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②-4

2章の完結です。

少し長くなります。

血液表現がありますので、苦手な方は注意してください。

身体が震える。

渇きに空腹、腹痛、尿意、閉鎖空間、暗闇、極度の緊張状態。

年齢よりも小さい身体のカリンを攻め立て、限界寸前だった。

身体の震えを抑え込むように、ぎゅうぎゅうと身体を抱きしめ丸くなる。でも、震えは一向に治まらない。

冷や汗が流れる。

カリンの訓練服はじっとりと濡れ、身体を冷やし始める。

「……寒い……。」

 思わずつぶやく。

 自分の声がワンワンと耳の奥にまで響いた。たまらず耳を塞いだ。

 その時、

 ……ピチャ……ン。

 どこからか水音が聞こえた。

 かすかな音だが、はっきりと聞こえた。

 汗が流れ、滴った音かもしれない。

 でも、自分の汗の音が聞こえるのだろうか。

 カリンは手を耳から外してきょろきょろと周りを見た。とはいっても、周囲は暗闇で見えるわけはない。反射的に音のする方を探していた。

 ひとしきり周囲を見て、いつの間にか身体の震えは止まっていた。痛みも尿意も峠を越したようで、一応治まった。

カリンは壁を背に、膝を抱えて座り直した。

空腹は相変わらずだが、先ほどよりはましに感じる。

痛みが治まったことで、カリンの精神状態はわずかではあるが回復したようだ。

 落ち着きを取り戻したことで、カリンはいつしかウトウトし始めた。それは、身体の防衛反応か。休むことで体力の温存を図っているようだ。


……ピチャ……ン……。

かすかな水音に、カリンは目を覚ました。

夢かもしれない。喉の渇きが見せた夢の中の音。

カリンはそう思って、またウトウトし始めた。

……ピチャン……。

また水音がした。

今度ははっきりと。

(どこから水音が? )

カリンは立ち上がり、壁を手で触る。手が届く範囲を触りながら、狭い懲罰房の中を何周かしてみた。

(やっぱり、何もないよね……。)

カリンは諦めたようにずるずると座り込み、膝に顔をうずめた。

(余計に喉が渇いてきた……。)

先ほどまで治まっていた渇きが蘇る。

(もしかして……。私、おかしくなったんじゃ……。)

あるはずのない水音。それでも聞こえる水音。

不意に思いついた考えにカリンはぞっとした。

(やだ……。)

泣きだしそうなのをぐっとこらえ、カリンは腕に力を込めた。

ピチャン。

また聞こえる。

カリンは息を飲んだ。

本当に自分はおかしくなったんじゃないか。

なんだか息苦しい。

吐き出した息は思いの外大きな音になって慌てて口を押える。

耳の奥で、自分の呼吸音が蝉の鳴き声のように響く。

耳を塞ぎ、声にならない叫びをあげる。

恐怖。狂気に対する恐怖だった。


グワン。

部屋全体を揺るがすような大きな音が響き、同時に閃光が部屋全体を襲った。

「っ! 」

気を失っていたカリンは一気に覚醒し、あまりのまぶしさに手で顔を覆い、背けた。

そこへ、急に水が襲ってきた。

「わっ! ぷっ! 」

突然のことで、カリンはなす術もなく、水の襲撃に顔をガードするので精一杯だった。

何が起こっているのか、頭が付いて行かない。

だが、ガードしきれていないところから水が口を濡らし、喉を潤し、渇きだけは治まった。

水の勢いは強くて目を開けられない。だが、水がなくても目を開けられなかっただろう。暗闇に慣れてしまっていた目には、この明るさは強烈だった。

「汚ねえな! 」

男の蔑んだ声が聞こえた。

急に水が止まり、訳が分からず目をつむったままオロオロとする。

「さっさと出ろよ! 」

別の声が聞こえた。ガツガツとした靴音が聞こえる。やけに大きい音に、思わずびくっと身体をすくませた。

「っち! 」

苛立たし気な舌打ち音が聞こえ、その後二つの足音が近寄ってきた。そして顔を覆っていた腕を両サイドから乱暴に引っ張られ、引きずり出された。

「こいつの小便臭いから、しっかり洗っとけよ。次に入れられる奴のためにもな! 」

その言葉に、カリンは唇を噛んだ。

涙が出そうだったのを必死でこらえた。せめて泣くのだけは、こいつらの前で泣くのだけは。カリンのなけなしのプライドだった。

しばらく引きずられていた。足にも腕にも力が入らない。目は閉じていたが、瞼から光を感じ、少しずつ光に目が慣れてきた。

突然動きが止まり、カリンはどさりと投げ出された。

「……っ! 」

床にバタリと倒れ、顔を打ち付けた。鼻の奥からどろりとした液体を感じたと同時に、鼻の外に生暖かい液体を感じた。

力の入らない腕に精一杯力を込めて顔をあげる。鼻の下を腕でぬぐい、少しずつ目を開けた。

まぶしい光が容赦なくカリンの瞳に飛び込んでくる。反射的に目を閉じようとする瞼を無理やり開く。震える足に腕に力を込め、立ち上がる。

よろめきながらも何とか体勢を保つ。真っ白い世界の中で、自分の前に人影を確認できた。唇を噛みしめ、瞼をこじ開ける。

「くっ! 」

光の力は強いが、それでも目を開けた。

ようやく目が光に慣れてきた。視界はまだぼんやりしているが、目の前に男が立っているのが分かった。

「No.5 」

静かだが、威圧感のある声。—ランドルフ上官だった。

ホンダの腹心の部下で、訓練の一切を取り仕切るランドルフが目の前に立っていた。ホンダと同種のニオイのする男。一切の殺気を表に出さないが、気を抜いた瞬間にはこの世界から消えていくような恐ろしさを感じる男。

条件反射で敬礼をする。

ようやく視界がはっきりして、目の前のランドルフを見る。

 感情の全てを母親の胎内に置いてきたかのような男。氷のような視線で見下ろされ、背筋が凍る。

「一日か。よくもった方だな。」

 口元が動く。だが表情は全く変わらない。

 何を言われたのか、一瞬理解ができなかった。混乱した頭では仕方のないことだった。

「分からないか、No.5 」

 カリンは敬礼したまま動けないでいた。

「お前は一日、懲罰房にいた。もっと短い時間で発狂する者もいる。その中でお前はよくもった方だ。その精神力に免じて、クラスはそのままにしてやる。だが、次はない。」

「っは! 」

 ランドルフの言葉に、喉から声を絞り出すのが精一杯だった。膝から力を抜けそうなのを必死で奮い立たせた。

 カリンを連れてきた警備の二人も直立不動で敬礼していた。ランドルフはその二人には一切目もくれず、踵を返した。

 ランドルフの姿が見えなくなるまで三人は敬礼したままだったが、見えなくなると、警備の一人がカリンの前に腕組みして立ち、カリンをにらみつけた。

「とっとと自分の部屋に戻れ。指示があるまで動くな! 」

「はっ! 」

 敬礼したままカリンが答えると、警備の二人は歩き、戻っていった。

 カリンは唇を噛みしめ、その場から逃げるように生活棟に入り、自室にもぐりこんだ。

 濡れた訓練服を苛立たし気に脱ぎ、新しい訓練服に着替えた。髪は濡れたままでベッドにもぐりこんで毛布を被る。

「っくそ! くそ! くそ! 」

 悔しくて涙が出る。ランドルフや警備の前ではこらえていた涙があふれる。

 自分が悔しかった。一日もったから何だというのか。発狂寸前だったのは確かだ。結局失禁してしまったではないか。情けない!

 ランクが下げられなかったのは不幸中の幸いだが、腑に落ちない。なぜ落とされなかったのか理由が分からない。

 ひとしきり泣いたあと、冷静に考え始めた。懲罰房で自分に起こったこと。恐怖が襲い掛かるが、それも冷静に考える。

 暗闇は視界を奪っただけではなかった。正常な思考も奪ったのだ。そのような状況下にあっても、冷静に判断できるようにならなければ、自分が成そうとしてることはできない。

 恐怖と悔しさで吐きそうになる。だがそれでも耐えながら考えるのをやめなかった。

 荒い息を整え、頭の中をできるだけクリアにして、状況を冷静に見た。

 恐らく、何らかの力が作用したのは間違いのないこと。懲罰房に入れられたのは、ペナルティーとしてはランクが下げられるのと同等だ。それが、今のランクのままですんなり出されたということは、ましてそれをランドルフが直々に言いに来るということは、

「……ホンダ……。」

 そう、ホンダが関係しているとしか思えない。実際、この施設内においてのホンダの力は絶大だ。全てを掌握している。

 身震いした。ホンダの考えが全く読めない。

 だが、状況としてはカリンにとってはラッキーなのは間違いない。そこに、ホンダのどんな思惑があったとしても、だ。

 毛布を被ったまま、上半身を起こして座る。

 ぐっと奥歯を噛みしめた。左目から、ポロリと涙がこぼれた。涙を肩で拭う。

 毛布をはねのけ、天井を睨みつけた。

 両の拳を、血が出るほど強く握りしめ、天井のある一点をきつく睨みつけた。


 日が傾き始め、夕飯の時間となった。

「No.5 一週間は配膳係をしろ。それでペナルティーは終わりだ。」

「はっ! 」

 警備の一人が言いに来た。敬礼をして答えるカリンに背を向けた警備は、カリンの処分の甘さにぶつぶつ文句を言い始めた。

「何で懲罰房に入れられて、配膳係で終わりなんだ? こういう時は、ランクを下げられて、その上で配膳係なり清掃係なり、だろ? 」

 普段のストレスからか、警備は見えないところで訓練生たちに対して暴言や暴力は日常茶飯事だ。この警備もご多分に洩れず、ネチネチと嫌味を言う嫌な奴だ。

「ホンダ司令官のお気に入り……、ってわけでもなさそうだもんな。胸もなんもない、未発達なお前じゃあなあ。」

 振り返り、下卑た目でカリンの身体を上から下まで何度も見る。ゾクッとした嫌悪感と吐き気を感じる。だが、表情には出さず、必死に抑える。

「司令官がロリコンだったら話は別だが、コイツが色仕掛けで、ってのも無理のある話だしな。」

 馬鹿にしたような笑いを浮かべ、とりあえず嫌味は終わったようで、また前を向いて歩きだした。

 カリンは、まず後ろから蹴り上げて、振り向いたところに足を引っかけてバランスを崩し、その後に頭に膝蹴りをくらわすところまでシミュレーションをした。だが、もちろん実行はしない。廊下には等間隔に警備がアサルトを持って配置されているし、今騒ぎを起こしても逃げられないのは百も承知だからだ。

 とりあえずは無表情で(見た目には)従順に黙って警備の後を距離を保って歩いていた。

 食堂に入り、配膳室に連れてこられた。配膳室では自分よりも2ランク下の訓練生が配膳作業を行っていた。もちろん、カリンも通ってきた道だ。懐かしさは感じないが、作業は身体が覚えているし手慣れたものだ。

 ランク下の訓練生たちの、興味本位な不躾な視線を背中で受ける。「こいつは何のヘマをしてここにいるのか。どんな奴か。」値踏みされているような視線だが、説明してやる義理もなければ、無駄口を叩いた時には警備に殴られるのが分かっているから、カリンは淡々と作業をする。

 ランク下の訓練生たちは横目でチラチラとカリンを見ながらも、手が止まれば自分たちも危ういわけで、黙々と作業をこなす。

 目の前にある食事。カリンは一日食べていなかったから、自然と腹が鳴る。空腹時の配膳係はある意味拷問だった。


 配膳係が食事にありつけるのは一番最後だった。空腹でめまいを覚えたのも一度や二度ではなかった。

 ようやく自分たちの食事の番になった。

 待ちに待った食事に、カリンは珍しく心が弾んだ。ここにきて、心が弾むことなどそんなになかった。

 いつもよりも若干少なめな食事だったが、それでも嬉しかった。急いで口に運び、ひたすら食べた。調理はいつもの人間が作っているのだが、いつもより美味しいと感じた。普段よりも空腹感が強いせいだろう。

 ここでは料理の質も量も問題ではない。ただ、必要な最低限の栄養素とカロリーを詰め込むといったところだ。それは、戦場では満足のいく食事にはありつけないというホンダの考えからだ。確かに、清潔な水ですら手に入れるのが難しい紛争地帯もある。口を慣らすためと調理の仕方を身につけるために、レーション(戦闘糧食)が出されることもある。

 訓練生たちは司令官や警備たちは違うものを食べているらしい。前に警備の一人が、

「こんなものを食ってんのかよ! 」

と、笑っていたのを聞いたとユイに教えてもらったからだ。

 冷え切った食事をほぼ平らげたところで、突然けたたましい警戒態勢のベルが鳴る。それとほぼ同時にバタバタと数人の足音、怒鳴り声が近づいた。

(足音の数から、二人? いや、多分三人。小さい音がする。内二人は大人。)

 カリンはとっさに判断する。これも普段の訓練の賜物か。

 一緒に配膳係をした訓練生たちは、何が起こったのか動揺しているようだ。

(訓練が足りないね。)

 不意に、少し意地悪な見方をしてしまう。だが、すぐに悠長にしている状況ではなくなった。

 足音とともに数人が食堂へ入ってきた。

 細身の大人に、小柄な男。こちらに完全に背を向けた状態で入ってきた。その二人について大柄な男が一人、銃を構えた状態で一定の距離を保ちながら入ってくる。

 細身の男は白衣を着ている。

(あれは、確か医務室のジョンソン医師? )

 軍医という肩書だが、あまり実務経験はないらしい。ただ、一応腕が確かだというので、最近入ってきた。だから、ほぼ面識はない。

 ジョンソンを羽交い絞めにしているのは、少年だった。治療着から伸びた足や腕は細く、屈強な警備たちのものとは違うからだ。靴を履いていないことから、小さい音の主だろう。

 入ってきた一瞬で、カリンはここまで判断した。だが、肝心の「少年」が誰なのか分からない。

「どけ!銃を下ろせ! 」

「ひぃぃぃぃ! 」

 少年の怒声が響く。少年の声にうろたえたジョンソン医師の情けない悲鳴が上がる。だが、少年が右肩に少し力を入れると、ジョンソン医師の声は止まった。代わりに、身体が硬直していた。

 恐らく、少年はジョンソン医師を羽交い絞めにしているだけではなく、何かを構えているのだろう。だから、警備もうかつに手を出せずに距離を保ったまま入ってきたのだ。

 少年の声は声変わりの途中で、少しかすれていた。その声にカリンは聞き覚えがあった。

 治療着姿にこの声。カリンはほぼ確信を持っていた。

「……ショーン。」

 カリンの声に、少年はびくりとを震わせ、ゆっくりと振り返った。頭に巻かれた包帯で右目と右耳を覆っていて、包帯には血が滲んでいた。

「あ……カ、カリン……。」

 カリンを見たのショーンの、包帯で覆われていない左の目が揺れていた。

「ショーン……。」

 何て言っていいか分からず、カリンはショーンを見つめたまま、ただ名前を呼んだ。

 ジョンソン医師を羽交い絞めにしたまま、ショーンはカリンの方へ向き直る。そして、自分の背を壁につけた。

 ショーンの手にはきらりと光るものが握られていた。それは手術用のメスで、ピタリとジョンソン医師の首筋に当てられていた。

「ショーン……。」

 緊張で喉が粘つく。背筋には冷たいものが流れていた。

「あ、カリン……。来ないで……。」

 ショーンの左目はさらに揺れた。自分でも気付かぬうちにカリンは近寄ろうとしていたらしい。金縛りにでもあったように動けなくなった。

「カリン、ねえ、カリン、そのままで聞いて。」

 少し落ち着いたような、普段のおとなしいショーンの声。カリンが微かにうなづくと、ショーンは小さく息を吐いた。

「僕、もうダメなんだ。使い物にならないんだって。」

 自嘲気味に薄く笑う。

「目がね、右目がね、もうないんだって。右の耳も、半分ないんだって。」

 ごくりと唾を飲み込む。だが、唾液が粘ついていてうまく飲み込めない。

「コイツが! コイツが下手なんだよ! 上手く治せないコイツがさあ! 」

 急に激昂し、羽交い絞めにしている手に力をこめると、ジョンソン医師の顔が痛みと恐怖でさらにひきつった。

「コイツが下手なせいで、僕は! 僕は! 」

 メスをジョンソン医師の頬に向け、すっと引く。頬を撫でただけで、彼の頬には朱線が引かれ、すぐに彼の白衣を赤く染めていった。

「ひっ!」

 短く悲鳴をあげ、ジョンソン医師は金魚のように口をパクパクさせた。

「ね、カリン。僕、もうダメなんだ。ダメ……なんだ。」

 揺れた左目からは堪え切れずに涙があふれた。

「ダメって、どういう……。」

「廃棄処分だよ。」

 ショーンの言葉が上手く飲み込めない。ハイキショブン……。廃棄……処分?

「そ……。」

 そんな「モノ」のような言い方。カリンの頭の中で言葉だけが金属音のように響いた。

「コイツが笑ながら言っていたんだよ。『使い物にならないから廃棄処分だろうな』ってさ! 」

 絞り出すように吐き出された言葉に、カリンはショックを受けた。理解が追いつかない。

「だったらさ、帰してくれりゃいいのに。僕の国に。ねえ、カリン、僕、帰りたいよ。帰りたいよ。帰りたいんだよお! ねえ! カリン! 帰りたいよお! 」

 ショーンの右目の部分の包帯が真っ赤になり、頬を伝った。まるで血の涙だ。

「帰りたい! 帰りたい! 帰りたい! 」

「……ショ……。」

 その時、ほんの少し力が緩んだその時、ジョンソン医師の身体が少し傾いたその時、

 パーン

 乾いた音がした。

「……Je t’aime maman(ママ 愛してる)……」

 ショーンの唇がそう動き、次の瞬間には血しぶきが飛び、血しぶきの方向に傾いていく。

「っ!! 」

 声にならない叫び声をあげ、手を伸ばす。

 ゆっくり、ストップモーションのようにショーンの身体は倒れていく。床に倒れた反動で小さくバウンドし、顔を下にして倒れた。

 ショーンの身体の周りを鮮血がじわじわと広がる。

 ダダン!

 鈍く低い音がして、ショーンの身体がバウンドする。

「ショー……。」

 伸ばした手は空をも掴み損ない、バランスを崩してよろめく。

 カリンを見つめていたにはもう何も映していない。血だまりの中で虚無の光を放っていた。

 ブーツの音をたてて、警備が二人近寄り、銃身でショーンの身体を突く。足でショーンの身体を押すと、何の抵抗もなく仰向けにされた。

 カランと軽い金属音がしてメスが転がり落ちる。

「……こ、この! この! このガキ! このガキ! くそガキがあ! 」

 倒れていたらしいジョンソン医師が起き上がり、ショーンの身体を蹴る。その度にショーンの身体は揺れる。

「よくも私の! 私の身体に傷をつけやがって! このくそガキ! ガキの分際で! よくも! 」

 蹴り上げようとした足を下ろし、ジョンソン医師は血だまりの中にメスを見つけ、拾い上げる。

「お前も! お前も! 切り刻んでやる! 」

 その言葉を聞いた瞬間、カリンの頭が一気に沸騰したようにカッとなり、次の瞬間にはジョンソン医師を蹴り上げていた。足を蹴り払いバランスを失わせる。よろめいたジョンソン医師の顔面に拳を入れ、床へ叩き付けた。

「ぎゃー!! 」

 鼻の骨は折れ、顔を真っ赤にしたジョンソン医師が叫ぶ。

 次の一撃を入れようとした拳を警備が銃身で止め、別の警備がカリンの腹を銃身で殴る。

「ぐッ! 」

 腹を抑えて倒れこむ。先ほど食べたものを吐き出す。

 怒号。血。罵声。足音。

 騒然とした空間の中で、ケガをしたジョンソン医師は別の警備に出され、廊下には血の印を点々と付けて出て行った。

「このやろ! ガキが! 」

 カリンの抵抗がなくなるまで大の大人2人掛かりで殴り、ついにカリンは意識を手放した。

 ぐったりしたカリンを一人が引きずり、部屋へ放り込んだ。


 同時刻。

 壁一面にたくさんのモニターが設置されている部屋で、一人の男が眼鏡を触りながらキーボードに向かっていた。光源はモニターだけの薄暗い部屋の中で、眼鏡の男がにやりと笑った。

 部屋の奥でゆらりと影が動いた。

 モニターにはこの島のあちこちが映っていた。

 誰もいないジム。

 言語を学ぶ教室。

 暗視モニターで映し出された懲罰房。

 何かを叫ぶジョンソン医師を治療している医務室。

 血しぶきと血だまりの中でショーンの遺体を運び出している食堂。

 そして、ぴくりとも動かないカリンの手当てをしているユイの姿。

「今から一時間前の医務室と食堂の映像を後で持ってこい。」

 全ての部屋をモニターしている男に、「影」が命令する。

 眼鏡の男が返事をする前に、「影」の男は扉の外に出ていた。

「……へへっ! 了解しましたよ。」

 せわしくキーボードを叩く音が少しの間続いた。


3章へ続く



長くなりましたが、2章が終わりました。

カリンたちはさらに過酷な状況になっていきます。

3章もよろしくお願いします。

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