下
小さな頃は、別に変わってるとは思ってなかった。それで普通なんだと勘違いをしていたくらいだ。普通じゃないと分かった後も、それほど変わってはいないだろうとなんとなくそう思っていた。恐らく、他でもこんな体制でやっている学校は幾らでもあるんだろうくらいの認識だった。
中学校に入学するくらいの時期に、ようやくかなり珍しい体制なのだと理解した。漫画や小説やテレビでも、この町みたいな体制に学校がなっているのは見た事がない。他の場所に行っても、小学校と中学校はそれぞれ離れた場所に建てられてあった。わたしの住んでいる町みたいに、並んではいない。
そう。
わたしの町では、小学校と中学校が並んで建てられてあるのだ。小さなわたし達にとっては、道路を一つ越えて隣の敷地に足を踏み込めば、そこはもう別の世界だった。
珍しい体制なのだと知った時、正直、わたしは腹が立った。こんな体制じゃなかったら、もしかしたらわたしは、こんな性格にはなっていなかったかもしれないんだ、と。もちろん、それが単なる言いがかりである事くらいは自分だって分かってる。
………
……もし、あの人が、わたしがこんな事を考えていることを知ったなら、どんな反応を見せるのだろう?
侮蔑の表情を浮かべるか?
いや。
多分、おかしそうに笑って、「なにそれ?」とか優しい口調で言うのだろう。言葉に少しの毒も含ませずに。わたしは多分、だからこそ、あの人にイライラする。……一体どうやったなら、自然にそんな反応をする事ができるようになるのだろう?
その人は学校の近所に住んでいて、アパートの管理人だ。同時に、小学生向け塾の先生でその塾の経営者でもある。本人は認めたがらないかもしれないけど、変わった塾でこの人自身も変わっている。
わたしはこの人が塾を始める前から、この人の事を知っていた。この人のアパートに住んでいる知人に紹介してもらったんだ。物知りで有名なおばさんが近所に住んでいる。そのおばさんが教えてる子供達の成績が、軒並み上がっているらしい。そんな噂を聞いて、わたしは挑戦がしてみたくなったのだ。あまりに、その知人が「凄い、凄い」と繰り返すのが気に障ったというのもあったかもしれない。……わたしは、負けず嫌いなんだ。つい対抗心を燃やしてしまった。そして、その時にこの人が作った数学のテストを受けて、わたしは大きな屈辱を味わった。普通の問題は難なく解答する事ができた。でも、この人のテストには、普通では出ないような、この勉強がなんの役に立つか答えよ、というような問題が一つあって、それにわたしは答える事ができなかったのだった。わたしは、こんなのは数学の問題じゃないと反論したのだけど、簡単に論破されてしまった。
その人はわたしの反論に対して、こんな感じの説明をした。
その学問がどう役に立っているのか、どう役立たせられるのかを考える事は、テストに問題として出てもおかしくないくらいに価値がある事だ、と。
確かにそうだ。
それに価値がないのだとしたら、それこそ勉強なんて何の為にしているのか分からない。認めざるを得なかった。
それで、わたしはこの人に負けてしまったのだ。少なくとも、わたしはそう思った。悔しかった。もう二度と来るものか、と思ったのだけど、何故かわたしは再び、この人の家を訪ねてしまった。今度は、知人の紹介なんかではなく、たった一人で。
ドアを開けたその人は、少し驚いた表情を見せはしたけど、それから優しくわたしを迎え入れてくれた。
自分がこの人の家を再び訪ねた理由を、わたしはずっと仕返しをしてやりたかったからだと思っていた。傷つけられたプライドを取り戻すつもりでいるんだ、と。何をどうすればいいのかなんて、もちろん、分かっていなかったけど。でも、今にして思えば本当にそうだったのかどうかは分からない。何をやっても独り相撲になるのをわたしは分かっていたようにも思う。この人には、勝ち負けなんて基準はそもそもないのを知っていたから。勝ち負けの基準がない相手を負かす事は不可能だ。それに、これを認めるのは、なんだかとても悔しいのだけど、わたしはこの人の事が、多分、好きだから。
……そんなわたしの複雑な思いを知ってか知らずか、いや、恐らくは知っているのだろうけど、この人はわたしにこんな話を語った事がある。
――テストステロン。
そういう名前の脳内ホルモンがあるらしい。このホルモンは、長い間攻撃性を促すホルモンだとされていて、今でもその考えは根強く残っている。しかし、最近の研究では、どうもそんなに単純なものでない事が分かってきているのだという。
「このホルモンはね、どうも、攻撃性それ自体よりも、むしろ、社会の中での優劣に対する欲望を促すらしいのよ」
つまり、誰かに勝つと快感を感じるし、反対に負けるとストレスを感じる。このテストステロンというホルモンは、そういう情動を生み出す役割を担っている可能性がある、とそんな話らしかった。その証拠に、攻撃性なんかほとんど発現していなくても、このホルモンの分泌量が上がっているケースがあるのだそうだ。
なんで、こんな話をするのだろう?
この人は、話題の理由を言わずにいきなり話し始める癖がある。その時もそれで、わたしは少し不思議な心持ちでいた。
「このホルモンはね、女性よりも男性の方が分泌量が圧倒的に多い。社会性のある動物で、順位付け行動を執るものが多くあるでしょう? オス同士の喧嘩とかが、イメージし易いかしら。それで、支配被支配体制が固まって社会が安定をする。もちろん、小さな社会でなけりゃ意味のない行動だけど。大きな社会でこんな事をやったら、却って悪影響をもたらすわ。でも、人間はそれをしてしまう。まぁ、本能なのよね。仕方がないわ。ただ、生得的に女性の方が分泌量が少ないと言っても、それには個人差がある。女性でも、テストステロンの分泌量が高い人はいる……
そしてね、多分だけど、このホルモンの分泌は、社会の側からも促しているのだと私は思ってるのよ。テストステロンを分泌している動物の行動の一つに、余所者を排除しようとする、というのがあるの。専制的な体制では“いじめ”が発生し易いって知ってた? 専制的な体制っていうのは、もちろん支配被支配の順位付けがある社会ね。先輩後輩の支配関係が強い人間関係とかって、いじめとかイメージし易いでしょう? まぁ、学校ならそういうのじゃなくても、テストの得点で順位を競わせるっていう体制は、既に順位付けの行動を促しているのでしょうけどね。
ま、そんな感じで、社会の方が順位付けを促進するような体制になっていると、それに従っている動物のテストステロン分泌量が多くなるのかもしれないのよ。だから、もし、いじめ問題だとかを解決したいのなら、そういった事も考える必要があるって結論が得られるわ」
………そこまでを聴けば流石に、この人がこんな話をし始めた意図がわたしにも分かった。
わたしが、テストの点数をとても気にする性質で、この人は、テストの点数を重要視し過ぎる体制が嫌いだからだ。暗にわたしを説得するつもりでいるのだろう。テストの点数なんてそんなに気にするな。そんなものを求めるのは、単なる化学物質の作用に過ぎないのだから。恐らく、そんな事が言いたいのだろう。……でも、本当にそれだけなのかどうかは、分からないけど。
これを聞かされた時、わたしは機嫌が悪くなった(実を言ってしまうと、いつもの事なのだけど)。直接咎められている訳でもないから、反発をするのはおかしい。それに反論できる程の知識も持っていないから、何も言い返す事ができない。かと言って、それをわたしが素直に受け止められるのかというと、それほどわたしは人間ができていない。だから、結局はムスッとするしかない。だけど、例えそんなでも、この人の言葉は、わたしにとって大体は無意味では終わらない。この人の言葉は、いつも後になってから効いてくるんだ。
わたしは、この人に会うまでは、勉強なんてテストでいい点数を取る為の手段に過ぎないと考えていた。いい点数を取って、みんなよりも上になる。それだけに価値があるのだと思っていた。でも、ある日、無意識の内、いつの間にかに自分がそんな事を考えていないことに気が付いた。いや、もちろん、いい点を取りたいという思いは、相変わらずにわたしの中にあった。他人よりも上になりたいという思いは。でも、勉強をするわたしの意識の中には、それ以外のものも芽生えていて、以前は、テストに出るかどうかばかり気にして緊張して勉強をしていた自分が、自然と微笑むようになっていたのだった。「面白い」。時には、そんな言葉を呟く事もあった。そう。つまりわたしは、勉強を楽しむようになっていたのである。
テストの問題に正答を出す事ばかりを気にして勉強をしていた頃は、それぞれの科目の関連なんて考えた事もなかった。それはわたしにとって、独立したバラバラのものだったのだ。だって、テストが違う。問題に出ない。出なければ、点数には関係しない。関係しなければ、それら各科目の関連はわたしには無意味のはずだ。
でも。
例えば、数学の概念が物理に影響を与えて、物理は化学に影響を与えて、化学は生物学に影響を与えて、そういった科学の進歩は経済や技術や考え方を通して直接・間接的に社会に影響を与えて、それらの作用によって現れるダイナミックな歴史は、ルネサンスや明治維新や世界大戦やらと変動していた。
学問は、教科書や成績表といったカリキュラムに閉じ込められた、狭ッ苦しいものじゃなかったんだ。その事が勉強をしながら実感できるのは、わたしにとって快感になっていた。それは同時に、学問が現実社会に関わる実用的なものである事も指し示していた。そして、極些細な事柄でしかなくても、そういった関連を自分で見つけられた時、わたしは少なからず興奮した。
もちろん、そういった学問と学問のダイナミックな関連をわたしに教えてくれたのは、あの人だった。色々な事を教えてくれたけど、わたしが特に覚えているのは“確率”の事だ。あの人は「“確率”の概念は面白いわよ」、とわたしに言った。わたしはその時、「面白さなんて、人によって違うじゃない」とそう反論した。わたしは確率がどうも苦手だったから。
分からないという不安定な状態を怖れ、避けようとする人は、決定論的に物事を捉えたがる傾向がある。だから、確率の概念を嫌うのかもしれない。などという話を、わたしはこの人の持っている本で読んだばかりだったので、やっぱり少しムスッとしていた。否定しきれないから、なおさら。
わたしは怖がりなのかもしれない。
この人はわたしのその反応を受けると、いつも通りに優しく笑った。
「あははは。そーいう事じゃないわよ。なんというか、興味深いとかそんな意味。
確率・統計という概念が登場しなければ、熱力学… 18世紀の化学はそれほど発展していなかったのかもしれないのよ。例えば、ボイル・シャルルの法則とかは、現れなかったのかもしれない。それらのベースとなるのが、確率・統計の概念だからね。
因みに、この時代の確率の概念は、実在はしない全くの道具的なものだと考えられていたの。情報量の不足、及びに計算能力の限界から確率は現れるもので、幻だって考え方が主流だったのね。でも、時代が流れて量子力学が登場をすると、それが変わった。具体的な説明は割愛するけど、電子とかいった素粒子は、場所や速度を決定的なものとして捉えることができない。だから、確率的に捉えるしかないのね。そこで、確率が実在するものと考えられるようになった…… と言っても、まだまだ議論は絶えなくて、色々と言われているみたいなのだけど」
………。
言われた通りの内容を、言われた通りに勉強して、望まれた通りの点数を取る。それしか頭になかったわたしにとって、この人の教えてくれるこういう内容は、軽くカルチャーショックだった。
学校で教えられる学問の姿と、この人が教えくれる学問の姿。同じものを観ているはずなのに、二つは全く違っていた。どちらの姿が歪なのかは明らかだった。実が抜けて、本当に大事な部分は飛ばされて、ただの競争の手段になってしまっている学校の勉強が、本来のあるべき姿であるはずはなかった。そんな事は、考えるまでもない。
でも、それでも…… 学問の本当の姿とその面白さに気付き始めていても、わたしはテストの点数と、その点数で他人よりも上位になる事に執着していた。自分でも不思議だったけど、その執着はなくならなかった。それを否定するつもりすらなかった。それは、わたしの中に根付いてしまった強固な価値観になってしまっていたのだ。
エゴ。
そう言ってしまうのなら、それはただ単にそれだけの事なのかもしれない。わたしはエゴイズムが強い。あの人が暗に示したように、女性にしてはテストステロンの分泌量が多いのかもしれない。けど。
けど、も。
――さと様。
その話題が出た時、わたしは思わず反応をしてしまった。それは、小学生の間で囁かれてる怪談で、さとという来歴不明(と思われている)で祀られている日本人形を妖怪視した時の呼び名だ。と言っても、子供達の間で別々に噂されているので、同一のものを指し示してはいないのだけど。
その名をわたしは久しぶりに聞いた。わたしだって、数年前までは小学生だったから当然その名前を知っている。さと様は、わたしの世代でだって噂になってた。あの人の塾を手伝っている時に、わたしは小学生達がそれを噂しているのを聞いたんだ。
その時、わたしは嫌な思い出を連想していた。小学生の頃、わたしはみんなの中で浮いていた。理由は分かってる。どういうキッカケだったのかは忘れたけど、わたしは同級生の子達とはあまり遊ばず、上級生の中に混ざって遊んでいたんだ。これは、タイミングの問題なのだと思うけど、上級生の中に混ざり始めてしまうと、学校が終わってから同級生達とは遊ぶ機会が失われてしまう。すると、自然に溝ができる。そうしてできてしまった溝は案外厄介なもので、なかなか埋まらなかった。
いや。
本当を言えば、それはそれほど厄介なものでもなかったのかもしれない。埋めようと思えば簡単に埋まる程度のものだったのかもしれない。その溝が埋まらなかったのは、多分、わたしが埋めなかったからなんだ。
わたしは、自分から同級生達を拒絶していた。実を言うと、見下していた。いや、見下そうとしていた。わたしはこう思っていたんだ。わたしは仲間外れじゃない。上級生と遊んでいるわたしが、同級生の子達となんか一緒に遊べるはずがない。馬鹿馬鹿しいから。だからわたしは一人でいる。それだけ。
そう。
本当に見下されていたのはわたし。それが嫌で、反対に同級生達を見下そうとがんばっていた。……いや、それも違うか。わたしが勝手に見下されていると感じていただけ。中には本当に見下している子もいたかもしれないけど、そんなに強いものじゃないと思う。いずれにしろ、本当に馬鹿なのは自分だ。それが分からない小さな頃のわたしは、意固地になって孤立していた。同級生の何気ない声かけに対して過剰に反応したり、とか。怖がっていたんだ。――同情は嫌だった。わたしは可哀相なんかじゃない。わたしは、見下されてなんかいない。
……子供は、実は残酷な生き物だ。感情の発達が未熟だから、簡単に他人を傷つける。それで、いじめが起こり易い。わたしのクラスもその大概に漏れずいじめがあった。わたしには上級生との繋がりがあったからだろうか、いじめられてはいなかったけど。いじめの対象になっている子は、別に悪い子じゃなかった。少し地味だったけど、それだけだ。特にその子がいじめられる理由なんてなさそうだった。これも、ただのキッカケなのかもしれない。スケープゴード仮説。タイミングが違えば、別の子が集団の憤懣のはけ口となって、いじめられていたのかもしれない。
その子はわたしの事を、少なからず意識していたように思う。話しかけたがっていそうな素振りをよく見せていた。でも、わたしはそれを冷たく拒絶した。わたしはお前と同じなんかじゃない。仲間を欲しがるな。そう感じていたのは言うまでもない。でも、本当は、わたしは自分が彼女と同じである事を知っていた……。
その頃のわたしは、常に劣等感と共にあった。それを常に怖れていた。だから、同級生達ともうまくやれなかったんだ。上級生の中にいれば、わたしは劣った存在だった。歳が上だから当たり前なのだけど、理屈は感情にそんなにうまくは機能してくれない。歳が上の遊び仲間に囲まれて、わたしは無力感にいつもさらされていた。わたしは何にもできない自分を、駄目な存在だと感じていた。
わたしは駄目な自分と、いじめられている彼女を重ねていた。
わたしは彼女だ。でも、それを認めたくはなかった。だから、足掻いた。勉強を一生懸命にやり始めたのは、その頃だったようにも思う。まだ習っていないから知らなくて当然なのに、勉強の事で上級生の遊び友達から無知を馬鹿にされた事があったのも関係しているかもしれない。その劣等感が化けて、上級生と一緒にいる自分が他の子に勉強で負けられない、という強迫観念のようなものに変わってしまったのだ。
不安。
小学校の高学年に進むと、わたしの上級生の遊び仲間達は中学生になっていた。
さと様。
この噂話も、彼らが小学生だった頃は真剣になってしていたけど、その頃になると流石にそれがただの子供の作り話である事に気が付き始める。すると、彼らはその話題自体を馬鹿にするようになって、当然、わたしもそれに倣うようになった。それで、同級生たちの間から聞えてくるさと様の噂話を、わたしは馬鹿にしていた。どう考えても、そんなのが本当でありっこないのに信じ込んでる。馬鹿馬鹿しい、と。
……その思い出が残っていたからだろうか、わたしは、あの人が子供達に自分達の“さと様の怪談”も大切にしなさい、と語った時、反感を感じた。その後で、文化相対主義や人間の集団でも起こる自己組織化現象、創発、集団的知性というものがある事、そして自然発生する怪談もその一種だと聞いて、一応は納得をしたのだけど、わたしの中の嫌な感じは何故か消えなかった。
あの人が語ってくれた、本当の、さと様の物語は嫌な話だった。権力者の隠し子こそが、さと様の正体で、権力構造の変化でさと様が殺される、という内容。殺された後も、信仰だけは残ってさと様の人形が祀られる事になったらしい。そして、それを聞き終わった後、わたしはもっと他の記憶も思い出したのだった。
泣いていた。
いや、泣いてはいなかったかもしれない。わたしがそれを記憶の中で泣いている姿に変えてしまっただけなのかも。あの子だ。あのクラスの皆から、いじめられていた子。ある日、さと様が祀られてある祠の前を、わたしは偶々通りかかった。その時に、あの子はその祠の前にいた。
途方に暮れた様子。
何をしているのかと思ったけど、どうやら隠れんぼの鬼をやらされているらしかった。そして、そう思い至った瞬間に思い出した。いつも、この子と遊んでいる連中、つまり、この子をいじめている連中とさっき自分がすれ違った事を。
多分、騙されてるんだ。
わたしはそう察した。この子を隠れんぼの鬼にしておいて、隠れたと見せかけて自分達は帰ってしまう。当然、鬼が幾ら探しても、誰も見つかるはずがない。探しても探しても誰も出てこない、けど帰ってしまっていいかどうかも分からない。だから、結局、あの子は途方に暮れるしかない。つまりは、そういう“いじめ”なのだろう。
くだらない。
なんで、こんなくだらない事を思い付くのだろう? そんな事をしてる自分達が、恥ずかしくないのだろうか?
わたしは、怒りを覚えた。
さと様の祠の前というのが、また嫌らしかった。この子は、多分さと様の怖い噂話を信じている。それを知っている連中が、彼女を怖がらせる為に、この場所を選んだだろう事は容易に想像がついた。
わたしはその時、彼女に他のみんながもう帰ってしまった事を伝えようかと悩んだ。本当の事を教えてあげて、それで連中の悪口でも言ってやれば気分がいい。でも、結局、わたしはそれを言いはしなかった。
さと様の噂話なんか信じているから、悪いんだ。
何故か、全く関係のないそんな事を思って、言い訳をして、彼女を見捨てて行ってしまったのを覚えてる。
本当は分かっていた。わたしは、あの子を助けて、自分があの子の仲間だと思われるのが怖かったんだ。あの子と同じになるのが。劣った存在になるのが。だけど、それは違った。むしろ、そこで彼女に声をかけられなかったからこそ、わたしは劣った存在になってしまったんだ。
嫌な話。
嫌な話だ。
でも、これはもう変えられない話なんだ。わたしの中で、あの子は永遠にさと様の祠の前で泣き続けている…
あの子?
いや、本当に泣いているのは…
さと様の物語で、世の中の犠牲になって殺されてしまうさとという女の子と、いじめられていた彼女の印象は、わたしの中で簡単に重なった。その所為なのか、わたしはハッピーエンドが欲しくなって珍しくあの人にワガママを言った。
「ハッピーエンドにしましょうよ」
「さと様は、殺される前に少年に助け出されるのよ。そして、少年と共に逃げる」
あの人にそれを認めてもらえれば、わたしはそれが信じられるような気がしたんだ。事実、少し微妙な表情でだけど、「そうね。そんな終わりもいいかもしれない」と、あの人がそう言ってくれた時、わたしは気分がちょっとだけ楽になった。
でも。
(泣いている)
それはその一時だけだった。あの人の家から帰る道筋で、わたしは再び彼女の事を思い出していた。祠の前で、泣き続けているあの子の事を。駄目だ。こんな事じゃ、わたしの中の彼女は泣き止まない。
泣き止まない。
泣いている。
(ちくしょう)
――自己組織化現象。
集団の中の各要素が、全体を理解していなくても(理屈を分かっていなくても)、あるルールに従って行動しさえすれば、自然と自己組織化現象が起こって、集団にある種の構成のようなモノが発生する。
そういった現象を、自己組織化現象と呼ぶ。
もちろん、自己組織化現象が悪く作用する場合もあるらしいけど、この現象を巧く人間社会に応用できれば、たくさんの問題が解決できるかもしれない。
あの人は、わたしにそんなような事を語った。どこまで可能性のある発想なのかは分からない。でも、分からないこそ面白い。これに期待してみるのもいいかもしれない。因みに、これはまだ概念化されてから間もないモノだけど、人間はこの概念がつくられる以前から、自己組織化現象を応用してきたらしい。そして、それは成功を収めてきた。有名なのが、資本主義の市場原理。その他にも民主主義のシステムだとか。
いつも通り、これはあの人から聞いた話だ。わたしが求めると、あの人は自己組織化現象について色々と教えてくれた。
社会は集団→個人、個人→集団、という相互影響によって成り立っている。それを踏まえた上で、社会システムを考えてみるとする。
民主主義のシステムでは選挙制度があるから、世の中に負荷がかかると、住民が他の政治家を選んで、その負荷が取り除かれる。これは、個人→集団の影響を強くしているという事らしい。個人→集団の影響によって、集団が形作る社会は少し壊され、新しく形成し直される。それによって微調整が行われる訳だ。これが社会主義になると、選挙制度が存在をしないから、この微調整ができない。集団→個人という影響しかなく、個人→集団という影響は遮断されている。すると、負荷はどんどんと蓄積をされ、遂には革命が起こる事になる。
整理をすると、こういう事だ、
小さな変革をたくさん起こし続けて、自己を変異、再構築しているのが、民主主義というシステム。それに対して、社会主義のシステムでは、個人→集団の影響が断ち切られてしまっている為、それが行えず、一度に大きな変革が起こる。
もちろん、民主主義にも欠点がない訳じゃない。個人があまりに政治に無関心であれば、社会主義と同じ様な状態になるし、その個人の判断に誤りがある場合だってある。でも、こう分析してみると、少なくとも微調整を繰り返す事が可能な民主主義の方が、システムとして安定している事が分かる。
社会制度の見方が、社会科の授業で習うようなものとは根本的から違っていて面白いとわたしは思った。この話を聴いた時、わたしが「理系なのか、文系なのか分からない」と、そう疑問を口にするとあの人は、
「文系と理系の境界線なんか、本当はないのよ」
と言って、微笑んだ。
「だから、そんなモノに囚われる必要はないの。もっと自由に学んでみなさい。自己組織化現象を扱う、複雑系科学という分野ではそれが特に重要よ」
その言葉で、わたしはますます興味を覚えた。それで、あの人から教えてもらうだけじゃなく、自分でも本を図書館から借りてそれを調べてみるようになったのだ。すると、色々と面白い話がたくさん見つかった。
例えば、アリが餌までの一番近いルートを発見する方法。
たくさんのアリを一度に放して、それぞれが勝手に様々なルートで餌までいく。帰ってきたアリ達の中で、一番短い距離を歩いてきたアリのルートを辿れば、それが目的地までの最短ルートとなる。
これは集団的知性の単純な例の一つと言えるらしい。一匹では、最短のルートを導き出す事などできない。でも、それが集団になれば、こんな感じで簡単にルートを導き出す事が可能になってくるのだ。つまり、比較的単純な要素でも、集団になればそこに知性が創発される、という事らしい。もっと先まで考えて、アリがこんな手段を獲得するモデルも、遺伝アルゴリズムという考え方で提示されているようだ。
生物が遺伝子を残すのと似たような仕組み(遺伝子がある程度変異し、後の種に受け継がれる)を、プログラム言語で表現する。そして、この例で言えば、餌までの最短距離を見つけられた種が生き残りに有利、という環境設定をしておいてプログラムを走らせると、何十世代か後には効率良く餌までの最短ルートを発見できる種が誕生している、といった感じ……。
もっとも面白いとは思っていても、今のわたしには、この発想をどう活かせば、あの人が言うように、世の中を良くする為に応用できるのかは、いまいちピンとこない。だけど、だからこそ勉強する意味があるのかもしれない、とは思ってる。
もっともっと勉強して、そうすれば、もしかしたら、わたしにだって、光が見えてくるかもしれない。
……光が見えてくる?
なんだ、それは?
そこまでを考えた時、わたしは自分が無意識の内にこんな思考していた事に驚いてしまった。自分が一体、どんな意図を持って考えているのかが分からなかったのだ。わたしは、一体何をしたがっているのだろう?
それに、自己組織化現象の勉強は、テストの点数とは全く関係がなかった。なのに、わたしはそれを一生懸命にやっていて、しかも、無駄だとは全く思ってない。
――なんでだろう?
しばらく迷っていると、自分の中にこんな言葉が自然と浮かんできた。
“わたしは、あの子を助け出したいんだ”
(あの子)
――でも、それでも、わたしには分からなかった。
“あの子”って誰だろう?
(さと様の物語)
少年は再び、大農家の庭に忍び込んだ。もちろん、
さと、
あの娘の事を助ける為だ。
何度も忍び込んでいる庭だから、さとが囚われている土蔵までは簡単に辿り着く事ができた。しかし、土蔵には見張りがいた。恐らく、昨晩に自分が忍び込んで見つかった所為で、警戒が厳重になっているのだろう。少年は手にヤスリとノコギリを持っている。戸を破るのに必要かと思って持って来たものだ。それを見ながら彼は考えた。……これで、あの見張りをやっつけてしまおうか?
――さと様の物語の続き。
それをわたしが書きたくなったのは、多分その時だったのじゃないかと思う。それが何になるのかとか、それにどんな意味があるのかとか、そんなことは関係なかった。無意味でも馬鹿げたことでも、わたしはそれがしたくなったのだ。
あの人が語ってくれたさと様の物語。その物語に出てきた少年に、どうしても、さとという名の不幸な少女を救ってもらわなくてはならない。
わたしにはそれが必要だった。
想像だけでは駄目な気がした。しっかりと物語を綴らなくては。多分、これはわたしの中のフォークロアにしなくちゃ駄目なんだ。わたしの中に、色濃く刻印しなくては。
(さと様の物語)
悩んだ末、少年は見張りを倒すという自分の考えを却下した。見張りの様子が、明らかにやる気のなさそうなものだったからだ。多分、上から命令されて無理矢理に見張りをやらされているのだろう。このまま我慢して隠れていれば、いつかは必ず油断ができる。そう判断した少年はじっと藪の中に身を潜め続けた。
そろそろ皆が寝静まる頃になると、案の定、好機が訪れた。見張りが居眠りを始めたのだ。しかも、誰かが来るなどと全く思っていないのか、安心して眠っている。それはそうかもしれない。中にいるのは、今や何の価値もなくなったただの少女なのだ。そんな少女を救い出そうとする人間がいるなんて、普通は思わないだろう。これなら大丈夫だろうと判断した少年は、そっと藪の中から這い出た。
土蔵の戸は、簡単な錠がかかっているだけだった。木で繋がっている部分を切ってしまえば、それだけで簡単に外れそうだ。持って来たノコギリで少年が切ると、やはりそれは簡単に外れた。
わずかな物音だったが、気付かれるかもしれない、と少年は見張りに目をやった。しかし、相変わらずに見張りは眠っていた。ただし、代わりに土蔵の中から声がした。
「誰?」
少女の声。
さとが、物音に気が付いたのだ。
少年は小声で応えた。
「僕だ。迎えに来たよ」
少女は返す。
「どうして、来たの?」
どうして?
――どうして
そこまでを書いたところで、わたしの手は止まってしまった。誰に見せる為のものでもない。大した長さでもない。詰まるような内容でもない。なのに、わたしは、それ以上を書き続ける事ができなくなってしまったのだ。
疑問だったから。
どうしてわたしは、少女に「どうして、来たの?」などと問い掛けさせたのだろう? 少年が少女を助けるのは当たり前で、質問など無意味じゃないのか?
そんな疑問は無視して、物語を書き続けてしまおうかとも思った。しかし、この疑問を無視したままでは、わたしがこれを書き続ける意味などないような気がした。
仕方なくわたしは、それから目を瞑った。
(……イメージをする)
目の前には、土蔵の木戸。
中は全く見えない。どうなっているのか、想像する事すらわたしにはできない。この先は、異世界であるような気がした。その異世界の中から声がする。
「どうして、来たの?」
どうして。
どうして、だろう?
この少女はさとだ。さとだけど、わたしの中ではそれは子供達の怪談に出てくる、妖怪のさと様でもあった。分からない存在。それは、多分、彼女がそういった存在だから。そういえば、以前にあの人は、妖怪は、異文化と異文化の葛藤の中から生まれる事もあるのだと教えてくれた。
分からないモノが未知を生み、未知の恐怖と面白さが、様々な影響となって文化に現れる。
――そしてさと様もその一つ。
異文化的な存在。
分からない存在。
そこで、わたしは思い至った。
それは……
それは、わたしじゃないか。
上級生と同級生の間にあるわずかな文化差。その差によって生まれた人格。それが、わたし。同級生と接触を持とうとしなかったわたしは、彼女らにとって分からない存在だったに違いない。だから、わたしは妖怪だったんだ。この子と同じ様に。
もう一度、木戸の向こうのさとが言う。
「どうして、来たの?」
わたしは戸を開けた。この戸は、文化差なのかもしれない。いや、他の子と自分との間に勝手にわたしが作ってしまった境界線だ。これを開けることができなくちゃ、わたしにあの子を助ける事などできるはずがない。
戸を開けると、その先は土蔵じゃなかった。そこに拡がる風景は、随分昔からわたしが見慣れているもの。祠。さと様の祠があるあの場所。祠の前では、少女が泣いていた。“あの子”だ。わたしはそう思う。
「どうして、来たの?」
あの子が言った。
あの子はさと様でもあったけど、同時にあのいじめられたいた子でもあった。祠の前で泣き続けている、あの子。
「あなたを助ける為よ」
わたしは、そう答える。
「わたしを助ける?」
少女はそう返してくる。
「傲慢よ、その考え。わたしを見下している。自分が上だってのが、前提になっているじゃない!」
瞬間、わたしに違和感が生じた。
いじめられていたあの子なら、絶対にこんな事は言ってはこないだろう。この子は、あの子じゃない。では、ここにいるこの少女の正体は、一体誰なのだろう?
剣のある口の利き方。我を張る事を中心にした物事の捉え方には覚えがあった。わたしは彼女の言葉にクスリと微笑む。ちょうど、あの人がわたしに対してやるように。少しの毒も含ませずに。
それから、
「違うわ」
わたしは言った。
「あなたは、わたしだもの。
わたしは、わたしを助け出したいの。ただそれだけの話。見下すも見下されるも、ないわ」
そう。あの祠の前で、ずっと泣き続けていたのは、他の誰でもない。わたし自身だったんだ。
………わたしは、ずっと、わたしを救い出したかった。
わたしが手を差し伸べると、泣いていた少女は顔を上げた。この少女は、さと様でもあったし、いじめられいた子でもあったし、わたし自身でもあった。
「さぁ 行こう」
わたしは言う。
「光は、あるんだから。こんな嫌な現実を、打ち破れる光は、必ず」
少女は、わたしの言葉にコクリと頷いた。差し伸べられたわたしの手を取る。ちょっと涙目だったけど。そして、それからわたし達は、ゆっくりと歩き始めた。この先に向かって、ゆっくりと。
(ノック)
……珍しくあの人が変な顔をした。多分、珍しくわたしが、上機嫌な顔をしていたからだろう。
ちょっと訝しげな様子を見せてはいたけど、わたしが「この前にした、理系と文系の境界線なんてないって話を、もうちょっと詳しく聴きたいのだけど」と、言うと、彼女はいつもの調子を取り戻して語り始めた。
「理系文系って分け方はね、実は近年になって定着したものなのよ。それ以前に、そんな区別はなかった。全部、同じように学問だったのね。例えば、ガリレオは対話式の“読み物としても面白い論文”を書いている。数学なんて、もし無理矢理に当時の基準で分けるとしたら、文系に属するそうよ。哲学って、今では人文科学になってるけど、その哲学での論議は、実は論理学に則っていたりする。因みに、論理学は数学の基礎。こう考えると、数学が文系って聞いても、別に違和感は感じないでしょう?」
「ふーん」
わたしは声を出して、自分がそれに興味を抱いた事を示すと、続けて質問をした。
「じゃ、どうして、それが色々と分かれていった訳?」
「具体的な原因は私も知らないわ。でも、専門性に特化する事で研究が進むって要因と、企業なんかで使用されるような実用的な技術が、理系として別扱いされるようになっていったって要因は大きいかもしれないわね。
まぁ、どちらにしろ、この分化はね、社会が求めた結果起こったものなの。これも自己組織化現象の一つなのかもしれない。でもね、もちろん、問題点が全くないって訳じゃないのよ。これに」
わたしはちょっと考えると尋ねた。
「もしかして、人間の視野が狭くなるとか、そういう事?」
彼女は、軽く頷くとこう返す。
「まぁ、そんな事ね。
それぞれで専門化していく事によって、様々な分野に溝ができちゃったのよ。それで、他の分野では把握されている事柄が、こっちの分野では把握されていない、なんて事が起こるようになっちゃったの。もちろん、それは発展の障害になるわ。様々な分野がスムーズに連携できれば解決できる問題もたくさんあるかもしれないのに……」
「それで、その最たる例が、文系と理系の差だってこと?」
それを受けると、彼女は少し考えからこう言った。
「科学者が、現代の魔法使いになってしまっているって話、聞いた事ある?」
わたしは首を横に振る。
「知らない」
「合理性を考えないまま、ただ単純に科学という言葉を受け止めて、それで納得してしまっている人達にとって、科学は魔法と大差なく、科学者は魔法使いと大差ないのじゃないかって話ね。
昔。自分達にはない技術を持つ人間達を人は畏れ、神聖化したり逆に、怪しげなものとしたりしてきた。それは、その技術が隠されたものだったからこそ、正体不明になって畏怖の対象になったから。ところが、皮肉な事に、理論が公にされることが前提としてある科学でも、これが起こってしまった。
もちろん、分野と分野の間に発生してしまった溝によって。もしも、このまま科学が人々にとって完全に魔法になってしまったら、科学が悪用されるような事になっても、誰もそれを止められなくなってしまうかもしれない。騙されている事が見抜けなくなるから。これは、大きな問題の一つなのよ」
「なるほどね…」
わたしがなるほどと言ったのは、この人が以前から、どうも理系と文系という分け方に反感を持っている節があるからだった。多分、裏にはこんな考えがあったんだろう、とそれを聞いて納得したんだ。
「前に、自己組織化現象を扱う複雑系科学の分野では、特に理系文系の境界を越える必要がある、みたいな事を言っていたけど、それはどうして?」
「そんな事、覚えていたの?
それはね、ズバリ複雑系科学が、多方面に広く関係する分野だからよ。それこそ、文化の多様性がどうして生まれるのか、なんて事柄も研究対象になっている。だからなのかもしれないけど、文系や理系に拘らず幅広い分野に興味のある人が多いのよ、これの研究者は……」
それを言い終わって一呼吸の間、彼女は思いついたように更に繋げた。
「……今の世界の現状はね、様々な文化が通じ合って協力し合う必要に迫られている。それじゃなきゃ、戦争や、環境や、貧困等の様々な問題は解決できない。
だから、世界を結び付ける必要がある。そして、軋轢を多数生みながらではあるけど、その方向に向かっているようにも見える。
だけど、その一方で文化の多様性が奪われるといった事も起こっているの。各文化の差が、どんどんとなくなっている。前にも言ったけど、それぞれの人々が長い時をかけて培ってきた集団的知性と呼ぶべき文化に、どれだけの価値があるのかは分からない。その文化の中には、もしかしたら、自然との共存の為の知恵が隠されているかもしれない。多様性のあるシステムは生き残りにも有利。文化に多様性がある事で社会全体が偏った考えに陥る事を防いでくれもする。そういった様々な観点からも、文化の多様性が失われる事は防がなくてはならないわ。
つまり、私達はね。今、多様性の保持と、世界を一体にする事を同時に行わなければいけない、という課題を突きつけられているのよ。
これはね、科学の溝を埋めるって事とも関係してくる話よ。溝がなくなれば、社会の一体化が可能になる。だけど、そうすると専門性に特化する事の利点が失われてしまう。各分野の溝を埋め、尚且つ、その差の利点も残す。今の社会には、それが必要で、だからそういった役割を担う人間が必要だわ。
大衆メディア。人文科学の領域に、これは期待するべきかもしれない。良くも悪くも、人々に浸透し易く、大きな力を持っているし、そもそも、自然科学も、社会科学も本質的には人文科学である事は避けられないのだから。その観点が、そういった役割には重要だわ。客観的思考には限界があると自覚する事に、それは繋がるから。
つまり、これから先の未来がどうなるのか。どんな立場にいる人間にも、その責任があるって事ね」
そこまでを語り終えると、彼女は黙った。いつも大体は穏やかそうにしているのに、こういう話の後は、少し切なそうな様子を見せる。多分、彼女はこういう時、泣いているのだろうと思う。
それから彼女は、窓の外に目をやった。その先には小学校の校庭が見える。今は、誰もいない校庭が。
……世の中には、数多くの深刻な問題がゴロゴロとしている。そして、にも拘らず、ほとんどの人がそれを無視している。いや、無視しないまでも、それをなんとなく感情で問題だ、とするだけで終わらせてしまって、その後に繋げたりはしない。でも、それじゃ駄目なんだ。本当は、もっと真剣に考えて、そして実際に行動しなくちゃ。
不意に、外を子供が通った。元気な声を上げている。
うん。
助けなくちゃいけない、な。
わたしはそれを見てそう思う。わたしの中の泣いている子供は、実を言うと、世の中にたくさん実在しているんだ。わたしは、自分を助ける為にその子達の事を助けなくちゃいけない。
本能に従って自分が行動してしまうのは仕方がない。劣等感を感じて、つい優越に拘ってしまったり、孤独を恐れたり。聖者になんかなれないもの。でも、自分の行動をなんとかするのに、全く手段がないって訳でもないはずなんだ。わたしは、ここ数日の葛藤でなんとくそれが分かった気がした。
あの人。
彼女のような人もいる。
もちろんわたしはこれからも、テストの点数に拘ってしまうだろう。他人との優劣にも。でも、勉強をそれだけのモノにしてしまうつもりはない。
大丈夫。歩いていける。
わたしは自分にそう言い聞かせた。
だって、わたしの中には、あの子がいるから。あの、いつも泣いている、子供のわたしが。




