『イベント邪魔するな、このモブ!』と叫んだ自称ヒロインが勝手に自爆した件。眺めていただけの私が、なぜかメガネ兄令息とあざと弟令息に全力でロックオンされました
6/1 日間転生恋愛短編13位にランクイン!
たくさんの応援、本当にありがとうございます…!!
その日、ケイトがそこで足を止めたのは偶然だった。
(あれは……同じ学校の、シシィ?)
カフェの外壁に隠れて大通りをじっと睨みつけているのは、見知った少女だった。
同じ学校に通う子だが、特に仲が良いわけでもない。ケイトに言わせてみれば「隣のクラスのなんだか変な子」だ。
普段なら存在に気付いても関わらないようすぐ帰路に戻るところだが、今日のシシィはあまりにも『変』すぎて、ケイトの足は止まってしまった。
(あの子、一体何してるの?)
まるで獲物を監視するような鋭い視線で通りの馬車を見ている。誰かとの待ち合わせにしては様子がおかしすぎる。
なにより、少し離れた位置にいるケイトの鼻にもツンと届くほど、強烈なバラの香水をまとっていた。確かにシシィは花屋の娘だが、それだけでこんなにキツイ匂いになるものだろうか。
さらに、その香りをイメージしたのか、バラのようなピンクのひらひらしたドレス風ワンピースを着込んでいる。ただの平日に、一般庶民の学生が着るには違和感の塊しかなかった。
思わず立ち止まり、その背後から観察をしてしまうのも無理はなかった。
「あっ、出て来た!」
シシィの小さな歓声に、ケイトも釣られて視線を向ける。
くるくるした銀色の長い髪をなびかせながら、6歳ほどの美しい少女が宝飾品店から出てきたところだった。嬉しそうに頬を薔薇色に染めるその子は、愛らしくも上品なドレスをまとっており、どこからどう見てもケイトが一生関わることのないであろう本物のお貴族様だった。
なぜそのお貴族様をシシィは凝視しているのだろう。
尊いお貴族様をジロジロ見るのは、確か不敬罪とかいう罪になるのでは?
ケイトがそんなことを考えてハラハラしていると――突然、通りの向こうから激しい轟音、そして人々の悲鳴が聞こえてきた。
「――っ!? 危ない!!」
見れば、暴走した馬車が、歩道を歩いていた銀髪の少女に向かって猛スピードで突っ込んでいくところだった。
考えるより先に体が動いた。とっさにケイトは少女の元へ飛び込み、その小さな身体を抱きしめて地面を激しく転がった。
ドゴォン!!と街灯に角をぶつけ、暴走していた馬車がようやく動きを停止させる。
「だ、大丈夫だった!? っで、ございまひょうか!???」
体勢を整え、少女を起こす。
ヘッドドレスが取れて美しい銀髪が乱れてはいるが、少女に大きな怪我はないようだ。ドレスは汚れてしまったものの、まるで天使のような顔でこちらを見る少女がお貴族様だったことを思い出し、ケイトは慌てておかしな敬語を付け足した。
「……だいじょう、ぶ……」
「ノエル様!!」
少し呆けたような表情で少女が呟くと、奥から側仕えの男女が真っ青な顔をして駆け寄ってきた。泣きそうになりながら少女の状態を確かめる女性と、衝突した馬車から降りてきて絶望した表情で馬を宥めている御者の姿を確認して、ケイトは改めて安堵の息を吐いた。
「えーと、それじゃ私はこれで……」
無礼を働いては大変と立ち上がろうとしたが、クンッとスカートが引っ張られた。
少女が、ケイトのチェックのスカートを握ったまま、自身の小さな手を見て目をぱちくりさせている。
「……あ……れ?」
「ノエル様? どうぞわたくしにお掴まりくださいませ」
「うん、でも……手が……離れな……」
そう言うなり少女の手がブルブルと震えだし、アメジストのような美しい瞳からポロポロと大粒の涙が溢れてきた。恐怖が今になって追いついてきたのだろう。
その様子に胸が締め付けられ、ケイトは思わず再びしゃがみこみ、ノエルと呼ばれた少女を優しく抱きしめた。
「……怖かったね、もう大丈夫よ。びっくりしちゃったね」
トントンと背中を撫でてあげると、ノエルの体から強張りが消え、代わりに小さな嗚咽が聞こえてきた。
側仕えの女性から咎めるような視線は返ってこなかったので、ケイトはそのまま、ノエルが落ち着くまでそっと抱きしめ続けた。
「……お姉さん、いい匂いする。甘い匂い」
気持ちが落ち着いてきたのだろう。腕の中からもぞりと動き出し、ノエルが愛らしい表情でこちらを見上げてきた。
「いい匂い? なんだろ、クッキーかな?
あ、そうだ! 今日バイト先のお店で焼いたクッキーがポケットに……あっ」
甘い物でも食べれば元気がでるだろうと思いポケットに手を入れたが、取り出した袋を見て絶望した。
「クッキーぼろぼろ……」
「あ、あはは。一緒に転んじゃったもんね……これは食べられないか……」
クッキーの袋を見ていたノエルの視線が、ケイトの手元へ移る。
ノエル自身は少し擦りむいた程度で済んだが、両手でノエルを庇って地面を転がったケイトの肌からは僅かに血が滲んでおり、服もボロボロに破れていた。
その様子を見て、再びノエルの表情が暗くなる。
「ごめんなさい……」
「えっ、やだな! ノエルちゃん……あ、ノエル様、のせいじゃないでございますよ!?」
(あれ待って、お貴族様の名前って勝手に呼んでよかったんだっけ!?)
「でも、庇ってくれたから、お姉さんが怪我して……」
(ノエルちゃんったら、こんな小さくて可愛いお貴族様なのに、驕らずにしっかりしてるんだなぁ……)
などと場違いな事を考えつつも、しょんぼりする少女を励ますために、ケイトは頭の中からとっておきの話題を引っ張り出してきた。
「……これ、ここだけの秘密ね?」
「え?」
「お姉さん、こう見えてレアな【幸運】のスキルを持ってるから、すごくラッキーなの。だから、こんな怪我たいしたことないんだよ」
そう言って冗談っぽくウインクすると、なぜかノエルの顔から一切の表情が抜け落ちた。アメジストの瞳が、急に大人びた深い光を帯びる。
「……【幸運】のスキル?」
「うん、そうそう」
思っていたのとは違う真剣な反応に首をかしげつつも、先程までの悲壮感を忘れて考え込んでしまったノエルの様子にホッとする。
そのやり取りを静かに見ていた側仕えの女性が、ケイトに声をかけてきた。
「先程の働き、深く感謝致します。お名前を伺っても?」
ノエルとはまた違う、キリッとした本物のお貴族様オーラに圧倒され、ケイトは思わず視線を泳がせた。
「え、ええと、そんな名乗るほどの者ではございまひゅん……」
焦って盛大に噛んだ。呆れられたかと思ったが、少し考えるようにして女性は表情を緩めた。
「……このお礼は、必ず」
「いいいいえ、お礼なんて……」
いらない、と言おうとしたその声に、不意に別の声が被せられた。
「ええ! 本当に間に合って良かったです〜〜!」
甘ったるい声。
考えるより先に、あのきついバラの匂いと鮮やかなピンクのワンピースが視界いっぱいに飛び込んできた。
ぐいとケイトをお尻で突き飛ばし、側仕えの女性の前に割り込んできたのは、さっきまで物陰に隠れていたシシィだった。
「あたしシシィって言います! シシィ・ローラン。東区にある花屋の娘です☆」
「……」
「このケイトとは友達でぇ、馬車が変な動きをしてて危ないよね〜って、あたしが教えてあげたんですぅ!」
間に合って本当に良かったぁ〜、と大げさに胸をなでおろすシシィに、女性は一瞬で冷ややかな視線を向けた。それから、突き飛ばされたケイトへと視線を戻す。
「貴女は……」
「あー、良いんですよこの子は気にしなくてぇ。
それより、あたし【治癒】のスキル持ってるんですけどぉ、ノエル君、怪我とかしてませんか〜?」
シシィは「治癒のスキル」をこれでもかと強調しながらノエルに近づこうとしたが、側仕えの男性がすっと前に出て彼女を威圧した。さすがにそれ以上は近づけない。
「そ、そんな怪しいスキルじゃないですよぉ。怪我が治せるすっごい貴重なスキルでぇ、お貴族様でも絶対に重宝するんじゃないですか〜? ねっ、ノエル君!」
(ノエル君? どう見ても可愛い女の子なのに、なんで『君』って呼んでるの?
というか急に出てきて何その馴れ馴れしさ……あ、いや、私もノエルちゃんって呼びかけてたわ……!)
などとケイトが内心で混乱しているうちに、周囲の気温が急激に下がった気がした。側仕え二人のシシィを見る目が、完全に「不審者を見る目」に変わっている。
「……二人とも、大丈夫だよ。……ねぇ、お姉さん」
場の氷ついた空気を緩めるように、ノエルが愛らしい声をあげた。即座に反応したのは、やはりシシィだった。
「はぁい! あ、ノエル君ならあたしのことシシィお姉さんって呼んで――」
「そのクッキー、もらっても良い?」
両手を頬に添えて可愛いポーズを決めるシシィの横を完全にスルーして、ノエルはトコトコとケイトの前に歩み寄った。小さな両手が、粉々になったクッキーの紙袋の前に差し出される。
「えっと……でもこれ、本当に粉々だよ? あ、新しいクッキー、お店から持ってこようか?」
「ううん、これがいいの」
ノエルは粉々の袋をそっと受け取ると、宝物のように大事そうに胸の前に抱いた。
お貴族様がそんなゴミみたいなものをもらってどうするんだと思ったが、ふわりと柔らかく笑う顔があまりにも天使で、「まあいいか」とケイトも同じように笑顔を返した。
「……ありがとう、いい匂いのお姉さん。またね」
そう言って、一瞬だけ優雅な貴族の礼を見せたあと、ノエル達は迎えにきた豪華な馬車へと乗り込み、去っていった。
ひしゃげた街灯から馬車が外されるのを横目で見ながら、ケイトは大きく息を吐いた。
(お貴族様を助ける事になるなんてびっくりだわ……。まあ、私みたいな一般庶民、もう二度と会うこともないでしょうけど……)
「……たしだったのに……」
「……え?」
ノエルに無視されて以降、不気味に静かになっていたシシィの呟きにケイトが聞き返した、その瞬間。
ぐいっ!!と力任せに胸ぐらを掴まれた。
「あたしだったのに!! あたしがノエル君を助けて、花のいい匂いのお姉さんって呼ばれるはずだったのに!!! なによクッキーの匂いって、バカじゃないの!? あんたのせいで!!!」
「きゃっ!?」
そのまま胸を押され、ケイトは硬い地面に尻もちをついた。何をご乱心されているのかと文句を言おうとして、目の前のシシィの顔が、完全につり上がって正気じゃないことに気づき息を呑む。
「あんたのせいで、あんたのせいで……! あたしが『治癒の乙女』として侯爵家に呼ばれて、ヒューバート様と一緒に学園に通うはずだったのに!!! 邪魔すんなっ!! 引っ込んでろ、このブス!!」
こうしゃく? ヒューバート? 学園? 治癒の乙女?
何を言われているのか全く理解ができない。なおも怒りが収まらないのか、シシィは先程の馬車の事故で割れた舗装材のレンガの欠片を拾い上げ、ケイトの顔面に向けて投げつけようと振りかぶった。
「おい、そこのお前、何をしてるんだ?」
「――っ!?」
事故処理を見ていた野次馬の一人に声をかけられ、シシィはハッと我に返ると、レンガを投げ捨てて脱兎のごとく走り去っていった。
何が起こったのか全く理解が追いつかないケイトは、そのピンクの背中を呆然と見送りながら、ぽつりと呟いた。
「……1日に2度も、暴走事故にあった気分だわ……」
****
「お姉さん、迎えにきたよ」
そう言って、ケイトのアルバイト先のケーキ屋にひょっこり現れたのは、少し癖のある銀髪にアメジストの瞳が美しいお貴族様だった。
あの事故から2週間が経っていたが、この国宝級の美貌を忘れるはずがない。だが、ケイトは我が目を疑った。
「え……、ノエルちゃ……ノエル、様……??? え? え? え??」
「ノエルちゃんでいいんだよ? あ、でも……」
そう言って、少年は茶目っ気たっぷりにくるりと回ってみせた。肩より少し上で切り揃えられた髪がふわりと揺れ、シンプルながら上品なジャケットの下からは、仕立ての良いハーフズボンが覗いている。
「ノエル君、のほうが正解かな」
「男の子ッ!?」
「うん。僕、可愛いから女の子の格好も似合ってたでしょ?」
「あわわわわ!? 似合ってた、似合ってたけども…!!」
「お母様が娘もほしかったっていうから女の子の格好をしてたんだけど……、お姉さんが体を張って僕を助けてくれたのを見てたらさ、僕もお姉さんを守れるくらいかっこよくなりたいなーって思ったんだ。だから女装はやめたの!」
「男の子…あんなお姫様みたいだったのに、男の子……」
ハーフズボンをきゅっと握り、照れくさそうに、けれど誇らしげに胸を張るノエル。
短くなった髪と少年の服を見比べて呆然としているケイトに、前回と同じ側仕えの女性が「はい」と冷静な返事をかえしてきた。
「ノエル様は、オルティス侯爵家の御子息であらせられます」
「こ、こうしゃく? …侯爵……!?」
お貴族様だとは思っていたが、まさか高位貴族の、しかも息子。
ちなみに平民のケイトはオルティス家がどこのどなたかは存じていないが、ぎゅっと自分のお腹に抱きついてくる少年を、気軽に抱き返す勇気は1ミリも持ち合わせていなかった。
「お姉さんにお礼がしたくて探したの。今度こそ、名前おしえてくれる?」
そうふわりと天使のように笑ってはいるが、相手は侯爵家だ。ケイトの名前なんて、裏でいろいろ調べ上げられているに決まっている。
「け、ケイト・フランで、ございます……。16歳……。父と母と3人暮らしで……ケーキ屋でバイトしてます……。えっと、東区学校に通ってまして……」
「……尋問をしているわけではございませんよ」
側仕えの女性が呆れたようにため息をつく。
事故の時とは違い、平時に貴族と対峙してしまったケイトは、緊張のあまり骨の髄までガチガチになっていた。その様子に、ノエルは柔らかそうな頬をぷくりと膨らませた。
「ケイトお姉さん、なんでそんなに他人行儀なの? この前みたいに優しく話してよ」
「……ノエル様、ケイトさんは普段は貴族と関わることのない平民です。たとえノエル様がお許しになられても、すぐに切り替えることは難しいかと……」
女性の真っ当なフォローに、ケイトは心の中で全力で頷いた。しかし、ノエルの目から今にも涙が溢れそうになる。
「でも……僕はまた会えて嬉しかったのに……っ」
「あわわわわ、ごめんなさ……ごめんね、ノエル君! その、緊張しちゃって……!」
慌てて前のようにしゃがみこみ、目線を合わせて手を握ると、ノエルは一瞬でパッと顔を輝かせた。
「よかった! じゃあ、今から僕の家に行こう!」
「はい??」
「迎えにきたって言ったでしょ?」
気がつけば、店の前にはお召し替え用の豪華な馬車が停まっていた。
「迎え!?家!?ちょっと待って、バイト中!」というケイトの叫びは、側仕えの女性が店長へ流れるような動作で金貨を握らせたことで完全に無効化された。
(拉致である…)
あまりにもスムーズな連行劇に呆然としながら、ケイトは生まれて初めて乗る高級馬車のふかふかなシートに身を沈めていた。
「お姉さん、これ僕のオススメのチョコ!」とノエルが次々に高級菓子を差し出してくるが、窓の外を流れる景色が、明らかに平民の立ち入らない高級住宅街、いや、もはや城の敷地かと思うような広大な門へと進むにつれ、ケイトの生きた心地は顔色とともに消え失せていった。
そうして辿り着いた、目が眩むほど巨大なオルティス侯爵邸の応接室。
そこで、足を組んで静かに資料をめくっていたのが――ノエルの兄、ヒューバートだった。
「……お前がノエルを助けた平民か」
静かで、冷徹な響きの声。
すらりとした長身に、いかにも神経質そうなシルバーフレームの眼鏡。その奥にあるアメジストの瞳が、資料からゆっくりとケイトへ向けられた。感情の読めない冷ややかな視線に、ケイトは思わず背筋を正す。
「は、はい……ケイト・フランと申しまあばばば」
「座れ。……ノエルから聞いたぞ。お前のスキルは【幸運】だそうだな」
ケイトの怯えようには興味を示さず、ヒューバートは手元にある分厚い資料を静かに机に置くと、眼鏡のブリッジを中指でくい、と上げた。
「先に伝えておくが、【幸運】というスキルは前例がない。俺もノエルから聞いて疑ってはいたが、……確かにそのスキルで間違いなさそうだな…。
……お前、自分のスキルの本当の価値が分かっているのか?」
「価値? え? い、いえ……なんか、遠足の日に晴れるとか、落としたコインがすぐ見つかるとか、毎日ちょっとラッキーだなぁってその程度で……」
「……宝の持ち腐れ、とはまさにこのことだな」
ヒューバートは短いため息をついた。声を荒らげるわけではないが、その静かなトーンには絶対的な威圧感がある。
「俺のスキルは【鑑定】……あらゆる事象の真実を見抜く。
その俺から言わせれば、お前の【幸運】というスキルはかなり希少なパッシブスキルだ。…先日の馬車事故もお前が飛び込まなければノエルは死んでいたかもしれない。だが、お前の【幸運】がお前たち二人をミリ単位の隙間で生存ルートへと導いたんだ」
彼は感情を荒らげることなく、淡々と、しかし極めて論理的にケイトのスキルの異常性を説明していく。
「なのに…、なんだその『遠足の日に晴れる』とは!! スキルの無駄遣いにも程がある。
お前がその奇跡的な確率変動を無自覚に発動させていると思うと、研究者として頭が痛い」
「ええと、その、本当にそれくらいしか知らなくて……!」
「…ならば今日から俺が直々に指導してやる。お前のスキルの発動条件、確率の変動、すべてを解明する。
泣き言は許さん。週3でここに通え」
「へ?」
「これはノエルを救ってくれたお前への報酬でもある」
「そ…」
(そんな報酬求めてないんですけど!??)
こうして、ケイトの「偏屈メガネ侯爵令息による、冷静かつ容赦のないスキル研究生活」という、ありがた迷惑な日々が幕を開けたのだった。
****
それからというもの、ケイトは宣言どおり週3で侯爵邸に呼び出され、ヒューバートから「今日はこのサイコロを百回振れ」「次はこの複雑なパズルを直感で解いてみろ」「積み木を投げるから避けろ」と、強引な実験に付き合わされていた。
口調は相変わらず「早くしろ」「効率が悪い」と容赦ないヒューバートだったが、ケイトが少しでも疲れた様子を見せると、彼はすかさず休憩時間をとってくれた。
「集中力が途切れている。…少し休憩にするぞ」
「はい…」
(口はもの凄く悪いし、やってることは強引だけど……この人、本当はすごく真面目でちょっと優しいんだよな…)
侯爵邸で過ごすうちにケイトは少しずつヒューバートと、そしてたまに様子を見にきては甘えてくるノエルと打ち解けていった。
ーーしかし、そんな研究の日々が続いていたある日、最悪の事件が起きる。
「あんたのせいで!! あたしの人生めちゃくちゃよ!!」
ケーキ屋でのバイトの帰り道、人気のない路地裏で、ケイトは突然行く手を阻まれた。
現れたのはシシィだった。あれからオルティス邸に何度アプローチしても門前払いを食らい、ヒューバートと出会うことすらできずにイライラを募らせていた彼女の顔は、完全に狂気に満ちていた。その手には小ぶりなナイフが握られている。
「シシィ!? なんで、そのナイフ……!」
「なんであんたがヒューバート様の家に招待されてんの!? モブのくせに!! あんたなんていなければよかったのよ!
これはあたしのための世界で、あたしがヒロインだったのに!
あんたがしゃしゃり出てこなければ、あたしが死にかけたノエル君を助けて、ヒューバート様に気に入られて、今頃はダミアン様やロバート君たち侍らせて逆ハーレムを築いてたはずなのにぃぃぃ!!」
シシィは意味不明な言葉を叫びながら、ナイフを構えてケイトに突進してくる。
「キャッ……!」とケイトが恐怖で目を瞑った、その瞬間。
ガキンッ!!!
鋭い金属音が響き、目を開けると――そこには、ケイトのカバンを片手に持ったヒューバートが、シシィのナイフを自身の短剣で冷徹に弾き飛ばしていた。背後には剣を抜いた護衛とノエルもいる。
「ヒューバート様……!? ノエル君も… どうしてここに……」
「お前、昨日我が家にカバンを丸ごと忘れていっただろう。時間があいたから届けにきただけだったが…」
大したものは入れてなかったので、次回行った時でいいかと思っていた忘れ物を、律儀に届けてくれたようだ。
「…お前の【幸運】に踊らされたようだな。まったく、便利なスキルだ」
ヒューバートはケイトに視線だけで無事を確認すると、落ちているシシィのナイフを後方へ蹴り飛ばした。
「な ……なんで、なんでヒューバート様がここに!? あたし、違…、違うんです!…ヒューバート様に会いたくて……!会うべきなんです!!」
地面にへたり込んだシシィは、狂ったようにぶつぶつと呟き始めた。
「あたしはヒロインだから…出会ったらヒューバート様は恋に落ちるんじゃないの…!? なんで、そんな冷たい目で……間違ってる…間違ってる……!!」
「こいつは何を言ってるんだ…」
「間違ってるのよ…! そう、このモブが出しゃばって…あたしの役割奪って……ゲームではいなかったくせに、なんであんなとこに、なんでいたのよ!! このブスがヒロインに成り代わろうとしたんでしょ!!」
くわっと血走った目を開いてシシィがこちらを見た。驚きでびくりと肩が跳ねる。
「あ、あの時? えっと、シシィがいるのを見つけて…」
「はぁ!? あたしのせいだっていうの!?」
「いや、シシィが変な格好してたからつい観察しちゃって…、そしたら馬車の音が聞こえて…」
「……は?」
動きが止まる。その後の声は聞こえてないのか、呆然とした表情で呟いていた。
「……変な、格好…?……あの時、私が目立つ格好をして待ち伏せなんてしてなきゃ……ケイトは足を止めなかった…? ケイトが通り過ぎていれば、私がノエル君を助けてた?
……私が、私自身が、シナリオを壊したの……?」
シシィは自分の両手を見つめ、ガタガタと震え出した。
自分が仕掛けた初登場の演出こそが、ケイトという不確定要素を引き寄せ、自分の未来を決定的に狂わせたのだという事実に、今更気づいたのだ。
「自分のための世界、自分がヒロイン、か。……完全に精神を病んでいるな」
背後でその支離滅裂な語りを聞いていたヒューバートは、冷ややかな声でそう判断した。
駆けつけた衛兵たちにシシィは取り押さえられたが、まだ未成年であること、そして明らかに精神の均衡を崩していることから、牢屋ではなく医療機関での要監視処分となることがその場で決まった。
連行されていくシシィの、魂の抜けたような後ろ姿を見送りながら、ケイトはペタンと地面に座り込んだ。
「あんなに…恨まれてたなんて…」
連行されていくシシィの魂の抜けたような後ろ姿を見送りながら、じわじわとこみ上げてきた恐怖に、体の震えが止まらない。
「驚かせたな、ケイト」
ヒューバートがそっと歩み寄り、ケイトのカバンを差し出す。
「こわかった…、こわ……こわかっ……」
しかし、カバンを受け取る余裕すらなかった。ケイトは自分の肩を抱くように身を縮こませ、ただガタガタと震える。
その様子に、ヒューバートは差し出したカバンを持ったまま、どうしたら良いのか困ったように大きな手を空間で彷徨わせた。冷徹な天才令息も、泣きそうな平民の少女のあやし方までは鑑定できなかったらしい。
見かねたように、彼の背後からノエルがひょっこりと現れた。
トトト、と軽い足取りでケイトに近づくと、その小さな腕でケイトにぎゅっと抱きついた。
「兄様、こうだよ。……怖かったね、もう大丈夫だよ。びっくりしちゃったね」
「ノエル君…」
(これ……私が前にノエル君にしたやつだ……)
背中をトントンと一定ののリズムで叩かれ、きゅっと肩に回された体温を感じるうちに、ケイトの過呼吸気味だった呼吸が少しずつ落ち着いていく。
「ほら、兄様も」
ノエルがケイトに抱きついたまま、怪訝な顔で突っ立っている兄を見上げて顎をしゃくった。
「「えっ」」
ヒューバートとケイトの声が見事にハモる。
「良いです良いです! もう落ち着いてきたので!!」
慌てて手を振って遠慮するケイトに、ヒューバートは眼鏡の奥の目を泳がせ、ますます固まってしまった。
「……だが、紳士の態度としては、ここで女性を慰めるのが義務、か……?いや、しかし…」
ブツブツと大真面目に倫理的な葛藤を始めた兄に、ノエルはにやにやとあざとい笑みを浮かべる。
「えー? 兄様本当にいいの? ケイトお姉さん、すごくいい匂いするのに……。あ、もしかして緊張して動けないの?」
「もうノエル君それ以上言わないでぇ!!」
ケイトが顔を真っ赤にして叫んだ瞬間、ヒューバートが「はぁ……」とこれ以上ないほど深い、大きなため息を吐いた。
そして、長い足を一歩踏み出し、ケイトの前に膝をつく。
ぽん、と、少し骨張った大きな手がケイトの頭の上に置かれた。
「――っ!!!」
そのまま、不器用に、けれど優しく髪を撫でられる。
驚いて顔を上げると、ヒューバートは少しだけ顔を背け、気まずそうに眼鏡のブリッジをくい、と押し上げていた。
「……もう、大丈夫だ。俺たちの目が届く場所にいる限り、お前に手出しはさせん」
その低い声の安心感に、ケイトの心臓がドクン、と跳ねた。
(あ…あれ??)
恐怖とは違う種類の鼓動に、慌てて視線を足元に落とす。
ヒューバートはそのまま手を離すと、すっと立ち上がり、再びいつもの冷静な表情に戻ってコートの埃を払った。
「……要監視処分にはなったが、あの狂い方ではお前がこれ以上襲撃されないという保証はない。つまり…その……ケイト、俺の屋敷に来い」
「え? ……でも、私、平民ですし……」
「スキルの研究がまだ途中だと言っている。お前に何かあっては研究が頓挫するからな。これは合理的な判断だ!」
「ただの居候」ではなく「研究対象」。
ヒューバートは相変わらず大真面目な顔で、あからさまに淡々と提案してくる。
(……スキル研究のためって名目を作って、私を守ろうとしてくれてるのかな……)
その不器用な気遣いが、今はたまらなくありがたかった。
シシィの動向も気になるし、素直にその提案を受け入れたいと思った。
「ケイトお姉さん、僕からもお願い! このままじゃ心配で寝れないよ……」
すかさずノエルが下から覗き込み、潤んだアメジストの瞳でケイトの手をぎゅっと握る。この兄弟、アメジストの使い方がずるすぎる。
「……ノエル君が寝れないと困っちゃうね。
……それじゃ、お邪魔させてもらおうかな。よろしくお願いします、ヒューバート様」
ケイトはほっと胸をなでおろし、二人に笑顔を向けた。
まだこの時、ヒューバートもケイトも、自分たちの間にこれからどんな感情が育っていくのか、これっぽっちも気づいていなかったのだが――。
「やったぁ! 毎日お姉さんと一緒だ!
ねぇねぇケイトお姉さん、ちなみに何歳までなら年下でもOK?」
馬車へ向かって歩き出しながら、ノエルが弾むような声で爆弾を放り込んできた。
「……はい? OKとは……? なんの話?」
「ノエル、くだらん質問をして困らせるな。ケイト、早く乗れ」
ヒューバートが先に馬車に乗り込み、ドアを開けて待っている。相変わらず仕事が早い。
「ちょっと、兄様邪魔しないでよ! ケイトお姉さん、何歳まで!? 10歳下は? 10歳下はアリ?」
「あ、あはは……どうかなぁ……?」
ケイトは引きつった笑いで誤魔化しながら、促されるまま豪華な馬車へと足をかけた。
ただの通りすがりの平民だったはずなのに。クラスメイトの奇行を眺めていただけだったはずなのに、気づけば侯爵家にお世話になることになってしまうなんて。
(私の【幸運】のスキル……ちょっとラッキーの方向性が暴走してませんかね…?)
溢れんばかりの幸福(?)と、これからのスパルタな毎日にちょっぴり頭を抱えながらも、ケイトは差し出されたノエルの手を握り、馬車の中で待つヒューバートの前へと滑り込むのだった。
ご一読いただきありがとうございました!
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