男爵令嬢 オリーヴィア
恋愛とは……自分を磨き、意中の方に好意を持って貰う為に神経をすり減らしながらも一挙一動を見守り行動する事である。
何もせずに相手が近寄って来てくれるなどは自分のレベルに比例した相手か、もしくは以下の人しか来ない。そう極上の美女であるか、相手が特殊な性癖の持ち主でないかぎり極上の相手は目を向けてくれない。
極上の男性、それは『王族』だ。
王族とは、庶民からすれば天上の人、下級貴族からすれば雲上の人、中級貴族からすれば上位の人、上級貴族からすれば頭上の人だ。中級以上でないとお姿も見れない。そう身分とは正確なピラミットを築いて国を管理している。
けれど、学生となれば別。
我が国では『貴族』の子息子女であれば入れる学校がある。そう、名ばかりの『貴族』でも学べる学び舎があるのだ。『王族』だろうが『公爵』だろうが、『男爵・子爵』だろうが入学できる。
多少の上下の関係はあるが、基本場所や学校の器物に関しては身分優先の有無を完全に禁止している。つまり、下級貴族にとってこの場は自分を売り込むチャンスなのだ。
子息ならば頭脳と技量を、子女も表向きは頭脳と技能を……。
男爵令嬢 オリーヴィア・フォン・グリフィード。貴族の身分では下位に当たる女性だ。彼女も野心を持って学び舎へ入った口である。
下位貴族は将来を明るくすべく、学生のうちに動く。彼女が目指すは婚活。中級貴族に見初められるべく、鋭意努力中だ。
学生の期間は二年と短い。彼女はその間に子息たちの婚約者に、空位で泣ければ暫定婚約者達を押し退け、その座に選ばれなければ未来は明るくない。
学び舎にいる間に相手を見つける事が出来ない相手は、行動力無しと後妻にと声を掛けられる。美貌や家名が無い上に、何も出来ない人間の価値は低い。
シビアだ。
この国では幼い頃に暫定的な婚約者を決める風習があるが、この学び舎を出るまで確定ではない。
そう、親の権力に胡坐をかき何もしない相手よりも資質を磨き上げ、己を高めている相手を選ぶ場合がある。世に言う下剋上、もちろんそれは子女にいたった話ではない。子息もまた試されている。
「ふふ、ふふふふ」
男爵令嬢もまた、その下剋上を夢見て笑った。
なぜなら今回は当たり年! なんと学び舎に『王子』『公爵の息子』『侯爵の息子』はおろか、地方だけれど広大な土地持ちの『伯爵の息子(子爵)』まで!! これを狙わずにして何が婦女子か。
ただ、オリーヴィアは悩んでいた。
学び舎ではみな平等に寮へ入り、同じ間取の部屋を与えられる。入学式を迎えた彼女らはみな悩んでいるだろう。誰を狙うか。
容易にターゲットを変更すれば、二心ありと本命外の烙印を密かに押されてしまう事を知っているから。なので不屈の精神で結婚相手を見つけなければならない。それもまた自分の評価を冷静に見極められるかの判定に繋がる。
無謀でも一度は狙いたい甘いマスクの掴み所が無い魅惑の浮世離れした白金の髪の『王子様』。けれど王子様にはすでに侯爵令嬢が暫定婚約者に納まっている。つまり、侯爵令嬢を超えるものだけが王子を狙う事が出来るのだ。
ちなみに彼女は知能・美貌・人望・策略・技量パーフェクト。かなりの実力がなければ、迫力美人の彼女に太刀打ちできないだろう。
狙う人はよほど自分に自信ないと無理な物件。婚約者の立場を勝ち取れば最高、負ければ崖まっしぐら。己の分を弁えなかった子女として汚名が残るので、貴族を諦めなければならなくなる。
つまり社交界へ出るような家系へお嫁にいけない。
「無理無理無理無理」
彼女は博打よりも己の分に合った相手をとページを捲る。
黒のキリリとした目が人気のクールな『公爵家の息子』は、おっとりした細い銀髪美女の伯爵令嬢と婚約中である。彼女のたおやかさに立ち向かえる女子はいるだろうか? 銀糸の長い髪にコバルトブルーの瞳の伯爵令嬢は妖精と見間違える程と聞く。二人を見守る会の会員数は学び舎の約半数を占めるとか占めないとか。
「お似合いなんでしょうね」
くるくる金髪大きく丸い青い目の『侯爵家の息子』は暫定婚約者無し。彼曰く『お日様と仲良く出来る女の子と結婚するの~』が通常運行らしい。
それが意図的な言葉なのか、天然の言葉なのかは彼の内側に足を踏み入れたもののみが知る。
「次は、と」
広大な土地を持つ『伯爵家の息子(子爵)』は涼やかな青い髪と神秘的な琥珀の瞳の穏やかな紳士なのだが、一度燃え上がると髪が逆立ち、目が充血した鬼神になるという。
一族の土地に敵が侵入した場合、相手を血祭りにしなければ怒りが収まらないのだそうだ。
彼に暫定婚約者は居らず、馬上格闘が出来る女性を希望している。
オリーヴィアの先々代に竹やりで虎を仕留めた褒美に爵位を授けられた人がいるが、本人はどんなに追い詰められても格闘など無理だと頷く。
「うん、夢は見た。で、本命を探すか」
女の子はいつでも恋に夢を見るもの。
もしかしたら? を。ありえないけどなぜか、を心の底で少し、少しだけ考えている。
「明日、王子様や公爵家の人が声をかけて来て……」
『理想の人だ』なんて頬を染められたら、世界はバラ色になるかもしれない。見目麗しく、お金持ちで、英知も器量も良い相手と添い遂げれるのは最高の夢だからだ。
「うちみたいな貧乏貴族に声を掛ける様な子息は皆無でしょうね」
子息達もまた子女のファイルを閲覧し、誰に申し込むか選択しているだろう。男子も貧乏よりは金持ちの貴族と縁を結びたいもの。貧乏でも構わない貴族はよほどの事情があるか、本人がそれを踏まえても価値ありと判断された場合のみ。
それなりに自身を磨いてきたオリーヴィアだが、周りの子女たちも努力してきている事を知っている。早めにいい塩梅の子息を選択し、誰よりも早くアピールしなければ選んでもらえない。
同じ男爵で性格もよさそうな子息を探した方が現実的だろうとオリーヴィアは真剣に一覧に目を通す。
出会いは印象的に、礼儀と作法を忘れず落ち着きのある行動を。そして学業で私を気にして馬鹿ではない事を、努力家で一途、頑張る姿を見てもらわなければ。
ここではドレスは無い。みな平等の制服を着て授業を受ける。
なのでより質が目立つ! 気に掛けてもらうには名前と身体的特徴(髪や目)を覚えてもらい、後日確認してもらう事。彼女には親から貰った珍しい赤い薔薇の様な髪の色と深い緑の目がある。
「わき目も振らず、一直線にアピールさせてもらう」
相手は決まった、ヘンリック・フォン・シュレンドルフ男爵子息。白髪で薄い水色の目の子息。彼女の家の二倍の領地を持っていて、神経質そうなキツイ顔立ちだが、真面目一辺倒で剣術の試合では好戦的な面もある。
彼女はこの子息に決めて肌の調子を整える為に早めの睡眠を選んだ。
早めに起きて彼へ一番にアピールをする。という野望を胸に。
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この婚約者下剋上には、数ヶ月の猶予期間がある。
隠れてこっそりと、分からないように婚約申し込みが出来るのだ。いつの年に出来たのかは定かではないが、所謂記念告白が出来る。
だがオリーヴィアは敢えて大っぴらに申し込むつもりだ。
朝の登校時、男爵の髪の色と同じ白い薔薇に自身の名前カードを添えて。大勢の人前で渡す事により、私の本気度を伝えてアピールするのだ。ぐずぐずしていたら他の令嬢と同じ十把一絡げにまとめられてしまう。
門の側で彼の登校を待ちながら、オリーヴィアは朝摘みの白バラを見つめる。先制攻撃は大事だけれど、優雅に慌てない様にと必死になって心を宥めてた。
他にもチラホラいる子息子女達も彼女と同じ考えの持ち主だろう。誰かと目的の相手がかぶらなければいいのだけれどと、優雅に笑みを浮かべながらも心は戦々恐々だ。
しばらく待っていると、目的の相手が歩いてきているのを確認する。ヘンリック・フォン・シュレンドルフが怒っているような面持ちでこちらに向かって真っ直ぐ歩いていた。
一度オリーヴィアは目視で確認した後、門に隠れて一呼吸をする。両手に薔薇とカードを持つと、かの子息が通り過ぎる瞬間を待つ。
目に見えてはいないが、彼の歩く姿を頭で想像し息を整えた。
一歩、一歩、一歩。
長いような短いような時間を静かに待ち、白い髪が目の端に映った瞬間、彼女は両手を彼へ向かって差し出す。
「オリーヴィア・フォン・グリフィードです。受け取ってください」
最高の出来である笑み、角度、声の張り具合。出来としては文句無しである。
ただ相手の子息は驚き目を見張った、がすぐに笑顔になった。
「薔薇を……私に? ……これは、捧げられたのかな?」
「……ご随意に」
表情は変えていない、彼女は微かに微笑んだままだ。
だが、体内では酷く汗が、気が、眩暈が、すべてを包み込む様に巨大な渦が彼女の精神をズタズタに引き裂いている。
「……そう。薔薇は嫌いじゃない、ありがとう」
子息は彼女の頭から足先まで一瞥すると、軽く笑った。白い薔薇を口元へ寄せると、頑張ってと言葉を残して歩いていく。白く輝く金髪が、彼女の目の前を通り過ぎ去った。そう、なかなかいない珍しい白く淡い金色の髪の持ち主が。
「……(どうしよう)」
笑顔を貼り付けたまま、彼女は固まっていた。周りに人が大勢いる中、彼女はしでかしてしまったのだ。もう、違う相手に婚活出来なくなってしまった。
それを嘲笑うかのように彼女が狙っていた子息が目の前で呼び止められる。
「あ、あのっ」
「おはよう。何か用か」
「おはようございます、わ、私、その、リーゼロッテ・フォン・ファーレンホルストと言います……受け取って……頂けますか?」
「私に?」
「はい……ヘンリック様に」
白い桔梗をカードと共に差し出す子女は、茶髪茶目の可愛らしい女性だ。彼女は必死に顔を上げて、自身の得意科目は薬学で、桔梗が薬にもなる話をしている。
「私、ヘンリック様と共に歩きたいと……」
「分かった。ありがたくカードを預かろう」
オリーヴィアが望んでいたやり取りが目の前で展開され、彼女は気を失いたかった。
なぜ狙っていた彼の歩みが遅かったのか、それは身分の高い貴族へ道を譲ったから。……彼女の敗因は待ちきれなかった事。そして更なる困難はここから始まったのだった。