にしていたと思う。hitomiは美しく整った顔立ちで、モデルのようにスタイルが良く、澄んだ歌声も持っていた。努力は報われるとよく言ったものだ。どれだけ努力しようが、生まれたときから大抵のことは決まっているのだ。私が今でも綺麗になれないように。
今川瞳の言葉を皮切りに、多くの罵声が飛んできた。
「死ね」
「ブス」
「キモい」
「臭い」
「生きる価値がない」
「そこで首を攣れ」
そういった言葉と共に、体中に痛みが走った。頭も、顔も、腕も、胸も、腹も、脚も、どこもかしこも痛い。何回罵られようと、何回殴られようと、何回蹴られようと、その痛みに慣れることはない。
「やめて」
私は必死で声を出した。「やめて」というごとに、罵声も暴力も酷くなった。そして、笑い声も聞こえる。私は何かを主張するという行為が許されていないのだ。どれだけ痛くても、「やめて」と声を挙げてはいけない。黙って耐えられたらどんなに楽だろう。時間がただ過ぎていくのを待っていれば良いのだ。だけど私は、無意識のうちに声を挙げてしまう。声を挙げる権利がない人間が声を挙げること自体が間違っている。私は「やめて」と言いながら涙を流した。この涙には何の意味があるのだろう、と思った。私の涙は、誰かに何かを訴えるものではなく、ただの液体だ。
気がつくとベッドの上で涙を流していた。目の前にあいつらがいるようで、今まさに殴られているようで、震え上がるような恐怖感とリアルな痛みがあった。何の意味も持たない液体がシーツを濡らした。その跡が酷く憎い。呼吸が荒くなっているのに気付く。ここには酸素がないかのように、苦しくてたまらない。ひいひいという自身の呼吸音と頬を伝う涙を感じながら、過去と現実の境目を探った。私は今どこを生きているのだろう。私は未だに、あの時の記憶から逃れられない。中学校の3年間ずっとだった。今川瞳がクラスの女子を仕切るようになってから、私は嫌がらせを受けるようになった。最初は上履きがなくなっているとかそういうものだった。何かを隠されるだけでもとても悲しかったけれど、次第にその嫌がらせはエスカレートしていった。教科書やノートがビリビリに破られていたり、机に悪口を書かれたり彫られたり。あるときは教室に行くと机がなく、あるときは教室から閉め出されて授業中も廊下に座っていた。トイレで今川瞳と鉢合わせたとき、彼女は最初の暴力を振るった。目の前で私を罵り、一緒にいた女に私を殴らせた。その日から、直接的な暴力が増えていった。
私はhitomiに生まれたかったと何度思ったことか。hitomiが華々しくステージの上や雑誌の中で活躍しているのを見て、彼女に私を重ね合わせた。そうしていると、鏡に写る私がhitomiのように美しくなっていると錯覚するのだ。それは、今でも錯覚している。hitomiをメディアで見かけることはなくなったけれど、彼女はずっと、私の憧れであり私のアイデンティティであるのだ。hitomiは私で、私はhitomiだ。そう思って鏡を見ないと発狂しそうだった。私は今川瞳とは違う。今川瞳は、hitomiと同じ名前を持ちながら、なんとも醜い容姿をしていた。hitomiを取り巻く女子たちは確かに美しい人が多かったが、今川瞳は気味の悪い顔立ちで、女らしいとは言えないゴツゴツとした体型をしていた。今川瞳は美しくないのに、どうして平等性も声を挙げる権利も持っているのだろうか。そして、他人を貶める権利を。今川瞳は、生まれながらのハンデをどう乗り切ったのか。何かの努力が報われて権利を得たのか。今川瞳の醜い顔がすぐ目の前にあるようだ。
私は立ち上がって鏡の前に行った。そこには、目を腫らして涙のようなものを流している醜い物体があった。その物体を見ると、私は声を出して泣いた。遠くから携帯電話が鳴っているのが聞こえる。多分、眠る前に投稿したSNSの通知音だろう。醜い物体と通知音が現実だとしたら、きっとさっきの酷い夢は過去で、私はそこに生きてはいないはずだろう。