↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄されて無能と笑われたので、冷酷公爵家の継子を溺愛して静かに暮らします。~いつの間にか旦那様に執着されているのですが?~  作者: kaka


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
1/1

第1話 婚約破棄、上等です

大広間の中央で、王太子が私を指差して叫んでいる。


「お前のような無能とは、今この場で婚約破棄する!」


――あ、それ、私が三年間ずっと言ってほしかった台詞です。


シャンデリアの光が眩しいほどに降り注ぐ夜会の会場で、私、アリシア・フォンティーヌは、その場に凍りついたように立ち尽くしていた。


……フリをしていた。


周囲の貴族たちが息を呑む音、扇の陰から漏れる囁き、憐れみと嘲りが入り混じった視線。すべてが私に突き刺さる。


だけど、心の中では小さくガッツポーズをしていた。


(やった。やっと終わった)


王太子――ジェラルド殿下の隣には、この断罪劇の主役であるもう一人の令嬢が、勝ち誇ったような顔で佇んでいる。


「殿下、あまりアリシア様を責めては……」


「いや、いいんだ。彼女には、はっきりと言ってやらねば分からない」


ジェラルドは芝居がかった仕草で私に向き直ると、声を張り上げた。


「お前は三年間、婚約者としての役目を何一つ果たさなかった。社交界での立ち回りも、私への献身も、すべてが無能の一言に尽きる。今日をもって、この婚約は破棄させてもらう!」


会場がどよめく。


私は俯いた。


俯いて――笑いを堪えた。


(役目を果たさなかった? 冗談じゃない。あなたのために社交界中を駆けずり回って、あなたの浮気の後始末を三回もして、あなたの評判を守るために自分の評判を犠牲にしてきたのは、いったい誰?)


だけど、それを口にするつもりはなかった。


なぜなら――ここで大人しく罵られておいた方が、圧倒的に得だから。


(このまま婚約破棄されれば、私はフォンティーヌ家のためという名目でこの人に尽くす義務から、完全に解放される)


「……仰る通りでございます、殿下」


私は静かに一礼した。


「至らぬ点、深くお詫び申し上げます」


その言葉に、ジェラルドは満足げに頷く。


「分かればいい。……ふん、これでようやく、真実の愛を貫くことができる」


彼が隣の令嬢の腰を抱き寄せた瞬間、周囲の重鎮たちの間に、何とも言えない微妙な空気が流れたのを、私は見逃さなかった。


(あら。……何か知らないけれど、この人たち、殿下に同情していないみたい)


その理由を深く考える余裕はなかった。今の私には、どうでもいいことだったから。


馬車に揺られながら、私は窓の外を流れる夜景をぼんやりと眺めていた。


隣に座る侍女のマーサが、心配そうに私の顔を覗き込んでくる。


「お嬢様……本当に、よろしかったのですか? あんな大勢の前で、あそこまで言われて」


「せいせいしたわ」


私は正直に答えた。


三年前、フォンティーヌ家の財政を立て直すために、私はジェラルド殿下との婚約を「受け入れさせられた」。家のためだと、笑顔の裏で本音を殺し続けてきた三年間。


感情を出せば「令嬢らしくない」と叱られ、意見を言えば「生意気だ」と疎まれ、いつしか私は「無能」を演じることを覚えた。


――何も感じていないふりをするのが、一番楽だったから。


だから今夜のことは、悲劇でも何でもない。


ようやく、自分の人生を取り戻せる日が来ただけのこと。


「これからは、静かに暮らすわ。誰にも期待されず、誰の期待にも応えなくていい場所で」


そう呟いた矢先だった。


屋敷に到着すると、家令が困惑した様子で私を出迎えた。


「お嬢様……夜分に、レイヴンズ公爵家より使者が」


レイヴンズ公爵家。


「氷の公爵」と呼ばれる、社交界にほとんど姿を見せない謎多き当主が治める家だ。


差し出された封書を開くと、そこには短く、こう記されていた。


『契約結婚を申し込みたい。条件はただひとつ――亡き妻の忘れ形見である娘を、母として愛してほしい』


「……娘、を」


その一文だけが、なぜか妙に胸に引っかかった。


政略結婚への警戒よりも先に、私の頭の中に浮かんだのは、会ったこともない小さな子どもの顔だった。


翌日の朝。


私はほとんど迷うことなく、その申し出を受けることにした。


理由は単純だ。フォンティーヌ家の窮状を救えて、なおかつ「令嬢らしさ」を求められない結婚生活。これ以上の条件はない。


――娘を愛してほしい、という条件さえ除けば。


(愛せなかったら、どうしましょう)


そんな一抹の不安を抱えたまま、私はレイヴンズ公爵邸へと向かう馬車に揺られていた。


窓の外に見えてきた邸宅は、噂に違わぬ威容だった。


白亜の外壁に、まるで氷の彫刻のような幾何学的な尖塔。庭園の緑さえどこか色を失って見えるほど、屋敷全体が張り詰めた静けさをまとっている。


(本当に、人が住んでいるのかしら)


門をくぐり、玄関に立った瞬間――


視界の端で、何かが動いた。


大きな柱の陰。淡い金色の髪が、ちらりと覗いている。


「……」


私が視線を向けると、その影はびくりと震えて、さらに柱の奥に隠れてしまった。


けれど、完全には隠れきれていない。小さな靴の先が、はみ出したままだった。


私は思わず、その場にしゃがみ込んだ。


令嬢としてはあるまじき行儀の悪さだが、今の私は、もう誰かに評価される立場ではない。


「こんにちは。あなたが、この家のお嬢さんかしら?」


できるだけ優しい声で問いかける。


長い沈黙のあと、柱の陰から、小さな顔がおずおずと覗いた。


透き通るような水色の瞳に、涙の膜が張っている。


「……お母様に、なりにきてくれたの……?」


震える声だった。


期待と、諦めが、同じくらいの重さで滲んでいる声。


その瞬間、私の中で、何かがことりと音を立てた。


「ええ。そのために来たのよ」


気づけば、私は両腕を広げていた。


「おいで。よろしくね、これからは、私があなたのお母様よ」


少女――後で「エマ」という名だと知ることになる彼女は、しばらく私の顔をじっと見つめていた。


そして次の瞬間、堰を切ったように、私の胸に飛び込んできた。


「うわああああああん……!」


小さな体を精一杯抱きしめながら、私は思う。


(この子のためなら、私はきっと、心から笑えるかもしれない)


政略結婚のはずだった。義務のはずだった。


けれど、腕の中で泣きじゃくる温かい重みが、その予定調和を静かに壊していく。


エマの背中をあやすようにさすっていた、そのときだった。


「――随分と早く懐かれたな」


背後から、低く冷たい声がした。


振り返ると、いつの間にか、氷のような瞳をした男がすぐ後ろに立っていた。


気配なんて、まったく感じなかったのに。


漆黒の髪、感情の読めない切れ長の目。噂に聞いていた通り、いや、噂以上に、彼の纏う空気は冷たかった。


「レイヴンズ公爵……」


エマを抱いたまま、私は立ち上がって一礼しようとする。


けれど彼は答えず、ただ長い指で、私の顎を軽く持ち上げた。


品定めするような、それでいてどこか熱を帯びた視線が、至近距離で私を射抜く。


「――君の婚約破棄の噂は、随分前から知っていた」


……前から?


この契約結婚の話が来たのは、昨夜のはずなのに。


「まさか……」


背筋を、冷たいものが伝う。


けれどそれは、恐怖だけではない――説明のつかない何かが混じっていた。


男の唇が、初めてわずかに弧を描いた。


「ようやく手に入った」


その一言だけを残して、公爵は――ヴィクター・レイヴンズは、私の顎から手を離し、静かに屋敷の奥へと歩き去っていった。


残された私は、腕の中のエマを抱きしめたまま、しばらくその場から動けずにいた。


(今の言葉は、どういう意味……?)


契約結婚のはずだった。


義務と割り切って、静かに暮らすはずだった。


――なのにどうして、私はこんなにも、心臓が早鐘を打っているのだろう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。