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桜はまだ咲かない

作者: 沙綺

 今日は、ホワイトデーですね。

 なんて、ホワイトデーが通用するのは日本だけなのに、どうしてこうも女子という生き物は浮ついているのだろう。

 私は登校中、他学年の生徒が話していた話題について思いを馳せてみる。彼女たちはとてもはしゃいでいた。きっと意中の男性からの返事を待っているに違いない。バレンタインデーの時はもっとはしゃいでいたのではないだろうか……。

「全く、若いっていうのは本当にいいですね」

 歳も二つも離れていないのにそんなことを思ってしまう私は冷めているのかもしれない。なんと悲しい事……。

「胡散臭いわね」

 何て独り言も風に流されてしまう春の日。私の周りにはそんな独り言を受け取ってくれる人はいない。

 きっと彼女たちだけではなく、学校中がそういった浮ついた空気に包まれているのではないかと考え、私は憂鬱な気持ちになった。




 あの人を好きになったのは高校に入ってすぐのことだった。

 何故だか分からないけど、最初に見た時からずっと気になってしまった。きっと私を惹きつける何かがあったのだろうけど、後々考えてみるとそれは一目惚れだったに違いない。四六時中あの人を眺め、考えていた一年の頃が懐かしい。私の右斜め前の席。授業中、チラッと見える横顔がとても素敵だった。

今年度になっても同じクラスだった。席は今までと同じあの人の左斜め後ろ。そこはもう私の特等席だった。誰にも譲りたくはない、私の定位置。高校生活が三分の二を終えようとしている今、毎日欠かさず学校へ行けたのはそのおかげなのかもしれない。

 緩やかな山の斜面にある高校までの通学路の途中には桜並木がある。しかしまだ花は咲いていない。蕾のままだ。

「まだ咲くには早いですね」

 そう、桜が咲くにはまだ早い。

 桜が咲くのは四月くらいで、それが桜と言う存在の、ある種の使命なのだから。桜は桜らしく、ね。

「桜は桜らしく、か……私は私らしくできているのでしょうか……」

 私らしく、ということは一体何なのだろう。

 そもそも自分と言う存在は他人と比べて初めて見えてくるものだと思う。他人との違いが個性であったり特徴であったり、そういったものが集まって生まれるのが自分である……。

 そこまで考えて私は無限にループする思考を放棄した。考えてもどうしようもない。ただ一つ分かることは、恋をしている自分というものはきっと他人と比べるものではなく今までの自分自身と比べるものである、ということだろう。

 今までの自分に比べて今の自分はきっと輝いているに違いない。恋とはそういうものだと、私は信じたい。




 まだ冷える通学路を歩く。自転車を使ってもいいのだが、家から近いし坂道もある。それに少し田舎なこの土地は四季の変化が美しい。自転車を使ってしまえばすぐに過ぎ去ってしまう。ゆっくり歩くのがいいのだ。

 そうやってまだ咲いていない桜並木を抜けながら、私は一年前の春を思い出す。

 登校時、偶然あの人に出会い、一緒に学校まで行ったことがある。家の方向は違い、いつもは会うことは無いのだけれどその時は満開の桜を見に来ていたらしい。

 学校でしか話したことがなかったから新鮮な感じがした。

「そう、この桜の木……」

 桜の木の下で立ち止まっていた。懐かしい記憶。ある種の青春の一ページだろうか。その時何を話したかは頭が真っ白になって思い出せないけど、きっと私もあの人も楽しかったのだと思う。そう、信じたい。

 また会えないでしょうか、なんて考えながら私は通学路を急いだ。




「あの、これ……貰ってください!」

 一か月前、私は手作りのチョコレートを渡した。

 渡して、逃げてしまった。私にはそれが精いっぱいで、大切な気持ちを伝えることが出来なかった。気持ちを伝えるツールを用意しておきながら、それをちゃんと使えなかったなんて……。

 あれから一か月、あの人とはまともに話をしていない。向こうは気を使って話しかけてはくれるんだけど、私の方が恥ずかしくていつも逃げてしまう。それでいて授業中はずっと斜め前の黒髪を見つめているという矛盾っぷりだ。本当は話しかけてもらって嬉しいはずなのに、人の心は不思議なものである。

こうして色々考えて歩いていると、胸の高鳴りが抑えきれない。あの人のことを考えている、というのもあるけれど、それ以上にあの人のいる場所へ、学校へ近づいているという事実が私の鼓動を加速させる。もっとゆっくりでいいのに、私の心は加速し続けてしまう。そんなに急いでも周りが見えなくなるだけ、というのは分かっている。でも、どうしても……。

 私は単純に答えが怖い。

 どんな答えが待っていようと、たとえ答えがなくても、私の心はどうにかなってしまいそう……。

 はしゃぐなんてことはできない。

 私の気持ちは本物だけど、あの人にどう受け入れられるのかが分からないから。もし、ということは考えたくないけど、どうしてもその可能性を考えてしまう。

 好き、という言葉はどうしてこんなに重いのだろう。どうしてこんなに重くなるほど気持ちを載せられるのだろう。

 好き、の重さはきっと人それぞれである。

恋人同士が好き好き言いあっているのはなんとなく、好きの重さが軽くなってしまいそうで私は嫌いだった。

好き。

 たった二文字。二音。

 それを伝えるのにどうしてこんなに辛く、大変なのだろう……。溢れてしまいそうな涙を抑えるように私は目をこする。

「おはよう。花粉症だっけ?」

 突如、右斜め前からかけられた言葉に驚く。私はあわてて涙をぬぐい、うん、と答える。

「そっか。この時期は花粉症の人は大変そうだね。私は花粉症じゃないからその気持ちは分からないなあ……。あ、そうそう、これなんだけど……」

 と、声の主が鞄を漁っている音が聞こえる。私はもうどうしていいか分からずにうつむいている。もうちょっとゆっくりでいいのに。心の準備が……。

「はい、お返し。お礼をちゃんと言えてなかったから、今ここで言うよ。とても美味しかった。あなたの気持ちはちゃんと伝わってきたわ。だから……」

 顔を上げると、肩口で切りそろえられた髪を揺らして彼女は微笑む。横顔も好きだけど、その微笑みはもっと好きだった。

「だからね、今度はちゃんとあなたの気持ちを聞かせて?」

 ああ、なんで。

 なんであの桜の下ではなかったのだろう、と私は思ったのだけど、恋人と言う形であの満開の桜を見たほうがいいのかもしれない。きっとそちらの方が幸せそうだ。

 私は泣きそうになりながらも、消え入りそうな声であの二文字を彼女に告げた。

 多分、その音は春の風に流されずに、彼女に届いたと思う。


ホワイトデーのお返しって、何がいいんでしょうね……

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― 新着の感想 ―
[良い点] 青春の恋心を桜にからめて描写していますね。とても美しいです。好き、という言葉を軽々しく使わず、とても大切に言葉を使っている点がステキだと思いました。 [一言] 作中のこの部分が、特に気に入…
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